第9話 『道具』

 オード王国側の国境近郊の城、ダキニ城を、神聖王国カレリアの騎士団が『侵攻に対する防衛』を目的として攻撃、陥落させてから四日後。『侵攻に対する防衛』を目的としたカレリア騎士団の行軍はなおも続き、ダキニのさらに奥、オード王国王都ヴァルトシュタイン臨む前哨の城塞都市、マイカを攻撃。陥落は間近に迫っている。それが、ダキニを出立する前にラインハルトが聞いた戦況報告だった。ダキニからマイカまでは、どんなに急いでも二日は掛かる。つまり、ラインハルトが編入した『天空神教会聖女近衛騎士隊』がマイカに到着するのは二日後。それまでには、マイカは落とされているだろうから、入城に問題はないだろう、という予想だった。


 ダキニと同じく、堅牢な石の要塞と、天然の森林を巧みに利用した、攻めるには難しい都市がマイカだ、とラインハルトは認識していた。ダキニよりも規模が大きく、何より巨大な都市でもあるため、尚更、困難な攻城戦になるはずだ、と思っていたのだが、その都市を僅か二日のうちに窮地まで追い込んだ神聖騎士団の手際は、味方としてはただ称賛に値するのかも知れないが、ラインハルトは複雑な気持ちでマイカまでの道を辿っていた。


 確かに、侵略を受けたのはカレリアだった。ラインハルトが領主を代行する、レネクルス領だった。だが、この戦いは、果たして必要なものなのだろうか。『侵攻に対する防衛』だったのだろうか。ラインハルトとて、神聖王国側の人間だ。オードとカレリアの国境警備に用いられていた砦が瓦解したことを念頭に入れれば、オード側のダキニまでの攻略は、戦略としてまだ理解は出来る。だが、その先、居住民を多く抱えるマイカまで攻めるとなると、これは意味合いが違って来るように思う。誰が侵略者なのか、誰が反抗者なのか。誰が加害者で、誰が被害者なのか。始めにやったのはそっちの方、と言ったところで、戦いで人命が失われることには変わりない。この戦いには、ラインハルトが信じる正義は、既に存在しない気がした。


「……そうですね。わたしもそのように思います」


 行軍は馬での移動だった。僅か十名足らずの『聖女近衛騎士隊』は、シホが乗る巨大な馬車と、野営その他行軍に必要な道具、騎士たちの装備等を満載にした、こちらも巨大な幌馬車を中心に隊列を組み、常歩か、時折速歩程度の速度をきっちりと保ち、一糸乱れぬ移動を続けていた。馬車の小窓から、外の騎士たちの様子を確かめたラインハルトは、内心驚いていた。天空神教が持つ正規騎士団、神殿騎士団はずっと、形骸化した張り子の騎士団と揶揄されていた。戦争に世継ぎを取られたくはないが、騎士団に所属した、という箔付けはしたい貴族の受け皿となっている、実戦も、それ以前に戦闘の訓練すら行われない騎士団。ラインハルトはそう聞いてきたし、いまもなお、カレリア国内での神殿騎士団の評価はそこであろう。だが、この『聖女近衛騎士隊』は違う。明らかな実戦経験と、多大な時間を掛けた戦闘訓練の気配が、行軍中の列を見ただけでも感じられる。神殿騎士団の総評が変わらない中で、どうしてこの騎士隊だけはこれほど突出した実力者ばかりが揃っているのか。『聖女近衛騎士隊』との名通り、ラインハルトの向かいに座る、この『聖女』により選出され、鍛え上げられた騎士隊、ということなのだろうか。


「この戦いに、正義はない。それだけではなく、恐らく、あまねく全ての争いに、絶対的な正義は、ないのではないでしょうか」


『聖女』シホ・リリシアはそう言って、落としていた視線を真っ直ぐラインハルトに向けた。眼鏡越しの瞳は濡れているように強く、美しく輝いていた。


「あるのは殺める人と、殺められる人。恨まれる人と、恨む人。そして『道具』だけだと思います」

「『道具』?」


 抑揚を強く、強調された文言を、ラインハルトは聞き返した。シホは頷き、視線を車窓の外へと運んだ。


「有史以来、いえ、有史以前から、わたしたちは様々な道具を使い、作り出して、発展してきました。人に使われるもの。それは武器かも知れません。防具かもしれない。取るに足らない日用品の数々かも知れませんし、拡大して考えれば、他人に使われるだけの人もまた、『道具』でしかないのかも知れません。ただ、大事なことは『道具に意思はない』ということだと考えています」


 シホが見つめる先に、ラインハルトも目を向ける。そこにはあの僧兵が、馬車に並走する姿があった。


「道具は、道具でしかありません。その道具をどう使うか、その目的は、そのものを作り出した人以外、完璧に理解出来る人はいないのです。作者がこの世を去り、道具だけが残り、世の歴史を繋いで行くのであれば、託された我々は、その使い方を考えて行かなければならない」

「……わたしがしたことにも、正義はなかったのでしょうか」


 シホの言葉が頭のなかで渦巻いて、ラインハルトは深く考える前に話してしまった。視線をラインハルトに戻したシホの目は、少し驚いたように見開かれていたが、すぐにすっ、と細くなった。


「わたしがしたことに、道具は使わなかった。わたしが正しいと思ったことを、思ったことに沿って行動しました。ただ、それだけのはずでした」

「……わたしも、なにが正しいかはわかりませんが」


 シホはそう言うと、鼻の上に乗った眼鏡の中央を、僅かに押さえる仕草をした。


「ラインハルト様も道具を使ったのだと思います。『貴族階級』という道具を。そしてその道具の使い方が……ラインハルト様に刃を向ける彼の戦士にとっては、誤った使い方であった。そういうことのように思います」


 一瞬、息が止まる。ラインハルトは次の空気が入ってこない刹那を体験した。


「それは、例えば刃のように、振り下ろされる前に、その相手に振り下ろすべきか否かを確かめることで、回避できた憎悪、怨念かもしれません。そう考えれば納得することも、行いを正していくことも出来るように思うのです。この言葉すら、道具でしかないかもしれませんが、ならばせめて、正しく伝わるように、お話したいと考えています」


 シホが笑う。十七歳という年齢は、ラインハルトよりも十近く若い。まだ子どものあどけなさがあっていい年齢のはずだが、彼女の笑みには、言葉には、歳多く生きているはずのラインハルトでさえたどり着いていない境地があり、またその思考は、いまのラインハルトの想いに、雷光のような鮮烈な輝きと衝撃となって、全身を駆け抜けて行った。


「……わたしは、償うことが出来るでしょうか」

「道具は、正しい使い方を知れば、誰もが正しく使えるものです。手にする前に、そのものを使う前に、一度考えるだけでいい。この使い方は本当に正しいのか。いま使われることが本当に正しいのか。もしラインハルト様が償うことを望まれるのであれば、きっと、道具の正しい使い方を学び、考え、今度こそ正しく使うこと。それだけで、いえ、それだけが、人が生きていく上での償いになるのではないかと」


 不思議な人だとラインハルトは思った。

 いや、思っていたのだ。ただ、それがいま、強くなった。

 彼女、シホ・リリシアは、八人いる天空神教の最高司祭の一人だ。なのに、彼女は神の名を口にしない。その上で、こうして人を導いてしまう。少女と言っても通る年齢の人間に、容易く出来ることではない。これではまるで……


「……学びます。自分が貴族として生まれた意味を。そして正しくその力を使うことが出来るように、生きていきたい」


 そう言ったラインハルトに、シホは眼鏡を上げる仕草をしながら微笑んだ。内外から聖女と呼ばれる彼女。神の名を口にしない聖女。


 これではまるで、彼女自身が女神のようだ、とラインハルトは、シホの笑みに、はにかんだ笑顔で応えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る