第10話 聖女と聖女の騎士

「戦闘準備だ」


 馬上、騎士団の前に立ったラインハルトが、自らの馬を巧みに操って振り返り告げた。シホはその言葉を、身の引き締まる思いで聞いた。


「作戦の概要は既に伝えた通りだ。敵対勢力が潜む森林を、高速で駆け降る、非常に困難な戦闘が予想される。だが、我々は『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』だ。馬上高速戦闘こそ、我らの花形だ。我らが本当の力を示すことの出来る戦闘だ。この困難は、我らに味方するものだと、わたしは信じている」


 ラインハルトは表情こそ緊張して見えたが、その立ち居振る舞いは堂々たるもので、若き勇者、若き英雄という言葉が容易に思い浮かんだ。彼は本物の英雄なのだろう。シホはそう思いながら、手綱を握る手の震えを、そっと力強く握り直す事で隠した。


「此度の戦闘には、神殿騎士団のお力添えもある。天空神様は、常に我らの正義を照らし、お守り下さるはずだ」


 ラインハルトの視線がシホに向けられた。シホは兜の下から、その視線を受け止め、鼻から上の半顔が隠れた状態である事を幸いに思った。この作戦を立案し、総司令官であるエルロン候に進言、実行させた本人でありながら、これから起こる戦闘に、恐怖を感じている事を、悟られずに済む。シホは極力動じた様子にならぬよう意識して、口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。


 好む事と出来る事とは異なるのだ、という事を、シホは噛み締める。それはこの二年の間、ずっと思い続けている事に他ならない。この二年という時間、シホはただ強くありたい、強くならなければ、という一心で己を研ぎ澄ませてきた。それは天空神教という巨大な組織の中での政治的判断にも、こうして実際の武力という中でも、同じく適応され、ただひたすら、その力を育て、蓄えて来た。全ては二度と、百魔剣の被害者を出さない為。かつて大陸を統一した大王国が作り出した遺物、百魔剣と言う脅威と対峙し、封じる事を宿命とされたシホにとって、初めての戦いとなった二年前の事件は、封じる事も出来ず、自分にとって大事な人を肉体的にも、精神的にも傷つける結果だけが残された。自分がもっと強く、もっとうまく戦えていたならば、それ以前に、もっと教会内部で力を持ち、百魔剣に対応する策を練る事が出来たならば。その想いがこの二年のシホを突き動かして来た。だが、そうして力を蓄え、強さを手にすればするほど、それが本当に自分の好む事とは異なる事を理解もしていた。どれ程権力を得ようとも、どれ程戦闘が上手くなろうとも、それを好きになる自分はいなかった。世の中には策謀を好む人間も、戦闘を生き甲斐とする人間もいるが、そのどちらにも、シホはなれそうにはないと思った。ただ、誰かの為になるのならば、という想いだけが、シホを動かす原動力になっていた。


 だからこそ、この戦闘には嫌悪感があった。自らが立案し、その通りになったにも拘らず、抵抗を感じるのは、自分たちの本当の目的の為に、『沈黙を告げる騎士団』の突破力を使う、という策謀的側面と、百魔剣とは関係がない、シホたちからすれば一般市民と変わりのない戦闘員と戦い、命を奪い、また奪われもするかもしれない、という戦闘の側面、そのどちらでもあった。二つの理由は互いに重い抵抗感となり、嫌悪感と戦闘に対する恐怖感がないまぜになった負の感情になってシホの心に影を落としていた。自分はどんなに頑張っても、その本質は寒村で育った田舎娘であり、策謀や命のやり取りを平然とする様な精神は、持ち合わせていないのだと、改めて思い知らされる。


「シホ様」


 囁くように小さな声が聞こえ、微かに震える手の甲に、声の主の手がそっと置かれた。シホは顔を動かさずに視線だけを送った。耳元に顔を近づけているのが誰なのかは、声だけで分かった。この声を聞けば、安心する自分がいるのは、二年前もいまも、変わらない。


「オード戦士団との戦闘は、わたし達にお任せ下さい。必要ならば、斬らねばなりません。それはわたしの仕事です」


 聖女の騎士。


 かつて彼は、そう自称していた。『聖女』と呼ばれるシホを護る。ただその為だけにいる騎士。自分はそういう存在だと、それが自分が生きている事の全てだと、彼は言い切った。


への道は、わたしが開きます。シホ様が手を汚すことはない」

「クラウス……」


 クラウス・タジティ。元神殿騎士団の長。シホが教会組織に迎え入れられたその日から、ずっと護り続けて来てくれた存在。そして二年前の事件では、百魔剣の力の前に屈し、その双眸は光を失った。


 もう二度と。


 シホがそう強く想う要因である存在。


「……物が見えぬ、という事は、物事の真実が見える事のようにも思います」


 まるで本当に、シホの心の動きを理解しているように、馬を近づけ囁いたクラウスは、そう続けた。


「鎧で覆い隠しても、笑みや言葉で繕っても、その人の発する『光』の色は、誤魔化せない。いまのわたしには、それが分かります」


 ――お暇を頂きたい。


 クラウスがそう言った二年前。シホはクラウスの真意を測りかねた。これまでもこの先も、例え目が見えなくなったとしても、ずっと自分を護り続けてくれるはずだ、と信じていたシホには、その言葉はあまりにも衝撃的であり過ぎた。


 ――必ず戻ります。シホ様を将来に渡って護る為の力を、いま手に入れる必要があるのです。その力を手にしたら、必ず戻ります。


 そう続けたクラウスのあの日の言葉は力強く、決意と確信に満ちていた。そうしなければならない、いま動かなければならない。そう判断した強い決意と確信。シホは頷き、旅の無事と、帰還の約束を交わした。


 そして二年後、クラウスは約束を守り、シホの傍に戻ったのだった。ある特殊な力を身に着けて。人の発する『光』とは、その特殊な力が見せるものを指している。


「……そうでしたね。いまのあなたに、隠し事は出来ませんね。元々、あなたには全て分かられてしまうのだけど」


 シホは、今度は心からの笑みを口元に浮かべた。抵抗感も嫌悪感も、恐怖心すらも、クラウスの前では覆い隠す事は出来ない。


「……大丈夫ですよ、シホ様」


 わずかに首を動かし、シホはクラウスの表情を見た。そこでそっとシホに添えた手を放し、馬と馬の距離を取ったクラウスの顔は、閉ざされた双眸が細い線のように見え、顔全体でシホを安心させる様に微笑んでいた。


「わたしがシホ様の罪になります。汚れ事は、わたしが頂きます」


 その為の、騎士長の座を降りた。クラウスは帰還後、そう話していた。


 聖女の騎士。


 その新たなる姿。


「ですので、シホ様はに集中されて下さい」


 本当の目的。


 シホはクラウスに言われて、改めて、このダキニ攻略戦の、自分たちだけの目的を思い起こした。


「姉弟からの連絡は?」

「いまのところまだ。しかし最後の報告からして、ほぼ間違いないと思います」


 シホは深く息を吐いた。密偵としての才能を開花させたエオリア・イオリア姉弟の報告には、誤りはない。という事は、を達する為に、が行われる可能性は十分にある、という事だろう。


 

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