嘘にはならぬ嘘

「ならば屋敷へ戻るか、別の狩場へ行けばよいではないか。何故この宿場に留まっているのだ」


 おお、わしの言葉を於カクが代弁してくれたか。この異世界に置いておくには惜しい利発な娘っ子であるな。


「え~、せっかく遊びに来たのに何もしないで屋敷に戻るなんてツマラナイでしょ」

「そうだよお。それに他の狩場へ行くにしても準備ってものがあるんだからね。半日で狩場の支度を整えるのは無理なんだよーだ」

「で、僕らは相談の末、町人に変装して板橋宿で遊ぶことにしたのさあ。お供はみんな帰して二人だけで庶民気分を満喫しようってわけ」

「ついでに僕ら二人の娘でもある清様も呼んじゃった。やっぱり若い子がいなきゃ遊びに華がないからねえ」

「ここの茶屋はその待ち合わせ場所だったのさあ。まさか清様だけでなくスケちゃん、カクちゃんにまで出会えるなんて、今日の僕らは超好運!」

「超果報者!」

「果報は寝て待て。ぐうぐう」

「って、果報が来てから寝る奴があるかい!」


 う~む、これが今様言葉の頂点に立つ二人の会話か。あまりの腑抜けっぷりに聞いているだけで頭がどうにかなりそうだ。しかも声が似ているので目を閉じていると誰が喋っているのかまったく分からなくなる。まあ、誰がどの台詞を喋っていてもどうでもいいような会話なので別段困ることもないが。


「なるほどね。父さん、じゃなかった頼さん。三人の事情はよく分かったよ。じゃあ僕らは先を急ぐからこれで」


 これ以上この三人に関わっていても時間の無駄だ。ただでさえ四日間も無駄に過ごしてしまっているのだ。腹も膨れたしそろそろ行くとしよう。わしは腰を上げた。


「待ちなさいよ、若旦那」


 スケ姫だ。まだ食い足りないとでも言いたのか。


「何かな、スケ様」

「先を急ぐって、どこへ行くつもりなの」

「決まっているじゃないか。次の蕨宿だよ」

「あんた、聞いていなかったの。戸田川は川留めで渡れないのよ。川を渡れなきゃ蕨宿には行けないじゃない」

「あっ……」


 そうであった。あまりにも馬鹿馬鹿しい二人の会話を聞かされてすっかり失念してしまっていた。

 しかしそうなると、これからどうすればよいのだ。今更前田家へ戻るわけにはいかぬ。門を出た途端、塩を撒かれたのだからな。と言って父と一緒に小石川の屋敷へ戻るのも変だ。となれば、


「ここで宿を取るしかないな」


 またも於カクがわしの言葉を代弁してくれた。ここへ来る途中『江戸を発って板橋で宿を取る旅人などいるはずがない』などと考えていたが、まさかその旅人に己がなろうとは誰が予測できたであろうか。


「えっ、カクちゃん、スケちゃん宿を取るの。それなら僕たちも今日はここに泊まっちゃおうっと。ねえ頼ちゃん、いいでしょ」

「あったりまえさあ。清様も泊まるよね」

「そうね。たまには羽を伸ばそうかしら」


 なんだと。この三人も宿を取ると言うのか。姉と父は何とか目をつぶるとしても家光は将軍だぞ。将軍の宿泊場所は親藩や譜代の城、もしくは特別に作らせた専用のお茶屋御殿だ。他の大名と同じように本陣に泊まるわけにはいかないだろう。


「光っちゃん、ちょっといいかな」

「ん、何かな。加賀の商人光右衛門君」


 家光はわしの従兄ではあるが年は二十四も上でなおかつ将軍である。さすがに気を遣わないわけにはいかぬ。耳に口を近付け囁く。


「本当に宿を取るおつもりですか。板橋宿にも本陣はありましょうが、将軍の休まれる場としては相応しくないでしょう。しかも町人の身分のままでは本陣には泊まれませぬ。考え直されたほうがよいのでは」

「全然構わないよ。当主は領民の下僕。だから自分を僕って呼んでいるんだからね。下僕が普通の旅籠はたごに泊まって何の不都合があるんだい。光国君もこの考え方に早く慣れたほうがいいよ」


 せっかくの進言も無駄だったようだ。将軍の意思とあればこれ以上何も言うことはない。

 結局わしらは平尾宿にある脇本陣に泊まることになった。本陣は大名しか泊まれぬが、脇本陣は空きがあれば庶民でも利用を許されている。


「うわ~、こんな立派な旅籠は初めてよ」


 スケ姫は大喜びだ。於カクも顔にこそ出さぬが内心は興奮を抑えきれないように見えた。

 言うまでもなくその夜はうたげである。スケ姫はひたすら料理を平らげ、父、家光、於カクの三人は酒を飲んで大いに盛り上がっている。


「光右衛門は飲まないのですか」


 姉が盃を差し出す。わしは頭を振った。


「閻魔との約束がありますので」

「ああ、そうでしたね。今一度人生をやり直すためにこの異世界へ来たのですものね」


 今夜の姉は妙にしおらしい。落飾して性格まで変わってしまったか。


「今日、板橋まで来たのはあなたたちに会えるかもしれないと思ったからなのです。下屋敷からは毎日使いが来て様子を教えてくれました。雨がやまねば旅立てぬと言って無駄飯ばかり食べ、日中は座敷でゴロゴロしているだけ。そろそろ追い出してもよろしいですかと、いつも進言されていました」


 やはりわしらの行状は姉に筒抜けであったか。父に詰問された時、変に誤魔化そうとしなくてよかった。墓穴を掘るところだったわい。


「今日雨が上がって屋敷を出たと聞き、ひとこと言っておこうと思ってここに来たのです」

「面目次第もありません、姉さん」


 深々と頭を下げる。姉から言い付かった己のお役目を放棄し、四日間も前田家の厄介になっていたのだ。謝るしかない。


「頭を上げて光右衛門、ううん今は光国と呼ばせて。あたしはね、あなたを叱りに来たのではありません。その逆です」

「と言いますと」

「閻魔様に言われたのでしょう。人々を救い、歪んだ世を正し、悪を懲らしめよと。今回の旅の目的は光高さんの死の真相を探ること。でもそれは単なる名目に過ぎない。あなたに課せられた使命を果たす、それが本当の旅の目的。だからどれだけ時がかかっても構わない。ひと月でも半年でも、好きなだけ旅を続ければいい。その代わり困った人がいたら見捨てては駄目。歪んだ振る舞いに気付いたら正し、悪を見付ければ懲らしめなさい。それを言いたくてここまで来たのです」

「姉さん……」


 やはり落飾が姉を変えたか。光高の死をようやく受け入れ、今は安らかな気持ちでそれを弔う気持ちに変わりつつあるのだろう。有難い申し出だ。


「そのお言葉、片時も忘れることなく旅を続ける所存です」

「そんなに気負う必要はありません。自分の手に余るようなら潔く諦めるのも大切です。それより、実はもうひとつあなたに聞きたいことがあるのです」

「何ですか」

「それは……」


 言い淀んでいる。いつも刃物のようにキッパリとした物言いをする姉にしては珍しい。が、すぐに思い直して鋭い眼差しをわしに向けた。


「光国、あなたは今より数十年先の世を知っているのでしょう。清泰院としての私はこれからどうなるのですか」


 全身に冷や水を浴びせられたような気がした。そうだ、わしは姉の生涯を知っている。だが、言えぬ。閻魔の言い付けに背いてもそれだけは言えぬ。重くなった唇を動かしながら、わしは偽りの言葉を吐いた。


「姉上は穏やかな日々を過ごされ、天寿を全う致す。安心召されよ」


 声が震えているのが分かる。拳が震えているのも分かる。わしの返事を聞いた姉は陰りのある笑みを浮かべた。


「昔言葉になっていますよ。嘘が下手ですね、光国。閻魔様に叱られても知りませんよ」


 やはり欺けぬか。わしは昔から嘘をつくのが苦手な性分だったからな。そうと分かってはいても、やはり真実は語れぬのだ。

 今年姉が生んだ次男万菊丸はわずか五歳で夭折し、その七年後、光高と同じ三十歳で姉も世を去る。このような話、言えようはずがない。


「ごめんなさい。つらい思いをさせてしまったみたいですね」


 頭を下げる姉を見て玄蕃の言葉を思い出した。『後の世に何が起きるか知っている、それは若君を利することもあれば害することもある諸刃もろはの剣』今、わしが振るった剣に利はない。害しかない。わしの言葉は姉を傷つけ、返す刀で己までも傷つけてしまった。だが……


「姉上、わしの言葉が嘘か真か、それはまだ分かりませぬ。姉上とてご存知のはず。わしのいた世とこの異世界は起きる出来事が微妙に違っておることを。わしのいた世で姉上が不幸になるからと言って、この世の姉上も不幸になると誰が言えましょうや。それにこの世の光国は旅に出るのです。旅に出て人を助け、世を正し、悪を懲らす。それは前の世では起こり得なかったこと。ならばこの異世界の姉上にも起こり得なかったことが起こるはず。さすればわしが申した嘘は嘘ではなくなるのです」

「光国……そうですね。おまえの言う通りです」


 姉の顔に明るさが戻った。この異世界でわしにどれだけのことができるのか、それはまだ分からぬ。どれほど力を尽くそうと姉の運命を変えることはできぬのかもしれぬ。だがそれでもわしは投げ出したりはせぬ。閻魔から課せられた役目を必ず果たす。それが成し遂げられれば姉の運命もまた変わるに違いない、そう信じて前へ進むのだ。

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