柔よく剛を制す
ほどなくして姉と於カクは三人で戻ってきた。増えた一人はスケ姫だ。ようやく二度寝から目覚めたようだ。
「ホント嬉しいわ。
「私もそうだ。こんな所で火のスケ姫殿に会えるとはな。人の縁とは不思議なものだ」
「ちょっと、スケ姫殿なんてやめてよ。これから一緒に旅をするんだし、スケさんでいいわよ」
「了解した、スケさん」
二人はすっかり意気投合したようだ。しかし雇い主には様付けを強要しておいて、同じ従者にはさん付けでよいのか。どうも納得できぬな。
「股引を履いてきた。これでよいか」
座敷に入った於カクが法被の裾を少しまくって右足を前に出した。確かに股引を履いてはいるが短い。裾をめくらなければ股引が見えないくらい短い。
「よくこんなに短い股引があったねえ。姉さん」
「肌の露出をできるだけ多くしたいって聞かないのよ。探し出すのに苦労したわ」
「かたじけない」
もう少し肌を隠して欲しかったところだが、これで見えることはなくなったのだ。良しとしよう。
「あ、スケ姫ちゃん、ようやく来てくれたんだね。じゃあ於カクちゃんの謁見、始めようか。みんなあ~、座って座って」
少々落胆気味の父の言葉に従って、わしと玄蕃、姉の三人は右の下座、スケ姫と於カクは左の下座に向かい合って座った。股引を履いたことで於カクは以前にも増して男っぽく見える。
しかしこうしてスケ姫と並ぶとその印象は別のものになる。胸だ。女だと思って眺めると分厚い胸板が豊満な乳房に見えるのだ。一方スケ姫の胸は羽子板のように真っ平らだ。その部分だけを見れば
『胸だけでこうも印象が変わるとは。
「ちょっと、光国。あんた今、あたしを見ていたでしょ」
突然スケ姫が大声を上げた。鋭いな。剣の達人ともなれば常に相手の視線を読んでいるのか。
「あ、うん。二人を見比べていたんだ」
「見比べる? 何を比べていたのよ」
「胸だよ。カクさんのふくよかな胸に比べると、スケ様の胸は真っ平らで少年みたいだなあって思っ……うっ、熱い」
三日前、スケ姫に勝負を挑んだあの時の記憶がよみがえった。同じだ。体が熱を帯びてきた。まさか魔の術を使っているのか。スケ姫の両目が赤い。燃えているようだ。
「殺す!」
スケ姫が剣に手を掛けた。尋常ではないほど怒り狂っているのが一目で分かった。胸の話をしたのがまずかったのか。ここは素直に謝るしかない。
「ご、ごめん。真っ平らは言い過ぎだったよ。膨らみかけて破裂した網焼きの餅くらいは……あ、熱い、暑い!」
熱さが一段と激しくなった。額に汗がにじむ。スケ姫の般若のような口からは紅蓮の炎が噴き出している、かのように見える。
「あんた、本気で死にたいみたいね」
「若君!」
玄蕃が抱きついてきた。身を挺してわしをかばうつもりだ。どこまで忠義の心に溢れているのだ、この男は。
「お望み通り冥土へ送ってあげるわ」
スケ姫が剣をこちらに向けた。万事休す。わしは目を閉じた。が、
「きゃああー!」
思い掛けないスケ姫の悲鳴。同時に全身を包んでいた熱が一瞬で消え去った。魔の術が解けたようだ。何が起こったのだ。
「ちょっと、カクさん。何しているのよ、やめてよ」
いつの間にか於カクはスケ姫の後ろに座っていた。そこから両手を前に回してスケ姫の両乳を揉んでいる。
「うむ。柔らかいな。スケさん、乳は大きければ優れている、というものではない。私の乳は確かに大きいかもしれないが柔らかくはないのだ。柔らかさではそなたの乳のほうが遥かに優れている。柔よく剛を制す。私の剛の乳はそなたの柔の乳には勝てぬ。もっと自信を持っていい」
「そ、そうなの。分かったわ。分かったから乳から手を放しなさい」
於カクは乳を揉むのを止め、再びスケ姫の隣に腰をおろした。やれやれ命拾いしたな。今度は機嫌を損ねないように謝らなくては。
「スケ様、ごめん。大きさだけに囚われて乳を判断した僕が馬鹿だったよ。許してくれないかな」
「そうだぞ、光国。乳で大切なのは大きさじゃない、揉み心地だ。スケ姫ちゃん、僕からも謝るよ。愚かな息子を許してあげて」
「いいわよ、もう。これ以上胸の話はしないで」
スケ姫は完全に戦意喪失してしまったようだ。口は災いの元だな。以後スケ姫の前では二度と胸や乳の話題には触れないようにしよう。
「さてと、場も落ち着いたことだし、於カクちゃんの謁見を始めようか。最初はこちらの自己紹介からね。僕は水戸徳川家初代当主頼房君で~す」
「お初にお目に掛かる。此度は旅の供を命じていただき感謝の念に堪えない。身命を賭してお役目を果たすつもりだ」
実に礼儀正しい。スケ姫とは大違いだ。喋り方が昔言葉風で男っぽいのも気に入った。
「スケ姫ちゃんと大姫ちゃんはもう知っているだろうから飛ばして、あれが大老の玄蕃君。あ、あのお爺さんも知っているかな」
「玄蕃殿、その節は世話になった。改めて礼を言う」
於カクが頭を下げると玄蕃も軽く頷いた。やはり今回も玄蕃の紹介か。よく探し出せたものだ。いつかわしが旅に出るのを見越して、一月から供となるべき者を探し始めていたのだろうな。でなければこんな短期間で魔をまとった者を二人も見付けられるはずがない。
「で、最後は光国君。僕の息子で次期当主で今回旅に出ることになった十八歳。前髪を剃られた衝撃で時々おかしくなっちゃうけど、そんな時は頭を叩けば正気に戻るからよろしくね」
「スケさんから聞いている。気の毒な子らしいな。鎌倉武士の霊に憑りつかれ、気が高ぶると昔言葉を喋り、刀を振り回し、奇声を発するのだろう。光国殿、道中の無事はこの於カクが保障する。大船に乗ったつもりでいてくれ」
「あ、ああそうだね。よろしく頼むよ」
なんということだ。話に尾ひれがついて、わしが風狂人みたいに思われているではないか。スケ姫のやつ、父を上回る狂言癖だな。これからあやつの言葉は話し半分に聞いておくことにしよう。
「じゃあ今度は於カクちゃんの紹介をお願い」
「心得た」
於カクは父の前に進み出ると、よく通る声で話し始めた。
「先ほども申した通り、春日於カク、一九歳だ。先祖は武田家家臣春日
やはり武田四天魔の末裔か。どんな魔の力を持っているのだろう。
「生家は武家ではない。信州のとある寺だ。幼い頃は跡を継いで立派な僧侶になろうと文武の修練に励んだ。だが、女に跡は継がせられないと言われて寺を飛び出し、諸国を巡る流浪僧となった。野に伏し山に伏す日々を送り、今年の三月たまたま故郷の信州に戻った時、旅の供を探しているという話を聞き、本日ここに馳せ参じた次第。山伏や虚無僧ばかりと接していたため、喋り方が昔言葉風になってしまった。聞き苦しいかもしれないが許して欲しい」
「あ、それは大丈夫。光国君の今様言葉もすごく聞き苦しいのに、みんな我慢して聞いているから。於カクちゃんも気にしなくていいよ」
「かたじけない。以上だ」
於カクが元の座へ下がる。なるほど、あの体は修行の賜物か。実に頼もしい。これはもうスケ姫は要らないのではないか。於カクひとりがいれば十分だ。
「はーい、これで謁見終了だねえ。じゃあ、ちょっと早いけどお昼に……」
「待ってよ。カクさんの力量をまだ試していないわ」
スケ姫が口を挟んできた。どうにも嫌な予感しかしない。
「力量を試す、どういう意味だ、スケさん」
「そのままの意味よ。あたしの謁見の時は、力量を試すとか言って光国があたしに勝負を挑んできたのよ。だったらカクさんの力量だって試すべきなんじゃないかしら」
「ふむ、それもそうだな。旅の供として相応しい人物かどうか、吟味してもらうのも悪くない。光国殿、一戦お手合わせ願おうか」
於カクがこちらを睨んでいる。指をポキポキ鳴らし始めた。まずいぞ。あんな巨漢と勝負したら腕の一本くらい簡単に折られそうだ。
「あ、あのう、カクさんとの勝負は遠慮しておくよ。試すまでもなく分かるから」
と答えれば、すぐさまスケ姫が頬を膨らませて反論する。
「そんなの不公平よ。私にはあんな酷いことをしておきながら、カクさんには何もしないなんて。あたしの仇を討ってもらわなくっちゃ」
「ほう、火の魔の使い手であるスケさんをそこまで叩きのめすほどの男なのか。ならば手加減の必要はなさそうだな」
(ふふふ、光国。痛い目を見るがいいわ。あたしの胸を馬鹿にした報いを受けなさい)
おい、スケ姫。聞こえていないつもりの独り言が丸聞こえだぞ。それになんという悪人面をしているのだ。
「それでどのようにして力量を試す。私は刀や矢のような得物は持たぬ。この体が私の武具なのだ。さりとて体術の他に棒術、剣術、馬術などの武芸百般はたしなみとして身に着けている。遣り方は光国殿が決めてくれ。私はそれに従う」
「えっ、いや、だからカクさんに関してはその必要はないから……」
「はい、はい、相撲です。相撲がいいです。光国、相撲がいいと言いなさい。それからお父さんも参加させてくださいと言いなさい」
またも父の横槍だ。何を考えているのか訊かずとも分かる。相撲にかこつけて於カクの体に触りたいのだろう。実に情けない。
だが相撲はいいかもしれぬな。投げられた振りをして自ら体を転がせばそれで終わりだ。勝負はすぐに着く。
「相撲ね。じゃあそれにしようか。カクさんも相撲でいいかな」
「無論だ」
「やったあー! じゃあ支度してくるね。玄蕃君、土俵の用意、頼むよ」
父は喜んで謁見の間から出て行った。その後を玄蕃が追う。
「うふふ。楽しみだわ」
スケ姫は相変わらずの悪人面でニヤニヤ笑っている。まあいい、土に
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