第三話 蕨宿の町娘

蕨城の竜神伝説

 渡し船を降りて川岸に上がると時鐘が聞こえてきた。昼九つの鐘だ。川を渡るために一刻半もかかってしまったことになる。川留めの翌日とはいえ、これだけの旅人が足止めを食らっていたとは意外であった。恐らくは雨が降り始めた一六日から川留めになっていたのだろう。


「あっ、一里塚発見! 休憩ね」


 渡し場のすぐ近くに戸田の一里塚があった。今日ばかりはスケ姫に文句は言えぬ。一服してもおかしくない時刻だからな。


「いただきます」


 藤左衛門が持たせてくれた握り飯を頬張る。一人二個の割り当てだが、弥七と半分こしたのでわしは一個だ。刻み若布わかめの混ぜご飯に具は昆布梅。こんな手の込んだ飯を持たせてくれるとは、どこまでも親切な男だ。


「ねえ、あんた、船の上でずっと川に手を突っ込んでいたでしょ。何をしていたのよ」


 またスケ姫の詰問か。わしが船の上で何をしようと関係ないだろうと言いたいところだが、そんな返事をすれば舌打ちが聞こえてくるのは確実なのできちんと説明する。


「川の水来忌すらいむがどんな感じなのかなって思って」

「どんな感じだったのよ」

「カクさんの言う通りだったよ。気持ち悪いくらいにまとわりついてきた。屋敷の井戸にいた奴とはまるで別物だ。もし川に落ちたりしたら岸まで泳ぎ切れるかどうか自信がないなあ」

「なら突き落としてあげればよかったわね。そうすれば泳ぎ切れるかどうかすぐに分かったでしょう」


 今日もスケ姫の毒舌は絶好調だ。もう慣れたから何とも思わぬがな。むしろ心地良いぐらいだ。


「落ちても私が助けてやるから溺れる心配はない。あの程度の流れならば一人抱えて泳ぐくらい朝飯前だ」


 今日も於カクの心強さは一級品だ。頼りにしているぞ。


「さあ、行こうか。次の宿まではもう半里もないんだし。すぐに着くよ」


 重い腰を上げて歩き出す。ほどなくわしらは中山道第二の宿、蕨宿へ着いた。まず目についたのは宿の周囲に巡らされている用水掘だ。防備と防火を兼ねたもので、この堀に面した家々は跳ね橋と呼ばれる板を使って出入りしている、と於カクが説明してくれた。


「堀に囲まれた宿場町かあ。水の魔が好みそうな場所だね」

「何を呑気なこと言っているのよ。水が沢山あればそれだけ向こうが有利になるのよ。もうちょっと危機感を持って欲しいものだわ」

「水か。火の魔使いのスケさんにとっては天敵だな」

「カクさん、見くびってもらっちゃ困るわね。あたしが本気を出せば溜池の水なんかすぐに干上がっちゃうのよ。どんな魔が出て来るか楽しみだわ」


 できることならスケ姫に本気を出させることなく事態を収拾させたいものだ。西方の魔を倒す必要はない。悪さをやめてくれさえすればよいのだ。何事も穏便に済ませるのが最上の策と言える。


「ここだね」


 本陣はすぐに見付かった。さっそく藤左衛門の書状を渡し、取次を頼む。しばらくして本陣横にある屋敷へと招かれた。嘉兵衛の住居のようだ。


「ようこそお越しくださいました」


 出された茶を飲んで待っていると、恰幅かっぷくの良い老人が座敷に入って来た。かなりの高齢のはずだが立ち居振る舞いはしっかりしている。体は老いても心はまだ老いてはいないのだろう。


「手前は御上よりこの宿を任されております岡田嘉兵衛正吉と申します。志村の大野殿の書状によりますれば、戸田川の窮状を何とかしていただけるとか。有難いことでございます」

「お礼はまだ早いですよ。本当に解決できるかどうか分からないし。えっと、こちらも自己紹介しておくと、僕は加賀の商人光右衛門。こちらはお供のスケ姫と於カク。加賀へ向かう旅の途中です」

「それは表向きで、実は皆様、徳川家に縁のあるお方なのでしょう。書状に書かれておりました。期待しておりますぞ」

「あ、はい。頑張ります」


 水主小屋で身分を明かしたのは返す返すも失敗であったな。変に期待されるとやりにくくて仕方がない。


「あの、ひとつ訊きたいことがあるんだけど、いいかな」

「何でございますか」

「戸田川が渡りにくくなったのは八年前なんでしょう。どうして今まで何もしなかったの。旅人だけじゃなく戸田村の人たちだって凄く不便だったと思うんだけど」

「いえいえ、手前どもとて何もせずに放置していたわけではありません。すぐに御上へ申し立てました。将軍家光様もお膝元での事件ゆえ、直ちに役人をこちらへ向かわせてくれたのです」


 家光か。元の世の家光ならば問題ないが、この異世界の家光ではあまり期待はできぬな。


「公儀の役人だけでなく、定府じょうふの大名水戸徳川家からも人を出し、事に当たっていただきました。しかしながら戸田川の水来忌どもは一向に大人しくなりません。結局家光様も『僕の手には負えないよ、ごめんね』と言われ、そのまま現在に至っているのです」


 聞いていて恥ずかしくなった。家光だけでなく我が水戸徳川家も力を貸したのに、何もできずに諦めてしまうとは、実に情けない。


「……」


 スケ姫が肘でわしの横腹を小突いた。顔を向けると無言で口だけ動かす。唇の動きを読む――や、く、た、た、ず――役立たずか。仕方なかろう。八年前と言えばわしはまだ十歳。何ができると言うのだ。


「藤左衛門殿は、此度の異変は当地に伝わる竜神が関与しているのではないかと言っていた。その話をしてくれないか」


 於カクの言葉を聞いた嘉兵衛の顔が少し曇った。どうやら暗い話を聞かねばならぬようだな。


「はい。話は戦国の世にさかのぼります。この地を治めていた渋川家は元をたどれば足利将軍家の一門でございました。されど世は乱れ、将軍の威光が薄れ始めると渋川家もまた力を失い、居城であった蕨城は陥落。その後は小田原北条氏麾下きかの武将となって多くのいくさに加わるも、渋川義基様が三船山の戦にて討ち死にしたことにより、遂に渋川家は断絶いたしました。今より八十年ほど前のことでございます」


 渋川家か。下克上の世にあっては家柄など何の意味も持たぬからな。栄華を誇った足利将軍家ですら絶家されたのだ。蕨城も今では家光の鷹狩り御殿に成り下がっている。時の流れとは無情なものだ。


「義基様は常に奥方様を伴って出陣されておりました。魔の力をまとっていたからです。奥方様の助力により義基様は多くの武功を挙げられました。しかし年を経るにつれ魔の力は弱まります。北条方から三船山への援軍を請われた時、すでに奥方様の魔の力はほとんど尽きかけておりました。このまま使い続ければ身と心を魔に食われかねない、そう考えた義基様は幼い娘と侍女を伴わせ、奥方様を里へ帰したのです」


 そうだった、この異世界では魔の力を持つ女と共に戦をしたのだったな。もしスケ姫が戦国の世に生きていたとしたら、それだけで天下を取れるような気がするわい。


「奥方様を里に帰した時点で義基様は自分の死を覚悟していたのでしょう。討死の報は直ちに榛名はるな湖のほとりにある奥方様の里へと届けられました。その役目を仰せつかったのが手前の父、岡田正信でございます。父の語るところによりますれば、奥方様は侍女と娘の三人で榛名湖の水に足を浸しながら訃報を受け取ったそうです。そうして清水のように澄んだ声でこう言われたそうです。『殿が逝かれた今、蕨の地を守れるのは私しかおりませぬ。されど人の姿ではそれも叶いませぬ。この身を湖に捧げ、私は竜神へと変化へんげいたします。正信、この碧玉をお持ちなさい。これは我が想い、我が願い。この身が湖に沈んでも我が魂はこの碧玉に宿り、未来永劫蕨の地に慈雨を降らせ続けましょうぞ』我が父正信は湖に消えていく奥方様と侍女を涙で見送ったそうです。その後、父は残された幼い娘と預けられた碧玉を持って蕨の地に戻り、武士の身分を捨て慎ましい余生を送りました。この宿場町を任されたのは私の代になってからです」

「それで、竜神の御利益のようなものはあったのですか」

「はい。日照りが続いて雨が降らない時、榛名湖へ行って雨乞いをすれば必ずこの地に雨が降りました。もっともそれも八年前までの話ですが……」


 八年前、島原の乱終結の年か。どうやら藤左衛門の読みは当たっていたようだな。全てはそこから始まっている。

 八年前、天草から逃れてきた西方の魔がこの地にたどり着き、蕨を守護していた竜神の力を奪ったのだ。その結果、戸田川の水来忌は悪意を持ち、竜神の慈雨も降らなくなった。そうとしか考えられぬ。

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