第9話 狂気

 ルートクルス城の奪還は、順調に進んでいた。


 戦意を失った蛮族たちは、従順に投降した。大きな衝突はなく、騎士達は戦闘よりも武装解除と敵兵を拘束する対応に追われていた。


 だが、未だ、敵将を捉えた、という報告は、ラインハルトの元に齎されてはいなかった。


 おそらく、あの男は投降しない。


 城の象徴でもあり、中枢でもある玉座の間の制圧へと向かうラインハルトは、敵将の姿を思い浮かべていた。


 ラインハルトには敵の武装、戦術等から、ルートクルスを攻めたのは、オードのラングルという猛者が従える部族であろう事がわかっていた。


 彼は、おそらく降伏しない。


 ラインハルトは、ラングルという男と直接の面識があった。過去に数度、国交交渉の特使団の一員として、父に代わりオード王宮を訪れた時、ラングルはオードの一部族の代表として列席していた。その時の不遜さ、自尊心の高さ、蛮勇を絵に描いたような態度からは、降伏の二文字は想像出来なかった。


 終戦には、討つしかない。


 自ら敵将を手に掛ける決意を固め、ラインハルトは玉座の間へと続く広い廊下を進んだ。


 敵の抵抗はなかった。ラインハルトは従った騎士達にも、投降するオード兵に対応する為、隊列を離れる事を許した。目的の、玉座の間の前に立った時には、傍に控えた騎士は二人だけになっていた。


 おそらく、彼はここにいる。


 僅かな逡巡の間を置いて、ラインハルトは勢い良く玉座の間の扉を開いた。


 そして、奇妙なものを見た。


「貴様、何者だ!」


 ラインハルトの右にいた若い騎士が、声を荒げた。何者だ、と問うたのは、部屋の中にいた人物が、明らかにオードの蛮勇戦士とは様相が異なったからだ。ラインハルトでさえ、同じ言葉が口を突いて出かかった。


 部屋の中央には、倒れた長机。床には、その上に乗っていたであろう食器類や飲食物が散乱していた。ここで酒盛りをしていた蛮族たちが『沈黙を告げる騎士団』の進軍を聞きつけ、慌てて逃げ出した姿が、目に浮かぶようだった。


 その向こう、一段高くなった玉座に、その人物は足を組み、悠然と腰かけていた。


 


「ずいぶん時間が掛かったじゃないか。待ちかねたよ」


 赤みを帯びた金色の髪は、燃え上がる炎のように立ち上がり、同じく炎のように紅い色をした外套を身に着けた男が語る言葉には、薄笑いが含まれている。奇抜な容姿も手伝ってか、その言葉にどんな感情が内在しているのか、完璧に読み取る事が出来ない。


 だが、どこか、狂気のような気配を感じる。


「そなたは……?」

「ラングル、だったか? あいつならもう裏手から逃げたぞ。ダキニに逃げ込むんじゃないか?」


 ダキニは、オードの国境に一番近い城だ。ラングルが逃げ込んだとなると、敵の援軍が直ぐにでも差し向けられる恐れが……


 一瞬、戦略に巡らせた思考が引き戻されたのは、紅い男が玉座から立ち上がったからだ。


「さて、ラインハルト・パーシバル。再会を楽しむとしようか」


 男は階段を下りながら、ラインハルトの名を呼んだ。だが……


「そなたは何者だ。私と面識があるのか?」


 紅い男はラインハルトを知っているようだった。だが、ラインハルトの記憶の中には、この奇抜な男の印象がない。間違いなく、初見のはずだった。無論、公子という立場上、一方的に知られている事は考えられるが……


 くく、くく、と、息を詰まらせるような、独特の笑いを漏らしながら、男は気だるげに歩いてくる。笑い声は次第に大きくなり、最後には高らかな笑い声へと変化した。決して晴れやかな笑いではない。明らかに、はっきりとした狂気を放っている、そんな笑い方だった。


「何だ、何が可笑しい!」


 ラインハルトの左にいた騎士が叫ぶが、その声が遮られるほど、紅い男の笑い声は大きい。


「貴様、大人しく……」


 叫んだ騎士が、男を取り押さえようと、一歩踏み出した。その瞬間だった。ラインハルトは異様な気配を察知した。


 男の笑い声が、止んだ。


 次の瞬間、踏み出した騎士の上半身が、大きく仰け反った。一体、どんな力が加わったのか、分からなかった。見た目には強い力に弾き飛ばされたようだったが、その力を加えたものは、目に見えなかった。弾き飛ばされた騎士は、入口の扉の向こう、長い廊下の上に転がった。間髪を入れず、もう一方の騎士も、同じように弾き飛ばされていた。


 ラインハルトは振り返り、二人の安否を確認しようとしたが、その前に扉が、独りでに、凄まじい勢いで閉ざされた。


「これで、邪魔者は消えたな」


 何だというのか。


 二人の騎士を弾き飛ばしたのも、独りでに扉が閉まったのも、全て自分がやったことだ、とでも言うのだろうか。そう思わせる言葉を紡ぐ男に、ラインハルトは向き直った。


「ラインハルト・パーシバル……」


 頭髪や着衣の派手さに比べ、病的とも言える程白い肌の顔がにやり、と歪む。言葉にはやはり薄笑いの気配があり、狂気じみた印象を強くする。


「三年ぶりの再会だ。楽しもうじゃあないか。まさか、本当にこのおれを忘れた訳ではあるまい?」


 三年。


 自分は三年前に、この男と会っている。


 ラインハルトは必死で記憶の糸を手繰り寄せたが、目の前にいる男とは結び付かなかった。


 確かに、三年前には、ラインハルト自身にも大きな経験となった出来事があった。男は、その出来事の関係者なのか。それとも……


「……済まない。残念ながら、わたしはそなたを思い出すことが出来ない。本当に会っているのか?」


 詫びる言葉を口にしながらも、ラインハルトは警戒を強めていく。本当に会っているにせよ、忘れているにせよ、紅い男が放つ危険な空気は疑いようのない、本物だった。


 僅かな沈黙があった。


 男から、薄笑いの気配が消えた。

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