iPod- shuffle

アンディ・アンダーソン

第1話

高速バスは旅行の時に乗るもので、仕事の時に乗るものじゃない。というのがヨウコの持論だった。旅行なら行った先に何があるかを色々想像してみたり、一緒に行く友達と楽しくおしゃべりしながら過ごすことができる。けど仕事の場合、行った先にあるのは仕事だし、運が悪ければ隣に座るのは上司だったりする。幸い今回上司はいないが、ヨウコには一人で何時間も同じ景色を眺められるほどの忍耐はない。メールをやり取りする男もいなければ、本を読む人間でもない。ということで残された選択肢はしっくりくる体勢を常に探しながら眠ることであり、バスに乗った時点でヨウコはそうすることに決めていた。


 窓側の席に座ったヨウコは目の前のi-pod classicを手に取った。眠っている間に鬱陶しくなって引っこ抜くことになるイヤホンを耳に差し込む。再生途中の曲が流れ出した時におかしいことに気付いたが、もう遅かった。


i-pod自体に不自然なところはなかった。色もカバーも自分で選んだシンプルなやつだ。しかし、彼女にはそれを鞄から出した記憶がなかった。


 前の人が置き忘れていったのもしれない、とか、たまたま全く同じ姿形のものが座った席にあったなんてすごい偶然、とか、彼女が思う暇はなかった。その時にはすでにイヤホンから流れてくる爽快なサウンドと、それに乗せて歌う外国語に魅了されていた。何を歌っているのか全くわからなかったが、恋に落ちるのは声とメロディだけで十分だった。外国人が楽しそうに歌うのが頭に浮かんでくるほどだった。


 だから、「そこ俺の席なんだけど」という声が自分に向けて発せられたものだと気付くまでには随分時間がかかった。見ると、自分と同世代くらいの男が通路に立っていた。


「何びっくりした顔してんですか。びっくりしたのは俺だよ。出発まで時間あったから荷物──ってもi-podだけですけど──置いてトイレ行って帰ってきたら知らない女の子が座ってて、しかも俺のi-pod聴いてるし」


 通路を挟んで反対側の席と間違えていたのだ。ヨウコは紅潮した。今までそれしか聴こえなかった外人の歌声が全く耳に入ってこなくなっていた。「すいません」と謝って慌ててイヤホンをもぎ取り、すぐに席を替わろうとしたが、男は「いいよ、俺あっちに座りますから」と立ち上がろうとするヨウコを制した。


「すいません」もう一度ヨウコが謝ると、男は「i-pod」とだけ言って手のひらを差し出した。慌てて返そうとしたが、「違う、それじゃない」という声が飛んできた。


「交換しましょうよ、バスの中だけ。そろそろ自分が選んで入れた曲にも飽きてきてた頃なんだ。それで、バスが到着したらお互いの感想でも聞かせ合いません?」


 ヨウコが困惑していると男は無言で手のひらを突き付けてくる。しかし威圧感はなく、むしろ子供が物をねだっているような印象を受けた。流れのまま自分のi-podを鞄から出して差し出すと、「うわ、俺のと一緒。そりゃ勘違いもしますよね」と言って本来ヨウコが座るはずだった席に座った。


 再生ボタンを押した。イヤホンからはあの外人の爽快な歌声が流れてくる。バスを降りたら、この外人が歌っている歌詞を彼に教えてもらおうと思った。


 いつの間にか仕事のことは頭から吹き飛んでいた。


できるだけバスが長く走ってくれればいいな、と思った。

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