第11話 因縁

「シホ様、騎士長」


 丁度そこに馬を寄せて来た人物があった。神殿騎士団の銀鎧が音を立て、彼特有の、意識的に肩の力を抜いたような、斜に構えたような気配が近づく。褐色の肌に、波を打った黒髪と短い髭を生やした彼の姿を思い浮かべたクラウスは、元々想定していた通りの時期に彼が報告を持ってきたことに、やはり間違いないか、と納得した。


「姉弟から『風鳴かぜなり』です。ダキニ城の主たる戦力は、既に撤退し始めているとの事です。また撤退戦の展開する敵戦力の中に、導き手を確認した、との事です」

「何人だ」

「人数までは。ただひとり、情報にある人物の姿を確認しています」


『風鳴り』はシホの密偵、カロラン姉弟が使う異能の一つである。風に乗せて、言葉を波長を合わせてある遠く離れた人物へ送ることが出来る。個人個人が持つ資質に大きく関わる為、受信出来る人物が限られる事や、文言も長々とは送れない等、様々な制約はあるが、遠方に、極秘裏に潜入する事の多いカロラン姉弟にとっては、最適の異能と言えた。残念なことにシホとクラウスは波長が合わず、『風鳴り』を受けられるのは神殿騎士団の現副長であり、『聖女近衛騎士隊エアフォース』の戦隊長を務める彼、ルディ・ハヴィオだけだった。


「情報にある人物、ですか」


 シホが前を向いたまま、言葉だけをルディに向けた。クラウスもルディの次の言葉に、胸騒ぎの様な感情を抱いていた。


「東方諸島群の民族衣装に身を包んだ、あの男です」


 全身の毛が立ち上がる様な衝撃が、クラウスの身を包み込んだ。同時に二年前の記憶が蘇る。日の落ちた時間、旧王国の遺跡群で対峙したあの男。人を食ったような、慇懃無礼を体現したような男。神聖王国カレリアの遥か東方に浮かぶ島国の民族衣装に身を包み、同地域発祥の剣技を巧みに操る、百魔剣『夢幻むげん』の使い手。


「アザミ・キョウスケ、か」

「なぜあの男がいたのか、オードの軍勢との関り等は不明だそうです。しかし、ダキニの守りの戦力に数えられている事は間違いない、と」


 クラウスはアザミ・キョウスケに一度負けている。百魔剣『夢幻』は実体のある幻を作り出し、文字通り本人を分裂させる。その奇怪な能力と、東方の太刀筋という二つの困難な特性を持つ相手に翻弄され、百魔剣の対策を持たなかったクラウスは、瀕死の重傷を負わされたのだった。


 その後、シホから暇を貰ったクラウスは、己を鍛え直す旅に出た。その旅の中でクラウスは、全く想定していなかったある因縁を、アザミ・キョウスケとの間に負う事になり、いまここにいるのだった。


「クラウス……」


 シホが、同じ二年前の光景を思い出したのかもしれない。二年前、シホはクラウスが敗北を喫した場にいた。斬られ、血の海に沈んだ姿を、目の当たりにしていた。声音には不安の色があり、最近のシホとはまるで異なる、二年前の、まだ幼さが先に立つシホを思い起こさせる様な声だった。


「ご安心ください、シホ様」


 言って、クラウスの口元は笑みを作っていた。意識してそうした訳ではなかったが、運命というものの不思議さに、思わず笑ってしまった。


 シホは、クラウスが背負ったアザミ・キョウスケとの因縁を、まだ知らない。一度負けた因縁、だけではなくなっている事実を、恐らくアザミ・キョウスケも知らないはずである。それだけの縁が結び付く相手、というのも面白い。そんな存在に出会う事もあるのだと、クラウスは笑わずにはいられなかった。


 とはいえ、決着を付けるのは、まだまだ先の事だと思っていた。百魔剣を追う以上、その導き手の一人であるあの少年とは、いずれ戦う事になるだろう、とは思ってはいたが、それがこんなにも早く訪れるとは、思ってもみなかった。


「シホ様の為に、わたしは二度と負けません。アザミにも、百魔剣にも、あの男にも」


 なぜそこであの男の事を思い出したのか、言葉にした後に、クラウスも不思議に思った。二年前を思い出したからだろうか。


 踝まで届く、漆黒の外套に身を包み、同じ色の背中まで届く長い髪を靡かせる優男。戦乱の多い現代で、傭兵稼業を生業にする者たちの間では、生きている伝説、とも言われる『紅い死神』の二つ名を持つ傭兵。そして、百魔剣を追う上では、必ず再び会うことになるだろう、百魔剣に関して、ある秘密を持つ男。


「……あの人と、敵として対峙する事は、無い事を祈っています」


 シホが静かに言い、感情を閉ざす気配があった。目が見えない分、そうした気配の動きに敏感であり、シホが二年前当時の自分の感情を悟られないようにしている事は明らかだった。それがクラウスに対して気を使ったものなのかもしれなかったが、それ自体、もう何とも思っていないクラウスには、笑みがこぼれてしまうような、幼い日の思い出の様な感情だった。


「ええ、勿論、わたしもそれは願っています」


 百魔剣は全て封じる。

 このおれが、封じる。


 あの男はそう言って憚らなかった。二年前は共闘関係を結べたが、次は同じくなるとは限らない。まして、シホが百魔剣『ルミエル』を使っている以上、対峙する日も、訪れるかも知れない。


 クラウスとて、彼と戦いたいとは思っていない。共闘して敵と戦い、最後には実際に敵として剣を交わし、互いの心を通じ合った相手でもある、彼とは。


「それでも、必要とあらば、わたしはシホ様を護ります」


 クラウスは懐から仮面を取り出し、装着した。鼻から上、額までを広く覆う白い仮面だ。シホとは違い、鎧や兜を一切身に着けていない、東方の民族衣装のまま馬に跨るクラウスにとっては唯一の、防具とも言えないような防具だったが、最近のクラウスはこの仮面を、戦闘時には好んで身に着けていた。以前、ある変装に使ったものと同じものであり、二度と負けぬ、と誓ったクラウスの、戒めの様な品でもあった。


「隊列っ!」


 ラインハルトの声だ。クラウスの気づかぬ間に、伝令がこの『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』の陣に現れたのであろう。その気配に気付けぬとは、まだまだ愚かだ、とクラウスは息を吐き、全ての感覚を研ぎ澄ました。


 沈黙の中に、整然と隊列を組み直す、十分に鍛錬された騎士団の音が聞こえた。遠くからは重く、低い、遠雷を思わせる音。恐らくは神聖騎士団本隊とダキニ城の防衛戦力との戦闘の音だろう。


 その時が、来た。


「行くぞ、栄光は天空神の御許にっ!」


 ラインハルトの声が上がる。


『沈黙を告げる騎士団』が、動き始める。

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