第15話 紅い気配

 おそらくは、自分の目の問題ではない。クラウスはそう断じた。周囲が闇に閉ざされている。そういう気配があった。


 石造りのダキニ城だが、採光用の窓は当然あるはずで、それがクラウスも感じ取る事が出来る程の闇を、その内に湛えている。それは、何らかの意図があってそうしている、という事と、城の主たる戦力は、既に撤退を終えているのであろうという事、その二つは確かだった。そしてこの場合、先に想像される意図は、撤退が完了している事を外部に悟られたくない、という意図に繋がるであろう事を、クラウスは想像した。

 裏門から城内へ、馬ごと乗り入れたクラウスは、そこで馬を止め、徐に下馬した。馬上戦闘に使っていたカタナの血を掃い、鞘に戻す。背後で裏門が落ちる大きな音が聞こえ、罠だったか、と察したが、それもダキニの主戦力が撤退している事と同じく、クラウスには大きな問題ではなかった。


 先程から感じている反応は三つ。その内の一つを目掛けて、クラウスはダキニ城へ飛び込んだのだ。手にした鞘の中のカタナが、かたかたと音を立てる。呼び合っているのだ。


 クラウスは歩を進めた。城内は、やはり人の気配がない。あるのは三つ、それぞれ力の強弱に違いはあるが、明らかに同じ傾向を持っている。視力を失って後、感じる事が出来るようになったこの力は、的確にクラウスたち『聖女近衛騎士隊エアフォース』の敵であり、世界にとっても真実の敵となり得る力の存在を感じ取る。

 それにしても、とクラウスは思った。彼のものたちの力は、クラウスの頭の中で、色を持って表現されるが、三つの内、一つは間違いなく、その持ち主さえわかる力の色合いをしている。しかし、残り二つは、そういう存在がいる事を示唆しても、どんな存在がそこにあるのかまでは分からない。相手戦力である事を想像し、三対一の状況で戦わなければならなくなった場合も想定して考える。と、その時だった。クラウスの頭の中で揺れる三つの色の一つが、ゆらりと動きを見せた。その瞬間、クラウスの全身を、ある理解が駆け抜けた。成程、そういう事か。思いがけない事に、クラウスははにかむ様な笑顔を、口元に刻んでしまった。

 そういう事であれば、自分は自分の目的を果たすのみ。クラウスは城の中を、一直線に、目指す反応に向けて突き進んだ。暗闇でも、クラウスの足取りは変わらない。柱や壁がそこにある気配を察して動くクラウスには、目に見える闇は大きな差異を齎すものではなない。自分の足音が城の中に大きく響く。息遣いが耳に届く。心音が身体を揺する。その全てが、クラウスに周囲の状況と、自身の状況を、視覚情報よりも正確に伝える元となる。


 どれくらい進んだだろうか。正面に広く大きな空間がある。それがどういう場所なのかまではわからないが、その場所だけは闇に閉ざされず、外の光を取り込んでいる気配があった。周囲と違う様子のその場所に、クラウスは特に臆することなく足を踏み入れた。


「変わり過ぎてわかりませんでしたよ。お久しぶりです、クラウス・タジティ神殿騎士長さん」


 光の中に入ると、真正面から声が聞こえた。その筈だ、とクラウスは思った。この男の反応、この男の『色』を感じ、追って来たのだから。


「……わたしはもう、騎士長ではない」

「ああ、そうでしたね。では、いまは何と呼んだらいいですか? サムライ?」


 相変わらずこちらの感情を逆なでする様な話し方をする。この男と向き合うのは二度目だが、二年前からまるで変っていなかった。女子のように可憐な声と調子でありながら、その話し方は人を嘲り笑う空気を孕んでいる。


「……好きに呼べ」

「元々、騎士長さんはサムライっぽいんですよ。サムライっていうのは、ぼくの生まれた東方の島の戦士の名前なんですけどね。こう、武骨で、融通が利かないくらい真面目一本で。ぼくもそういう家柄に生まれ付いたんですけどね。そんな家が嫌になっちゃって」

「それで師を斬り、親兄弟を斬って、故郷から逃げ出した」


 クラウスに表情を追う事は出来ないが、明らかに相手が動揺した気配があり、クラウスは二年前に見た男の姿から、いまの表情を想像した。クラウスと同じ、東方諸島群の民族衣装を身に着けた、シホとさほど歳の変わらない少年。耳が隠れる程度の長さの、短い髪が揺れ、はしゃぐ様に笑いながら話す姿は年齢相応に見えるが、その手には血塗れの短刀が握られている。その可憐さと物騒さはあまりにも不釣り合いであり、不気味以外の何物でもない。いま、目の前にいる男も、かつてのその姿と、大きな変わりはないのだろう。正気を疑う様な美少年。その顔が、わずかに動揺に歪む想像が、クラウスの頭の中に広がった。


「……あれ、騎士長さん、調べたんですか、ぼくの事。嫌だなあ。そんな趣味があるなんて……」

「聞いたのだ、本人から。アザミ・キョウスケ」


 少年の名前を呼びながら、クラウスは腰に佩いたカタナを鞘ごと引き抜き、少年に見えるように翳した。少年の動揺が強まる気配があった。


「それ……それって、師匠の……」

「魔剣『雷切らいきり』……我が師より託されし、百魔剣の一振り」


 常に人を嘲笑う、キョウスケの気配が大きく揺れていた。動揺が波を打ち、いま、彼の気配は大時化の海のように乱れている。


「託された、って……それに師って……まさか、騎士長さん、まさか……」

「託されたのは、このカタナだけではない。アザミ・キョウスケ。お前の事も」


 それは、偶然に偶然が重なった結果だった。


 二年前、クラウスは目の前の少年、アザミ・キョウスケと戦った。屈託のない笑みからは想像出来ない、凄腕の暗殺者であり、百魔剣の使い手でもある彼の前に、当時、魔剣に対する対抗作を持たなかったクラウスは敗れた。その後、別の魔剣の前にも敗れ、挙句その魔剣に肉体と精神を支配される結果となった。

 奇跡的に助かった後、クラウスは視力を失ったが、シホを護る、という自分の生きる目的を手放す事はしなかった。その状態でも、シホを襲う敵を排除出来る力を欲し、百魔剣の使い手達とも渡り合える力を欲した。


 視力に頼らない剣がある。


 そう聞いたのは、シホが教会に来た頃、クラウスが剣技を本格的に鍛え始めた頃の事だった。感覚を研ぎ澄まし、目を瞑っていたとしても、相手を斃す剣技がある。『心眼しんがん』と呼ばれるその剣技は、遥か東方の海に浮かぶ島々の戦士、その中でもごくわずかなものが体得している、と聞いた。当てはなかったし、それが本当の事かどうかも分からなかった。だが、いまはそこに頼る他ない、と思い、二年前のクラウスは、シホに暇をもらい、旅に出た。

 そして東方で出会ったのがドウセツ、という剣神だった。サムライと呼ばれる東方の戦士の長であり、老いてなお衰えぬ剣の冴え、そして何より、クラウスが噂に聞いた『心眼』の体得者でもあった。ドウセツはかつて、弟子に負わされた傷が原因で、足を患っていたが、初めて出会った時のクラウスは、彼を前にして、何も出来ずに敗れた。

 そのドウセツが、クラウスの師となった。気配から周囲の状況を察する能力を鍛えられ、視力に頼らない剣技を手解きされると、ドウセツはクラウスを最後の弟子と言い、この魔剣を託した。それがクラウスの手元にある魔剣『雷切』だった。

 ドウセツは元々、二振りの魔剣を所有していた、稀有な武人だった。それは、生半可な能力では到底出来る事ではないが、彼はそれすら可能にしてしまう武人だった。

 その一振りを、持ち逃げしたかつての弟子がいた。その弟子に斬られ、傷を負ったドウセツは足を患い、自由な剣を振るう事が出来なくなった。師の務めとして、誤った道を歩く弟子を征さねばならないが、この身ではそれも叶わない。だから『雷切』と共に、託す。ドウセツはクラウスに因縁を託したのだった。

 それゆえ、クラウスはキョウスケを探していた。勿論、かつて敗れた戦いの再戦、という面もある。だがそれ以上に、いまは師に託されたものとしての責務があり、シホに敵対するものを討つ、という責務があった。


「……そんな、まさか、騎士長さんが『雷切』を……そんな……」


 動揺で漏れる言葉が続く。だが、言葉とは裏腹に、奇妙な緊張がこの場に広がりつつあることを、クラウスは感じ取っていた。


 何かが、動いた。


 クラウスは素早く『雷切』を抜き、抜いた反動を利用して、自分の背後を横一文字に斬り裂いた。


 がちり、と、金属のぶつかり合う、重たい音。


「ああ、バレました?」


 にこにこと笑うキョウスケの気配が、『雷切』の向こうにあった。


「……演技力の無さを知るべきだな、お前は」


 クラウスがそう言った直後、目の前のキョウスケの気配が消えた。先程までと同じ位置に戻る。


「そんなあ。『夢幻』の能力に気付ける騎士長さんが異常なんですよ」


 キョウスケが短刀を逆手に持って構える気配があった。成程、自分の背後に現れたキョウスケは、どうやら幻影だったらしい。百魔剣の一振り、魔剣『夢幻むげん』。実体のある幻影を作り出し、文字通り自身を分裂して見せる事の出来る、キョウスケの魔剣。そもそもはドウセツの手にあったものだ。


「知ってましたよ、騎士長さんが師匠から剣の手解きを受けていたのは。剣に関しては鬼とまで言われた師匠が、騎士長さんに『雷切』を託したのは意外でしたけどね」


 キョウスケの気配が動く。声の調子は変わらないが、物凄い速さで踏み込んで来る気配だけが迫って来た。下腹が浮き上がるような緊張感があり、クラウスは『雷切』を立ててキョウスケの一太刀を受けた。


「『雷切』が百魔剣である以上、いずれそれも貰いに行かなければならなかったんですよ。なのでまあ、騎士長さんが持ってきてくれたなら、よかったかなって」

「……つくづく救えん男だな、キサマは」

「何を、言ってるんですか、騎士長さん」


 キョウスケが短刀の形をした魔剣『夢幻』をクラウスの『雷切』に押し付ける。声こそ涼やかなものだが、その力は、あの細身の少年からは想像も出来ない程強い。


「百魔剣に関わる人間全てが、救いようもない存在なんですよ。それとも騎士長さんは自分が救われるとでも?」

「いいや」


 その瞬間、また背後に、キョウスケとは別の気配が生まれた。別の物ではあるが、全く同じ雰囲気、息遣い、心音、動作音のする者。『夢幻』が作り出した幻影と知れた。刃を押し付けられ、身動きを封じられたところに、背後から別の刃が迫った。

 受けなければ斬られるが、受けても斬られる。絶体絶命な状況で、しかし、クラウスは背中の一刀を受ける動作を取ろうとは思わなかった。この場所へ踏み込む手前で感じた、あの色の気配が、すぐ傍まで近づいていたからだ。


 そして案の定、それは現れた。


 紅い色をした、百魔剣の力の気配。


 ふわっと舞い降りるように現れた紅い気配は、背後のキョウスケの気配を、その紅い武器で斬り払った。


「あなたは!」


 今度こそ本当に、動揺した叫びを上げたのはキョウスケだ。クラウスと背中合わせになり、その背を護るように立った紅い気配は、ゆっくりと振り向いた様だった。

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