火の魔剣

「な、なによ、いきなり」


 さすがのスケ姫も動揺しているようだ。溜まりに溜まった鬱憤を今こそ晴らしてやる。


「水戸徳川家の当主である父に向かって呼び捨てとは何事ぞ。無礼千万ではないか。己の分をわきまえよ」

「み、光国君、顔が恐いよ。昔言葉になってるし。お、落ちついて」

「落ち着いてなぞいられましょうや。父上も父上です。このような小娘にこれほどのはずかしめを受けて悔しくはないのですか」

「ぼ、僕は別に何とも思ってないよ。って言うか、辱められるのはむしろご褒美だったりして、えへへ」


 駄目だ。ここまで腑抜けていては話にならん。わしは玄蕃に向き直った。神妙な顔でこちらを見ている。


「玄蕃、家光公にこの小娘を引き合わせたのは其方そちであろう。ならば今日どのような者が来るか知っていたはずだ。何故前もって我らに教えなかった」

「家光公がそれを所望されましたので。初対面の印象を大切にするために何も教えるな、と」


 また家光か。如何に忠臣とは言っても将軍の命令とあれば仕方がないな。まったく父と言い家光と言い、この異世界を治めている徳川家の当主はどうなっているのだ。上に立つ者がこんな有様では下々への示しがつかぬぞ。


「それにしてもだ、玄蕃。何故このような小娘を従者に選んだ。無作法、生意気、わしより年下。おまけに女ではないか。年を取り過ぎて人を見る目が曇ったのではないか」

「いえ、本日ここへ参られたスケ姫様ほど、頼り甲斐のある従者は居らぬと思っております」

「そうよ、光国。人を外見で判断するものではないわ」

「光国く~ん、もしかしてお腹が空いているのかな。そろそろお昼ご飯にする?」


 何と言うことだ。父だけでなく玄蕃も姉も、旅の供としてこの小娘を認めているというのか。三人ともどうかしているぞ。


「わしは納得できぬ。こんな小娘のどこにそれだけの力量があるのだ。足手まといになるだけではないか」

「あ~、嫌だ嫌だ。昔言葉で恫喝どうかつすれば何でも自分の思い通りになると思っているんでしょう。だから男って嫌いなのよ」


 それまで黙っていたスケ姫が口を開いた。まったく反省の色が見えない。収まりかけていた怒りが再び燃え上がる。


「恫喝などしておらぬ。わしは真実を語っているだけだ」

「どこが真実なのよ。足手まといになるってどうして分かるの。あたしに言わせれば足手まといになるのはむしろあんたのほうよ、光国」

「こ、この、言わせておけば」


 どうやら言葉で分からせるのは無理のようだ。となれば言葉以外の方法で分からせてやるしかあるまい。


「外へ出ろ。おまえの実力がどれほどのものか、わしが確かめてやる」

「ふふ、いいわよ。やりましょう」


 スケ姫が畳に置いた剣と脇差を掴んだ。姉が悲鳴に近い声をあげる。


「み、光国、おやめなさい」

「止めてくださるな、姉上」

「いいぞ~スケ姫ちゃん。光国君なんかコテンパンに叩きのめしちゃって構わないからねえ~」


 父の言葉は無視して玄蕃に指示を出す。


「わしは木刀で相手をする。支度を頼む、玄蕃」

「ははっ」


 これほど熱くなったのは久しぶりだ。あんな小娘に見下されるとはわしも舐められたものだな。幼少の頃より武芸一般は厳しく叩きこまれている。特に剣術は小天狗流の剣豪、池原玄定げんじょう直伝の腕前だ。痛い目に遭わせるのは気の毒だが、性根を叩き直すためには仕方あるまい。


「若君、これを」

「うむ」


 玄蕃が差し出した紐で袖をたすき掛けにし、木刀を持って庭に下りる。スケ姫はすでに下りていた。手には鞘がついたままの剣を持っている。


「鞘から抜かぬのか。真剣でも構わぬぞ」

「冗談はやめて。そんなことしたら、あんた、死ぬわよ」


 大きな口を叩いていられるのも今のうちだ。向かい合うスケ姫とわしの間に玄蕃が入った。


「どちらかが参ったと言った時点で勝負はあったものとみなす。よろしいか」


 わしもスケ姫も無言で頷く。


「では……始め!」


 木刀を中段に構えて相手を睨み付ける。スケ姫は構えない。右手に剣をぶらさげたままだ。


『あの娘、ヤル気はあるのか』


 じりじりと間合いを詰める。スケ姫は隙だらけだ、どこへ打ち込んでも確実に決められるだろう。腹に溜めた気が高ぶるのを感じながら打突の機会をうかがう。

 スケ姫は剣を構える気配すらない。両手を下げ、脱力し、燃えるような眼差しでこちらを見ている。まるで人の心を焼き焦がそうとするかのような、その瞳……


『……なんだ、これは』


 異変を感じた。熱いのだ。胸が、腹が、焼けるように熱い。わしは右足を踏み出そうとした。何としたことだ。足が動かぬ。高ぶっていた気が逃げ場を失い、腹の中で燃え上がった。熱い、暑い。体の中が燃やされているように熱い。まるで肉体が炎によってかすめ取られたかのようだ。


『うむむ、頭が朦朧とする』


 額から噴き出す汗が頬を伝って落ちる。炎天下の陽炎のようにスケ姫の姿が揺れている。もしや、あの娘は幻術使いなのか。くっ、手に力が入らぬ。木刀が重い。暑さによる倦怠がわしの闘志を萎えさせる。肉体だけでなく精神まで掠め取られたかのようだ。


「若、けなされ!」


 玄蕃の声。我に返るとスケ姫は目前に迫っていた。その剣先は確実にわしの鳩尾みぞおちを狙っている。


『突きか』


 この間合いでは木刀で叩き落とすこともできぬ。引きずるようにして重い体を右へ逃がす。左腕に軽い衝撃を感じる。


「ふっ、その状態でよくかわせたわね。分かっているのよ。暑くてたまらないのでしょう」


 背後からスケ姫の声。向き直り左の袖を見る。破れていた。いや違う。焦げていた。まるで松明たいまつの火を押し当てられたかのように黒ずみ、一直線に裂けていた。


「これならどうかしら」


 スケ姫の剣がゆったりと持ち上がった。あそこから打ち込むつもりか。大丈夫、これだけの間合いがあれば容易たやすく避けられる。わしは再び木刀を構えた。


「ふふ」


 スケ姫は微笑みながら頭上の剣を振り下ろした。その剣先が空に描いた一筋は鞭の如き一条の炎へと変化した。


「なんだと!」


 炎はその身をしならせながらこちらへ伸びて来る。咄嗟に木刀で身を庇う。炎の鞭は木刀に絡みつき、圧倒的な力でわしの手から得物を奪い取ろうとする。焦げ臭い煙が立ち上った。見る間に木刀は炎に包まれた。


「くっ」


 あがなえなかった。木刀は呆気なくわしの手から奪われ地に落ちた。炎はすぐに収まり、わしの足元には真っ黒な消し炭と化した木刀が転がった。


「あらあら、得物を取り落とすなんて武士として失格ではなくて。さあ言いなさい、参ったと。光国、あんたは負けたのよ」


 スケ姫の言葉は嘲笑に満ちていた。わしは唇を噛んだ。悔しかった。情けなかった。相手の力量を見誤っていたのはわしのほうだった。そうだ、わしは負けた。だが認めたくはない。どうあっても言いたくはない。


「どうしたの光国。早く言いなさいよ」


 わしはスケ姫を睨み付けた。参ったと言うくらいなら命を落としてもいい、本気でそう思った。そのわしの意思を汲み取ったのだろう、スケ姫の顔から笑みが消えた。


「そう、どうあっても負けを認めないのね。なら取っておきの技を見せてあげる。冥土で後悔するといいわ」


 スケ姫が鞘から剣を抜いた。その刃身は燃えているように赤い。剣が動くとその剣筋に沿って炎が軌跡を描く。下段に構えられた剣の動きが止まった。スケ姫の声が業火の如く響き渡る。


侵掠しんりゃくすること火の如し!」


 下段から撥ね上げられた剣から火球が放たれた。初めは点のように小さかった火球は、こちらへ近付くにつれて爆発的に膨張していく。


「逃げられぬ」


 これだけの火球を全身に浴びれば命はあるまい。わしは目を閉じた。不意に笑いが込み上げてきた。このまま再び冥土へ行ったら玄蕃は何と言うだろう。情けないと言って嘆くのだろうな、そう思うと可笑しくて仕方がなかった。


「すまぬな、玄蕃。やはりわしには地獄道がお似合いのようだ」

「謝る必要はありませぬ。若君」


 すぐそばで慈愛に満ちた声がした。目を開けると玄蕃の顔がすぐそこにあった。そしてわしの全視界を覆っていた火球は跡形もなく消えていた。


「ちっ、玄蕃ったら。抗魔の武具を持っていたのね」

 スケ姫の悔しそうな声。それに続いて、

「こらあ、玄蕃、余計なことをしちゃ駄目だよおお。丸焦げになった光国君を見たかったのにい」

 という父の声も聞こえる。どこまで本気なのか分からない。


「若君、勝負はつきました。潔く負けを認めるのが名君というものでありましょう。参ったと言ってくだされ」


 忠犬の如き瞳でわしを見上げる玄蕃。どのようにして火球を防いだのかは分からぬ。が、己の身を犠牲にして救ってくれたことだけは間違いない。その忠義の心にわしの意固地いこじは打ち砕かれた。


「参った。わしの負けだ」

「命拾いしたわね。光国」


 スケ姫が剣を鞘に収めた。時鐘の音が響く。昼だ。父がスケ姫に駆け寄っていく。


「あ、ちょうどお昼になったよ。スケ姫ちゃん、ご飯にしようよ。最近水戸徳川家は一日三食制にしたんだ」

「えっ、ホント。嬉しい。実はお腹ペコペコなの」

「今日はね、先日家光君と一緒に鷹狩りした時に捕まえた雉料理だよ。大姫ちゃんも食べるよね。それから光国君……」

「殿、それがしと若君は別室にていただきまする」

「あ、そうだね。それがいいよね。じゃあ、両手に花で行こうか」


 右手にスケ姫、左手に大姫を従えて父は中庭を出て行く。わしは大きく息をつくと玄蕃に向かって言った。


「どうやらそなたから聞かねばならぬ話が沢山あるようだな、玄蕃」

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