第7話 紅い男

 ルートクルスを落としたオード戦士団の長、ガード・ラングルは、三人の自身の部族の重臣らと共に、その城の裏門にいた。そこには三台の幌付きの荷馬車があり、一台目の御者席に座るラングル以外の三人が、必死で荷を積み込んでいる最中だった。


 荷は、奪った金品や衣類、調度品等で、とにかく詰め込めるだけ詰め込ませた。予期せぬ撤退を強いられる事になったとはいえ、それこそ死ぬ思いで陥落させた城であり、土地であった。手ぶらで逃げ帰る等という思考は、生まれついての蛮勇であるラングルにはなかった。


「奴等は化物か! 何でこんなに進軍が速いんだ!」


 舌を打ち、口汚く叫んだラングルは、荷の積み込みをしていた一人に、裏門を開けるように怒鳴った。城内での戦いの音が大きくなっていた。ラインハルト達『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』がここまで来るのも、時間の問題だった。幾ら略奪品を欲していても、追い付かれたのでは元も子も無くなる。つい半時程前まで、酩酊する程の酒量を口にしていたラングルだが、その辺りの、戦いと命の危険に対する本能は、失われてはいなかった。


 そう。ほんの半時程前までなのだ。それまでは、自分たちはただ、ひたすらに勝ったはずだった。城の中枢を押さえ、女子供を拉致し、男共を牢に叩き込み、酒を浴びていた。


「ラインハルトめ……」


 ラングルの前で門が上がる。手綱を握り、馬に走り出すよう命じた。


 とにかく、いまは一刻も早くこの場を離脱する事だけを考えるべきだった。急襲を受けたラングルの部族戦士団は、数では勝っていたとしても、もはや完全に瓦解している。体制を立て直す必要があった。


 神聖王国カレリア領レネクルスへの、侵攻の狼煙となった、カレリア関所砦の陥落。ラングル達が陥落させたあの砦の、オード領側には、オード最東の城、ダキニがある。関所砦からは近郊と呼ぶことが出来る程度の距離しか離れておらず、そこまで逃げ込むことは容易な筈だった。そしてそこまで逃げ込むことが出来れば、本国に援軍の要請も可能だった。如何に『沈黙を告げる騎士団』が精強と言えども、本国の部隊と合流しさえすれば、蹴散らして見せる自信はあった。


 そして何より、ダキニにはがいるはずだった。カレリアの関所砦を、不可思議かつ圧倒的な力で、斬った男。


 いまでこそ、国、という体を取っているが、オードという土地に住む男の大半がそうであるように、ラングルは生まれついての蛮族であり、当然のように満足な教育など、受けたこともなかった。だが、伝説で語られ、ラングルも幼少期には寝物語に聞かされた、かつてこの大陸を支配した力、『魔法』と呼ばれるものが実在するのであれば、あの男が使ったような力ではないのだろうか。関所砦が斬られた夜、目の前でその力を見た時、ラングルはそう考えた。そう考えなければ、説明の付かない力だった。


 だが、それは、あくまでも実在するのであれば、という話である。『魔法』がこの世界から失われて既に久しい事は、ラングルでなくとも、この世界に生きる誰もが知っている。誰も見たことのない力が、かつて存在した、と言われた所で、本当に存在したのかは、誰にも分らないのだ。


 では、あの男の力は何なのか。


 あの夜以降、ラングルの思考はそこで止まっている。あまり考えるのは得意ではない。要は勝てればいいのだ。あの男はオード側の人間で、関所砦のほとんどを一人で陥落させた。建物そのものを斬ったように見えたあの力が、尊き神の力であれ、邪悪な悪魔の破滅の意思であれ、いまも自分に味方するのであれば、どうでもいい。蹄を響かせてやって来る、悪夢の騎馬騎士団に対抗する戦力になりさえすれば、その出処等、どうでもいいのだ。


「見てやがれよ『若獅子』……必ず……」


 後悔させてやる。その言葉はラングルの口から出ずに止まった。手綱を引き、走り出した馬を慌てて止めた。


 開かれた裏門の向こうに、ゆらりと立ち上がる影を見たからだ。


 


 どう形容しても、その人影はそんな表現しか出来なかった。灼熱の火炎そのものを編み上げたような外套に、赤み掛かった金色の髪。箒を逆さにしたように立ち上がる髪は、揺らめく炎を思わせて、男の形容をより一層、火炎に近いものに見せる。鼻が高く、整った顔をしているが、病的に色が白く、衣服や髪色の印象が先に立ってしまい、男の実像を、炎の熱が生み出す陽炎のように、ぼんやりとさせている。


「……何だ、あんたか!」


 ラングルは、一瞬強張らせ頬を緩めた。地獄に救いの神が現れた。そう思った。


「こっちに来ていてくれたとは幸いだったぜ。『沈黙を告げる騎士団』だよ。あんたも知ってるだろう? 奴等、部隊の一部を残していやがった」


 巨体を小躍りさせながら、身軽に御者席から飛び降りたラングルは、紅い男に歩み寄った。


「奴等の進軍が、そりゃあ恐ろしい速さでなあ。もう俺達だけじゃあどうしようもねえ」


 身振り手振りを交えて、ラングルは極力親しげに話した。強い髭面に愛想笑いを浮かべて、紅い男の様子を伺いながら続ける。


「もう、あんたに頼る他ねえと思っていた所だ。頼む、ここを何とか護ってくれ!」


 紅い男は、ラングルの方に視線を向けた。澱んだ黒目がちの目が、ぎょろり、と動き、品定めするようにラングルを見た。その目は生きている人間の様には見えず、ラングルは背筋に冷たい物を感じたが、長くは続かなかった。紅い男がすぐに興味を無くしたように、ラングルから視線を外したからだ。


 気味の悪い男だ。


 ラングルは自分の額に、冷たい汗が浮かんでいる事に気が付いた。砦一つを壊滅させる程の力の持ち主が、何を考えているのか分からない。これ程恐ろしく、気味の悪い状況もないだろう。媚諂うのは心底嫌だったが、このまま『沈黙を告げる騎士団』に蹂躙されて野垂れ死ぬ事の方が、我慢ならなかった。愛想笑いの仮面に、愛想笑いを重ねて、もう一度話しかける。


「な、なあよお」

「……いるな」


 応じた紅い男の第一声は、ラングルの言葉とは何の関係もない言葉だった。続けてラングルの肩を右手で押して除けると、ルートクルス城内へ向かって歩き出した。


「なあ、あんた、聞いてるのかよ」


 言いながら、紅い男の前に立ったのは、ラングルの部族の重臣の一人だった。ラングルより歳は大分若く、背格好も大きい男は、文字通り壁のように紅い男の通り道を遮った。


「族長が頼んでんだよ。ここを……」

「止せ!」


 嫌な予感がした。


 ラングルが若者に向かって叫んだのは、その予感のせいだが、叫んだ時には遅かった。


 紅い光が走った。

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