第8話 ウファ・ヴァンベルグ

 若者が最後まで言葉を紡げなかったのは、ラングルの制止の声を聞き遂げたからではなかった。紅い光が瞬いた次の瞬間に起こったことは、全く、目の前にしても信じられない光景だった。


 若者の身体の股下から頭頂部、丁度人間の身体の中心に、線を描いたように光が走ったと思うと、その線に沿って、若者の身体がすっぱりと、二つに斬り分けられていた。


「なっ!」


 ラングルが呻き声を漏らす前で、斬り分けられた若者の身体から、冗談の様な量の血液が噴き出し、左右の肉体は重心を喪って、前と後ろへそれぞれ倒れた。


「邪魔だ」


 さも面白くなさそうに呟いた紅い男の声が聞こえた。その手には、一体何時抜かれたのだろう、刀身が炎の様に揺らめいて見える剣が握られていた。


「てめえ!」


 ラングルは背負った戦斧を引き抜いた。苦手な愛想を振りまき続ける事等、出来はしなかった。それは残った他の重臣二人も同じだったようで、戦士として、仲間を殺された怒りが、同じように得物を構えさせていた。


「何考えてやがる。俺達はてめえの雇い主だぞ!」


 オード王ルーメイが雇い入れた、戦術指南役。いまは国王直属の軍師、という肩書に納まっている異国の男が連れて来たのが、この紅い男だった。オードと彼らには主従の関係がある以上、ラングル達もまた、雇い主である事には変わらないはずだった。そのオードの兵を、それも一部族の重臣を殺める等、断じて見過ごせる行為ではなかった。相手がどんな力を持っていたとしても、ラングルの部族長としての矜持が、それを赦さなかった。


 対して、紅い男は、たったいま人ひとりを殺したとは思えない程、感情の起伏が無い様子で、ゆっくりとラングルに向き直った。


 憂いもなければ、高揚感もない。生きているのかすら、定かではない、輝きを欠いた瞳がラングルを見る。


 ラングルとて、この男と同じ二十代前半の頃、まだオードが国として成立していなかった頃には、主に山賊行為を生業としていた。そうした生活の中では、当然、人の命を奪ってきたし、それ以上に薄汚い事もして来た自覚がある。そうした時、ラングルは、憂いを感じることはなく、ただ、ひたすらに高揚感に満たされる人間だった。人間は、誰しも感情を持っている筈で、殺人に憂いを覚えるものも、ラングルのように、止めどない高揚感に浸るものもいるだろう。もしかしたら、それ以外の感情も存在するかもしれない。


 だが、いま。


 目の前の男は本当に何も感じていない様子だった。


 何一つ感じる事がない人間など、果たして存在するのだろうか。


「答えやがれ、一体、どういうつもりだっ!」


 一時は逆上に奮えたものの、男のあまりの異様さに、ラングルは自分の芯の部分が、急速に冷えて行く気がした。そんなことを思った事はいままで数える程しかないが、ラングルは確かに、恐ろしい、と思っていた。それを押し退け、再び奮い立つ為に、ラングルは無理に大声を上げた。


 紅い男は、その時になって、初めて感情らしいものを表情に浮かべた。


 それは、疑問の表情だった。


「何がだ?」

「そいつは、俺達は、お前の雇い主、お前の味方だろうがっ! 何で殺した!」

「……味方?」


 笑った。それは、苦笑にも見える、含み笑いだった。


「このウファ・ヴァンベルグに、味方等いない」


 男の言葉に、別の男の雄叫びが重なった。おそらく、紅い男の不気味さ、言え知れぬ恐怖に耐えられなかったのだろう。残った重臣の一人が、紅い男の背後に周り、斧を振り上げ、襲い掛かった。


 ラングルが制止の声を叫ぶ間もなかった。


 襲い掛かった蛮勇の戦士の両腕と首が、後方へ飛んだ。


 もはやラングルの闘争本能は凍り付き、絶対零度の彼方に追いやられた。構えた筈の戦斧を、無様に取り落とし、数歩後退った。


 それが幸いした。


 ウファと名乗った紅い男が、返し刃で放った剣線は、自身の背後の敵を斬った後、半身を旋回させた遠心力も手伝って、目にも見えぬ程の速さで、たったいままでラングルが立っていた場所を通過した。そのまま、ラングルのすぐ隣まで出て来ていた最後の一人の重臣の、胸の横から身体に侵襲すると、直後、その重臣は突然炎に包まれた。人の身体が焼ける異臭と、男の断末魔の絶叫が響き、ラングルはさらに数歩、後退る事しか出来なかった。


「二度は言わない」


 ウファ・ヴァンベルグと名乗る死神は、やはり全く表情の動かない顔で、ラングルを見た。澱んだ瞳が、真っ直ぐに向けられる。


「失せろ」


 あらゆる感情が乗らず、ただ淡々と言葉が紡がれる。その様子が、いまのラングルにはどんな恫喝よりも恐怖心を煽った。


「わ、分かった、いますぐ……」


 ラングルに選択肢はなかった。何故、部下たちは斬られたのか。ウファは何を考えているのか。ぶつけてやりたい思いは、幾らでもあったが、それは命と天秤に掛けて、釣り合うものではなかった。


 脱兎の如く、とはこのことだろう。そんな皮肉を浮かべながら、ラングルは兎に角も、荷馬車の御者席に納まった。手綱を握り締め、早々にこの場を離れる為に、力を込めた。


 と、その時だ。


「この感じ……間違えようもない」


 荷馬車の脇に立つウファが、そう呟く声が聞こえた。姿は見えなかったが、その声にはこれまで聞くことのなかった、明らかな感情が込められていた。


 高揚感。興奮。いまにも吹き出して笑い出しそうな程、弾む声音。


「パーシバル……!」


 異様すぎる。この男は危険すぎる。


 ラングルは変質的に『沈黙を告げる騎士団』の長の名を叫び始めた紅い男に、もう視線を向ける事はしなかった。この男は危険すぎる。一刻も早く、離れなければ。


 手綱を握る手は汗ばみ、八つ当たりのように馬を強く打った。荷馬車の車輪が地面に当たる大きな音、それよりも大きな声で叫ぶウファの声が背後に聞こえ、ラングルは耳を塞ぎたいのを堪えながら、ルートクルス城を後にした。


 目指すはダキニの城。


 あそこまで引けば、こんな得体の知れない男に頼らずとも、『沈黙を告げる騎士団』は壊滅させてやる。

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