第2話 ラインハルト・パーシバル

「ルートクルスまでの敵陣は全て突破しました、公子!」

「全部隊を招集、このままルートクルス城を奪還するぞ、アルスミット!」


 馬上、振り下ろした剣で、襲い掛かって来た蛮族を斬って捨てたラインハルト・パーシバルは、青みがかった黒髪の下、鼻筋の通った端正な顔の眉間に皺を寄せ、怒鳴るように応じた。


「全軍、ルートクルスを目指せ! さほど距離はない!」


 ラインハルトのすぐ横で、同じく馬上、剣を振り下ろし、返り血をものともせずに戦い続けるアルスミットが復唱し、声を張り上げる。続けて、公子の言葉は次々と幾人もの騎士に繰り返され、全部隊へ広がっていった。


 騎馬騎士達はルートクルス城の前哨に当たる砦を降し、たったいま、前衛と思われる敵部隊も降した。既に眼前に捉えている城までの距離は、馬脚では数分である。しかし、如何に距離がないとはいえ、ここまでは彼らの居城である領都、レネクルスからの行軍である。先にあった砦をルートクルスへの足掛かりとし、一度、行軍を止めて、相手の出方を伺うという戦術も、手段の一つとしては十分考えられたはずであった。


 しかし、敢えてそれをせず、電撃作戦を選んだのは、騎馬による高速戦闘を最も得意とする『沈黙を告げる騎士団サイレント・ナイツ』の性格を深く理解し、屈強に鍛え上げられた騎士団には、決して無理のない行軍である事を理解し、さらに敵の予想に反する作戦を取ることで、より安全で確実な勝利を得ることが出来ると、ラインハルトが決断したからに他ならない。


 敵との戦闘の最中、それも最前線に立って、自らも馬上、剣を振るう中、それら全てを正確に理解し、最も危険とも言える電撃作戦を選ぶことは、優れた将にしか出来るものではなかった。相当の戦上手でなければ、この決断は降せなかったはずだが、レネクルス公バラート・パーシバルの子、ラインハルト・パーシバル自身は、その事について特別、何かを深く考えて行っているわけではなかった。


「公子のお考えは、正しかったようですね」


 並走する馬上から声をかけて来たのは、先程、ラインハルトの呼びかけの応えた騎士、アルスミット・アイヒマンだ。真ん中で分けた、真っ直ぐな銀色の髪を靡かせ、笑みを見せた。


 二十代前半、ラインハルトとさして歳の変わらないアルスミットだが、その武勇と印象的な銀髪から『銀の騎士』と呼ばれ、神聖王国カレリア本国内でも名の通った騎士だった。


「ああ……そうならなければ良かったが」


『沈黙を告げる騎士団』およそ百騎を、守備隊として密かに残す。そうバラートに進言したのは、ラインハルトだった。


 誰もが信じて疑わなかったオードの不可侵条約。その判断には、カレリアが大国であるが故に、自分たちを敵に回しても、オードに利はないだろう、という過信も含まれていた。それは武人である父、バラートも、『銀の騎士』アルスミットも例外ではなかった。ただ、ラインハルトだけは、過不足なく、この時期の、突然の不可侵条約の裏にある危険性を考えていた。


「とにかく急ぐぞ。ルートクルスの民を、ひとりでも多く救うんだ!」


 しかし、そのラインハルトも、まさか本当にこんな侵略が実行されるなどとは思っていなかった。そこに甘さがあった、とラインハルトは馬に鞭を入れた。自分たち貴族を、騎士を信じてくれている民たちを、必ず救う。ひとりでも多く、救ってみせる。それがこのレネクルスを治める一族に生まれた責務であると、ラインハルトは改めて決意を固めた。


 刃こぼれし、既に使い物にならなくなった剣を、器用に騎馬に下げられた鞘に納めたラインハルトは、同じく騎馬に下げられた別の鞘から、新しい剣を引き抜いた。


「公子、その剣は……?」


 アルスミットが何かに気が付いたように問いかけて来た。もしかしたら、アルスミットは見たことがあるのかもしれないな、と考え、ラインハルトは改めて自分の手中の剣を見た。


 大それた装飾はなく、実用に徹した硬質さを感じさせる剣。ただ刀身に、かつてこの大陸に存在し、唯一大陸を統一した王国、アヴァロニアの公用文字が刻まれている。何と書いてあるのかはわからなかったが、そのわずかな装飾が、この剣が同時代のものかもしれない事を伝えていた。


 ラインハルト自身、この剣を握るのは初めての事だった。アルスミットが見たことがあるのだとすれば、それはラインハルトの手中ではない。


「父上が遠征前、わたしに託された剣だ。我がパーシバル家に伝わる聖剣『シルヴァルフ』」

「『シルヴァルフ』……」


 当主である父、バラートでさえ、実際の戦場には携帯した事がないであろうパーシバル家の宝剣である。父は遠征へ立つ前日、ラインハルトにこの剣を渡し、事あれば、迷わず抜け、と言い残した。


 守備隊編成を進言したラインハルトとて、実際に戦闘が起こることを、心底案じていた訳ではなかった。それは強者の過信ではなく、オードの現王であるはずの、あの温厚なルーメイと面識のあるラインハルトだからこその、ある種の信頼に似た感覚であった。ただ、現実は客観的に、最悪の事態を想定した上で、見つめる必要があった。そして、その結果として、ラインハルトは守備隊の編成を進言した。


 ここで言う最悪の事態とは、即ち、オード王ルーメイ暗殺による王権奪取である。


 この侵略がルーメイ暗殺による国家の暴走なのか、それともルーメイの意思によるものなのかは、わからない。ただ、その是非を問う以前に、この侵略行為は止めさせなければならなかった。


 その戦いが起こった時、父は聖剣を使え、と家宝を託して遠征へと向かって行った。それは、父の方が、実はオードの侵略行為を真剣に起こる可能性として見ていたのか、それともただ単に、息子の身を案じたのか。答えは父の口からは直接語られることはなかった。


 ただ、ラインハルトには、気がかりな事があった。


 剣を託された時の、父の瞳。


『レネクルスの獅子』と呼ばれ、家族にすら弱い姿を見せたことのない、本物の武人である父が、初めて見せたあの表情。


 あれは、何かに詫びている人のものだった。


 どこか遠くを見、そしてその後に、目の前の息子に詫びるような目を向けた父の顔を思い出した。だが、いったい、何を詫びるというのだろうか。自らが遠征へ赴かなければならない事か。留守の領地を息子に託さなければならない事か。それとも……


「前方に敵影!」


 高速の馬上、しばし意識を過去へ持って行ってしまっていたラインハルトを、現実へと引き戻したのは、アルスミットの雄叫びだった。


「大丈夫ですか、公子!」


 馬に乗ることに慣れているからこそ出来ることだが、戦場で上の空の表情を一瞬見せてしまったのだろう。アルスミットの案じる言葉に、若き獅子は微笑んだ。


「ああ、すまない、アルスミット」


 迷いを打ち払うように、そして勇猛果敢な父、『レネクルスの獅子』の力を得るように、ラインハルトは父から託された聖剣シルヴァルフを天高く突き上げた。


「皆、獅子の剣に続け! ルートクルスを奪還する!」


 鬨の声が波のように次々と上がる。


 ルートクルス城を守る敵影は、目前に迫っていた。

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