Ⅷ-195 小休止、ホッキョクギツネに寄りかかって。


 鬼ごっこ一週間、四日目。

 朝ご飯の後、一昨日のように遊園地で一時間。


 すっきり休んだ背中を伸ばして、最後の眠気を口から解き放った。


「あ~、よく寝たなあ…」


 昨日の夜。

 ゲームセンターからホテルに帰り、夕食を食べたその後。


 キタキツネはいたく満足した様子で、そのまま部屋で眠りに就いてしまった。


 ギンギツネと違って何事も無く。


 ……本当に、本物だったのかな?


 そんな疑問が湧いてくるくらい、昨日のキタキツネはこう…ある意味で、しおらしい振る舞いをしていた。

 

「なんだかんだ言って…って感じなのかも」


 普段は嫉妬に悪戯にと、中々ひねくれた雰囲気を出しちゃっているキタキツネ。


 だけどやっぱり、根っこの部分は乙女なんだろうね。

 それが分かった昨日のお出掛けは、やっぱり素敵なものだったと思う。



 さて、思い出話はこれまで。


 もうすぐ始まりそうだし、鬼ごっこのことを考えよう。


「多分、前よりは逃げやすいはず…」


 もう僕を捕まえたから、キタキツネとギンギツネはお休み。

 賑やかし兼お邪魔キャラとして、遊園地の中を適当に徘徊するんだって。


 だから、今日僕を追いかけるのはイヅナとホッキョクギツネ。


 そして逃げるのは僕一人だから……うわ、めっちゃ白い。


『スタート、ダヨ』


 今日は頑張ろう。

 案外早く捕まっちゃったから、出来るだけ長く逃げられるようにしよう。


 そんな決意を抱いていた僕。



 …だけど、事件は起きた。

 


 それは、周囲を探ろうと隠れ場所から身を乗り出した時のこと。


「どれど……わっ!?」

「あっ…!」


 曲がり角で誰かにぶつかって、思いっきり尻もちをついた。


 すごく嫌な予感がした。

 なんか、とても聞き覚えのある声が聞こえた気がした。


 恐る恐る、顔を上げると。


「……あはは」

「えっと…これって、どうなるんでしょう?」


 尻尾を振って戸惑いながら…ペタリ。


 優しくとどめを刺すように、ホッキョクギツネは僕の頭に手を乗せた。




 そして、一時間後――――




「ど、どういうことなの…!?」


 絶望の声色。

 怨嗟と嫉妬を孕んだ視線の先に、ホッキョクギツネが座っている。


 彼女の表情は、ホワイトチョコレートのように甘い。

 その甘ったるさが、イヅナの絶望の正体だった。


「ねぇ、どうして…」


 唸る低い声。

 脅しのように光る爪。

 隙あらば突き刺さんと牙を見せ、イヅナは叫ぶ。


「どうして、ノリくんが貴女の膝で寝ているの…!?」

「え、えっと……捕まえちゃい、ました?」


 自信なさげな柔らかい笑み。

 見ている方が不安になるくらい、全く悪意のない表情。


 だけど、イヅナから見たら話は別。


 ホッキョクギツネが浮かべた笑顔は、これ以上なく意地の悪い勝利宣言も同然だった。


「なんで、私ばっかり…?」


 初日は何も出来ず。

 二日間ギンキタのデートを唇を噛んで見つめていた。


 そして今度こそと決意した今日……ホッキョクギツネに先を越された。


「こんなの絶対、おかしいよ…」


 地面にどさりと膝を付き、目元をこすって泣き出すイヅナ。

 イヅナの様子に戸惑い、座ったまま悩むホッキョクギツネ。


 そんな二進も三進も行かない状況の中、僕は。


「ん…むにゃむにゃ…」


 ……ホッキョクギツネの膝に頭を乗せて、すやすやと寝息を立てていた。



 

―――――――――




 数時間後。


「…そっか。悪いことしちゃったかもね」


 ホッキョクギツネに事の顛末を聞いて、ささやかな罪悪感に苛まれていた。


 僕はなにを呑気に眠っていたんだろう。

 イヅナ、今頃きっと怒ってるだろうなあ……


「でも大丈夫ですっ! イヅナさんのことは、わたしがしっかり説得しておきましたから…!」

「すごいね、どうやったの?」


 僕は驚いて身を乗り出す。

 ホッキョクギツネにそんな才能が隠れていたなんて。


「うふふ、聞いて驚かないでくださいっ…!」


 彼女は得意げに胸を張って、手口を教えてくれた。



『今日、わたしがノリアキ様とデートすれば……残りの三日間、全部イヅナさんが一人で好きに出来ますよ』



「…って、言ったんです」

「そっか、一週間あるから」


 今日がダメでも、あと三日。

 しかもライバルが一人もいない。


 多少の妨害なんてイヅナから見れば有って無いようなものだし……確かに、駄々をこねて既成事実を覆すよりは楽そうだ。


「…じゃあ、今日はホッキョクギツネと?」

「うふふ、そうなっちゃいますね」


 気恥ずかしそうに笑うホッキョクギツネ。

 控えめな顔とは裏腹に、彼女の手足は僕を強く抱き締めて離さない。


 そのまま、困ったような声色で、彼女は呟く。


「でもわたし、何をすれば楽しいかが分からなくて……こうして、ノリアキ様といられさえすれば、それが一番の幸せですから」


 僕の頭をまた膝の上に乗せて、今度は顔に尻尾を乗せた。


 尻尾に視界が覆われる寸前。

 目が合って、真っ赤に染まった彼女の頬が見えた。


 ……緊張、してるんだね。


「…もう少し、寝ててもいい?」

「はい。ノリアキ様の心ゆくままに」


 手首を握る。

 血管に添わせた指から、彼女の拍動を感じる。


 ドクドクと激しく感じる脈動は……一秒、また一秒と経つごとに、おもむろにその間隔を長くしていく。


 やがて、すっかり落ち着いた様子のホッキョクギツネ。


「……ふふ」


 僕も安心して、再びの夢に沈んでいった―――




―――――――――




「――――んぇ」

「…あ、お目覚めですか?」

「ん…もう夜…?」

「え? いえ、まだお昼ですが……」


 もふもふ。

 名残惜しいけど顔からどかす。

 すると、世界は突然昼になった。


 寝惚けてるのかな。

 そうだ、暗いのは目元を覆ってるからだね。


 ぐいーっと、背中を伸ばす。

 眠気を身体から一滴残らず絞り出す。


「おはよ……」

「おはようございます、ノリアキ様。よく眠れましたか?」

「うん…ホッキョクギツネの膝が柔らかかったから」


 屋根から透ける太陽は真上。


 お腹が空いてきちゃった。

 ずっと寝てただけなのに、エネルギーは沢山使ったみたい。


 ”じゃあ、向こうに食べに行きませんか?”

 ホッキョクギツネにそう言われて、僕は頷く。


 あはは、やっとデートらしいことが出来そうかも。


 そんな仄かな期待を胸に、レストランを目指して休憩所から出発した。



「久しぶりな気がするよ……こうやって、呑気にしてるのがさ」


 石畳を歩く。


 レストランまでの道を辿りながら、周りの景色を楽しんでいた。

 落ち着いて眺めてみると…素敵な眺望は本当に多い。


 鬼ごっこに明け暮れて――そんなにやってないけど――静かに楽しめなかったことを勿体なく感じるくらいだ。


 それはそれとして。

 こうして気を落ち着けてみるとまた、他のことにも気付いたりする。


 例えばそう……体の衰えとか。


 かなりの間、ぐうたら続きだったツケが回ってきたのだろう。


 合わせて三時間にも満たないような鬼ごっこと二日間のデートだけで、僕の脚はかなりガタガタになっていた。

 

「…あはは。たったの四日なのに、一か月は走り続けた気分だなぁ」

「久しぶりに動くと大変ですよね。わたしも体が鈍っちゃって……それで、最初の待ち伏せも取り逃しちゃいました」

「あぁ、そうだったんだ」


 なんだか、色々と想像できる話だね。

 もしも、ホッキョクギツネの調子が良かったら。


 『三人に同時に捕まえられる』…なーんて、奇跡的なことになってた可能性もあるのかな。



「…着きましたね」


 閑話休題。

 デートに戻ろう。


「お洒落だね、ここもボスが?」

「はい、やってくれてるみたいです」


 扉の前、地面に突き立てられた木の看板。

 赤いビビッドな文字で大きく、『Pizza』と書かれている。


「へえ…イタリアンなお店なのかな?」


 入ってみると、中は質素な木造建築。

 客席は暖かく居心地のいい造りで、窓の外には美しい潮。


 キッチンも覗いてみたところ清潔で、奥の方ではピザ窯が存在感を放っている。


「イラッシャイマセ、二名サマデイイカナ?」

「うん、二人だよ」


 ボスの目がピカピカッと光る。


 今のは呼び出しのサインだったのかな。

 奥から別のボスが出てきて、僕たちの前に立った。


「席マデ案内スルヨ。ツイテ来テネ」


 テクテクと歩くボスの後について席まで向かう。


 でも、ボスは背がとっても低い。


 だから前を向くとボスが見えないし、下を見ると前が危ない。

 この人選……かなり難あり、だね。


「注文ガ決マッタラ、”ベル”ヲ押シテ呼ンデネ」


 メニューを取って、開いて見てみる。

 

「おお、色々揃ってるね…」

「ノリアキ様、わたしにも見せてくださいっ」


 隣に座ったホッキョクギツネと肩をぐいぐい寄せ合って、ワクワクしながら一緒にメニューを読んでみた。


 一番大きく写真が載っているのはやはりピザ。

 なんか製法とか原材料とか色々PRされてるけど…まあいいや。


 次に目に入ったのはパスタ。

 ペペロンチーノにカルボナーラ、それと普通のトマトスパ。

 こっちも、結構良い材料を使ってるらしい。


 ミネストローネとかカプレーゼとか、スープの類も載っている。


 だけど僕の目をもっと引いたのはそう、デザート。


 よく知らないけど、流石イタリア。

 沢山の美味しそうなデザートがあるらしい。


「わたし、この”ティラミス”っていうのが気になります…!」

「ジェラート…ってアイスもあるみたい」


 まだ何にも食べてないのに、デザートで盛り上がっちゃう。


 このままじゃ時間だけが過ぎそうだから、とりあえずメインディッシュを注文することに決めた。


 ポーン。


 ベルを押すと音が鳴った。

 ホッキョクギツネはベルに興味津々。


「…何回も押しちゃダメだよ?」

「はい。ですから次の、デザートの時はわたしが…!」


 あはは、楽しそう。


 程なくしてやってきたボスに、ピザ一枚と二人分のパスタをお願いした。


「オマタセ、先ニ”パスタ”ダヨ」

「これが…カルボナーラ」

「そしてこっちがペペロンチーノ……う、ピリッと来るね」


 フォークを刺して、くるくるくる。


 巻き取ったパスタを口へと運ぶ。


 僕は普通に出来たけど、ホッキョクギツネは手間取っていた。

 手を添えて、一緒に巻き取ってあげる。


 そして、ソース滴るカルボナーラを自分の口へ――


「の、ノリアキ様っ!?」

「あはは、冗談だってば」

「もう、びっくりしてしまいましたよ…?」


 ぷっくら頬を膨らませて、パスタを口に運んでもぐもぐ。

 すると、次にパスタを取ったフォークを僕の口元に差し出した。


「…?」

「もう、食べてくださいっ」


 むぐ。

 半ば無理やりの侵入。


 甘く、コクのあるパスタが口の中を満たした。


「…ノリアキ様のパスタも頂きたいです」

「はい、どうぞ」

「あー……か、からっ…!」


 ペペロンチーノの辛さに悶えて、冷たい水をごくごく喉へ。

 ふうと息をついて額を撫でる姿が、どうしてか魅惑的だった。


「……顔に、何かついてますか?」

「ううん、何でもない」


 僕らが戯れている内に、ピザも出来上がり。

 よく分かんないから定番らしいマルゲリータを選んでみたけど、どんな味かな。


「お、大きい…ノリアキ様、こんなの口に入りませんよ…?」

「だから、で切って食べるんだってさ」

「…なるほど、流石です」

「あはは、僕が考えた訳じゃないけどね…」


 感心するホッキョクギツネに戸惑いながら、ピザカッターを転がしてピザを六等分にしていく。

 

 コロコロ~。

 ふふ、これ結構楽しい。


「よし、切れたよ」

「ありがとうございます……あむ…!」


 ピザをひと切れ、口を大きくして噛みちぎる。

 ぐいっと口からピザを引くと、とろけたチーズが糸を引く。


「……!」

 

 ああ、ホッキョクギツネは可愛いなぁ。

 口からチーズを垂らした姿も、驚きに目を見開いた姿も。


 …本当に、素敵だ。



「ノリアキ様、そろそろデザートにしませんか?」

「そうだね。じゃあ、今度こそ」

「はい、わたしが押しますっ!」


 ピンポーン。


 …ピンポーン。


「…ほ、ホッキョクギツネ?」

「ごめんなさい、ついつい嬉しくなってしまって…」

「…あははっ」

「わ、笑わないでくださいぃ…」 


 注文も、ボタンを押したホッキョクギツネにおまかせした。


 彼女の注文は、大きめのジェラートを一つだけ。

 スプーンも一つにして、一緒に食べたいみたい。


「えへへ…こういうの、憧れだったんです」

「そうだったんだ…はい、開けて」

「うふふ…あーん♪」


 冷たいものを食べさせ合って、どうにも胸が暖かくなって。

 とにかく、ジェラートよりもずっと甘い一時。


 日光の下の雪が融けるように、すっと過ぎ去って終わってしまった。



「…ノリアキ様」


 ボスたちが食器を片づけ歩き回る中。


 ホッキョクギツネが僕の膝に頭を乗せて、つぶらな瞳でこちらを見上げた。


「今度は、わたしがこうしても良いですか…?」

「…もちろん」


 これはお返し。

 僕の尻尾を彼女の目元にあてがった。


「えへへ、暖かいですね」


 両手でもふもふ。

 しばらく遊んで、やがて胸元で抱き締めた。


 窓から照らされた微笑みは、ふわふわと眠たげ。


「おやすみなさい、ノリアキ様」

「おやすみ……ホッキョクギツネ」


 穏やかな寝息。


 頭を撫でた。


 開かれた窓際。


 爽やかな風。


 手を伸ばした。


「くふふ…ノリアキさまぁ…」


 風が、手が。

 優しく、頬を撫でた。

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