第13話 炎上

 他の誰よりも、『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』の面々よりも突出した一騎の僧兵が、ダキニ城の裏門の奥へと消えていく。ラインハルトはその背を追って、馬を急がせた。あの僧兵が乗る馬は『沈黙を告げる騎士団』所有の馬で、騎士団が貸し与えた馬だった。特に駿馬という訳ではなかったはずだが、これ程の馬脚を見せるという事は、純粋に乗り手の才だと思われた。目を疑う程の加速力と、その馬上で奇術の様な戦闘を見せた僧兵が、裏門周囲に陣取った兵力を蹴散らしたおかげで、ダキニ城からの抵抗はない。このままラインハルト達も城へと入り、内部の制圧を行う。主たる戦力であるはずの自分たちが出る幕もなく、張子の騎士団と揶揄される神殿騎士団の、たった一人の戦士によって、突破がなされた事実を除けば、おおよそ計画通りの状況だった。だが、ラインハルトが裏門を潜ろうと馬に拍車を掛けた、その瞬間だった。


「退けっ!」


 殆ど反射の領域で、意識して叫んだ言葉ではなかった。声と身体が同時に反応し、叫んだラインハルトの手は手綱を引いて回頭していた。


 ほんの一瞬後に、何の前触れもなく、裏門が閉ざされた。頭上に引き上げる形式の、重く巨大な門が、唐突に落下し、僧兵の消えた先へ通じる道を絶ったのだ。あわやのところで門に圧し潰される事無く済んだラインハルトだったが、事態はそれで終わったわけではなかった。


 唐突に、火の手が上がった。


 森に埋もれるダキニ城だが、裏門の正面は開けていて、その開けた土地と周囲の森を分かつようにを、何の前触れものなく、火の手が上がったのだ。身の丈を優に超える炎の壁に阻まれ、未だ森の中にいた騎士団員は取り残され、裏門正面に殺到していた騎馬騎士達が囚われた。


 罠か、とラインハルトは炎に興奮する馬を宥めながら思ったが、その考えに違和感を覚えた。こちらの動きを察知して、短時間で仕上げた罠にしては、規模が大きすぎるし、何より先程打ち倒したオードの戦士たちの動きには、罠を感じさせるものはなかった。純粋に、森を割って出て来た敵騎士団に動揺し、慌てて応戦した、という様子で、ではこの炎は何なのか、と考えた時、ラインハルトはごく最近、これと同じ光景を見た記憶を蘇らせた。


「呼び合っていた事に、彼らも気づいていたようですね」


 囁くような、落ち着いた、だが凛とした芯の強さを感じる女性の声が、ラインハルトの耳に届いた。声の方に視線を送ると、そこにはいま、まさに馬を降りた声の主、天空神教最高司祭シホ・リリシアの姿があった。付き従った浅黒い肌の神殿騎士が傍に寄り、シホと二、三、言葉を交わした様子だったが、その後すぐに、シホは腰に佩いた短剣を抜いた。


 呼び合っていた? 彼ら? ラインハルトは訝る目を神殿騎士達に向けるが、彼らはそれに応える事はなかった。彼らだけが認識し、確認している何かが、この戦場にある事は確かだが、それが何なのかは分からない。ただ、とラインハルトも、宥めた馬の背から地上に降り立った。


 この炎は、知っている。


「……あの男か?」


 ラインハルトが呟いた、その瞬間だった。大きく周囲を取り囲んでいた炎とは別の炎が、地面を走るように燃え上がった。帯のように一直線に伸びた炎が、ラインハルトとシホ達神殿騎士の面々との間に、壁のようにそそり立ち、二つの騎士団を分断した。


「シホ様!」


 ラインハルトは咄嗟に叫んだ。唐突の同行を申し出たのは彼女たちだが、国教である天空神教の、最高司祭に万が一の事態があってはならない。身を案じての絶叫だったが、返って来たのはシホの、予想外な言葉だった。


「わたしたちは、大丈夫です、ラインハルト様。いま、お助けいたします」


 慌てても、怯えてもいない、まるでこんな事は日常茶飯事だとでも言いそうな程、先だってルートクルス城で話した時と同じ、落ち着き払った語調で、シホの声は業火の燃え盛る音に消される事無く響いた。


「ラインハルト様、これは……」


 馬を降り、駆け寄って来たアルスミットと数名の騎士が困惑の声を上げる。そうだ、歴戦の騎士でさえ、この状況の中ではこんな風に動揺するのだ。これは何か、途轍もない何か、起こるはずの無い事が起こっている。それなのに、シホ達は既に始めから、まるでこうなる事が分かっていたかのように振る舞っている。一体、彼らは何を知っているというのか。


「ラインハルト様、来ます。前方、頭上」


 炎の壁の向こうから、シホの落ち着き払った声が再び聞こえた。反射的にラインハルトは前方、ダキニ城を見上げる形の姿勢を取った。そこでラインハルトの目は、奇妙な物を目にした。


 球体が、ラインハルトたちを目掛けて落下してきていた。大きい。馬程もあるだろうか。球体の黒い影は見る間にラインハルトたちに迫る。避ける間も、声を上げる間もなかった。と、その球体が突然、落下方向を変えた。ラインハルトの目前で、突然向きを変え、炎の壁の向こう……つまり、シホの声がする方に向けて、飛んで行った。球体が向きを変えるその一瞬、ラインハルトは確かに見た。球体に見えていたそれには、手と足があり、首も頭もあった。あれは人間ではなかったか。


「ラインハルトおおおおおおお!」


 シホを案じる声を上げようとした直前、今度は別の声が上がった。同時に覆い隠すことのない、恐ろしく真っ直ぐな殺意が膨らみ、迫って来る。この声は……


「ウファか!」


 ラインハルトが聖剣を構える。その瞬間、炎の壁の中から、同じ色の男が現れた。赤みを帯びた金色の髪を逆立て、深紅の外套を翻し、高速で迫る男に、ラインハルトは迷うことなく聖剣を振り下ろした。わかっていたように、紅い男は、手にした同じ色の波刃剣でラインハルトの一刀を捌いた。


「もらったあああああ!」


 捌かれた反動で重心が流れ、不安定になった姿勢を狙われた。紅い男は翻した波刃剣を、ラインハルト目掛けて突き出した。ラインハルトはどうにか身体を捻って避けようとするが、間に合わない。だが、その刃がラインハルトの身体を傷つける事はなかった。男が振るった刃を、別の刃が弾いた。ラインハルトの前に、咄嗟に割り込んだのは、アルスミットだ。『銀の騎士』はあの流れる舞踏の様な足運びでラインハルトと紅い男の間に割って入ると、攻撃の一刀を弾き、さらに流れる体移動で、一息の内に反撃に転じた。炎そのものを纏っているかのように見える紅い男、ウファ・ヴァンベルグは、アルスミットの優雅な猛攻に堪らず身を退いた。


 やはり、この男か。


 ラインハルトはルートクルス城でウファと対峙した時の記憶を思い起こした。火のないところで突然炎が上がり、それがまるで意志あるもののように二人を取り囲んだ。逃げ場を絶つ様な炎は、さもウファが操っているかのように見えた。


 魔法のように、ですか。


 シホ・リリシアが微笑みと共に口にした言葉が、脳裏をよぎる。まさか、本当に魔法だとでも言うのだろうか。


 現実の判断が追い付かない間に、大きく身を退かせたウファは、そのまま背後の

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