加賀の騒動

「光高さんは本当にいい夫だったわ。見た目だけでなく内面も。歌を詠ませれば紀貫之。弓を持たせれば那須与一。舞を舞わせれば静御前。何をやらせても天下一品。それにとっても子煩悩。長男の犬千代丸が生まれた時には、『おお、男の子か。やったね。いま、会いに行きます』という文が届いた三日後にはもう江戸に到着していたのよ。すごいでしょ」


 おいおい、いきなり惚気のろけ話が始まったぞ。聞いていて恥ずかしくなるわい。それにどうして舞の例えが静御前なのだ。女だぞ。おかしくないか。まあとにかく、仲睦まじい夫婦であったのは間違いないようだな。


「お酒も飲まないし、女遊びもしない。前田家四代目当主として健康にはいつも気をつけていた。加賀から江戸までの百二十里を七日間で歩き抜いた男盛りの三十歳。そんな光高さんがお茶会の席で突然倒れて亡くなった。おかしいと思わない、光国」

「う、うん、そう言われてみれば、そうかも……」


 さすがに明確な返答はできない。元の世でも光高の暗殺説は一部で囁かれていた。最もあり得るのは将軍家による暗殺だ。家康は死の間際まで前田家への警戒を解かなかった。光高の父である利常が、臨終の床に就いた家康を見舞った時、「お前を殺すよう何度も秀忠に忠告したが聞き入れなかった。将軍には感謝せよ」と言われたほどだった。

 家康は前田家を怖れたのではない。前田家の人望を怖れたのだ。前田家が反旗を翻せばほとんどの外様大名が従うはず。そうなればようやく掴んだ天下餅が手の平から零れ落ちてしまう、それを危惧していたのだ。

 天下泰平の世に生きているわしらから見れば、単なる老人の杞憂にしか思えぬが、下剋上に明け暮れた戦国の世を生き抜いた家康にとっては、それが当たり前の処世術だったのだろう。


「ねえ、光国。私は真実を知りたいのよ。本当に光高さんの死は仕方のないものだったのか。それとも誰かにあやめられたのか」

「う~ん、でもそれは公儀の仕事だと思うよ。真相を確かめたいんだったら、僕よりも家光君に頼んだほうがいいんじゃないかなあ。将軍とは言っても姉さんの養父なんだから、それくらいのお願いは聞いてくれるんじゃない」

「父も私と同意見なの。徳川家と前田家の確執は今に始まったことではないのだから。すでに城内で聞き取り調査を行なっているわ。それから前田家の内紛の可能性もあるので、公儀隠密を加賀へ派遣したとも言っていたわよ」

「さすが家光君、仕事が早いや」


 徳川の世となって四十年を超える歳月が流れた。が、前田家の家中では今でも徳川家に反感を覚える家臣が多いと聞いている。そんな中、将軍家光と親交が深く、養女の大姫を正室に迎えた光高は、完全に徳川寄りの態度を取っていた。

 将軍家への忠誠心を示すために、今年になって金沢城北の丸に家康を祀る東照宮まで建立している。やり過ぎと言えるほどの親徳川の態度が、あるいは反徳川の家臣たちの怒りを買ってしまったのかもしれぬな。


「家光君が隠密を放ったのなら、僕が加賀へ行く必要はないじゃないですか」

「隠密だからって真相を全て暴けるって保証はないわ。仮に反徳川派の家臣が光高さんを殺めたのだとしたら、前田家は確実にお取り潰しになる。そうならないように必死になって隠そうとするはず」

「それは僕だって同じでしょ。加賀へ行ったところで真相なんか分かりっこないですよ。姉さんは僕に何を期待しているんですか」

「光国、あなた、他の世から転生してここへ来たのでしょう」


 肝が潰れそうになったのは本日二回目だ。まるで当たり前のように平然と言い放った姉を見詰めつつ、どう返答しようかと思案する。取り敢えず茶でも飲んで落ち着こうと、長火鉢の土瓶から茶を注いで飲む。


「ずずっ、ふ~。えっと、姉さんは何を言っているのかな」

「誤魔化してもだめよ。あなたの傅役、玄蕃さんから聞いたの。最初は半信半疑だったけれど、話をしているうちに本当かも、と思い始めた。あなた、きちんと今様言葉を喋っているつもりみたいだけれど、発音が滅茶苦茶なのよ。聞きづらいったらありゃしないわ。まるで門前の小僧がでたらめに経を読んでいるような感じよ。無理しないで昔言葉で喋ったらどう。そのほうが私も気が休まるわ」


 玄蕃か。どんな意図があってわしの秘密を漏らしたりしたのだ。後で問い詰めてやらねばいかんな。

 しかし発音までは気が回らなかった。今様言葉は聞いて覚えたのではなく書を読んで覚えたからな。声の抑揚がでたらめになるのは当たり前だ。言葉は目でなく耳で覚えるに限るな。こうなっては隠し立てしていても仕方なかろう。素直に白状するか。


「いかにも。わしは一旦死んで後、この異世界に生まれ変わった。して、玄蕃からはどれだけの話を聞かされたのだ」

「全てよ。地獄道落ちを撤回してもらうために、この世で人生をやり直すことになったのも。閻魔様の本当の目的が西方の魔の一掃と信長様の討伐にあることも。そして今年、光高さんが死ぬことを知っていたことも……」


 姉の視線が痛かった。第一報を知らせてくれた玄蕃と同じ、恨みと悲しみに満ちている。


「光高の死に関しては何の申し開きもできぬ。許せ。完全に忘れていたのだ。光高よりも己自身のことで手一杯であったのでな」

「別に光国を責めているわけではないわ。たとえ話してくれたとしても信じなかったと思うし、光高さんに教えてあげたところで、その運命を変えることもできなかったでしょうから」


 そう言われると有難い。慚愧ざんきの念が少し薄らぐ。


「それで、わしの転生と此度こたびの加賀行きと、どのような関係があると言うのだ」

「実はね、去年、光高さんは江戸滞在中にこんなことを言っていたのよ。『最近は城内で魔を感じることが多いんだよねえ。特にかわやに現れる魔はかわうばと呼んでみんな怖がっているんだ。あれはたぶん僕が七歳の時に死んだ母、たま姫に仕えていた侍女の魔じゃないかなあ』って」


 珠姫、二代将軍秀忠の娘か。その侍女の話は小耳に挟んだことがある。珠姫の死の原因は侍女にある、そう聞かされた光高の父利常は激昂し、侍女を蛇責めにして殺した。死体を入れた樽は今でも加賀の山中のどこかに埋まっている、そんな話だ。


「伴天連と共にやってきた西方の魔のために、それまで大人しくしていたこの国の魔も悪さをするようになったでしょう。それは今でも続いている。北でも南でも、そして加賀のお城でも」

「ならば光高殿は魔によって殺された、姉上はそのようにお考えなのか」

「そうは言っていないわ。可能性のひとつとしてそれもあり得ると思っているだけよ。魔が関係しているのかどうか、それを光国に探って欲しいの。いくら公儀の隠密でもそこまでは調べてくれないはずだから」


 随分と虫のいい話だ。光高は義理の兄だが、さして親しい付き合いもしてこなかった。それに死の原因を特定したところで、わしには何の益もない。むしろこのまま曖昧にしておいたほうが、将軍家、前田家双方ともに都合が良いのではないか。


「如何に姉上の頼みとは申せ、拙者には荷が重すぎまする。このお話、なかったことに……」

「これは玄蕃の頼みでもあるのです、若君」


 いつの間にか障子が開いていた。開いた障子から見えるのは四月の空、中庭、そして端座している玄蕃だ。


「玄蕃、おまえいつからそこに」

「最初からずっと控えておりました。大姫様をここへ案内したのはそれがしでございますから」


 つまりこれまでの話はすべて聞いていたわけか。ならば話が早い。


「ひとつ訊きたい。何故姉上にわしの素性を教えた。無関係な者を引き込んでも意味はなかろう」

「出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません。されどこれは良い機会だと思ったのです」

「良い機会、とな」

「一月にこちらの世へ参られてから数カ月、玄蕃は毎日若君を見ておりました。書物と講義と修練に埋め尽くされた日々。このままでは信長公討伐どころか、人々を救い、歪んだ世を正し、悪を懲らしめよという閻魔大王様のお言い付けさえ実行できません。若君も悶々とした毎日を過ごしておられたのでしょう」

「う、うむ。そうだな」

「そこへ此度の光高様逝去の知らせ。『これだ!』とそれがしは思いました。今、若君に必要なのは旅です。屋敷の外へ出て、街道を歩き、多くの人々に出会う……閻魔大王様のお言い付けを実行するには、旅が一番と思われます」


 目から鱗が落ちた気がした。そうだ、この世へ来てから今日まで、閻魔から与えられた役目を何一つとして果たせていない。せいぜい井戸の上でプルプルしている水来忌すらいむを成敗したくらいのものだ。

 屋敷にいては駄目なのだ。玄蕃の言うように外へ、世の中へ、人々の中へ出て行かねば、閻魔の言い付けは実行できぬ。よし、決めた。


「感謝するぞ、玄蕃。よくぞこの光国の目を開かせてくれた。何故おまえが姉上に全てを話したのか、その理由がやっと分かった。江戸から加賀までの世直し旅、それこそ今のわしが為せねばならぬこと、そうなのだな」

「はい。仰せの通りです。若君ならば必ずや遣り遂げられると信じております」

「光国、やっとその気になってくれたのね。姉さんも嬉しいわ。詳細な報告を待っているわよ」

「お任せあれ!」


 二人から熱い期待の眼差しを向けられ、思わず照れくさくなってしまう十八歳のわしであった。

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