第17話 正しい使い方

 戦斧せんぷを振り上げたラングルの姿は、幻ではなかった。ラインハルトは重い一撃を退くことなく前に出て、プレシアンを打ち合わせることで防ぐ。待たずに前へ出たのは、ラングルの戦斧が最大の威力を発揮する一点を越えて踏み込むことで、受け止める衝撃を緩和することと、もうひとつは直接、ラングルと組み合うことにあった。


「ラングル、ガード・ラングルだな!」

「一部族の長にすぎないおれを知っているとは光栄だ、若獅子!」


 斧と剣、互いに押し合う力が拮抗きっこうし、触れ合う刃がぴたりと止まる。一見すればただ近づけているだけにすら見えるそれを握るラインハルトとラングルの額からは、汗が一気に吹き出していた。力を抜けば押し潰される、もしくは虚を突いて、敢えて力を抜くことで、相手の体勢を崩すことも可能となるこの状況では、腕の筋力を収縮し続ける力はもちろん、相手の僅かな動きにも反応しなければならない緊張感が、互いに重くのし掛かっていた。


「あの人形は、お前の計略か!」

「そうだ、おれたちはマイカを取り戻す!」


 ラインハルトが力の限りに叫ぶ。そうしなければ押し潰されてしまいかねない、と思ったからだが、それはラングルも同じだったようだ。怒声が、互いの得物越しにぶつかり合った。


「自分たちの街を破壊しているんだぞ、それが、わかっているのか!」

「てめえらが兵を退かねえ限り、手段は選ばねえ。選んでる余裕はねえ。嫌だってんなら、てめえらが兵を退けば済むことだ!」


 不覚にも、ラインハルトはほんの一瞬、刃に向けていた集中を、途切れさせてしまった。兵を退けば済むこと。ラングルの言葉が、ラインハルトに隙を作った。

 そう、本当に、ただ、それだけなのだ。戦い続けなければならない理由など、どこにもないのだ。


「ここはおれたちの国だ、おれたちの大地だ! おれは、おれの一族を守らなきゃならねえ。街なんぞ、何度でも作ってやる。ただ、てめえらがいたんじゃ、それはできねえ!」


 ふっと、ラインハルトの力が抜けた瞬間を、ラングルは見逃さなかった。身体ごと浴びせかけるような突進を、ラインハルトは避けきれなかった。肩からぶつかる衝撃は、ラングルが大柄であるがゆえに強力で、ラインハルトの身体は、簡単に宙を舞った。ゆうに五歩分の距離を弾き飛ばされて、ラインハルトはマイカの石畳の上に倒れた。しかし、倒れたままでいるわけにはいかない。衝撃に痛む身体を無視して、ラインハルトはすぐさま飛び起きる。素早くその場を退いたその刹那、ラインハルトが倒れていた場所に、ラングルの戦斧が振り下ろさせた。


「……それは、レネクルスの民も、同じことを思っていたはずだ。」


 言ってはだめだ、とラインハルトはわかっていた。わかっていたが、口から出た言葉は止まらなかった。


「お前が攻め、蹂躙じゅうりんし、命を奪ったレネクルスの民も、あの土地を自分たちの土地だと、自分たちの大地だと、そう思っていたはずだ。それを……」


 復讐ですか。


 唐突に、シホの姿を見た気がした。ほんのわずか前、シホ・リリシアに向けられた言葉が、ラインハルトの頭の中で繰り返される。


 復讐は何も生みませんから。


 その通りだ。復讐は、復讐しか生み出さない。この戦いに終わりがあるとすれば、それはどちらかの死滅のみ。そういう状況にしてしまっているのは全て、防衛という、反攻という復讐が、次の防衛という、反攻という復讐を生んでいるにすぎない。適度な戦争など、存在しない。ちょうどのよい幕引きなど、ありはしない。誰かが誰かの命を奪うというのは、そういうことなのだ。それは、わかる。わかっている。だが、自分は貴族で、騎士だ。貴族は、騎士は、領民を守り、導くことでのみ、存在を許される。そんな自分に、防衛しないという、反攻しないという選択肢は選ぶことは出来ない。


「知ったことか。おれにはおれの一族を食わせなけりゃならねえ理由がある。」


 ラングルは、一直線な男だ。自分と、自分の一族のため。全てはそうだと言い切る。だが、この視野の狭さを、己の立ち位置からしか世界を見ることの出来ない視点を、争いを終わらせることの出来る位置にあるもの、人々を導く、指導者と呼ばれる存在が持ってはならないのだ。


「この戦争はこじれちまった。ここまで来れば、お前らがこのマイカで兵を退くか、おれたちの国が消滅するか、それ以外の解決はないだろう。」


 ラングルは石畳を割った戦斧を、徐に持ち上げて構え直す。ラインハルトもプレシアンを下段に構えた。


「この土地で、おれたちが本気なことを示す必要がある。あの人形は、そのための道具だ。てめえらカレリアが、これ以上攻め込もうってんなら、それなりの用意がある、ってことを知らしめるためのな!」


 道具は、道具でしかありません。


 再びラインハルトの脳裏をよぎったシホの姿は、先刻とは別のものだ。ラングルの道具という言葉に反応して現れたシホの幻は、マイカへと向かう道中、相席した馬車の中で、ラインハルトを諭し、女神のように語った姿だ。


 道具は、正しい使い方を知れば、誰もが正しく使えるものです。手にする前に、そのものを使う前に、一度考えるだけでいい。この使い方は本当に正しいのか。いま使われることが本当に正しいのか。もしラインハルト様が償うことを望まれるのであれば、きっと、道具の正しい使い方を学び、考え、今度こそ正しく使うこと。それだけで、いえ、それだけが、人が生きていく上での償いになるのではないかと。


 正しい使い方。


 その言葉が、ラインハルトの意識の深いところに落ちていく。貴族として、騎士として、選べない選択肢。それでも、相手の立ち位置から見た世界を想像しなければならない指導者という存在。やられたままでいればいい、というわけではない。しかし、復讐に復讐を重ねるわけにはいかない。正しい使い方。自分に課せられた役割という道具、その正しい使い方。


「てめえはここで死ね、ラインハルト。カレリアの連中に兵を退かせる、いい材料になる!」


 ラングルがその性格そのまま、一直線に飛び込んでくる。その瞬間、プレシアンが力を解放する。ラングルの次の一手の、無数の可能性が、ラインハルトの頭に映像となって流れ込んで来る。斧がラインハルトの頭に、肩に、腹に食い込み、鮮血を撒き散らす。痛みだけが、現実となって押し寄せ、ラインハルトは、ともすれば発狂しかねない状況を、奥歯から血が流れるほど噛み締めて堪え、堪えて、考えた。正しい使い方。シホが示した、正しい使い方の意味。その瞬間、ひらめいた幻に、ラインハルトは手を伸ばした。

 幻が消える。現実のラングルは、まだ戦斧を振り上げてはいない。ラインハルトはラングルが予知通りの角度に戦斧を振り上げるのを待たず、一歩踏み出すことで、相手との間合いを詰めた。そして、戦斧が動く前に、その軌道上にプレシアンを落とす。魔剣の刃は、戦斧の刃と柄の、狭い間を的確に切り落とした。簡単には切り落とされないように、頑丈な鋼鉄で被われていた部分だが、プレシアンは飴でも融かすような容易さで、ラングルの得物を破壊した。

 ラングルの表情に動揺が浮かぶ前に、ラインハルトはその顔に蹴りを見舞った。プレシアンを振り下ろした時に踏み出した足を軸に、回転した蹴撃しゅうげきは、ラングルの左頬を撃つ。自身の突進の勢いに、ラインハルトの蹴りを受けたラングルは、たたらを踏んで石畳の上に倒れた。

 倒れた位置を確認して、ラインハルトは刃を返す。ラングルに、プレシアンを振り下ろした。


「……ここまでだ、ラングル。」


 急いで立ち上がろうとしたラングルの首筋に、魔剣は押し当てられて止まっていた。ラングルも、無言のまま身を止めた。

 プレシアンは、ラングルの命を奪う選択肢を幾つも見せた。それでも、ラインハルトはこの選択肢を選んだ。

 正しい使い方だと、信じた。

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