蕨城跡の奇遇

 わしとスケ姫、於カク、そしてお榛の四人は宝樹院に来た道を逆に歩いていた。蕨城跡は本陣の東に隣接している。道を引き返して向かうことにしたのだ。


「お榛さんは行かないほうがいいんじゃないかなあ」


 宝樹院を出る時、誰に言うともなわしはくそう言った。たちまち反対の声が返ってきた。


「いや、連れて行くべきだ。お榛さんのおかげで竜体院殿の言葉が聞けたのだからな」

「そうよ。あんたなんかよりお榛ちゃんのほうがよっぽど役に立つわ」

「連れて行ってください。おお御祖母様おばあさまを助けてあげたいのです」


 三人にここまで言われては従わざるを得ない。それにわし自身も竜体院の子孫であるお榛の重要性は理解していた。もしお榛がいなければ手箱に残された竜体院の言葉は聞けなかったかもしれない。それを考えれば連れて行くのが当然……頭では分かっているのだが、胸の中にはわだかまりが燻っている。


『罠はすでに張られている、どういう意味なのだ、玄蕃』


 ほととぎすの体を借りて冥土の玄蕃がわしに伝えた言葉、蕨城の罠。この一言がずっと引っ掛かっているのだ。お榛はわしらと違って平凡な町娘。危険な目に遭わせるわけにはいかない。


「今日は様子がおかしいな、若旦那。見えもしないほととぎすが枝にいると言い、本堂では玄蕃殿の名まで口にしていた。ひょっとして西方の魔におじけづいたのか」


 並んで歩いている於カクの心遣いが嬉しい。何も知らぬ者から見れば、今のわしは強敵を前にして心が揺れている臆病者にしか見えぬのだろうな。


「そうかもしれないね。僕は水来忌すらいむしか倒したことがないから」

「心配無用だ。私とスケさんがいれば大抵の魔は追い払える。安心しろ」

「うん。頼りにしているよ」


 前を歩くスケ姫とお榛は楽しそうにお喋りしている。不安な様子は少しもない。まるで今から花見にでも出掛けるような気楽さだ。スケ姫はともかくお榛には怖い思いをさせたくない、そう願わずにはいられない。


「若旦那様はお榛ちゃんが気になるみたいね。ひょっとして手を繋いで一緒に歩きたいのかしら」


 こちらを振り向くことなくスケ姫が言い放った。おまえ、もしかして背中に目でも付いているのか。どうして後ろにいるわしの視線が分かるのだ。スケ姫、恐るべし。


「えっ、いやあ、お榛さん、疲れていないかなあって思って」

「私は大丈夫ですよ。本陣ではもっと大変なお役目を仰せつかっていますから。こうして歩いているほうがよっぽど楽です」


 うむ、本当に気立てのいい娘だ。爪の垢を煎じてスケ姫に飲ませてやりたいわい。


 本陣の前を東に曲がるとすぐ蕨城跡だ。家康が建てた鷹狩り用の御殿が見えてきた。


「変ね、妙に騒がしいわ。いつもは静かなのですけれど」


 確かに人の気配がする。しかもかなり大人数のようだ。嫌な予感がしてきた。


「あれ、そこにいるのは加賀の商人光右衛門君じゃあないかあ」


 予感的中だ。家光がいる。今日は着流しではなく袴を履いて帯刀という武士らしい装いだ。


「あ、こんにちは。っちゃんでしたね。ひょっとして鷹狩りですか」

「そうだよ~。ようやく遊べるよお。あっ、ここでは家光でいいよ。町人が鷹狩りっておかしいからね」


 ちょっと待て。将軍が鷹狩りに訪れる際には、狩場の名主なぬしは羽織袴の正装で土地の領民と共に出迎える習わしであろう。嘉兵衛はそんな話は全くしていなかったぞ。


「名主は挨拶にきたんですか」

「へっ、どうして。鷹狩りと名主さんは関係ないでしょ」


 出迎えは無しか。やはりこの異世界の将軍は想像以上に軽んじられているようだな。悲しくなってくるわい。嘉兵衛は家光が鷹狩りに来ることすら知らなかったのだろうな。


「あれ、そこにいるのは加賀の商人光右衛門君じゃあないかあ。昨日川を渡ったはずなのにどうしてまだ蕨宿にいるのかな。フ・シ・ギ」


 父までいるのか。最初の台詞が家光と同じだぞ。袴を履いて帯刀しているところをみると、一緒に鷹狩りを楽しむつもりのようだな。二人とも当主としての役目を放り出して遊びほうけているとは、ますます悲しくなってくるわい。


「戸田の渡しの件で来たんですよ。水来忌が悪さをするようになって、川留めが頻発しているそうじゃないですか。八年間、何の手も打たずに何をしていたんですか」


 家光と父の顔から陽気さが消え、たちどころに気まずい表情になった。まるで母に叱られている童のようだ。


「そんな言い方しなくてもいいでしょ光右衛門君。僕たちだって頑張ったんだから」

「そうだよお。みんなで川に入ってさあ、せっせと水来忌を汲みだして退治したんだよ。光右衛門君、覚えてないの? 川掃除を手伝って頼んだら、『そんな水仕事、僕は嫌です』って断ったじゃない」

「あんた、小さい頃から薄情で役立たずだったのね」


 すかさずスケ姫がわしの脇腹を小突いて嫌味を言ってきた。いや、これは八年前の話だろう。十歳の子供に手伝わせようとするほうが間違っているのではないか。下手すりゃ流されるぞ。


「一日頑張れば水来忌もほとんどいなくなるけど、三日も経たないうちに元の数に戻っちゃうんだよ。骨折り損のくたびれ儲けさあ」

「水来忌がおかしくなっているのは限られた流域だけで、上流も下流も異変はなし。水が少なくなれば船も渡れることだし、他にもっと大変な事案もたくさんあったから、結局諦めちゃった。もう八年も前のことだし、許してね。てへっ」


「てへっ」と言えば何でも許してもらえると思ったら大間違いだぞ。なるほど水主たちが徳川家を軽んじる理由がよく分かったわい。ここまで役立たずでは見下されて当然だ。


「それで光右衛門君。戸田の渡しの件とこの蕨城跡と何の関係があるの」

「ああ、それは……」

「ちょっと待って」


 わしの言葉をスケ姫がさえぎった。非常に機嫌の悪い顔をしている。


「こんな所で立ち話をしていないで少し休ませてくれない。朝から飲まず食わずであっちへ行ったりこっちへ行ったりして疲れてるのよ」


 うむ、確かに疲れたな。宝樹院では茶も出なかったからな。スケ姫にしてはよい提案だ。


「そうだよねえ。お座敷でお茶とお菓子を食べながらお話しようか。ところでそこの可愛い町娘ちゃんはどこの誰なのかな」

「あ、はい。私はお榛と申します。いつもは本陣で下働きをしておりますが、本日は案内役をしております。徳川家の皆様にお会いできて大変嬉しく思います」


 相変わらず父は若い娘に目がないようだ。すぐに仲良くなろうとする。

 しかし将軍を前にしても「嬉しく思います」で済ませてしまうのか。わしの世ならば地にひれ伏すところだがな。まあ変に気を遣われるよりいいのかもしれぬ。


「じゃ、御殿のほうへ行こうか」


 父と家光が並んで歩き出す。皆がその後に従う。ふと目をやった松の枝に鳥がとまっている。ほととぎすだ。


『やはりここにも来ていたか』


 わしはもう驚かなかった。あの鳥を通して冥土の玄蕃がわしを見守ってくれている、今はそんな考えに変わっている。きっとわしの心強い味方に違いない。


「ねえ、人、多くない。鷹を狩るくらいにこんなに人が必要なの」


 スケ姫が驚くくらい狩場御殿は賑やかだ。鷹狩りの従者は多い。鷹匠は言うにあらず、狩場の管理を担う郷鳥見役ごうとりみやく、若年寄衆、小姓衆、荷役などなど、多い時は百人を超える。今日はそれほどの人数ではないようだが、それでも数十人はいるだろう。

 御殿の玄関から上がったわしらは庭に面した座敷に通された。


「ここのお部屋、少し埃っぽくない」


 今日のスケ姫は文句が多いな。さりとて確かに掃除が行き届いておらぬようだ。将軍を迎えるにしてはお粗末すぎる。


「ごめんねえ。この御殿、八年間使ってなくてさあ、お片付けが間に合わなかったんだよ。蕨宿に来ると『ところで戸田川の件はどうなりましたかな』って訊かれちゃうでしょ。それが嫌でね、この八年間ここには来ないようにしていたんだ」


 なんたる意気地の無さだ。将軍ともあろうものが下々の誹りを怖れてどうする。「の方たちで何とか致せ」とでも言っておけばよいのだ。


「ならば別の狩場へ行けばよいではないか。何故今回はここにしたのだ」


 於カクの問い掛けを聞いた父の体がビクリと震えた。怪しいな。


「ああ、それは頼房君の希望だよ。息子の光国、じゃなかった加賀の商人光右衛門君が心配で辛抱できないので、鷹狩りの振りをして様子を見に行きたいとか言うもんだから、わざわざ戸田川を渡ってこの宿場町まで来たってわけなのさあ」

「ああ~、家光君。それは言わないお約束でしょ」


 呆れた。どこまで親馬鹿なのだ。まさかほととぎすが言っていた「すでに張られている罠」というのはこれを指すのではなかろうな。もしそうなら不安もすっきり解消するのだが。


「そうですか。そこまで心配していただけるとは、この光右衛門、三国一の果報者でございます。まさかこの先も付いて来る気じゃないでしょうね」

「そ、そんなことできるわけないでしょう。僕は一応当主なんだし」

「あれ、そうなの。影武者を探していたから、てっきり付いて行くんだと思っていたけど」

「駄目だよ、家光君、ここでそれを喋っちゃあ」


 親の心子知らずとはよく言ったものだ。父がここまでわしの身を案じてくれているとは夢にも思わなかったぞ。まあ、有難い話ではあるな。

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