第6話 予知

 耳を聾する荒い息遣い。


 周囲に静寂が広がっている事に、ラインハルトは、すぐには気付くことが出来なかった。斃した戦士の遺体を見つめ、極度に張り詰めた精神状態から、荒くなった息、早くなった鼓動の音を聞きながら、ラインハルトはゆっくりと視線を上げていった。


 指揮下の騎士達が、そして敵である蛮勇の戦士たちまでもが、言葉と動きを忘れ、ただラインハルトを見ていた。手にした剣から、敵の返り血が、流れて落ちる感触が伝わってくるような気がした。


 あれ程の混戦、あれ程の怒号が、ぴたりと止んだ理由が、自分にある事に、ラインハルトはようやく思い至った。決定した死を覆して見せた身のこなしと、反撃の一撃。それを目の当たりにしたものから、まるで石になったかのように動きをなくしていたのだろう。戦いを知るものであればある程、ラインハルトの戦いは、超人的に見えたであろう。


 やがて、恐れをなした敵が、それこそ蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出し始めた。勝てるはずがない。そう告げる本能が、彼らを逃走へと駆り立てているようだった。


 だが、ラインハルトは、そんな敵の姿を見ても、部下たちに指示を出せずにいた。


 一体、何だというのか。


 自分には、敵の行動も、自分がどう動くべきかも、一瞬先に知っていたのだ。わかったのではない。生き残る事を望んで、強く願ったわけでもない。ただ『見えた』のである。『見えた』映像はあまりにも生々しく、。これほど生々しいものを先読み、とは言わないはずだ。


 予知。


 あの白昼夢は、そう呼ぶに相応しい。だが、その言葉でさえ、足りないとも思える。この左肩の焼けるような痛み。予知の一言で片付けるには、強烈すぎる。


「公子!」


 何度か呼ばれていたのだろうか。定かではなかったが、とにかく幾度目かの呼びかけであろう事だけは、相手の気配で分かった。すぐ目の前で声を張り上げていながら、ラインハルトが認識出来ていなかった声の主は、銀色の髪をしていた。


「御指示を」


 アルスミットは、自らも荒れた息を殺しながら、努めて落ち着いた口調で話しかけて来た。


 ここは戦場。ラインハルトの一部隊の指揮官である。指揮官の動揺は部隊そのものの士気に、大きく関わる。


 アルスミットの目と声が、そのことを伝えている。ラインハルトは一度深く息を吸い、吐き出して、動揺を胸の内へ納めた。


 自らが『見た』物が何であれ、あの一撃を回避できた要因が何であれ、いまはただ、幸運であった、と割り切ればいい。いや、割り切るべきだ。自分はひとりで戦っているのではない。自分には、指揮を待つ部下がいるのだ。この戦場を切り抜けた後、自らを救った要因については、考えればいい。


「逃げる者を殺めるな! 武装解除を求めるだけでいい!」


 ラインハルトは可能な限り、高らかに声を張り上げた。


「城内を完全制圧し、戦闘を終わらせるぞ!」


 ラインハルトの指揮が伝わり、騎士達が統制の取れた動きを取り戻す。城の各所へ、制圧へ向けた動きを取り始めた。


「アルスミットは城北側の制圧を。裏門があったはずだ。押さえてくれ。わたしはこのまま玉座を押さえる」


 忠実なる銀の騎士は短く頷くと、覚醒したラインハルトを確かめるように見つめた後、その場を離れていった。


 アルスミットが十数人の騎士を従えて行く後ろ姿を見つめながら、ラインハルトも手近な数人を連れて、玉座へ向かった。その胸中には動揺も、恐怖心も、複雑に混ざり合い、燻るような感覚があったが、若き獅子として、指揮官として、あるべき姿、ありたいと願う姿、あらねばならぬ姿を周囲に見せるために、努めて気丈に振る舞い、一歩、一歩を強く、踏み出して行った。

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