第15話 聖女と死神

 紅いひらめきが残像を残す。何体目かの金属人形きんぞくにんぎょうがまるで紙のように容易く切断されて、路上に転がった。倒れた衝撃で、人の形をしていたものはその姿を崩し、バラバラの金属片に戻る。そうして散らばった破片で、辺りは埋め尽くされていた。全て彼の仕業だ。


「……なかなかの数だな。」

「ええ。しかも微弱ですが、これらはひとつひとつ、魔剣の力を宿しています。」


 汗ひとつ浮かべず、涼しい顔で言った彼は、右の手に握った紅い刃の片手剣を腰の鞘に戻しながら、シホに振り向いた。腰に達するほど長い彼の黒髪が揺れた。


「それはわかるが……」

「おそらくは」


 シホは言いながら、足元に落ちた金属片のひとつを取り明けた。つまみ上げた指先に、強い熱を感じる。


「これは何らかの方法で、百魔剣のうちのひと振りを打ち砕いたものです。これら金属全てではありませんが、この中に混ぜられていると考えられます。」

「……そんなことが可能なのか?」


 珍しく、はっきりと動揺した声を出した彼……『紅い死神』リディア・クレイは、シホの言葉を待っている様子だった。だが、シホもその答えを持っていなかった。あくまでも『そうとしか考えられない』ことを口にしただけであり、それが可能なことなのかどうかまでは、シホにもわからなかった。戦乱の最中、大量生産されたような、粗悪な打剣ではない。砕かれているのは旧王国時代の遺物、ひとつひとつが強大な魔法の力を有する百魔剣なのだ。シホはそれを封印する為に戦っているし、リディアはそれを破壊することを生きる目的としている。そんな武器が、簡単にこれほど細分化されてしまうものなのだろうか。


「方法はわかりません。ですが……」

「……そうとしか考えられない、というわけか。」


 こんなにも細かな金属片になるほど細分化することが可能ならば、自分も、リディアも、苦労はしない。命懸けで戦ったり、魔法の力で魔法の力を相殺し、封印するような必要はなくなるはずだ。こんな技術は見たことがないし、存在すら知らなかった。シホは百魔剣に関するあらゆる文献に目を通している。相応の知識量はあるはずだが、それでも、これまで目にしたどこにも、そんな記述はなかった。


「いったい、こんな技術を、どこで……」

「シャドだろう。」


 確信的なリディアの言葉に、シホは金属片を見つめた顔を上げた。その名前は、覚えている。


「『博士はくし』を名乗る人物……?」

「おれもそうとしか考えられないだけ、だがな。百魔剣についての高等な技術を、オードの人間が持っているとは考えがたい。であるならば、国王付の軍司という立場にあるシャド、百魔剣の研究者を名乗るあいつの技術だと考えるのが自然だ。」

「軍師として、自分の属する国を、自分の持つ技術を駆使して、勝たせようとしている……?」

「それだけならばいいがな。」


 ガチャリ、という金属音が聞こえ、リディアとシホはそちらを見た。

 マイカ商業区の五番地区は、小さな店が軒を連ねる街区だ。二人が立っているのは政府機関が集中する中央区画から放射線状に伸びる主要道のひとつで、その両脇には、主に装飾品を取り扱う店が並んでいる。いまはどの店にも人の気配がなく、住人は店を閉めて避難しているが、窓越しに見える装飾品の数々は、在りし日とまるで変わらず、差し込む日の光を受けて、きらびやかな輝きを放っている。音は中央区画とは反対の、街の外へと通じる主要道の先から聞こえた。リディアの右に立ったシホが、そちらに正対すると、道の向こうで、唐突に赤い色の光が瞬いた。

 ほとんど反射的にシホが魔剣ルミエルを抜く。考えてしたことではなく、ごく自然な動作で、シホはルミエルを突き出すと、その切っ先よりわずか前方に、光が薄い膜を張って、壁のように広がった。


光の障壁バリア・ルミヌズ


 唱えた呪文に呼応して、薄い壁のように広がった光が、硝子ガラスのように硬化する。そこに赤い帯状の光が何本も飛来したが、そのすべてを光の壁は受け止め、弾き飛ばした。


「……自由自在だな。」

「幾らか出来ることが増えただけです。それより……」


 リディアにしては珍しい感嘆かんたんに、シホは内心、嬉しさを感じていたが、それを表面に出して喜ぶ時ではない事態が、目の前に迫っていた。身につけた聖女専用戦闘装束である、金色の全身鎧フルプレートの兜越しに、シホは迫る敵の姿と数を見た。

 赤い光の帯を放った存在は、群れになって押し寄せてくる。鎧に似ているが、それよりは軽い、金属片同士が擦れ合う音を響かせた金属人形の波が、時折赤い光を放つ。赤い帯状のその光を受けた主要道の石畳が、軒を連ねる石造りの店の壁が、閃光と共に爆ぜて飛び散る。何らかの破壊の力を持つ魔法が、無差別に放たれていた。破壊の限りを尽くす暴威の波を前に、シホは唇を噛み締めた。


「あれを止めます」

「わかった」


 言って走り出したのは、リディアもシホも同時だった。互いに魔剣の力と親和する二人の走る速度は、常人のそれを大きく超える。


「シャドの目的は、オードを勝たせるだけではない、ということですか。」

「シャドの目的は、オードを勝たせることなどではない、ということだ。あいつにとって、そんなことはどうでもいいらしい。おそらくは……」


 時折飛来する赤い破壊の光は、全てシホの輝きが弾いた。見る間に金属人形との距離は詰まり、二人は対多数の乱戦に突入する。

 シホは眼前に迫った金属人形に魔剣ルミエルを横薙ぎに一閃。その瞬間、ルミエルに宿った光の魔力を解放する。刃の軌跡に沿って放たれた光の魔力が何体もの金属人形を撃ち、形を保てなくなって石畳に散らばる破片に姿を変えた。それでも押し寄せる波は止まらず、シホは金属人形が振り回す『手』の攻撃を、後ろへ下がりながら避ける。人形の手はそのまま剣のように鋭利な刃物になっていて、重さを感じることのないであろう人形は、それを人間では考えられない速度で振り回した。何度目かの、何体目かの一撃に合わせてシホがルミエルでその『手』の攻撃を受け流し、逆に前へ踏み込んだのは、避けていては戦えない、と判断したからだ。人形の手をルミエルで受けた衝撃を、無理に逆らって殺すことはせず、流れるように身を翻したシホは、座り込むようにして魔剣ルミエルを金属人形たちの前の石畳に突き刺した。


光の槍ロンス・ドゥ・ルミエル


 力を呼ぶ言葉に反応し、ルミエルから放たれた光の魔力が、石畳の隙間を割って立ち上がる。計五本の巨大な光の槍に地面から突き上げられた幾体もの人形が、金属片に還る。だが、敵の数は多く、シホの魔法を受けなかった数体が、シホに殺到する。まずい、と思い、ルミエルから手を離して退くと、シホは次の力を呼ぶ言葉を紡ごうとした。が、それは音になることはなかった。が閃いたからだ。


「助けない、と言ったはずだ。」


 シホに殺到した金属人形が、瞬く間に全て切断されて崩れ落ちる。黒髪が帯を引き、『紅い死神』が跳躍ちょうやくする。

 リディアもまた、シホと同じ判断をしたようだった。退けば数で圧倒されるだけであるから、前に出る。その判断は、おそらくシホよりも早く行われていたのだろう。既にリディアと正対した側に金属人形の姿はなく、いま、シホの正面にいる人形たちが、リディアによって次々と斬られていく。その速さは、二年前の記憶を簡単に凌駕りょうがする。恐ろしいほどの研鑽けんさんの跡がそこにはあり、金属人形が文字通り人形であるかのようだった。

 僅か二年ではつちかえないのが、実戦での判断力だとシホは自覚していた。確かに、力をつけた自覚はある。事実、聖女近衛騎士隊エアフォースの面々と手合わせしても、遜色そんしょくなく戦うことができる。だが、一瞬の判断力を身に付けるには、二年という時間はまだ短い。幼少期から、ある悲しい出来事を契機に、あの紅い刃の魔剣を握り、傭兵として、ずっと戦いの中に身をおいてきたリディアの姿は、シホにその事を痛感させた。

 それでも、その肩に並ぶ為に、シホも研鑽を積み重ねて来たのだ。この人を孤独にさせない為に、好まざることも身に付けて来たのだ。


「ええ。感謝します。」


 そう言うに止めて、シホは前に出た。石畳に刺さった魔剣ルミエルを走りながら引き抜くと、振り上げた動作に合わせて、魔力を解放する。刃の延長上にいた全ての金属人形を光が撃つ。僅かな間に、金属人形は数を減らしていた。


「……シャドの目的はおそらく、こうしておれたちを戦わせることだ。百魔剣の戦いを、いまもどこかで見ているんだろう。」


 最後の一体を金属片に還したリディアが言う。金属片の山の上に立ち、やはり涼しい顔で長い黒髪に手櫛てぐしを通した。金属人形はひと波終えただけの様子で、第二波の気配はまだある。


「そのシャドという人物は、本当にそれだけの為に戦争を起こした、と?」


 乱れかけた息を飲み込み、疲れを見せないようにしてから、シホは問う。シホには信じられなかった。もちろん、フィッフスやリディアの言うことが信じられない訳ではない。そんな考えを持つ人間がいることが信じられないのだ。


「そういう人間だ、としか言いようがない。」

「行け、行け、行け!! カレリアの連中を皆殺しにしろ!!」


 リディアの言葉に重なるようにして、中年の怒鳴り声が聞こえた。声は金属人形の群れと共に近づいてくる。


「あれは……」

「シホ様!」


 金属人形の群れの向こうに見えた人影を確認しようとしたシホに、少年と聞こえる声はかけられた。声の方を向くと、浅緑あさみどりの髪をした少年が、端正な顔立ちをした青みがかった黒髪の青年を伴って駆け寄って来るところだった。


「ご苦労さまでした、イオリア」

「あれは……」


 シホの労いに、頭を下げたイオリアの背後で、レネクルスの公子ラインハルトが、最前のシホと同じ声をささやいた。視線はシホを越えて迫り来る金属人形の群れと、そのさらに奥に見え隠れする人影に送られていた。


「ラングル……!」


 金属人形に指示を出しているかのようにも見えるオード人の大柄な中年男性を、ラインハルトは知っている様子だった。

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