第14話 聖女と刃たち

 馬の身の丈程はある、巨大な球体がシホの頭上を越え、神殿騎士達の只中に落下した。シホは徐に振り返りながら、腰に佩いた短剣に手を掛けた。


 鈍い爆音を押し広げて地面を抉り、着地した巨大な球体が、ゆっくりとその身を起こした。球体に見えたそれには、よく見ると腕も足も首も顔もあった。褐色の肌に薄い布を巻きつけただけの、巨躯の人間。あまりにも巨大に成長した筋肉に覆われた身体を丸め、ダキニ城の上層階から飛び降りて来たのだろう。およそ現実の出来事として信じることの出来る内容ではないが、この程度の事は驚くに値しない。百魔剣と戦う、という事は、そういう事だとシホは知っている。


「ぐふう、オマエが『ヒカリのなんとか』かあ?」


 人間の範疇を遥かに超えた巨躯が振り返り、上半身の大きさにしてはあまりにも小さい、きれいに頭髪の無い頭がシホの方を向いた。歯を剥き出しにし、にやあ、と笑った顔からは、まるで知性を感じられない。暴力を好む種類の生き物だと、シホはすぐに察した。


「き、キョウスケが、お、オマエをコワしてもイイ、て。だ、だから、こ、こ、コワレろ」


 まともに話す事も叶わない様な口ぶりで、巨躯は両手を振り上げた。その瞬間、その手に、一体いつの間に現れたのか、男の身体とほぼ同じ程の、剣と呼ぶにも巨大すぎる鉄塊が現れていた。シホはそれを認め、その大きさと攻撃範囲を即座に理解する。そしてぎりぎり回避出来る距離に身を退いた刹那の後、巨躯が振り回した剣が周囲を薙いだ。猛烈な暴風が吹き荒れ、構え遅れた数名の神殿騎士がその餌食となった。燃え盛る炎の壁の向こうまで飛ばされるもの、その場で倒れるものの姿が見え、シホは奥歯を噛み締めた。


「……『クレイモア』ですね」

「お、おお、オマエ、よく知ってるナ! あれ、オレ、イったっけ?」


 巨剣を肩に担いだ筋肉の塊は、またにたあ、と歯を剥き出す。剣から神殿騎士達の血が滴り、巨躯の肩を濡らしていたが、それを気にする様子もない。シホは再び奥歯を噛み締める。


「魔剣クレイモア。位階『兵士』。圧倒的な巨剣。質量という暴力を、その身に秘めることが出来る、百魔剣の一振り」

「な、なんだかムズカシイ事イうな、オマエ」


 巨躯は困ったような顔を見せて、空いた手で禿頭を掻く。おそらくシホが言った事の半分も、理解出来ていないのだろう。


「で、でも、ソウだな。おれはクレイモアだ」


 ん、とシホは思った。ほぼ同時に、成程、とも思った。つまり、彼は何処かの誰かだが、その何処かの誰かでは、既にない、という事だ。かつてクラウスがそうであったように、魔剣に取り込まれ、魔剣の自我の様なものが、あの身体を支配している。恐らく、あの現実離れした巨躯も、魔剣の力の影響で、あの様な姿に変質してしまったのだろう。


 つまり『魔剣に喰われた』状態。


「分かりました。いいでしょう」


 巨躯の彼が、何処かの誰かであったとしても、こうなってしまっては彼本人を救う事は難しい。クラウスの時は、クラウス本人の強い意識と、ある人との繋がりが働いて、魔剣に喰われた状態から脱する事が出来た。それはまさに奇跡としか呼ぶ事の出来ない力だ。残念な事に、同じ事を彼に齎すことは出来ないと考えた方がいい。シホは手を掛けた短剣を抜き放った。そして、一喝する。


「ルディ!」

「お任せを」


 シホに応えた声は、クレイモアの背後からだった。地を這っている様に見える程、低い姿勢でクレイモアに迫った『聖女近衛騎士隊エアフォース』の戦隊長、ルディ・ハヴィオは、波を打った黒髪を靡かせながら、走り抜け様にクレイモアの巨木の様な右足の脹脛を斬り付けた。だが、クレイモアの全身を覆おう筋肉は、見かけだけではないらしい。表面を薙いだくらいの傷しか出来なかったのだろう。クレイモアは顔色一つ変えず、肩に背負った巨剣を振り上げた。


「あたらしいテキ、かあ?」

「まあ、そんなところだな」


 ルディは相変わらずの、少し斜に構えた様な笑みを浅黒い肌に刻む。クレイモアの剣が振るわれれば、無事では済まない状況だが、その笑みには余裕がある。その理由を、シホは知っている。


「じゃあ、オマエもコワレろ!」

「そりゃあ出来ない相談だ、な!」


 ルディが剣を握っていない方の手の指を、ぱちん、と鳴らした。その瞬間、クレイモアの小さな顔の周りに、唐突に黒い靄の様なものが生まれた。靄はクレイモアの顔に張り付いて離れない。


 ぬおお、と呻きとも驚きとも付かない声をクレイモアが上げる。振るおうとした巨大な刃は止まり、その間にルディがクレイモアの攻撃範囲から脱する。それを見届けて、シホは次の一手を打った。


「風!」


 シホが叫んだのと、クレイモアの両肩から血飛沫が上がったのは、ほぼ同時だった。両肩の、丁度骨の無い部分から、正確に立ち上がった血飛沫は、二つの刃によるものだった。


「まったく、いるならさっさと出てこい」

「あらあ、色男が台無しよお、ルディ。ちゃんと助けて上げたんだから、怒らないで。終わったらあ、ちゃあんと相手してあげるからあ」

「ね、姉さん、戦隊長に向かって何言ってるんだよ……相手って、何の……」


 シホとクレイモアの間に、三人の騎士が立つ。神殿騎士の銀鎧姿のルディと、その両脇に、まさに風のように現れたのは、どちらも浅緑色の髪に、薄い茶色の外套を首元高くまで巻き付けた、騎士と呼ぶには軽装な二人。エオリア・カロランとイオリア・カロランだった。『聖女近衛騎士隊』の一員であり、シホの密偵。そして、シホの戦いを助ける護衛でもある姉弟。二人の両手には、それぞれ色の違う短剣が握られ、その刃には、たったいま噴出したクレイモアの血が付いていた。


「ガキに興味はねえんだ。悪いな」

「あらあ、二年前とは違うのよ。それはあなたもよく知ってるでしょうお?」

「姉さん、何の話をしているんだよ、シホ様も困ってらしゃるでしょう?」


 シホは思いがけず頬が緩むのを意識した。相変わらずの三人のやり取りは、束の間、戦いの場にある自分の、命を懸けた緊張と緊迫感を忘れさせた。また魔剣に挑まなければならない状況は、やはり恐ろしく、膝は震えていたが、それを表に出さないだけの精神の強さと、演じられるだけの精神の強さを身に着けた自分を、シホは意識した。これは強くなった、と言えるのかどうか。本質は何も変わっていない。ただ、それでも、出来る事は増えている。それを強さと呼ぶ事が出来るのであれば、わたしは、あの二年前から、ほんのわずかにでも前に進むことが出来ているのかも知れない。そして当然、同じ緊張と緊迫の中にあるはずの三人も。


「皆、構え」


 シホは命じた。三人の表情から、すっ、と笑顔が消える。各々の得物を構え、視線をクレイモアに向けた。


「参ります、クレイモア。あなたを、封じます」


 シホの手の中で短剣……魔剣ルミエルが光を放った。

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