宝樹院の碧玉

「魔は人や物に憑くものだが魔それ自身に憑くこともあると聞く。恐らく竜神は悪しき魔に憑かれたのであろう」


 於カクもわしと同意見か。となれば鍵となるのは奥方の魂が宿っているという碧玉だな。それを媒介にして西方の魔は竜神に憑いたと考えるべきだろう。


「持ち帰ったという碧玉は今どこにあるのですか」

「はい、八十年前より宝樹院という……」

「お爺様、ただいま参りました」


 障子の向こうから聞こえてきた声が、わしと嘉兵衛の会話に割り込んだ。嘉兵衛の顔がほころぶ。


「おお、ようやく来たか。お入り」

「失礼します」


 開いた障子から姿を見せたのは若い女だ。町娘らしく小袖に前掛け、桃割れに結ったまげに絞り染めの飾り布がよく似合っている。


「この娘はおはる、先ほど話に出ました奥方様の玄孫やしゃごに当たります。幼い頃に両親を失くし他に身寄りもないため、手前どもが面倒を見ております。ささ、皆様にご挨拶なさい」

「はい。初めまして、お榛という名は高祖母こうそぼの眠る榛名湖から名付けられたそうです。今は本陣でお爺様のお手伝いをしています。私にできることがあれば何なりとお申し付けください」


 竜神に化した奥方の血筋の者か。わざわざ呼び立てたところを見ると、この娘も魔の力を持っているのだろうか。それならば心強いな。


「初めましてお榛さん。僕は光右衛門。この二人はお供のスケ姫と於カクです。こちらこそよろしく」


 わしは改めてお榛を見た。年はスケ姫と同じくらいか。髷を結っているせいか妙に可愛らしく見える。声も物腰もおっとりとして、いかにも年頃の娘という感じだ。スケ姫とは月とスッポンだな。


「若旦那は随分とお榛ちゃんが気に入ったみたいですね」


 むっ、あからさまに凝視しすぎたか。スケ姫に気付かれてしまった。またわしの視線を読みおって油断も隙もないな。


「あっ、いやあ、お榛さんも魔の力を持っているのかなあって思ってね」

「お榛は渋川様の子孫ではありますが平凡な娘に過ぎませぬ。ただ、この土地のことはよく知っておりますので、皆様のお役に立てるかと思います」

「ほう、ならばさっそく案内してくれ。碧玉はどこにあるのだ」


 於カクは相当気合いが入っているようだな。今すぐ方を着けるつもりか。頼もしくはあるが一旦座敷に腰を下ろして茶まで飲んでしまうと尻が重くなる。今日一日の仕事は終わってしまったような気分だ。


「碧玉……私たちは奥方様の号である竜体院様と呼んでおりますが、それは宝樹院というお寺に奉じられています。ここからそう遠くはありませんけど、参るのは明日にされては如何ですか」

「何故だ。今日では都合が悪いのか」

「いえ。ただ雨が降ってきましたので」


 耳を澄ます。確かに雨音が聞こえる。ますます外へ出る気が失せる。


「お榛ちゃんに賛成! 明日にしましょう。雨が降ってはいくさはできぬって言うしね」


 スケ姫はよほど雨を嫌っているとみえる。即答しおった。が、今のわしもお榛に同意だ。雨の中で水の魔と対峙するのは得策ではない。


「宿に着いたばかりで皆様お疲れでしょう。お榛もああ申しておりますし、本腰を入れてお調べになるのは明日にして今日はこの屋敷でお休みくだされ。本日は活きのいい鰻が入っております。それを食べて精をつければお役目もはかどりましょう」

「ほう、鰻か。それは有難い。若旦那、嘉兵衛殿にこうまで言われてはお言葉に従うしかあるまい」


 鰻と聞いて於カクの気合いも抜けてしまったか。これから旅路は山の中へ入っていく。鰻が食えるのは次の浦和宿辺りまでだからな。気持ちは分かる。


「ではお言葉に甘えて一晩ご厄介になります。お榛さん、明日また頼むよ」

「わーい、鰻だー!」


 スケ姫の歓喜は夕餉の膳で鰻の蒲焼を食い終わるまで続いた。美味い鰻だった。ぶつ切りにして焼き、塩か味噌を付けて食べる。それがわしのいた世の一般的な料理法だ。正直なところあまり美味くない。しかしここで出された鰻は違った。背開きにして焼かれ、溜まり醤油と味醂で味付けされていた。


「このような食い方があるとは、驚いたな」


 今様言葉や水来忌すらいむなど、これまでこの異世界での異質さには嫌悪しか感じなかったが、このような違いならば大歓迎だ。その夜はぐっすりと眠れた。


 翌日も一面に雲が広がる生憎の空模様だった。


「雨が降り出す前にさっさと終わらせちゃいましょう」


 いつもは朝飯を済ませてもグズグズしているスケ姫が、今朝はさっさと支度を整え玄関へ行ってしまった。雨嫌いが良い方向に作用してくれたようだな。今日の空模様に感謝だ。わしと於カク、それに案内役のお榛もすぐ支度を整え外へ出た。


「宝樹院はここから北西に十町ほどの場所にあります。道なりに歩いてもさほど時間はかかりません」


 お榛とわしが先を行き、その後ろをスケ姫と於カクが付いて来る。やはり若い娘はいい。並んで歩いているだけで気分が華やいでくる。


「あの、光右衛門様、今日のご気分は如何ですか」


 お榛の口調がおどおどしている。はにかんでいるのかと思ったがそうではないようだ。むしろ怖がっているように見える。


「気分はすこぶる快調だよ。空は曇っているけどね」

「そうですか。安心しました」

「安心? どうして僕の気分が良いと安心なの」

「昨晩、スケさんから聞いたのです。光右衛門様は気の毒なお方で、自分を鎌倉武士だと思い込んでいるのでしょう。そして気分が悪くなると奇声を上げて刀を振り回すとか。今日は気分が良いようですので安心しました」

「そ、そうなんだ。うん、今日は大丈夫だよ」


 スケ姫の奴、余計な話をしおって。お榛と懇意の仲になれる望みが永遠に失われてしまったではないか。


「でも光右衛門様には意外と優しい一面もあって、昨日は困っている童のために銭を持たせ、ふみを書いて差し上げたとか。少し見直したと言っていましたよ」

「スケ様が、そんなことを……」


 意外だった。面と向かっては悪口しか言わないくせに、わしが居らぬところではそんな話をしているのか。後ろをチラリと振り返る。スケ姫は刺すような目付きでこちらを睨んでいる。


「何見てんのよ」

「い、いや別に」

「お榛ちゃん、そんな与太男と一緒に歩いていたら腑抜けが移るわ。あたしと歩きましょう」


 スケ姫は前に歩み出ると、わしを押し退けてお榛の腕を掴んだ。必然的にわしは後ろへ下がり、於カクと並んで歩くことになった。


「あの二人、随分仲がいいね。昨晩何かあったの」

「年がスケさんと同じ一六なのだ。それですっかり打ち解けてな、夜遅くまでお喋りしていたぞ。まだ一度もこの宿場町から出たことがないから一度榛名湖へ行ってみたい、お榛はそんなことを言っていた」


 榛名湖、お榛の高祖母である竜体院が身を沈め、竜神と化した湖。わしのいた世ならば単なる言い伝えとして済ませてしまうところだが、実際に魔が存在するこの異世界では特別な場所なのかもしれぬな。わしも興味が湧いてきたわい。


「着きました」


 お榛の足が止まった。ここが宝樹院か。思ったよりもこぢんまりとした佇まいの寺だな。

 金峯山と書かれた山門をくぐると正面に本堂と一対の灯篭、そしてよく手入れされた樹木がわしらを迎えてくれた。


「へえ~、梅の木があるんだ」


 境内には珍しく梅が植えられていた。この季節となれば若葉が茂り青い実もついている。梅好きのわしとしては放っておけぬ。青梅の香りに誘われて何気なく枝に手を伸ばした。


「えっ!」


 それは忽然と姿を現わした。腹に横縞を持つ一羽の鳥、ほととぎすが枝にとまってこちらを見ている。


「ほととぎすと言えば橘や卯花だけど、若葉が茂った梅にも似合うよね」

「はあ? あんた何言ってるのよ。どうしていきなりほととぎすの話になるわけ」

「えっ、だってそこにいるじゃないか」


 わしは枝を指差した。凝視するスケ姫はいつもより数倍目付きが悪い。


「いないわよ。ほととぎすなんてどこにいるの。あんた幻でも見てるんじゃないの」

「嘘、だってそこに……ねえ、カクさんには見えるでしょ」

「いや、申し訳ないが私にも見えぬ」

「あ、もしかしてこれが『鎌倉武士と思い込んでいる光右衛門さんの気の毒なお方現象』なのですか?」


 お榛の勘違いはともかく、於カクが見えぬと言うのなら、ほととぎすはわしにしか見えてはおらぬのだろう。何故だ、このほととぎすは一体……


「もしや……」


 思い出した。以前にもあったではないか。わしにしか見えぬほととぎすの現れたことが。元の世の臨終の床で、そしてこの異世界へ来る前に、わしはほととぎすに誘われて冥土へ行き、ほととぎすに送られて冥土から旅立ったのだ。ほととぎすは冥土を行き来する鳥、それが現れたということは……


「わしを冥土へ連れて行くつもりなのか」


 ほととぎすは答えなかった。ただ黙って梅の枝にとまっているだけだった。

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