第5話 『目撃』
それは、まるで幾度も瞬きをしたかのような、断片的な映像だった。そんなものが、ラインハルトの脳裏を、刹那の間に駆け抜けた。
その映像は、いま、目の前にしているものと同じ、アルスミットの戦う姿だった。
左右から、ほぼ同時に振り下ろされた斧を、アルスミットが巧みに躱し、斬り上げる一撃で右手の敵を、返す横薙ぎの一閃で左の敵を斬った。その一連の動きを、ラインハルトは確かに見た。
何だ、とラインハルトが疑念を抱く間もなく、映像は消えた。目の前には騎士と蛮勇の壮絶な戦闘が戻った。
と、その瞬間だった。血飛沫の中を舞い踊るアルスミットの左右から、二人の戦士が同時に襲い掛かった。
「アルスミット!」
息を合わせた訳ではないだろうが、敵の攻撃は完璧に同時だった。どちらかを躱せても、どちらかを受けてしまう。そうラインハルトには見えた。
思わず叫んだ声が、アルスミットに聞こえたかどうかは定かではないが、何かに気付いたようにアルスミットは身を翻した。二人の戦士の攻撃の軌道を踊るように避けると、下段に構えた剣を振り上げた。天を突く一撃は、右手から迫った敵を斃し、返す刃は平行に、左から迫った戦士の胸のあたりを斬り裂いた。
言葉こそ漏らさなかったが、ラインハルトは息を呑んだ。
敵の配置、斧の軌道、アルスミットの体捌き、剣の軌道、そして飛び散る鮮血が描く、奇怪な模様まで、その全てが、紛れもなく、ラインハルトがほんの一瞬前に『目撃』したものであった。
卓越した剣の達人は、ほんのわずかな動きで、相手の次の行動を読み取る事が出来ると聞いたことがあるが、いまの光景は、そんな不確実な物ではなかった。
そもそも、相手の動きを『読む』という行為は、与えられた情報と、自身の持ち合わせた情報を正確に比較することで成立する。即ち、経験が絶対的な条件になるが、いま、ラインハルトが見たものは、まさに『見た』物だった。経験など皆無にして、十人が十人、同じ結果を予測出来る、完璧に映像化された物。それは、言うなれば……
「公子!」
騎士の誰かが叫ぶ声。厚い思慮の殻の中にあったラインハルトにも、その必死の声は届いた。
正確に情報としての能力を取り戻したラインハルトの視界に映ったものは、一人の蛮勇戦士が、騎士横隊の一瞬の隙を突いて破り、一直線に迫って来る、窮地の映像だった。
距離はない。戦士の斧がラインハルトの身体を両断するまでに、時間はなかった。
戦場において、一瞬でも戦いを忘れた自分の愚かさを悔いる間もなく、分厚く、巨大な戦士の得物が眼前に迫り……
「もらったああああ!」
戦士が叫んだ。
その、瞬間だった。
再び、激しく瞬きをしたような、連続する映像がラインハルトの脳裏を駆け抜けた。
断片的ながら、繋がりを持ったその映像がラインハルトに見せたのは、斧を上段に振り上げた戦士が、その斧を、ラインハルトの頭頂部よりやや左肩よりに振り下ろす姿だった。斧はラインハルトの左側頭部と耳を削ぎ、肩の骨を割って、身体に深く沈み込む……
「若君!」
また誰か、騎士の悲痛な叫びが、ラインハルトの感覚を揺さぶった。覚醒したラインハルトが、再び敵戦士を視界の中に認識した時、戦士は斧を、まだ振り上げてすらいなかった。
眼前で素早く振り上げられる戦斧。
落下点は、頭頂部よりやや左寄り。
疑問が、ラインハルトの身体を押し止める事はなかった。身体は異常さの考察よりも、与えられた情報から、存命への行動を最優先とした。
わずかに、身体を右へ踏み出す。動くべき量は、既に知っていた。
振り下ろされる斧は、それだけで空を切った。
絶対の間合い。必殺の一撃。それらに付随するはずの手応えだけが返らない。戦士が浮かべた表情は、驚愕そのもので、それが、彼がラインハルトに向けた最後の顔だった。
身体を流した際に、右足に乗せた重心をそのまま軸にして、ラインハルトは身を翻すと、左脇を擦り抜けた戦士に、反撃の一撃を振り下ろした。刃は、自らの得物の重さから、前傾になっていた戦士の、左首を斬り裂き、盛大な血飛沫と共に戦士の身体を床に叩き付けた。衝撃に、石床が割れ、砕け飛んだ。
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