玄蕃の取り成し

「待たれよ。わしの功績は大日本史編纂だけではない。快風丸の建造と蝦夷地への出航。持ち帰った珍品の数々に家臣も領民も大喜びであった」


 話の内容が不利になった時の打開策はただひとつ、話題を変えること、これしかない。とにかく大日本史については今後一切触れぬようにしよう。

 閻魔はわしの言葉を聞くとまた閻魔帳をめくり始めた。


「ええっと、快風丸……ああ、これも酷かった」


 閻魔の言葉を聞いて胸がギクリとする。


「何が酷いと言われるのか」

「武家諸法度で五百石以上の大船建造を禁止されているにもかかわらず、快風丸は三千石。建造費七千両。年貢だけでは足りず将軍家からも借金。しかも巨木調達のために樹齢数百年を超える神社の御神木まで切り倒す有様。これだけの犠牲を強いておきながら三度しか航行せずに解体。しかも蝦夷まで行ったのは一度だけ。当主の道楽にしては贅沢にすぎるのではないかな」

「うぐぐ……」


 くそ、藪蛇であったか。だが、ここで引き下がるわけにはいかぬ。


「年貢、年貢と言われるが、わしも年貢は納めておる。西山荘の稲田から収穫された米は、取れ高に応じて年貢として納めておったのだ。領民の暮らしをないがしろにしようなどとは思ってはおらぬ」

「ふっ、小賢しい言い訳だな。隠居後も『本日は水戸学の講義を行う』などと理由を付けてたびたび城に登り、その度に盛大な宴会を開いていたではないか。己の納めた米を宴会の形で食っているのだから、結局納めていないのと同じだ」


「お、女に関してはどうだ。わしは最初の妻と死に別れて以後、正室も側室も持とうとはしなかった。かくも一途な男子など滅多にはおるまい」

「妻を持たぬのは大っぴらに女遊びをするためであろう。若い頃から吉原に頻繁に通い、二五歳で女中に手を付け、子ができたと知れば堕胎せよと命ずる薄情者。当主となってからも女遊びが止むことはなく、水戸領内にはあちこちに隠し子がいたではないか」


「た、確かに女に関しては薄情であったかもしれぬ。だが家臣に対してはいつも手厚く接していた。手打ちのうどん、蕎麦だけでなく、拉麺なる食い物まで振舞った。皆、喜んで食っておったぞ」

「主君の手料理をまずいとは言えぬであろう。特に拉麺に関しては口にした誰もが辟易していたようだ。豚の脂が合わずに腹を下した者もいた。おぬしの耳には入らなかったようだが」


「で、では人間ではなく、他の生き物、そうだ、梅の木はどうだ。わしは近所から譲ってもらった梅の木を生涯大切に育て続けたのだぞ」

「梅の木……ああ、あれか。記憶違いをしているようだな。譲ってもらったのではなく盗んだのであろう。梅花記の中でおぬし自らそう書き残しているではないか。頼んでも譲ってもらえぬゆえ、雨の夜、屋敷に忍び込み、手で土を掘り、引き抜き、担いで持ち帰ったと。盗み、妄言、邪淫、殺生、飲酒、邪見、数え上げたらキリがない。おまえのような者のために地獄道はあるのだ」

「……」


 グウの根も出ぬ。完膚なきまでに打ちのめされた気分だ。ずっと名君だと信じていた。誰からも慕われうやまわれる当主だと思い込んでいた。だが、それはわしの独り善がりに過ぎなかったのか。


「なんたることだ」


 体の力が抜ける。わしは白洲のゴザの上に崩れ落ちた。もはや何の申し開きもできぬ。地獄道落ち、受け入れるしかあるまい。


「お待ちください、閻魔大王様」


 白洲の砂利石がジャリジャリと音を立てている。誰かがこちらへ歩いてくるのだろう。ほどなくわしの背中に手が置かれた。手の平の温もりがじんわりと伝わってくる。


「何だ、やぶから棒に。驚くではないか。ええっと、確かおまえは、伊藤、伊藤友玄であったか」

「友玄、まさか玄蕃か!」


 わしは顔を上げた。そこには四五年前に世を去ったわしの傅役、西山荘で小姓を務めていた友輔の祖父である玄蕃の姿があった。


「若君、お久しぶりでござります。この玄蕃、草葉の陰よりずっと若君を見守っておりました。なんとまあ、情けない当主になられたものでしょう。それもこれも傅役としての我が力量が至らなかったためです。お許しくだされ」

「今更そんな愚痴を言っても仕方あるまい。それよりも何故ここにおる」

「近頃は冥土も人手不足でな。ずずっ」


 いつの間にか閻魔は茶を飲んでいた。これだけ多くの亡者の相手をせねばならぬのだ。裁きを中断して一服する暇すらないのだろう。


「その男は冥土へ来て以来、嘆きも怒りもせず終始穏やかに過ごしていた。近頃の亡者にしては珍しく従順ゆえ、良き働きをしてくれるだろうと思い閻魔宮の冥官として採用したのだ。期待に応えてよく働いてくれておる。ずずっ、あ、すまんが茶菓子も頼む」


 閻魔のお眼鏡に叶うとは、さすが玄蕃だな。冥土に来てからもわしを案じてくれていたとは、その優しき心に涙が出そうだ。

 玄蕃は閻魔の前に進み出ると、両手をついて言上した。


「閻魔大王様、確かにこの者の生前の所業を考えれば、地獄道こそが相応ふさわしいかもしれません」

「うむうむ、やっぱりおまえもそう思うだろう。もぐもぐ」


 おいおい、玄蕃、いきなり何を言い出すのだ。そこは否定すべき箇所ではないのか。閻魔も閻魔だ。饅頭なぞ食べながら受け答えしおって。


「されど今一度更生の機会を与えてはいただけないでしょうか。天道へ送って欲しいとは申しません。せめて人間道に落として再び人の世を歩ませ、その行状を以って再度の吟味をお願いしたいのです」


 おお、玄蕃、よくぞ申した。冥土に来てまでも主君を救おうとするそなたの気概、しかと受け止めたぞ。


「若君、さあ、あなた様からも」


 玄蕃が小声で合図を送ってきた。分かっておる。わしもゴザの上に両手をつくと、閻魔に向かって言上した。


「閻魔大王様。この光圀、同じ過ちは二度と繰り返さぬ。もう一度人として生まれ変われたならば、必ずや万民に慕われる名君となってみせよう。この願い、何卒聞き入れてくだされ」

「いやいや、それは無理な相談と言うのもだ。そんな特例を認めたら我も我もと申し出る者が続出して収拾が付かなくなる。諦めて地獄道へ行け」


 お茶と饅頭で元気が出たようだ。閻魔の声に張りがある。それでも玄蕃は諦めようとしない。


「閻魔大王様直属の冥官として昼夜を問わず奉公している、この玄蕃が頼んでも無理と仰られるのですか」

「おまえの働きには感謝しておる。が、こればっかりはちょっと……」

「左様ですか。ならば本日をもって冥官としてのお役目を終わらせていただきます。長年に渡る我が子孫の供養により、すでに六道輪廻を解脱する資格を取得しておりますれば、早々にこの地を離れ、極楽浄土へ赴く所存です」

「な、なに!」


 閻魔の顔色が変わった。明らかに狼狽している。玄蕃がこの冥土でどのような役目を任されているのかはしらぬが、閻魔の慌てぶりを見ると相当重要な役に就いているのだろう。


「それは困る。今、おまえに出て行かれたら閻魔宮は大変なことになる」

「ならば、光圀様の地獄道落ちを取り消し、人間道落ちを了承してくだされ」


 毅然として閻魔に対峙する玄蕃の横顔が眩しい。これほど頼もしく感じたのは初めてだ。閻魔は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが。やがて渋々口を開いた。


「仕方ないな。これ光圀、地獄道落ちは取り消し、改めて人間道落ちを言い渡す。そこでもう一度人として生きてみよ」

「あ、ありがたき幸せ! 必ずや名君となって再び冥土へ戻って参る」


 ゴザに顔をこすりつけて平伏する。頭を上げると玄蕃が満面の笑みでこちらを見ていた。


「よろしゅうござりましたな、若君」

「うむ。そちのおかげだ。感謝するぞ」

「ただし今回は特例ゆえ通常の転生ではない。おまえが行くのは異世界。これまでとは違う世界だ。その世において、人々を救い、歪んだ世を正し、悪を懲らしめ、仏の五戒を踏み外すことなく生を終えよ。さすれば次は天道へ行くことも叶うであろう」

「ははっ、しかと承った。されど仏の五戒は少々きつい。俗を離れた僧侶ならいざ知らず、浮世には酒も嘘も必要だ。少し大目に見てはくれぬか」

「ふむ、確かに五戒は少々きついか。分かった。世を正すために必要とあらば、僅かに道を外れるのも已む無しとしよう。ただし限度はあるぞ。それでよいか」

「はっ。この光圀の全身全霊を傾けてご期待に沿えるよう力を尽くしましょうぞ」

「よし、ではこれにて裁きは終了。本来なら残り五王の審査も受けねばならぬが、今回は特例ゆえ、この閻魔宮で直接転生を行なう。連れていけ」

「立て」


 鬼が右腕を掴んだ。立ち上がったわしに玄蕃が声を掛ける。


「若君、再びお目に掛かる日を待っておりますぞ。必ずや名君となって戻って来てくださりませ。玄蕃はいつでも草葉の陰から若君を見守っておりまする」

「任せておけ。さらばだ、玄蕃」


 鬼と共に裁きの間を出る。すぐ別の間へ入るとそこには梅の木が一本立っていた。


「これは見事な梅だな。おや、枝に止まっているのは」


 ほととぎすだ。冥土を行き来する鳥、わしをここへ連れてきた鳥、その鳥が枝を離れた。同時にわしの体も床を離れた。舞い上がった先に天井はない。わしとほととぎすは無限に広がる灰色の空の中へ、吸い込まれるように飛翔していった。


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