第9話 聖女と二年前の事件

「シホ様の、私設兵団?」


 ラインハルトはアルスミットの言葉を疑った。二日前、約二年ぶりに顔を合わせた『聖女』を思い出す。第一印象と言うものは、やはり鮮烈な印象を残す物で、いまの彼女よりも二年前の彼女の印象の方が、実際に彼女に会っているにも関わらず、強い。いまのシホ・リリシアを思い出すと、やはり何か、違和感があった。あの冷たい眼差し。無理に振る舞っているように思える物言い。確かに、いまの彼女ならば、私設兵団でも持ちそうに思えるが、二年前の彼女の印象のままでは、とてもではないがそんな大それた事をするようには思えなかった。たった、わずか、二年である。そこまで大きく、人間が変わる物だろうか。


 二年前、ラインハルトは領主の子の務めとして、聖王都にある天空神教大聖堂を訪れた。その時面会したシホは、挨拶こそ出来る少女だったが、どこかびくびく、おどおどとした印象があり、傍に控えた神殿騎士長クラウスが常に守っている、という様子だった。そんな少女が、思春期を超えて、大きく変化した。確かに、そうした事が世の中にまったくない訳ではないだろう。だが、いったい、彼女に何があったのか。何かがなければ、ここまでの劇的な変化は起こるものではないはずだ。


「はい。ですから今回従軍している兵士の数も十人に手が届くかどうか、といった所です。皆、騎兵としての訓練も受けている様子で、シホ様の仰る通り、誰も我々に後れを取る者はおりませんでした。シホ様も含めて」

「シホ様も、含めて、か」

「はい。シホ様も、です」


 あのびくびく、おどおどした少女が、騎馬騎士として剣を振るう。それが、それを得意とした騎士の面々と比べても、遜色が無い程の実力で。実際の戦闘中に、不測の事態を招かない為、アルスミットが事前に様々な事を、実際に試す形で神殿騎士達にやらせた結果を、いま報告しているはずなので、その内容を信じない訳ではなかったが、ラインハルトはその言葉を、そのまま信じる事に抵抗を覚えた。


「さらに申し上げれば、このダキニ攻城戦の、我々の遊撃作戦を立案し、エルロン侯に具申したのは、どうやらシホ様の様です」


 いよいよ信じられない思いを抱いた。ラインハルトは馬の操作も忘れて、並ぶアルスミットに疑念の視線を向けた。


 アルスミットによれば、シホは自身の密偵を幾人か持っているらしく、その密偵が非常に優秀で、この地形調査や、敵の配置、ダキニ城の構造等を調べ上げ、『沈黙を告げる騎士団』の機動力を活かした作戦を立案。エルロン侯に具申したのだ、と言う。


「……それを本当の事と思うか、アルスミット」

「わたしにも測りかねます。ですが、これは確かな話ではありませんが、少し気になる話を耳にした事があります」

「気になる話?」

「単なる噂話ですが…… 二年前、ある街で事件があったそうです」


 アルスミットの話はこう、だ。神聖王国カレリア領内の、とある貿易自治都市で、ある日、光が降った、という事件があった、という。光が降った、という言葉の意味合いが、ラインハルトにはよくわからなかったが、例えば、雷が落ちた、というような、自然現象の類ではなかったらしい、とアルスミットは話した。光は人の形の様に見え、それは天空神教の始祖が目にした、と経典に記されている『降臨』の様だった、という噂らしい。


「どうやらそこに、シホ様が居合わせたらしいのです。その数日前には、同じ街で、夜会を開いた貿易商人の屋敷が、得体の知れない集団に襲われ、多くの死傷者を出した事件がありましたが、どうやらここにもシホ様は居合わせたらしい、という話です」


 その事件後、従者のように控えた神殿騎士長クラウスが教会を去り、残ったシホは、まるで人が変わったかのように、教会内の様々な物事に着手した。そうして最高司祭の地位に立った、という。


「二年前にそれを聞いた時には、特に何も思わなかったのですが、いまのシホ様を見るに、その事件が、何であったにせよ、大きな影響を与えている様に思えるのですが……」


 アルスミットの声が尻つぼみに小さくなった。顔を上げ、正面を見つめていたので、ラインハルトもその視線を追った。視線の先にもやはり木々があり、朝の清潔な日差しが、白い靄に反射して輝いている。光の幕のようになったそこに、二頭の馬の姿があり、その背には金色の鎧を身に着けた、小柄な騎士と、東方の民族衣装に身を包んだ、異形の僧兵の姿があった。彼ら二人を先頭に、神殿騎士団の紋章を刻んだ鎧を身に着けた騎士が数名、そこに控えていた。


 兜を取らず、相変わらず目元は隠れたままのシホが、ラインハルトに会釈する。ラインハルトも会釈を返したが、その威風堂々たる姿に、やはり過去の印象は重ならなかった。


 一体、彼女は何を見たのか。何を経験し、何を得、そして。そうでなければ、これ程の変化は起こらないのではないか。


 魔法のように、ですか。


 二日前、そう言って微笑んだシホの姿を思い出し、そして、ふと、ラインハルトは自身が遭遇した、赤い剣の剣士を思い出した。炎を自在に操るかのような、強く、不気味な剣士ウファ。


 まさか、二年前に起こった事件にも、あの様な力の使い手が関与していた、のか……?


 ラインハルトはシホ達の前を過ぎ、そんな事を考えた、まさにその時だった。遠雷のような低い音が響き、大きな軍勢が一斉に挙げる鬨の声が聞こえて来た。


 もう、幾らもなく伝令が来る。


 攻城戦の開始だ。


 戦闘準備だ、とラインハルトは手綱を返して、自らの部下たち、そしてシホの騎士団に向き直った。この作戦を立案したらしいシホは、何も言わず、目線の隠れた兜の下、どんな表情でいるのかさえ、わからなかった。

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