相撲対決

 屋敷の中庭に急ごしらえの土俵が作られた。さすがは玄蕃だ、仕事が早い。相撲褌だけを着けた裸の身には四月の風は少々肌寒い。が、明るい日差しを浴びていると気が晴れる。たまには肌を晒すのもよいものだな。


「お待たせ~」


 着替えを手伝っていた姉と一緒に父が姿を見せた。貧弱な裸体に巻き付けた相撲褌が重そうだ。


「あれえ、於カクちゃんは裸じゃないの。ガックリ」


 思いっ切り落胆している。於カクが裸で相撲を取ると本気で思っていたようだ。とは言うものの、放っておけば父の思い通りになったのだから、愚かな妄想と笑い飛ばすこともできぬ。どうなることかと本当に肝を冷やしたぞ。つい先刻、こんなことがあったのだ。


 手合わせは相撲と決まり、父と玄蕃が座敷を出て行くと、あろうことか於カクは股引を脱ぎ始めたのだ。当然わしは止めた。


「うわ、カクさん。どうして股引を脱ぐの。もしかして血迷ったの」

「血迷ってなどいない。手合わせとあらば脱ぐのが当然」


 分からない。何を言いたいのかさっぱり分からない。しかも脱ごうとするのをやめないので、脱がせまいと必死で股引を押さえる。


「ごめん、分かるように説明してくれないかな」

「先ほども言ったはず。私は得物を持たぬ、この体が武具なのだ。例えるなら体が刀身で装束は鞘。鞘をつけたままでは、刀は真価を発揮できぬ。同様に装束を身に着けたままでは私の体も真価を発揮できぬ。だから脱ぐのだ」


 なるほど筋は通っている。鞘から刀を抜くように、於カクも股引と法被を脱ぎ捨てるわけか。


「納得できたか。ならば脱がせてもらう」

「駄目だよ。脱いじゃ駄目」


 納得はできたが承認はできぬ。いくら人目のない中庭とは言っても、素っ裸の娘と相撲は取れぬ。


「何故だ。駄目な理由を言え」


 困った。頼みの綱の玄蕃はいない。こうなれば姉を頼るしかないと座敷を見回せば姉の姿はない。


「あれ、姉さんはどこにいるのかな」


 とつぶやけば、冷めた目でこちらを眺めているスケ姫が教えてくれた。


「カクさんが股引に手を掛けたのを見て、『父さんの着替えを手伝いに行くわ』って言って出て行ったわよ」


 くそ、逃げたか。姉もなかなかにしたたかだな。仕方ない、不本意ながらスケ姫に頼もう。


「スケ様、カクさんを止めて。このままじゃ素っ裸になっちゃうよ」

「好きにさせればいいじゃない。あたしはカクさんが裸になっても全然困らないわよ」

「そこをなんとかお願い。これ、この通り」


 右手で股引を押さえたまま左手を顔の前に立てて深々とお辞儀をする。スケ姫は「仕方ないわねえ」と言いたそうな顔をすると、ようやく重い腰を上げてくれた。


「スケさん、あたしと同じ取り決めで手合わせをするなら、装束を脱いでは駄目よ」

「何故だ」

「あたしは剣を鞘に収めたまま光国の相手をしたのよ。だからスケさんも得物を鞘に収めたまま、つまり装束を身に着けたまま手合わせしなくちゃ。ね、そうでしょう、光国」

「うん、その通り!」

「ほう、スケさんは剣を抜かなかったのか。分かった。ならばこのまま土俵に上がるとしよう」


 助かった。本当は最後の一太刀だけ剣を抜いたのだが、そんな余計なことを言う必要はない。それにしてもスケ姫、意外と頭が切れるではないか。見直したぞ。

 ほっと一息ついているとスケ姫が小声で話し掛けてきた。


「光国、このお礼はそば代で勘弁してあげるわ。今晩も夜そばを食べに行くから、あんたおごりなさい」

「あ、それなら僕が作るよ。これでも蕎麦打ちは得意なんだ」

「へえ~、人は見掛けに寄らないのね。なら頼むわ」


 よし、これでスケ姫と少しばかり仲直りができそうだな。芸は身を助く、蕎麦打ちの趣味があってよかったわい。


 こうして於カクは法被と股引の上から相撲褌を締めて手合わせすることになった。


「まずは殿と於カク様の対戦と参りましょう。この玄蕃が行事を務めまする。両者、土俵に上がられませ」


 玄蕃の呼び出しを受けて、父と於カクが土俵に立った。


「待ったなし。はっけよい、のこった!」

「それえ!」


 掛け声一番、父は張り手を繰り出した。受けて立つ於カク。いや、張り手ではなかった。父の両手は於カクの両乳をしっかりと掴んでいる。


「あれ、どうしてこんなに硬いの……」


 あからさまに落胆する父。於カクの乳は想像以上に硬かったようだ。


「ま、まだまだだよ。乳が硬いくらいで僕はへこたれないからね。それ!」


 今度は褌を取りにいく父。深々と入った両手が褌をがっちりと掴む……いや、違う。掴んだのは褌ではなく於カクの尻だ。


「え、うそ。どうしてお尻までこんなに硬いの」


 見るも哀れなくらい意気消沈する父。一気に力が抜けたのだろう。その場で膝から崩れ落ちてしまった。


「勝負あり。於カク様の勝ち」


 礼をして土俵から下りてきた父は、

「えっと、なんだか疲れちゃったから部屋で休むね。お昼になったら呼んで」

 と言って、そのまま昼まで姿を見せなかった。哀れだが同情はできない。


「次、光国殿と於カク様。土俵に上がられませ」


 玄蕃の呼び出しを受けてわしと於カクが土俵に上がる。


「どすこい!」


 四股しこを踏む。気合いが入る。すぐ負けるつもりだったが気が変わった。於カクの力がどれほどのものか試させてもらおう。


「ほう、光国殿はただの素人ではないようだな」


 分かるか、その通りだ。近頃は江戸でも相撲が盛んで、市中のあちこちで辻相撲が行なわれている。わしも時々飛び入りで参加していたのだ。時には投げ飛ばされ気を失ったこともあった。昔はかなり無鉄砲であったな。


「ならば私も本気を出していくか」


 望むところだ。こっちも全力でいくぞ。


「待ったなし。はっけよい、のこった!」

「うりゃ」


 父と同じくまずは張り手だ。くっ、これは硬い。まるで岩を叩いているようだ。すぐに突っ張りへと変化させる。胸も硬い。とても女体とは思えぬ。これでは父が落胆するのも無理はない。


「うりゃ、うりゃ」


 於カクは少しずつ後退していく。それなりに効いているようだが手が痛くなってきた。次は組むか。


「ふん!」


 右四つになった。わしの得意の型だ。やはり硬いな。しかも重い。渾身の力で押し込むと於カクの体はじりじりと後退していく。反撃は一切してこない。


『これは、ひょっとすると勝てるのではないか』


 そんな考えが頭をよぎった。その油断を於カクは見逃さなかった。頭上で野太い声が聞こえた。


「動かざること山の如し!」

「ぐおっ!」


 あり得ない重量がわしの体にし掛かってきた。於カクの重さではない。わし自身が重くなったのだ。足が地にめり込む。動けない。重すぎる。


『これが於カクの魔の力か』


 もちろん於カクの体も重くなっている。どれだけ力を籠めようとも微動だにせぬ。駄目だ、とても敵わぬ。

 負けを確信したわしは膝を地につけようとした。しかし於カクの両手はがっしりとわしの褌を掴み、膝を折ることすら許してくれない。前には押せぬ。退くこともできぬ。このままでは己自身の重みで立ったまま圧し潰されてしまいそうだ。わしの口から断末魔の悲鳴が漏れる。


「うぐわわわあー!」

「なるほど。分かった」


 不意に体を締め付けていた力が消えた。於カクが術を解いて褌から手を放したのだ。


「良き手合わせであった。光国殿、感謝する」


 於カクは礼をすると土俵を下りた。わしも玄蕃も観戦していた姉も、ただ呆気に取られるばかりだ。ただしスケ姫はそうではなかった。


「ちょっと、カクさん。どうして最後まで取らないのよ。まだ勝負は着いていないわよ」

「これは勝負事ではない。力量を見るための手合わせだ。光国殿の力量は分かった。よって手合わせを終わらせた。スケさん、そなた、嘘を言ったな。あの程度の力量でスケさんを酷い目に遭わせられるはずがない」

「あら、バレちゃったみたいね。ごめーん、許して。でも光国と相撲が取れてよかったでしょ」

「ああ。その点は感謝する」


 嘘がばれても悪びれる様子もなく笑って済まそうとするスケ姫。嘘をつかれたと知っても一向気にせず泰然とした姿勢を崩さない於カク。まるで正反対の二人だが、良い組み合わせかもしれぬな。


「若君、汗をお拭きなされ、風邪をひきますぞ」

「ああ、そうだな」


 手渡された手拭いで体を拭く。こんなに汗をかいたのは久し振りだ。寒く感じていた四月の風が心地良い。


「ちょ、ちょっとカクさん。はしたないわよ」


 姉の声だ。見ると於カクは諸肌を脱いで汗を拭いている。こちらには背中を向けているからいいが、前に回れば大変な光景を見ることになるだろう。


「すまぬ。暑くてかなわぬのだ。術を使ったのは数年ぶりなので忘れていた。術後はひどく汗をかくのだ。これくらいは許してくれ」


 確かにひどい汗だ。手拭いを絞りながら汗を拭いている。背中も一面滝のように汗が流れている。


「カクさん、背中を拭いてあげようか」

「おう、光国殿、頼む」


 玄蕃から手渡された手拭いで於カクの背中を拭く。硬く隆起した筋肉が手に当たる。本当に岩のようだ。


「おや、これは……」


 左右の肩甲骨の間に白いあざを見付けた。面白い形をしている。かえでの葉にそっくりではないか。妙に気になったわしはその痣に左手を近付けた。


「ああ、光国殿、言い忘れていた。もし背中に楓の形をした痣があっても触れないでくれ」


 遅かった。その言葉を聞く前にわしは痣に触れてしまった。


「うわ!」


 突然視界が真っ白になった。於カクの体は湯気に似た白い煙で一瞬のうちに包まれてしまった。驚いたわしはすぐに於カクの体から離れた。同時に黄色い叫び声が聞こえてきた。


「いやーん、だから触らないでって言ったのにいー」


 白い湯気が薄れていく。その中から現れたのは、餅のように白い肌と背中まである長い黒髪を持った、於カクとは似ても似つかぬうら若い娘だった。


「だ、誰なの、君。カクさんはどこへ行ったの」

「於カクはあたしですう。もういやだ、恥ずかしい」


 驚天動地の事態に遭遇したわしは、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。

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