第四話 西方の魔、雲泥嶺

仕掛けられた罠

 スケ姫の希望もあり、少し早いがわしら六人は昼飯をとることにした。豪勢な鷹狩弁当を食べながらこれまでの経緯を父と家光に話す。志村名主藤左衛門から聞いた島原の乱と西方の魔の話。蕨宿名主嘉兵衛から聞いた竜神伝説。そして宝樹院の碧玉と竜体院の言葉。いつもは軽薄な感じのする二人も、真剣な表情でわしらの話に耳を傾けていた。


「そうかあ。八年前に手箱を開けていれば問題はすぐ解決できたんだね」

「家光君、それは早計というものだよ。開けたとしても竜体院の言葉は聞けなかったかもしれないんだから。むしろ開けなかったほうがよかったんじゃない」


 そうだな、わしらは運がよかった。もし竜体院の子孫であるお榛がいなければ、あの言葉が聞けたかどうか分からぬのだからな。


「それで碧玉はこの蕨城跡にあるらしいんですけど、家光さん、心当たりはありますか?」

「うーん、どこかなあ」


 父と家光が考え始めた。従者に命じて捜索させれば手っ取り早いのに、それをしないということは、どうやら自らの手で見つけ出したいと思っているようだ。


「八年間見付からなかったのですから、きっと人が滅多に近寄らない場所。そして水の魔であることから近くに水がある場所……」


 お榛も一緒になって考えている。誰でも思い付くあり触れた推測ではあるが、一所懸命に考えている姿が実にいじらしい。


「家光君、もしかしたら」

「そうだよ、きっとあそこだよ。ああ、於カク君だっけ。悪いけど矢立と紙を貸してくれないかな。絵で説明するよ」


 ようやく何か思い付いたようだ。於カクが旅荷の中からそれらを渡すと、家光は筆を動かしながら喋り始めた。


「これが蕨城跡。で、これが鷹狩御殿。御殿の北側に神社があって、境界に小さな池があるんだよ。きっと昔のお堀跡だね。その池の真ん中に古いほこらがあるんだ。どうして池の中にそんなものを作ったのかは知らないけど、みんなは竜体院を祀った祠だって言っているよ。碧玉を隠したとすればここじゃないかなあ」


 なるほど。池の中ならば人は近寄らぬ。水に囲まれている。お榛の読み通りの場所だ。


「うん、行ってみる価値はありそうだね。じゃあさっそく……」


 ――若君、お逃げくだされ。災厄は間近に迫っておりますぞ。


 玄蕃の声だ。災厄……何のことだ。何が起きているというのだ。


「どうしたのよ若旦那。急に黙っちゃって」

「し、静かに」


 スケ姫の無駄口を制して気配を探る。感じる。殺気だ。しかもひとつやふたつではない。この座敷は殺気に囲まれておる。なんたることだ。わしともあろう者が何故気付かなかった。


「うそ、いつの間に……」


 スケ姫が魔剣の柄に手を掛けた。さすがは背中でわしの視線を読む剣の達人。何も言わずとも察してくれたようだな。


「家光、油断するな」

「分かっております。叔父上」


 父と家光も気付いてくれたか。これだけの殺気に囲まれては腑抜けてもいられまい。二人は片膝を立て居合いの構えをとった。ほととぎすが教えてくれた罠とはこれだったのか。冥土の玄蕃、礼を言うぞ。


「あの、皆さん、怖い顔をされてどうしたのですか」

「お榛さん、口を閉じて私の後ろに隠れろ。決して離れるな」


 うむ。於カクが守ってくれるなら安心だ。わしらは息を潜めて閉じた障子に全神経を集中させた。昼の日差しはない。人影もない。雨音が聞こえる。声は聞こえない。が、


「来るぞ!」


 蹴り倒される障子。雪崩なだれ込んできた二人の男。上段に構えた刀は迷いなく家光へ向けられている。


「ふっ、ぬるいな」


 二本の刃が輝線を描いた。斬り掛かってきた男たちは刀を振り上げたまま鈍い音をたてて畳に崩れ落ちた。父と家光がそれを見下ろしている。なんたる早業。切り結ぶことなく一刀で倒してしまうとは。家光は柳生新陰流の達人だが、まさか父がこれほどの腕前とは思いもよらなかった。


「この二人、何者ですか」

「わしの従者だ。魔に操られていたようだな。見ろ」


 家光が刀身の先を男の頭に向けた。そこには真っ二つに斬られた水来忌すらいむの半身がへばりついている。


「水来忌を使って従者の意思を奪ったのだ。仕掛けてきたのは、恐らく西方の魔であろう」

「い、命を奪ってしまわれたのですか」


 於カクの背中でお榛が震えている。無理もない。このような場面に出くわすのは初めてだろうからな。連れてきたことを少し後悔した。


「いや、踏み込まれた瞬間、頭の水来忌に気付いたのでな。斬ったのはこいつだけだ」


 斬られた水来忌を父が刀で小突いた。ゆるゆると形が崩れ、畳を濡らすシミへと変化へんげしていく。


「のんびり立ち話をしている暇はないようだぞ。見ろ」


 障子の外には数十人の老若男女が立っていた。全員の頭には水来忌がへばりつき、夢でも見ているかのように朧げな足取りでこちらへ近付いてくる。


「これくらいの人数、あたしの剣技で一度にやっつけてやるわ」


 スケ姫が魔剣を構えた。しかし父がそれを制する。


「それはならぬ。魔に操られていてもこれらは徳川家に仕える者たち。そなたの剣技では水来忌だけでなく従者たちをも傷つけてしまう」


 父はそこまで見抜いていたか。スケ姫の剣は大雑把だ。水来忌だけを斬るような繊細な剣捌さばきはできぬ。武芸の心得のないものが技を受ければ大怪我は避けられまい。


「ならば私が力を貸そう」


 今度は於カクが前に出た。やはり父がそれを止める。


「そなたの術も同じだ、於カク。屈強な武士ならいざ知らず、あの者たちの中にはか弱い女子おなごも混じっておる。重すぎる己の体を支えきれず、足を挫き、骨を折るかもしれぬであろう」


 そうだな。於カクの術は均一。全ての者が等しい重さを担わされる。力のない者はそれだけで怪我をしてしまうだろう。


「じゃあ僕が手伝うよ。スケ様、脇差を貸してくれないか。これでも水来忌退治は得意なんだ。江戸屋敷で何匹も倒したからね。三人でかかればなんとかなるでしょう」

「光国、嬉しい申し出だがそれはできぬ。人を操るほどの力を持つ魔は通常の武具では倒せぬのだ。わしと家光の刀は破魔の力を宿しておる。ここは我ら二人に任せ、おまえたちは北にある堀跡の池へ急げ。碧玉に憑いた西方の魔を一刻も早く倒すのだ」

「叔父上、無理は禁物ですぞ。年寄りの冷や水と申しますからな」

「生意気を言うな家光。おまえより一歳上なだけではないか。しかしこれで鷹狩りはまたしても延期だな。つまらぬ」

「代わりに水来忌狩りと参りましょうぞ」


 刀を構えながらもにこやかに話す父と家光。わしは少なからず感動していた。これまでの腑抜けで、軽薄で、浮ついた二人の姿はそこにはなかった。今、わしの目の前にいるのは元の世の父と家光、いや、それ以上に勇敢で重厚で真剣な武士の姿だった。


『これこそが二人の真の姿であったのか。見抜けなかった己が情けない』

「むっ!」


 従者の一人が切り掛かってきた。家光の刀が水来忌の核を貫く。弾け飛んだ水来忌は地に落ちて潰れ、従者は畳に倒れ伏した。


「さあ、行け! ここを片付けたら我らも行く」


 父と家光が座敷の外へ打って出た。自ら従者たちの只中へ飛び込み、手当たり次第に水来忌を潰している。あの腕前ならば心配なかろう。


「僕らも行こう。カクさん、お榛さんを頼むよ」

「任せろ」

「ふふ、久しぶりに暴れてやるわ」


 まずスケ姫が座敷を飛び出した。続いてお榛を抱きかかえた於カク。最後にわしだ。廊下を走り玄関から外へ出ると雨は本降りになっていた。


「やだ、これでも濡れちゃう」


 スケ姫はちゃっかり紙合羽を羽織っている。父と家光が戦っている間に旅荷から取り出したようだ。よほど雨が嫌いと見える。


「ねえ、北ってこっちでいいのよね」

「うん、多分……あ、あれは!」


 わしは胸の内で小躍りした。雨を厭わず一羽の鳥が飛んでいる。ほととぎすだ。今日何度もわしの前に現れたほととぎすが、付いて来いと言わんばかりに羽ばたいているのだ。


「あれは、って何よ」

「いや、何でもない。こっちで間違いないよ」


 ほととぎすに導かれてわしらは走る。やがて前方に小さな池が見えてきた。家光の言葉通り、池の真ん中には古びた祠が立っている。まるで水面に浮かんでいるようだ。


「僕が中に入って確かめて来るよ」


 見たところ池はさして深くない。せいぜい腹の辺りまでしか浸からぬはずだ。わしは池に踏み込もうとした。が、於カクがそれを制した。


「待て、若旦那。池には水来忌がいる。そのまま入るのは危険だ」

「ならあたしが池の水ごと焼き尽くしてやるわ」


 鞘から魔剣を抜き中段に構えるスケ姫。しかしまたも於カクが制する。


「駄目だ。スケさんの術では祠まで焼き払ってしまう。ここは私に任せろ」


 於カクは抱えていたお榛を下ろし両手を水面に置いた。


「動かざること山の如し!」


 水面のさざ波が完全に消え鏡面のように真っ平らになった。水も水来忌も於カクの術によって自重を増やされ、動きを完全に封じられてしまったのだろう。


「これで大丈夫だ。若旦那、お任せする」

「うん」


 恐る恐る足を水の中に入れる。重い。まるで泥田を歩いているようだ。なんとか祠に近付き、閉ざされた扉を開けた。


「あった!」


 中には両手で包み込めるほどの碧玉が置かれていた。その真上に見たこともない短剣が突き刺さっている。懐剣に似ているが造りはまるで違う。細い両刃の剣身に棒状の鍔。握りには波頭と雨滴の装飾文様。明らかに南蛮渡来の品だ。竜神の言っていた「打ち込まれた楔」とは、きっとこれのことだろう。


「見付かったのなら早く持って来なさいよ。カクさんの術は長く続かないのよ」


 それはまずいな、急がねば。碧玉を両手でしっかりと包み込み、慎重に歩いて池端に上がる。それを見届けた於カクは両手を池から離した。荒い息をしながら濡れた額を手で拭う。そういえば術後はひどく汗をかくと言っていたな。雨か汗か分からぬが顔はぐっしょりと濡れている。術には相当の力を使うのだろう。


「ああ、これが竜神様の碧玉、竜体院様の魂そのものなのですね。なんと美しいのでしょう。皆様、本当にありがとうございます」


 碧玉を見たお榛が感極まった声をあげた。この一言でこれまでの苦労は報われた気がする。頑張った甲斐があったというものだ。

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