第16話 可能性に手を伸ばす

 ラインハルトは押し寄せる金属人形きんぞくにんぎょうの波の奥にいる、髭面ひげづらの大男の姿を捉えた。大男は金属人形に指示を出しているようにも見えたが、如何いかんせん相手が人形であるせいか、反応が全くなく、男が一人で大声を張り上げているようにも見える、少々、滑稽こっけいな様子だった。

 ガード・ラングル。レネクルス領へ侵攻し、ルートクルス城を奪取したオード王国の一部族軍団の長。ラインハルトは、かつて一度だけ顔を会わせたラングルという男の印象を呼び起こした。不遜、高すぎる自尊心、蛮勇を絵に書いたような態度。あの時は外交の場で、互いに国を代表してその場にいたはずだが、彼にはそんなことはお構い無しという様子だった。そのようすから、ラインハルトは彼に降伏という選択肢はない、と思っていた。ルートクルスでは身を引いたのか、反攻戦時に偶々たまたま一時的に帰国していたのか、魔剣フランベルジュを振るう炎の魔剣士ウファの乱入により定かではなくなってしまっていたが、とにかく、ルートクルスで彼を討たなければ、彼は必ず軍団を率いてもう一度攻めてくるであろうことを、ラインハルトは予想していた。喧嘩を始めたからには、負けなど認めない。如何いかなる手段を用いても、勝って相手を切り捨てる。ラングルという男は、そういう手合いだとラインハルトは評していた。

 彼がこの金属人形たちを使役しているのかどうか、使役しているのであれば、どんな方法で行っているのか、そうした疑問はあった。だが、それより何よりラインハルトの頭に浮かんだ言葉は、やはり、という一言だった。やはり、ラングルは戻ってきた。やはり、ルートクルスで討たなければならなかったのだ。やはり、彼に降伏という選択肢はない。やはり、再び戦うことになった。やはり……


「……シホ様、ここはわたしにお任せ願いたい。」


 ラインハルトは一歩踏み出して告げた。ラインハルトの目の前には、金色こんじきの鎧兜に身を包んだ小柄な人物と、その人物の黒い影であるかのようにすぐ隣に佇む、あの『紅い死神』の異名で知られる男がいる。


「あの男性、ですね。」


 小柄な人物……天空神教会最高司祭の一人、シホ・リリシアは、ゆっくりとラインハルトの方を見た。顔の上半分を兜が覆い、口元だけが露な状態だったが、彼女がいま、非常に厳しい顔つきをしていることは、その一部分だけでもわかった。固く結ばれた唇は、周囲にいる人をも笑顔にさせるような、彼女特有の、太陽のように明るい笑みからは程遠い。


「彼はオードの戦士、そして部族の長でもあります。レネクルス領侵攻の先頭にいたであろう人物です。」

「復讐、ですか。」


 意外な問い掛けがシホから突き刺すような鋭さで飛んできたので、ラインハルトは一瞬、気圧された。復讐、という言葉に、即座には意味を持たすことが出来ず、わずかな沈黙が流れた。


「もしそうならば、ここはわたしが止めます。彼もわたしが止めます。それが、あなたが公子として、領民の方々の復讐だ、と言ったとしても、わたしが止めます。復讐は何も生みませんから。」


 シホが淡々と言う。紅い死神の気配が明らかに揺れたが、なんだったのだろうか。


「いえ……いいえ、決してそのようなことでは……」


 シホになんと応えるべきなのか。ラインハルトは言葉を探したが、相応しい言葉を見つけることは出来なかった。復讐かと訊かれれば、そうかもしれない。自領を侵略され、民を蹂躙じゅうりんされた復讐。だが、この戦いは既に、そうした反攻戦の域を越えている。侵略に対しての反攻戦であるならば、国境を押し戻した時点で終わってよかったはずだ。それがいまはオードの経済主要都市を落とし、王都を目の前に捉えるまでに至っている。何をもって復讐とするのか。いや、そもそも、この戦いは、誰のためなのか。


「……わたしは、彼に確認しておかなければならないことがあるのです。我々はなぜ、戦い続けなければならないのか。」


 ラインハルトがようやく絞り出した言葉は、自分でも驚くほど、危うささえ感じるほど、率直な言葉だった。


「……それは、おれたちも同じだ。」


 紅い死神が肩越しにラインハルトを見て言う。整った切れ長な目が、こちらをにらんでいるようにも見えた。シホは何も答えずに正面に向き直った。迫る敵の姿を見据えて、選択肢を並べている時間はない、とその小さな背中が語っていた。


「……では、わたしたちが道を作ります。ラインハルト様は彼の人物を抑えてください。わたしたちも、彼には確認しておかなければならないことがあります。」


 言うが早いか、シホ、死神、そしてラインハルトをここまで案内したイオリアという少年騎士が、押し寄せる金属片の波に向かって駆け出した。その移動は、速い。一歩目で常人の全速力に達し、二歩目で常人を越えている。あれが魔剣を持つものの力なのか、と思ったが、自分には同じことが出来ない。魔剣を持っただけではない、彼らの積み重ねた時間が、その動きには現れていた。

 瞬く間に、三人は鉄の群れと衝突する。明るい閃光が輝き、その上を、黒い筆が走るように死神の影が舞う。途端、紅い光が縦に、横に走ったかと思えば、次の瞬間には青い冷気が金属人形たちを氷付けにする。

 演劇でも見せられているかのような戦いだった。昨日までのラインハルトの常識が、まるで通用しない。だがこれが、聖女と呼ばれる少女司祭、シホ・リリシアが歩む戦いの道なのだ、と理解した。そして自分も、その末端に立っているのだ、とも。

 彼の人物を抑えてください。シホはそうラインハルトに言った。彼らと同じことは出来なくても、任されたことはこなしてみせる。ラインハルトは常人と変わらぬ速さで駆け出した。

 すぐに金属人形が三体、ラインハルトの前に躍り出た。シホたちが討ち洩らした敵だろう。ラインハルトは父から託された剣を抜いた。パーシバル家に伝わる聖剣シルヴァルフ……シホによればそれは、百魔剣の中でも指折りの力を持った魔剣、プレシアンであるとのことだった。そのことを意識する前に、ラインハルトに、あの現象が起こった。

 金属人形たちが鍛練たんれんされた戦士たちもかくや、というような、見事な連携を見せ、右から左から、そして正面から、間髪入れぬ斬撃を繰り出す。ラインハルトはそれを避けきれず、全て身体で受け、血を吐いて倒れる。

 一瞬のうちに脳裏をよぎったのは、そんな光景だったが、これまでと同じようにラインハルトは立ち止まることはなかった。その光景が終わりきる前に、一歩を踏み出す。実際にはまだ突き出される前の右手からの刃を弾いて、人形を一突きにし、返す刃で左から迫る人形を切り捨てる。正面からの斬撃は、アルスミットから授けられた舞踏のように華麗な足さばきで反転してかわし、動きが生んだ勢いを殺さず、剣の破壊力に変えて、人形の頭に当たる場所にプレシアンを叩き落とした。

 幻視した光景の中で傷つけられ、血を吹いた胸や腕や首が激痛を発する。だが、ラインハルトは構わなかった。


「……遅い。」


 プレシアンを構え直す。ほのかな温もりが、プレシアンから伝わる。それは、ラインハルトが初めて感じた、人でもなく物でもない、不可思議な温度だった。

 道を作る、とシホが言った通り、ラインハルトの歩く正面だけ、金属人形の姿が減っていた。時折、群れからはぐれたように飛び掛かってくる金属人形を、その刹那せつな前にプレシアンが見せる幻にならうことで、ラインハルトは次々と、一太刀のもとに切り捨てていく。

 プレシアンが見せる無数の予知から、可能性を拾い上げる。自分にとっての最悪の未来が、強烈に頭を打ったとしても、その先にある可能性に手を伸ばす。そうやって、ラインハルトは戦っていた。時にプレシアンの予知は複数の予知をはらむため、現実には微妙な差異が生まれる。何体目かの人形と切り結んだ時、相手を金属片に返しはしたが、人形の手の刃がラインハルトの頬に傷を残した。


「遅いぞ、プレシアン。奴らの反応速度を超えろ。お前が未来を見せると言うのなら……」


 ラインハルトはさらに踏み込んだ。プレシアンを握る手が熱くなる。頭の中では様々な映像が矢継ぎ早に浮かんでは消え、浮かんでは消える。ラインハルトはただひたすらに可能性を掴み取っていく。


「わたしにこの戦いを終わらせる未来を見せてみろ!」

「若獅子!!」


 野太い雄叫びが、ラインハルトの叫びに重なる。一直線に突進してくるラングルの姿が、目の前に迫った。

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