第四話 二人目の従者

筋骨隆々娘カクさん参上!

 わしと玄蕃そして姉の大姫は江戸屋敷謁見の間で人を待っていた。上座にはわしの父にして水戸徳川家初代当主頼房が、退屈そうな顔をして座っている。


「あ~、遅いなあ。朝四つまでには来てねって言っておいたのに、全然来ないよお~」


 相変わらず腑抜けた物言いだ。我が父ながら情けなくなる。しかし本当に遅い。どれだけ待たせれば気が済むのだ。待たせているのはただの大名ではない。将軍家の縁戚に当たる水戸徳川家の当主なのだぞ。にもかかわらずこうも簡単に約束を違えるとは、仕方のない娘だ。


「已むを得ませんな。我らだけでお会いしましょう」

「う~ん、でももう一度呼びに行かせてみようか。ちょっとー、誰かいるー」

「ははっ」


 父が声を掛けると控えの家臣が姿を見せた。用件を聞き、礼をして座敷を出て行く。これで何度目だろう。まったく困ったものだな、スケ姫は。


 あの娘が来てから三日目の今日、家光に紹介されたもう一人の従者が屋敷へ来ることになっている。と言うか、すでに来ている。控えの間で待たせているのだ。先刻から我らが待っているのはその従者ではない、スケ姫だ。

 昨日、

「明日、一緒に旅に出る子が来るからさあ、スケ姫ちゃんも謁見の間に来てくれるかな。どんな子なのか、知っておいたほうがいいでしょ」

「は~い、朝四つに行けばいいのね」


 と父には答えていたくせに一向に姿を見せぬ。まだ寝ているのだ。ここへ来てからずっとそうだ。


「えっ、このお屋敷って正室いないの。あ、じゃあ、あたしがその部屋を使うね」


 と言って奥御殿で最も格式の高い座敷を独り占め。朝昼晩の三食の他に昼八つには必ず茶菓子を要求し、夜が更ければこっそり屋敷を抜け出して、最近市中に姿を見せ始めた夜そばを食べに行く。

 そのせいで朝は眠いらしく、朝食が済めば昼近くまで二度寝する。昼食後はたまに木刀を振って鍛錬に励んだりもするが、明るいうちはほとんど座敷に寝転がって絵草紙などを読んでいる。一応読み書き算盤そろばんはできるようだ。


「あ~退屈。早く旅に出たいなあ」


 などと言ってはいるが、どう考えても呑気のんきな暮らしを楽しんでいるようにしか見えぬ。これで本当に旅の供が務まるのかと少々不安に思わないでもない。


「スケ姫様はまだ寝ておられます」


 使いに出した家臣が戻ってきた。思った通りだ。さすがに父も痺れを切らしてしまった。


「もうしょうがないなあ。じゃあスケ姫ちゃん抜きで謁見を始めようか。みんな、それでいいね」


 もちろんわしら三人に異存はない。と言うか、こうなることは分かっていたのだから、さっさと始めればよかったのだ。


「それでは呼んで参ります」


 家臣の使う今様言葉は敬語なら昔言葉と変わらない。それを知った時は安堵した。家臣の言葉遣いにまで腹を立てていては身が持たないからな。


「お客人、お見えになりました」


 障子が開く。家臣が退くと大柄な体が姿を現わし、野太い声が座敷に響いた。


「これから世話になる。よろしく頼む」


 驚いた。目と耳が同時に驚いた。てっきり女だと思っていたのだ。

 三日前、スケ姫歓迎の昼飯が終わった後、わしは玄蕃に訊いてみた。


「それで、二人目の従者もやはり女なのか」

「それは言えませぬ。家光公より口止めされておりますから。ただ、恐らくは若君のご想像通りでしょう」


 こんな答え方では言えないと言いながら言っているのと同じだ。やはりスケ姫と同じく魔をまとった女なのだとわしは思い込んでいた。

 が、今、目の前にいる者の姿、どう見ても女には見えぬ。

 背丈は六尺ほどあろうか。前髪を残し、髷も結っておらぬ短髪。日に焼けた茶褐色の肌。ぶ厚い胸板。なによりその装束が明らかに男だ。二分袖の法被はっぴと腰紐、それだけだ。袴すら着けていない。筒袖から剥き出しになった二の腕には山のような力こぶがそびえ立ち、法被の裾から伸びた太ももは丸太のように太い。


「ま、まるで熊だね。あは、あははは」


 父の顔が心なしか引きつっているように見える。わし同様、女だと思っていたのだろう。だが、これは嬉しい誤算だ。男ならば魔の力は持っていないだろうが、これほどの体格の持ち主ならばそれだけで十分だ。


「いつまでも立ったままではお話もできませんわ。お座りになったら」


 姉は嬉しそうだ。これほどの偉丈夫には滅多にお目に掛かれぬからな。二児の母とは言ってもまだ二十歳前の女子おなご、内心喜んでいるに違いない。


「あ、ああ。では失礼する」


 軽く頭を下げると我らの一番下座、障子のすぐ近くに腰を下ろした。躊躇なく上座に向かって歩いて行ったスケ姫とは大違いだ。口調はぶっきら棒だが、それなりの礼儀はわきまえているようだ。


「私の名は春日かすがカク。年は一九歳。於は漢字だが魔の習わしに従ってカクは片仮名だ」


 おかく、なるほど於カクか……ちょっと待て。今、魔の習わしに従ってと言ったな。ま、まさか……


「あの、ちょっと訊いてもいいかな、於カクちゃん」


 わしと同じ疑問を抱いたのだろう。父がおずおずと口を開いた。


「なんなりと」

「ひょっとして、君、女の子、なのかな」

「そうだ」


 本日二回目の驚きだ。女でも鍛えぬけばこれほどの肉体を持ちえるのか。あるいはこれも魔の影響なのかもしれぬな。

 わしはもう一度於カクを見た。畳に直接胡坐をかいたその姿は、男でも見惚れるような風貌だ。広い肩幅、盛り上がったふくらはぎ、凶悪なまでにたくましい太もも……おや、胡坐をかいた太ももの奥に見えるのは何だ。こ、この娘、まさか……


『は、履いてない!』


 あり得ぬ。下に何も着けないで出歩く娘がどこにいる。わしは玄蕃を見た。見て見ぬふりをしている。姉を見た。両手で顔を覆っている。父を見た。四つん這いになって頬を畳みに擦り付け、懸命に覗き込もうとしている。


『なんたる浅ましさだ』


 あまりの情けに一瞬怒鳴り付けたくなったが、そこはぐっと堪える。しかし父は堪えない。とんでもないことを言い出した。


「あ、於カクちゃん。そこだと遠いから、もうちょっと上座に来てくれないかな。そんで僕の真ん前に座って、大きくお股を開いて座って欲しいんだけどなあ」

「了解した」


 於カクが立ち上がった。本人はまったく気にしていない様子だが、こちらは気になって仕方がない。わしも慌てて立ち上がる。


「待って、於カクさん。君、どうして下に何も着けてないの」

「下? 腰巻を着けろとでも言うのか。法被に腰巻では不自然ではないか。それに私は従者として雇われた身。さん付けは不要。カクでいい」


 そうは言われても、もう一人の従者であるスケ姫を「スケ様」と呼んでいるのだ。さすがに呼び捨てにはできない。こちらはカクさんでいいか。


「あ、じゃあカクさんと呼ばせてもらうよ。で、話を戻すけど腰巻を着けろとは言ってないよ。法被なら股引ももひき、それが嫌ならふんどしくらい履くものでしょう、普通」

「股引も褌も男が履くものだ。女の私が身に着けるべきものではない」

「そうだぞお~。こら光国、女の子に股引や褌を履けなんて失礼なことを言うもんじゃありません。ぷんぷん」


 余計な口を差し挟むなと叱り付けたいところだが、さすがに父に対してそんな真似はできぬ。困ったわしは玄蕃を見た。頷いてくれた。うむ、よく分かっている。後は頼むぞ。


「失礼ながら於カク様。四月になったとは申しても、そのお姿ではお体も冷えましょう。股引を履かれてはいかがですか」


 よし、さすがは駆け引き上手の玄蕃。その調子で頼む。


「いや、私は暑がりでな。真冬でも法被一枚で過ごしている。本音を言えば素っ裸になりたいくらいなのだ」

「さりとて女子おなごがそのような姿で往来を歩けば、何かと不都合があるのではないですか」

「いや、むしろ都合がいい。私はこんな体のせいかよく男に間違われる。そんな時は法被の裾をまくって見せてやるのだ。股に玉が付いていないと分かると、すぐに納得してくれる。この姿は実に都合がいい。そもそも湯屋に行けば男も女もみな裸で同じ湯船に浸かっている。装束など気にする必要はないだろう」

「そうだぞ~、裸の付き合いは大切なんだぞ~。あ、於カクちゃん、僕は法被を脱いでもらっても全然構わないからね」

「ふむ……」


 父の横槍はどうでもいいが、玄蕃が口を閉ざしてしまったのはまずい。そうこうしているうちに於カクが上座に向かって歩き始めた。このままでは父の欲するままに、どんな痴態を演じないとも限らない。と、いきなり姉が立ち上がった。


「於カクさん、この謁見の間ではお尻を直接畳につけて座ってはいけない決まりになっているの」


 おお、よくぞ思い付かれた。さすがはわしの姉。これならば於カクも逆らえまい。


「えっ、いや、そんな決まりはなかったんじゃ……」

「お父さんは黙っていてください!」

「は、はい!」


 父に向って一喝するとは姉もたいしたものだな。まあ娘とは言っても将軍の養女にして前田家四代目当主の正室。それなりの貫禄は備わっている。


「そうか。そんな決まりがあるのなら、この格好はよくないな。しかし私はこの法被の他に装束をもっておらぬ」

「それなら心配ないわ。股引くらい差し上げます。さあ、付いて来て」


 姉と一緒に於カクが出て行く。とにかくこれで一安心だ。わしと玄蕃は互いに顔を見合わせて安堵のため息をついた。一方、父は落胆のため息をついている。


「はあ~。もう、なんだよお。三人で僕の楽しみを邪魔して。つまんないなあ~」


 おまえは何人側室を持っているのだ、いい加減見飽きただろうと言いたくなったが、もちろん黙っていた。

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