第二話 戸田の渡しと風車
風車の童
翌朝も快晴だった。中尾宿の脇本陣でしっかり朝飯を食べ、ついでに昼の握り飯も用意してもらったわしら三人は、父たち三人の見送りを受けて元気に出立した。
「スケちゃーん、また会おうねえ」
「はーい。次もご馳走食べさせてねー」
「カクちゃーん、また飲もうねえ」
「
「光右衛門、体に気を付けるのですよ」
「清様もお元気で」
戸田の渡しまでは一里半。のんびり歩いても一刻もかかるまい。二日続いての晴天ならば川留めも解除されているはず。姉には急ぐ必要はないと言われたが、ぐずぐず歩いていては時も銭もかかる。今日こそは上尾宿辺りまで行っておきたいものだ。
「やはり本陣のある中宿は賑わっているな」
於カクは随分と旅慣れているようだ。先日、茶屋の饅頭を知っていたことを考え合わせると、中山道も何度か歩いたことがあるのだろう。
「わあー、立派な榎ね」
中宿を過ぎて上宿に入ると大きな榎が見えてきた。縁切りの御利益があると言われている大六天神社の御神木だ。困るのは悪縁だけでなく良縁まで切ってしまうことだ。嫁入り行列はこの榎の下を避けて通るのが慣例となっている。
「スケ様は中山道を歩いたことはないのかい」
「ないわ。江戸へは東海道を通って来たんだから」
妙だな。生まれは信州の片田舎とか言っていたはずだぞ。どうして東海道を通るのだ。
「えっと、付かぬ事を尋ねるけど、スケ様は江戸へ来る前はどこに住んでいたの」
「ちっ」
まずい。スケ姫の舌打ちは不機嫌の幕開け。藪をつついて蛇を出してしまったか。
「あたしがどこにいたかなんて、あんたには関係ないでしょ。教える必要なんかないわ」
「そ、そうだよね。関係ないよね。変な質問をして悪かった。謝るよ」
「ふんっ!」
どうにも扱いが難しいな、この小娘は。さりとて誰にでも人に知られたくない秘密はあるものだ。かくいうわしも一旦死んでこの異世界に来たことは二人に教えていないのだからな。スケ姫も何か事情があるのだろう。
「一里塚だ」
於カクが指差す方を見ると、縁切り榎ほど立派ではないものの大きな榎が立っている。志村の一里塚だ。これを過ぎれば渡し場までは半里強。次の蕨宿はもう目と鼻の先だ。
「ふ~。じゃ、休憩にしましょうか」
有無を言わさずスケ姫が木陰に腰を下ろしてしまった。おまけに於カクの背負った旅荷から握り飯の包みを取り出している。
「ちょっと、スケ様。それは昼飯だよ。まだそんな時刻じゃないでしょう」
「うるさいわね。お腹が空いたのよ。それに全部は食べないわ。半分だけよ。もぐもぐ」
勝手に食べ始めてしまった。本当によく食う娘だな。わしらの二倍、いや三倍は食べているかもしれん。
「若旦那。我らも休んで水でも飲もう」
於カクが腰を下ろした。三本ある吸い筒の一本をこちらによこす。一里歩くごとに休んでいては大して距離を稼げそうにない。人助けや世直しで時がかかるならまだしも、休んでばかりで旅が遅れては姉や前田家に申し訳が立たぬ。わしは心の中で詫びた。
『姉上、こんな小娘に振り回されている愚かな弟をお許しくだされ』
「何、この子。もぐもぐ」
いつの間に来たのだろう。握り飯を食べるスケ姫の前にひとりの
「母ちゃん!」
「うっ、ごほごほ」
いきなり子供が叫んだ。スケ姫は驚いて握り飯を喉に詰まらせている。
「ほう、スケさんの息子か。言われてみればよく似ている」
「馬鹿言わないでよ、カクさん。あたしまだ一六よ。こんな大きな子がいるわけないじゃない」
それもそうだ。少し頭の緩い子なのかもしれぬな。子供は何も言わずに握り飯を食べるスケ姫を見詰めていたが、食べ終えてしまうと今度は於カクの所へやってきた。
「父ちゃん!」
「なんだと」
驚く於カク。スケ姫がにやにや笑う。
「カクさんの年なら息子がいてもおかしくないんじゃない。そう言えばよく似ているし」
「冗談はやめろ。それに私は女だ。どう頑張っても父にはなれぬ」
まったくその通りだ。この子供、旅人を見付けたら手当たり次第に己の親に仕立てているようだな。
「あれ、男じゃないのか」
そう言うと今度はわしの前にやってきた。しばらく考えた後、
「兄ちゃん!」
などと言う。うむ、これは良い設定だ。女好きの父ならば隠し子の一人や二人いてもおかしくはないからな。
「若旦那さん、生き別れの弟に会えたご気分はいかが」
スケ姫が気持ち悪いくらい丁寧な口調でからかってくる。まさか本当にわしの弟ではなかろうが、放ってもおけないので一応訊いてみる。
「君、名前は。年は。どこに住んでいるの」
「おいらは
そう言ってわしらが向かっている戸田川の方角を指差す。やしち……弥七だろうか。親は何をしているのだ。こんな小さな子供をほったらかしにしておくとはけしからん。
「ねえ、兄ちゃん、おいら、お腹が空いているんだ。何か食べさせて」
なるほど。スケ姫の握り飯を見詰めていた理由はそれか。困っている人を助けるのは閻魔から課せられた役目のひとつ。ここは恵んでやるとしよう。於カクに頼んでわしの分の昼の包みを出してもらう。
「ほら、これをあげるよ。食べたら家に帰るんだよ」
「ありがとう、兄ちゃん」
弥七も木陰に腰を下ろした。美味しそうにパクついている。埃と垢で汚れてはいるが、なかなか愛嬌のある可愛らしい顔付きだ。
「さて、僕らは出発しようか。スケ様、カクさん、行くよ」
「は~い。あ~あ、今日も川留めになってないかなあ」
「スケ様、冗談でもそんなことを言うのはやめて」
まったく、事あるごとに気に障る言葉を吐く小娘だな。無断で休むし、食うし、気紛れだし、この先が思いやられるわい。
しかし考えてみればスケ姫が勝手に休んだからこそ、弥七に出会え、握り飯を施せた、つまりは閻魔に課せられた役目をひとつこなせたわけだ。わしの邪魔をしているようで、実はわしを助けてくれているとも言えるのではないか。ものは考えようだな。
「ねえ、さっきからあたしを変な目付きで眺めているけど、どういうつもり。文句があるならはっきり言いなさいよ」
「んっ、いや、スケ様も意外なところで役に立つんだなあって思って」
「何それ、嫌味? あたしのせいで自分の握り飯が一つ減ったのがそんなに嬉しいの。若旦那ってひょっとして苛められるのが好きなタイプ? 変態ね」
「えっ、あっ、そうなのかな」
ヘンタイとは如何なる意味だ。初めて聞く言葉だ。今様言葉辞書を持参すべきであったな。分からないので適当に返事をしておく。スケ姫は呆れた顔をしてもう何も言わなかった。
「川が見えてきたな」
背の高い於カクは遠目もよく利くようだ。ほどなくわしらは戸田の渡しに到着した。川の水量も勢いもさほど多いとは思えない。これなら渡れるだろう。
「
この渡船場の川会所は北岸にしかない。南岸のこちらには待合と見張りを兼ねた水主小屋、そして渡船
「思ったより少ないな。川を渡っている船は一艘もないし。待たずにすぐ乗れそうだね。あれ、あの子は」
旅人に紛れて場違いな男童がひとり、高札の前に立っている。束ねた髪と腰紐に差した風車。間違いない、弥七だ。
「どうしてここに。握り飯を食べていたはずなのに」
驚きの声を上げる間もなく、わしら三人に気付いた弥七はこちらに向かって走り出した。速い。腰に差した風車が勢いよく回っている。瞬く間に目の前にやって来た。
「えへへ、おいら足が速いんだ。驚いた?」
「驚いたよ。抜かされたのも気付かなかった」
どうやらただの子供ではないようだな。何者なのだろう。
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