第10話 お茶にしましょう
「『夢幻』に『フェンリル』かい。また厄介な連中が出てきたもんだねえ」
「……アンヴィの時と同じだ。まるで」
「まるで二年前の再現をしようとしているよう。そうかも知れないねえ。何せ、あの事件は、高位の魔剣同士が直接戦った、稀有な例だ。シャドなら『ボクもこの目で見たい』とでも言いそうだよ。まったく、気分の悪い……」
「……それで、フィッフス殿」
城塞都市マイカに到着した翌日、クラウスは神聖王国が接収したある商家の一室に呼び出された。
事前に聞いていた通り、マイカの攻略は滞りなく進んだようで、
その行政施設から通りを隔てた向かい、商業区にある商家の屋敷をリディアと、その同伴者である『魔女』の為に用意したのは、ルディの配慮によるものだ。いくら教会側の人数が少なく、決定権もシホに委ねられている、とはいえ、神聖王国側の目がある中では、同じ施設を『魔女』に使わせるのは体面が悪い。シホの、謂れのない醜聞の種になりうる事柄は避けるべきで、ルディの配慮は適切だとクラウスも思った。もちろん、クラウスには、リディアや彼に連なる人脈に対する、一方的な偏見や思い込みはもう、ない。ただ、旧王国の遺跡や遺物を深く研究し精通する、彼女のような人物たちを、魔法に取り憑かれた研究者たち……『魔人』『魔女』と忌み嫌う一定の層が、神聖王国と教会内には少なからず存在する。その事は、変えようのない事実だ。
「わたしに用だと伺った。一体どのような……」
「クラウス・タジティ元神殿騎士長さんだね。倒れたあんたには会ったことがあるけど、こうして話すのは初めてだったね。フィッフス・イフス。旧王国の遺物研究者……あんたたちの言うところの『魔女』さね」
「……失礼致した。その時の話はシホ様から聞いている。二年前には……」
「いい、いい、固い挨拶は要らないよ、騎士長、あ、いや、クラウスさん。あたしも苦手だしねえ。それにこの子から、あんたの話はよく聞いてるんだ。初めて話した気がしないよ」
そう言って、五十がらみの魔女は、ガハハ、と豪快な笑い声を上げた。年齢と恰幅の良さは、声の響きで感じ取ることが出来る。また、声の丸さから、好戦的な人物ではないことも、閉ざされた双眸の闇の向こうにクラウスは感じ取った。異端者としてこのカレリアの地で持たれる旧時代の研究者の印象とは真逆の人物と知れる。なるほど、シホが好意を寄せる理由も、十分理解出来る。
この子、とフィッフスが指した気配は、少し離れた窓辺にある。彼の常である、剣呑な気配は、彼の着衣同様、黒い色で感じることが出来た。『紅い死神』の異名で知られ、生きる伝説とまで恐れられる傭兵も、育ての親の前では形無し、と言ったところだろうか。それによく聞いている、とは。一体、どんなことを話されているのか。いや、そもそもあの死神が、魔女相手に屈託なく話す様が想像出来ず、クラウスは意外だ、という感情を隠すことなく表情に出した。
『紅い死神』リディア・クレイが、こちらに向けていた視線を意識的に外す気配があり、フィッフスが微笑む気配があった。クラウスも思いがけず顔が綻ぶ。
「……あんたも、相当の苦労をしたね。その顔を見ればわかるよ」
声を潜めたフィッフスのその言葉には、心の奥底まで見通すものの、裏付けを持たない奇妙な確信があった。
「自由に感情が表に出せることは、その人の強さの表れさね。読まれたくない感情も、知られたくない過去も、全てをさらけ出しても居られる。そういう強さを、あんたは持っている。聞いたところのかつてのあんたには、出来なかったことだろう?」
「……確かに」
フィッフスが微笑む。ひどく温かい空気を感じる。彼女の言葉のままであれば、これが人の強さ、なのかもしれない。
「ああ、それでね、悪いね、呼び立てて。あんたに、是非渡しておきたいと思ったものがあってねえ」
そういうと、フィッフスは立ち上がり、部屋の隅へと移動した。そこで何かを探している様子だったが、呼んでおいてから探すほどの物があるのだろうか。目視できないクラウスは、あくまでも気配で察するしかないが、かなりの量のものを、荷物の中から漁っている気配がある。窓際のリディアは、なにも言わない。
「ああ、あったあった。あんたが『雷切』の所有者になった、と聞いたんでね。これを渡そうと思ったのさ」
そう言いながら近づいて来たフィッフスは、クラウスの手を取ると、何かを握らせた。固い布の感触。恐らく、ある程度の長さのある紐状のものが、何回か折り畳まれているのだろう。それに、石のような肌触りもある。これは宝石の類いだろうか。
何、と思うより前に、クラウスはあることに気付いた。
「魔力を帯びている……」
「さすがはそちら側の人間だねえ。普通は触っただけじゃあ、分かりゃしないよ」
フィッフスが笑う。そちら側、とはつまり、半分以上、存在の根拠が魔力に寄っている人間、ということ……言うなれば、もう戻れぬ道の上にいるもの、という意味だが、いまさらクラウスは気にならない。フィッフスもそれは理解した上での言葉だろう。
「これが正確に、どういう使われ方をしていたのかは、まだはっきりは分からないんだけどねえ。たぶん、雷切の柄に巻き付けられていたんだろう、ということと、どうやら雷の魔力を集める働きがあることは分かったんだ」
「雷の魔力を、集める……」
「雷切は、交戦状態に入ってから、最大の力を振るえるようになるまでに、魔力を蓄積する時間がかかる。そういう魔剣じゃあないかい?」
まるで見たことがあるように言う。確かに雷切が、その最大の力を放出するようになるまでには、僅かではあるが、時間がかかる。
「では、これが……」
「元々は恐らく、それの手助けを借りて、魔力を集めていたんじゃあないかねえ。とにかく、それがあれば、いままでより待ち時間も減るし、力も長く持ってくれるはずさね」
「……忝ない。だが、良いのか?」
自分には、魔女から施しを受ける謂れがない。まして、強力な魔力を帯びているこの道具を、雷切の所持者、という理由だけで、譲り受けていいものなのか。クラウスは掌に感じる、チリチリとした痛みを伴う温もりを確かにしながら、フィッフスの気配に意識を集中させた。
フィッフスは、満面の笑みを浮かべた。それがはっきり想像出来る温かい空気と共に気配が揺れた。
「良いも悪いもないんだよ、クラウスさん。……あんたも、あたしとリディアのことを聞いているんだろう?」
「ああ、だが……」
「あたしたちがリディアを奪われたことも、聞いているんだろう?」
すっ、と、頭の中を冷たい風が通り過ぎた様に感じた。声を潜めたフィッフスの、二度目の『リディア』は、『紅い死神』のことではない。
死神が愛し、魔女にも愛された、博愛の修道士。元は天空神教会に仕えていたが、戦乱に明け暮れ、戦災孤児が増える大陸の惨状を知るや、教会を飛び出し、各地を回って子どもたちを助け、引き取り、貧しいながらも必死になって育てた女性。『紅い死神』もその女性に育てられた。そして、『紅い死神』が初めてあの紅い剣を手にしたとき、暴走した魔剣により、命を落とした。
「あの子だけじゃあない。百魔剣を恨みに思うところはあるんだよ、あたしにもね。でも、あたしは魔女だ。旧時代の遺物、特に百魔剣には、ちょっとした持論もある。だから、百魔剣を封じようという側の百魔剣の使い手であるあんたや、シホには、負けて欲しくはないのさ」
フィッフスが豪快に笑う。そこに一瞬だけ見えた影は既になかった。あの子、と示された死神も、話が聞こえているはずだが、やはり何も言わない。
魔女としてのフィッフスが、魔剣についてどんな理論を持っているのかは気になるところではあったが、クラウスはそれを突き詰めることは避けた。少なくともシホに敵対することはなく、シホの封剣事業に協力的であることだけが確認出来ればいい。
百魔剣は、その力ゆえに、様々な人間を引き付ける。引き付けられてしまう。どんな個人的感情がそこにあるのかを、問えるような人間では、自分もまたない。
「有り難く、頂戴する」
「んん、もらっといておくれ。その方が雷切も喜ぶと思うからねえ。それに、あんたも若いんだから、変な遠慮しないで……ん、あんた、若いんだよねえ?」
「齢二十二だ」
「二十二!? それならあんた、もう少し……」
フィッフスが何かを言おうとした時、部屋の外から騒がしい音が聞こえた。誰かがこの部屋に向かって来る。そしてその誰かは、光の代わりに音を感じ取る能力に長けたクラウスには、扉を開ける前からわかっている。彼女のことならば、足音だけでわかる。ここに足を運ぶのは控えるように言ったのだが、伝わらなかったか、それとも聞き遂げてもらえなかったか。
勢いよく、出入口の両開きの扉が開かれた。
「フィッフスさん!」
「シホ!」
シホが駆け足でフィッフスに向かい、フィッフスは両手を広げて飛び込んで来る彼女を受け止めた。生き別れた母子の再開とは、このようなものだろうか。クラウスは想像しようとしたが、自身の実の母の姿は思い出せず、思い浮かんだのは、シホを守るように告げて逝った、クラウスに生きるように教えた、大切な人の姿だった。
「手紙、ちゃんと届いてたよ。こっちからは返せず、悪かったねえ」
「よかった! たくさん、たくさんお話ししたいことがあったんです。やっと会えた!」
仮に出されていたとしても恐らく、魔女からの手紙は、検閲されてシホの手元には届かなかっただろう。それにしても、シホから手紙を出していたとは。天空神教会最高司祭という体面を考えれば、危険極まりないことだ。だが……
「おや、あんた、眼鏡かけてるのかい。まあまあ、ちょっと見ないうちに大人になったねえ。子どもの成長は早いもんだわ」
「ちょっとじゃあないです。二年ですよ、二年。この二年間はいろんな……」
「この歳になると、二年なんてちょっとの間なのさ。まあ、とにかく、シホ」
興奮気味のシホを、幼い子どもを宥めるように、フィッフスが頭を撫でて落ち着かせる。その手が、微笑みが、黒髪よりも白髪が多い太い三つ編みが、陽光のように輝くシホの美しい髪が、シホのはにかんだ笑顔が、クラウスにも見えた。
『お茶にしましょう!』
まるで示し合わせたように、フィッフスとシホの声が重なる。弾けるように笑い合う二人の笑顔が見え、その映像が滲んでいく。
「クラウス……?」
「おや、クラウスさん、あんた……」
フィッフスがくれた道具の影響だろうか。クラウスの瞳には、戦闘時のように、蒼い雷の力が宿り、周囲の景色を写していた。そして、その瞳は濡れていた。泣いていた。視力の回復は、一時的なものに違いない。だがいま、この瞬間を切り取り、見ることが出来た。魔女と死神が同席する中で、シホが笑う。この場に自分がいるという奇跡。あるはずのなかった景色に、クラウスの心の奥底が震えていた。
生きているのだ。
生きていて、よかったのだ。
そのふたつが、強烈な現実となって、胸の奥を震わせる。こんな些細なことで、いや、些細なことだからこそ、得難いのだ。魔剣に浸食され、死を見た。だからこそ、クラウスは知った。生きることの意味。生きていることの尊さ。シホの笑顔が守る。それがいまも続いていることの、有り難さ。続けられることの、有り難さ。
涙は、止まりそうもなかった。
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