将軍家光御成り

「やあ父さん。お元気そうで何よりだね」


 見付かってしまったのなら仕方がない。わしはできるだけ平静を装って父に話し掛けた。こんな時は不自然に卑屈な態度にならず、堂々としていたほうがよい結果を生むものだ。何を言われても決して悪びれないスケ姫の態度がまさにそれである。


「何よりじゃないよお。屋敷を出て今日で五日目。とっくに北国下街道辺りを歩いているはずなのに、どうしてまだ板橋にいるのかなあ、フ・シ・ギ!」

「そ、それは、えっと……」


 うむ、やはりそう来るか。一番悪いのはスケ姫であるが、我儘を許してしまったわしにも全く非がないとは言えぬ。どう弁解しても父のそしりは免れないだろう。

 それに閻魔との約束もある。不妄語は五戒のひとつ。多少の嘘は大目に見るとは言ってくれたが、ここでの誤魔化しを見過ごしてくれるほど閻魔は甘くないだろう。やはり正直に話すしかない。わしは覚悟を決めた。


「実は……」


 と言いかけたわしの言葉はスケ姫の横槍によって立ち消えになってしまった。


「まだこんな所にいるのは光国、じゃなくて若旦那のせいなの。旅に出るのは雨がやんでからにしようとか言って、ずっと前田様のお屋敷でぐずぐずしていたのよ。あたしとカクさんが早く発とうって言っても、照々法師を六十体も作るばかりで全然腰を上げようとしないし。凄く困っちゃった。でも今日ようやく晴れたので、こうしてここまで引っ張ってきたってわけ」

「ああ、そうなのか。光右衛門のせいなのか。スケちゃんには余計な苦労を掛けさせちゃったね。光右衛門には僕からもきつく言っておくから許してあげてね」

(ふう。なんとか誤魔化せたわね)


 だから聞こえないつもりの独り言はやめないかスケ姫。丸聞こえなのだぞ。

 それにしてもよくこんな作り話を咄嗟に思い付けるものだな。しかも微妙に真実が混ぜてあるので、こちらとしても否定しづらい。まあいい。スケ姫も父も機嫌を損ねず納得できたのなら話を混ぜ返す必要もないだろう。


「嘘はよくないぞ、スケさん。雨が嫌いで旅に出たくないと言ったのはそなたであろう」


 混ぜ返すのはやめようと思った瞬間に於カクが混ぜ返しおったか。この二人、息が合っているのかいないのか、よく分からぬな。


「もう、カクさんったら。そこは聞き流してくれなくちゃ。あ、でもそれを許してくれたのは若旦那なんだから、全てがあたしのせいってわけじゃないはずよ」

「うんうん、そうだね。スケちゃんを甘やかす光右衛門はあるじとして失格だね。許してあげてね」


 どっちにしても悪いのはわしなのか。なんだか馬鹿らしくなってきたな。話を変えるか。


「ところで父さんこそどうしたの。何故こんな場所にいるの。しかも一緒にいるのは将軍様だよね。僕らより父さんたちのほうがよっぽど不自然なんじゃない」

「しっ!」


 いきなり父がわしの口を塞いだ。やはりあちらも身分を隠してのご遊行であったか。どうせ器量の良い町娘に声を掛けたりして遊んでいたのだろう。よし、これで父からわしらの失態を非難されることはないはずだ。同じ穴のむじななのだからな。


「光右衛門君、僕は君の父じゃないよ。遊び人のよりさんだよ。で、一緒にいるのは将軍家光君じゃなくて、同じく遊び人のっちゃんだよ。分かったね。分かったら頷いて」


 口を塞がれたまま頭を大きく縦に振る。頼まれなくてもそのつもりだ。ここで二人が徳川家の当主だと分かれば大変な騒ぎになるからな、と普通はそう考えるものなのだが、スケ姫はそうは思わなかったらしい。


「ええっ、横にいる優男やさおとこは将軍家光なの! 信じらんない。あっ、初めまして。腕は立つのに気は優しい美少女剣士のスケ姫とはあたしのことよ。よかったら将軍家の家臣にしてくれない」


 父やわしだけなく家光まで呼び捨てか。しかも何をちゃっかり売り込んでいるんだ。おまえは旅の供というお役目の途中だろ。


「スケちゃん駄目だって。僕らは遊び人の頼さんと光っちゃんなんだから。ここではその呼び名でお願い。カクちゃんもそれで頼むよ」

「心得た。しかし驚いたな」


 さすがの於カクも驚きを隠せないようだな。将軍に謁見できる人物など大名、旗本を除けば限られている。しかも将軍が御成りになっている時は常に平伏しているので、大名といえども将軍の顔を見ることはほとんどないのだ。

 そんな雲の上の存在が宿場町をふらふらしているのだから、岩のような於カクの心も驚きで一杯だろう。


「ここで私たちが出会ったのも何かの縁。立ち話もなんですし、お饅頭でも食べながらお話しませんこと」

「賛成!」


 姉の言葉を聞いてスケ姫が直ちに反応した。食い物への執着は半端なく強いようだ。


「早く行きましょ。あたしここのお饅頭食べてみたかったの。美味しいって有名なんだよね」


 おまえ、さっき食べたばかりじゃないか。どんな腹をしているんだ。さりとてわしも少々喉が渇いてきた。饅頭は要らぬが茶は欲しいところだ。

 六人連れとなったわしらは茶屋の縁台に腰掛けて話の続きをする。


「で、遊び人の頼さんと光っちゃん、それに髪を落としたせい様は何をしにここへ来たの?」


 一応姉の身分も隠しておいたほうが良かろうと思い清様と呼ぶことにした。わしら三人はこの三人とは赤の他人という設定である。


「あ、それは僕から話すよ。スケちゃん、カクちゃん、初めまして。遊び人の光っちゃんで~す」


 我が耳を疑った。わしの世の家光とは似ても似つかぬ言い回しだ。今様言葉によってここまで腑抜けにされてしまうとは……胸の内で嘆息する。


「ここんとこずっと雨の日が続いていたでしょう。僕も頼さんも気分がクサクサしちゃって、何か面白いことやりたいよねえ~とか思っていたわけ。そしたら今日は朝から晴れ。これはもう外に出て遊ぶしかないでしょう。で、頼さんと相談して鷹狩りをすることにしたんだあ~」

「ふ~ん、鷹狩りね、もぐもぐ。どこでするの、はぐはぐ」


 スケ姫の前には饅頭が山のように盛られている。将軍だけあって財布の紐はかなり緩いようだな。


「次の宿場のわらび宿には昔お城があったんだよ。今は廃城になっているけど僕の爺ちゃんの家康君、じゃなかったやす爺ちゃんが城跡に鷹狩り用の御殿を作ってね。そこで遊ぼうと思って沢山のお供と一緒に出掛けたのさ」


 鷹狩りか。祖父の家康は随分と好んだそうだな。もっとも戦国の世にあっては軍兵鍛錬と領地視察を兼ねた軍事行動という側面もあったのだから、単なる気慰みと見下すこともできぬ。

 しかし江戸開府の翌年、家康が公家の鷹狩りを禁止してしまってからは、徳川家と一部有力大名のみが行なう権威付けのための暇潰しになってしまった。かく言うわしも五十を超えて鷹狩りに励んでおったのだからな。家光や父のことをとやかく言える立場ではない。


「蕨宿は戸田川の向こうにあるでしょ。戸田川には橋が架かっていないから船に乗らないと渡れない。で、船頭さんに『乗せて~』って頼んだら『川留めだあ、渡れねえ』って言うじゃない。もうガッカリしちゃって馬から転げ落ちそうになっちゃった」

「こんなに晴れているのに川の水が多いなんて、ちょっと変じゃない、もぐもぐ」

「秩父で降った雨が江戸まで流れて来るのに時がかかるからねえ。今日一杯は渡れないんじゃないかなあ」

「そうなんだ。グビグビ、ぷは~、美味しかったあ」


 なんたること。山盛りになっていた饅頭が全てなくなっているではないか。さすがは火のスケ姫。野火が枯れ草を焼き尽くすように、スケ姫の食欲は全ての食い物を食べ尽くすようだな。


「で、仕方なく僕たちはここにいるわけ」

「そう、そんなわけで僕と光っちゃんはここにいるのさあ~」


 おい、話を端折はしょりすぎだ。川を渡れないのなら諦めて屋敷に戻るのが筋であろう。どうして町人の格好をして宿場町をふらついているのだ。まだまだ話を聞かねばならぬようだな。

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