魔をまとう者

「そうか、あれでも手加減してくれたのか」


 昼の飯を食べてようやく人心地が付いた。父たちが中庭を去った後、井戸で体の汗を拭い、着替え、玄蕃と二人だけで飯にした。腹が膨れれば気も落ち着く。これで玄蕃の話も冷静に聞けるだろう。


「はい。物言いも態度も傲慢不遜ではありますが、心根は優しい女子おなごなのです」


 スケ姫が最後に放った火球。わしの目には球にしか見えなかったが、実は火球ではなく火円だったのだ。その厚さは極めて薄く、直撃を食らったとしても日焼けのように赤くなる程度のものだったようだ。


「あの娘が言っていた抗魔の武具とは何だ」

「我が家に代々伝わる家宝にて、魔の威力を削ぐ効果があります。と言っても完全には防げませぬ。わしの小袖も少々焦げたようです」

「魔の威力か。まさか魔を武力として使う者がいるとは思わなかった。この異世界はわしが思っている以上に魔が蔓延しているようだな。詳しく話してくれ」

「はい。事の起こりは信長公です」


 またも信長か。聞き飽きたぞ。うんざりしながら玄蕃の話に耳を傾ける。


「西方の魔と大和の魔の対立が深まれるにつれ、両者の魔は新たな方策を取り始めました。魔単体ではなく、人や物の持つ能力、特質を利用して戦い始めたのです。恐らくそのほうが魔の威力を増大させられるからなのでしょう。こうして魔をまとった者、魔をまとった物の数は次第に増えていったのです」


 わしは頷く。人も魔と同じだ。素手で戦うより刀を使ったほうが強い。歩くより馬に乗ったほうが早く遠くまで行ける。魔から見れば人は刀や馬と同じ扱いなのだろう。


「戦国の世において魔の力をまとった者がどれだけいたのか、正確な数は分かりません。ただひとつ分かっているのは、その多くが女だったということです」

「ほう、その理由は何だ」

「女のほうが魔と共鳴しやすかったのではないか、とも言われておりますが確かではありません。もちろん男の中にも魔の力を持ちえた者は少数ながらおりました。信長公は言うにあらず、秀吉公、家康公、また信玄公、謙信公もそうであったと言われております。もっとも謙信公に関しては実は女ではなかったのか、という話もありますので数に入れるべきではないという者もおります」


 女か。魔はこの世ならぬ存在。霊と同じようなものだ。古来より幽霊と言えば女だからな。何か通じるものがあるのかもしれぬ。


「多くの武将は魔をまとった女を見付け出すと正室や側室に迎えました。共に戦場で戦うためです。武田家でも山県、内藤、馬場、春日の四人は魔をまとった女を側室に迎え、戦場へは常に同伴して戦いました。この四人は武田四天魔と呼ばれています」

「そしてあのスケ姫が山県の子孫、というわけなのだな」

「はい。信長公が失脚し伴天連追放令が出てからは、魔をまとう者の力は衰え、その数も急激に減りました。しかし今でも極まれに誕生することがあるのです。スケ姫様は今では残り少なくなった、魔をまとう者のお一人。此度の旅の従者として、これ以上の者はおらぬと思われます」


 今となってはそれも納得だ。これほど心強い旅の供はおらぬ。


「しかしよく探し出せたものだな」

「魔をまとった女は、その証として片仮名の通り名を持っています。魔の世界では真名しんめいを知られることを嫌うようで、魔の習わしとして今も守られております。それに加えてそれがしの祖父が武田家家臣だったこともあり、その筋から何とか見付け出しました」


 ようやく合点がいった。あの娘が最初に己の名を名乗った時点で、父も姉も魔をまとう者だと分かったのだ。片仮名でスケ姫、そう言ったのだからな。だからこそ無礼な振る舞いも高慢な物言いも全て許せたのだろう。知らなかったのはわしだけだった、というわけか。


「しかし玄蕃、おまえも人が悪い。そのような者を相手にしてわしが勝てるはずがなかろう。あの勝負、何故止めなかった」

「申し訳ありませぬ。それがし以前より思っていたのです。若君には魔の力があるのではないか、と。それを確かめたかったのです」

「ほう、何故そう思った」

「閻魔大王様が若君をこの異世界に遣わしたのは信長公を討つため。ならば若君に特別な力を与えられたのではないか、そう考えたのです。男でありながら魔の力をまとった者は、家康公逝去の後、一人も現れておりません。もし若君にその力がおありならば、それだけで名君、いや将軍たりえる器と言えましょう。今はまだ隠されたままのその力が、スケ姫様と対決することで顕在化するかもしれない、そんな老婆心が若君を危険な目に遭わせてしまいした。お許しください」


 そうか。残念ながら閻魔はそこまで優しくはなかったようだ。わしの中に特別な力などない。それはわし自身がよく分かっている。


「期待に沿えず、すまなかったな、玄蕃」

「いえ、悪いのはそれがしのほうです。ですぎた真似をいたしました」


 心が晴れた。考えてみればスケ姫にも悪いことをした。あの娘は尊大に振る舞えるだけの力量を備えていたのだからな。無礼な真似をしたのはこちらのほうだ。


「では、あの娘と仲直りでもするか。わしの大切な旅の供なのだからな」


 玄蕃と共に居室を出る。大広間に入ると父、姉、スケ姫の他に数人の重臣が座っている。膳の上には茶と茶菓子。そろそろ昼の宴も終わりのようだ。


「あっ、光国君のお成りだあ~。ちょうど今、食後のお菓子を食べていたところなんだよお~。二人とも食べるでひょ~」


 父のろれつがおかしい。昼間から一杯やっているようだ。まあいい。これほどの大人物を客人に招いたのだからな。少しは大目に見てやろう。


「はい、いただきます」


 父と並んで座っているスケ姫の横に膳が置かれた。ちょうどいい。わしはスケ姫の隣に腰を下ろし、極めて丁寧な口調で話し掛けた。


「あ、あの、さっきはごめん。僕、君のことを誤解していたみたいで。許してもらえるかな」

「あら、いきなりの手の平返し。でもいいわ。許してあげる。あんな話を聞かされたら許すしかないものね」


 あんな話? どんな話なのだ。なんだか嫌な予感がする。


「えっと、僕について誰からどんな話を聞かされたのかな」

「頼房からよ。あんた、前髪を落とされるのがすっごく嫌だったんでしょう。でも、今年の本元服で無理やり月代を剃られて、頭がおかしくなったんだってね。突然昔言葉を喋りだしたり、自分を鎌倉武士だと思い込んだり、昔の記憶を失くしたり。家臣のみんなも随分手を焼いたみたいじゃない。あたしもね、あなたの今様言葉が不自然過ぎるから変だなあとは思っていたの。ここまで可哀相な子だと知っていれば、もう少し手加減してあげたのにね。前髪を切られたぐらいで挫けちゃ駄目よ。強く生きなさい、光国」


 やれやれ、わしと父の名は相変わらず呼び捨てか。そして父もいい加減な話をしてくれたものだ。きっと父本人がそう思い込んでいるのだろうな。

 何にしてもそのおかげでスケ姫の機嫌が直ったのだから、むしろ感謝すべきかもしれぬ。話を合わせておこう。


「そ、そうなんだよ。本元服の時から調子が良くなくてね。旅の途中でも時々おかしなことを言い出すかもしれないけど、よろしく頼むよ、スケ姫」

「はあ? スケ姫?」


 スケ姫の眉間に皺が寄った。露骨に不機嫌な表情をしている。何か気に障るようなことを言ったのだろうか。


「え、ど、どうしたの」

「スケ姫って何よ。あんた、父親を呼び捨てにするのはけしからんとか言っておきながら、あたしを呼び捨てにするって何?」

「だ、だけど君は僕より年下だし、僕の従者だし」

「年下だから何。従者だから何。あたしのほうが偉いんだから呼び捨てにするのはおかしいでしょう」


 いや、どう考えてもわしのほうが偉いぞ、と反論しても相手にされないのは分かっている。ここは素直に従うか。


「あ、そうだね。ごめん、スケ姫さん。これでいいかな」

「さん、ではなくて様。スケ姫様とお呼び」


 くっ、こちらが下手に出ていれば付け上がりおって。込み上げる怒りをぐっと堪える。このまま言い成りになるのも癪だ。少し抵抗してみるか。


「スケ姫様だね。うん分かった。でもこの呼び方だと僕が君の従者みたいだから、スケ様じゃ駄目かな」

「スケ様ねえ。まあ、いいわ。あたしも姫って呼ばれるのは好きじゃないし」

「ではスケ様。加賀へのお供、よろしくお願いします」

「任せなさい!」


 やれやれ、取り敢えず仲直りはできたようだな。それにしても旅の前からこんな調子では先が思いやられるぞ。わしは大姫の横で茶を飲んでいる玄蕃を見た。嬉しそうに笑っていた。

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