Chapter Ⅷ 病んだあの狐を愛してる。

Ⅷ-189 募る未練


 のどかで陽気な春の下。なんて心地の良い空気だろう。


『――い』


 ずっとこのまま、眠っていたい。 


『…おい、神依?』

「……なんだよ、遥都」


 やれやれ、どうして起こすんだ。まだ眠いのに。


『なにって……そろそろ行くぞ。の買い物も終わった』

「…そうか」


 ええと…あの二人……そうか、真夜と雪那か。


 思い出すのに時間が掛かった、バレたら怒られるだろうな。


 にしてもやっぱり、途中で起こされると頭が回らない。


「そういえば、どこに行くんだ?」

『…なあ神依、それはいよいよ寝惚け過ぎじゃないか?』

「うあぁ……仕方ないだろ、忘れちまったもんはさ」


 横を向いたら呆れた目。

 そんなに見たって、何も思い出さないぞ?


『…図書館。宿題に使う図鑑を借りに行く』

「なるほど。確かに、そう聞いた気がしなくもないな」

『はぁ……』


 はいはい。

 これ見よがしな溜め息なんて、俺には聞こえやしませんよ。


 だって、俺は。


『ところで神依』


 ……俺には。



『いつまで、昔を懐かしがってるつもりだ?』



 アイツらと会うチャンスなんて物、二度と巡っては来ないんだから。





―――――――――





 虹色淡い空の下、風吹き草舞う縁側で。


「……ん」


 なんて寝心地のいい床だろう。


 ずっとこのまま眠ったままで……


「起きてください、神依さん」

「……オイナリサマ」

「うふふ、やっと起きてくれましたね?」


 ああ。

 アレは、夢か。


 そうだよな、そうでなくては。


「…んで、どうした?」

「うふふ、もう。お昼ご飯の時間に起こすよう言ったのは、神依さんじゃないですか」


 ああ、確かそうだったか。

 よく覚えてない、そう言ったら、オイナリサマにクスクスと笑われた。


「お昼寝も良いですけど、寝惚けてしまったら逆効果ですよ?」

「ああ、反省してる」


 よりにもよって、あんな夢を見たことも含めてな。


「ところで神依さん」

「…な、なんだ?」


 夢の中の遥都と同じような言い回しに、俺は思わず身構える。


 だけどまあ、言ってしまえばただの悪い予感だ。


 逆立ちしたって当たるわけが……


「どんな夢、見てたんですか?」


 ……外れてくれよ。


「あ、あぁ…まあ、悪夢かな?」

「悪夢……そうですか」


 咄嗟に出てきた言い逃れ。

 効果の程は怪しかったが、無事に追及は逃れられた。


 流石のオイナリサマと言えど、悪夢の内容を追求することは憚られたらしい。

 

 いや、別に悪魔みたいに思ってる訳じゃないが、今までの行いだけに……な?


「では、お昼ご飯をよそってきます。早く来てくださいね?」

「わかった、すぐ行くよ」


 オイナリサマは行ってしまった。

 俺も、あんまり怠けちゃいられないな。


 さっさと立って歩いていって、茶の間でゆっくり食事をとった。


 今日のお昼ご飯は、油揚げ入りのお茶漬けだった。




 その後。

 

 庭に出てきた俺は、ぼうっと空を見上げながら考えていた。


 あの夢のこと。

 この頃よく夢に見る、遥都たちのこと。


 けれどもしかしたら、”真夜たち”と言った方が良いかも知れない。

 それくらい真夜と雪那が出てくる頻度が高い。


 さっき見た遥都がメインの夢は、最近だとかなり珍しい感じだ。



「なんで今更…いや、今だからか?」



 オイナリサマの策略に嵌められた俺は、多くの記憶を失った。

 恐ろしい仕掛けだった、忘れられないトラウマだ。


 あれから与えられたは使っていない。


 だから記憶はあの時のまま。


 それでも、失った思い出の数は数えられない。


 ……数えられるわけが無い。

 

 そして、他の記憶が少なければ少ない程……残されたの記憶が、砂漠を彩るオアシスの緑のように際立って思い起こされるんだ。



「未練がましいな、俺も…」


 

 これまた切っ掛けはあの日。

 俺は激情に任せてオイナリサマに殴り掛かった。


 強い想いという輝きもまた奪われ、今日という日まで再び燃え上がったことは無い。


 しかし、どんな理由ゆえか。


 俺の心を酸のようにじわじわと蝕み続けるこの未練だけは、ゆっくりゆっくりとその勢いを増し続けているのだ。


 どうしてだ。

 今更、こんな俺に何が出来ようか。


 当然思うところはある。



 あの日になる前に、二人の凶行を止める何かが出来ていれば。


 あの日、身を挺してでも共倒れなんて惨劇を止められていたら。


 忘れたいなんて願わなければ。 


 助けてなんて祈らなければ。



「……やり直せたら、どんなに良かっただろうな」



 それが今ある想いの全て。

 

 未来の姿が全く見えない。

 だから俺は、過去の亡霊に取り憑かれている。


 分かってる。もう何も出来ないって。


 イヅナアイツに縋って逃げ出してきたのだって、自分の無力さに気づいていたからだ。


「けど…やっぱり、辛いな」


 俺はまだ悔やんでる。

 過ぎたことだって割り切れればいいが、それが出来ない。


「……そりゃそうか。出来てたら、今頃こんなことにはなってないよな」



 ――だいたいここまでで一セット。



 こんな風にぐるぐる悩み続ける日々を、俺は何十日も続けている。


 ああいや、本当は何日ぐらいだろうな?


 唯でさえ暦と縁の薄いジャパリパークで、軟禁に等しい状況。

 日にちの感覚も、もうほとんど狂いつつある。


「あー、なんかしてーなー」


 多分できる、やる気があれば。

 けど、やる気もで持っていかれちまったよ。


 草むらの中。

 

 大の字に寝転がって日向ぼっこ。

 青空を見上げながら、爽やかな惰眠を貪る。


 またいつもと同じように、無駄に時間を過ごしていく……はずだった。



 そう、今日は少し違った。



 言うなれば運命の変わり目。


 とんでもなく大きな変化の切っ掛けが、いとも容易くもたらされた。



「神依さん、またお休みですか?」



 そう、オイナリサマによって。




―――――――――




「…珍しいな、外に連れ出すなんて」

「うふふ。今の神依さんだと、ずっと結界の中にいたら息が詰まっちゃうかな~…と、思いまして」


 そう言ってクスリと笑う。

 いや、別に誰でも息が詰まると思うけどな。


 しかし……”今の俺なら”ってことは、これから変える気なのか?


「…あら、私の顔に何か?」

「いや、何も」


 ああ、まあ。

 疑うまでも無く、そのつもりに違いないな。


 備えても無駄だし、気楽にいこう。


 ええと、何をするんだろうな?



「けど火山に来てもな……ここって、できることが一番少ない場所じゃないか?」

「ご安心ください、しっかり目的はありますよ」

「…ならいいが」


 久しぶりに来たな、火山。

 前はいつだっけ、下手したらそれも忘れてるのか。


 ま…いいか。

 

 見渡す限り、あらゆる方向から島の景色を楽しめる。


 火口からはサンドスター。

 若干出やすいセルリアン。


 色々と勘案した結果、普通の火山だな。


 何か変わった様子がここから確かめられるということもない。


「こっちにあります、来てください」

「あ、あぁ……」


 オイナリサマの先導に続き、火口の周りを歩く。


 ぐるりと見える景色が移り変わっていく様子が……何というかまあ、素敵だったな。うん。


 …表現力の欠如。


「神依さん、見えてきましたよ」

「おう……え?」


 到着と言われ、オイナリサマが指さした先を見て、言葉を失う。


 ……え、この光景が、現実?


 蜃気楼とか幻とか、化かされてるわけじゃないよな?

 

「あそこが目的地、神依さんへのちょっとしたプレゼントです」

「…マジかよ」


 俺は、火山に緑が生い茂ってるなんて思いもしなかった。


 でも…いや、確かにな?


 ここに来る時、オイナリサマに負われて飛んできたんだけども。

 若干見えてた、下の方になんか緑の場所があるな~って思ってたよ。


 でも、麓の森と重なって錯視みたいになってるんだろうな……って思って放っておいてたんだ。


 ……なんでここに生えてるんだよ、植物。


 チラッと、オイナリサマを見る。

 説明を求めた俺の切実な視線は……


「そのお顔を見るに、疑問は沢山あるのでしょう。ですが、気にしないでください」

「気にするなって…え、本気で言ってるのか?」


 なんか、軽い調子で流されてしまった。


 結構頭に引っ掛かるんだけど、まさか教えない気なのか……


「神依さんがどうしてもと仰るのでしたら、カラクリをお教えすることも吝かではありません。ですが……」


 おほん。

 咳をして、俺の方をチラチラとうかがう。


 ああ、聞き返せってことか。


「…ですが?」

「そうすると若干、グロテスクな表現が…」

「素敵な緑だな、オイナリサマ。見てると、些細な疑問なんてどうでも良くなってくる」

「うふふ、そうですね」


 仕方ない。

 惨たらしいのは苦手だ。

 

 まあ、フレンズを生贄にだとかそのレベルじゃないはずだし、ここは軽く流すとしよう。



「それで、肝心のプレゼントって?」

「そう焦らずに。木の下まで行けばすぐに分かりますよ」


 くるんと背後に回られて、優しく背中を押されて歩く。

 そのまま大きな木の下までやって来た。


 木を見上げた俺は…オイナリサマの言葉の意味を理解した。


「なるほど、これか」


 鮮やかな緑の葉っぱを沢山、これでもかと広げた枝に……果実がなっている。


 その果実は赤く、また時には虹色に輝いて、とにかく普通の果物じゃないことは一目見て分かった。


「どうぞ」


 目配せをしたら、OKのサイン。

 俺は手を伸ばして、その果物を一つ摘み取った。


「…リンゴみたいだな」


 見た目からしてそんな形だったが、こうして手に取るとやっぱりリンゴだ。


 もちろん本物のリンゴとは違っていて、これは若干ぷにぷにしてて不定形。


 ま、こんな不毛の場所で元気に生えるような木の果実だし、それくらいは別にって感じだな。


「で、なんでこれがプレゼント?」

「聞いて驚かないでください! その果実には、非常に多くのサンドスターが内包されています」

「まあ、見るからにな」


 むしろ、サンドスターそのものですよって言われても不思議じゃないくらい虹色に溢れてさえいる。


「そうです。ですから、最近お疲れの神依さんにピッタリの栄養フードになるのではないかと思って……」

「栄養フードねぇ…」


 怪しさ抜群だけど…

 今回は、本当に心配してくれただけだろうな。


 ありがたく頂くとしよう。


「ん……お、結構いい味…!」

「えへへ、いっぱい工夫を凝らしましたから…」


 …工夫ね。


 ただの木に一体何をしたことやら。

 聞くとまたグロテスクになりそうだから追及はしない。


「……折角のお仕事ですもん、ただのエネルギー源じゃ不満でしたからね。上手に活用できてよかったです」

「…ん?」

「あぁ、気にしないでください、独り言です」

「そうか」


 そんなこんなでペロリと一個。

 なんか釈然としない流れだったけどまあ、そんなもんか。


 突然もらったプレゼントは、中々の逸品だった。


 


―――――――――




 ……あれ?


 そういえば、アレって試したっけか。


 ああいや、今迄の話の流れとは全く関係ない。

 だけどふと、思いついたことがある。



 ……俺の能力って、オイナリサマを再現できるのかな。



 よし、やってみるか。


 丁度さっき食べた栄養フードで、必要なサンドスターも足りそうだからな。


 オイナリサマを再現と聞くと仰々しく考えてしまいそうだが、何も難しいことはない。


 いつも通りの再現。

 対象がオイナリサマになっただけ。


「ふっ……!」

「…神依さん?」


 まずは起こす、オイナリサマのイメージを。

 次に構築する、まずは体の中で、彼女の形を。


 これで、前準備は完了。



 そして最後に、外に向けて―――!



「……ぐっ!?」

「か、神依さん、大丈夫ですか!?」



 頭痛に襲われ、一瞬で何処かへと消えたサンドスター。

 失敗へのスイッチは一瞬。


 オイナリサマの再現は、叶わなかった。


 膝を付いた俺は、オイナリサマに背中を擦られながら、失敗の原因を探す。


 果たして、何がいけなかったんだ…?


「神依さん、突然どうして……あ」

「……ん」


 途中まで疑問形だったオイナリサマが、急に合点の言ったように声を出す。


 続く言葉に、俺は度肝を抜かれた。


「ねぇ神依さん、もしかして、私を再現しようとしました?」

「っ…!?」

「うふ、図星なんですね」


 動揺…は、仕方ない。

 問題は、オイナリサマに悪意を感じ取られないかどうか。


 無いけど、あるように思われたらお終いだ……!


「実は、セーフティを掛けておいたんですよ。神依さんが私を再現して、万一にも忘れてしまわないように」

「そ、そうだったのか……」


 説明も頭に入って来ない。

 とにかく無理ってことは理解した。


 それよか、俺が恐ろしいのは……


「今回はただの出来心ですよね? まさか、私を忘れようだなんて…」


 来た。

 もう小細工なんていらん。

 

 全力で否定しなければ。


「ないない! サンドスターがたくさん身体に入って、もしかしたらできるかなって思っただけだから!」

「うふふ、そうですよね……」


 安心したように微笑むオイナリサマを見て、俺も気が緩んで笑ってしまった。


 ハハハ、妙に清々しい気分だ。

 極度の緊張とは、こうも人をおかしくするものだな。




 ……あぁ、さっきの再現未遂でサンドスターをかなり持っていかれた。


 もう一個ぐらい食べて、サンドスターをもう一度補給したいな。



 ……あれ?


 

 なんか、果実が少なくなっているような………



「神依さん、どうぞ」

「え? …あぁ、ありがとう」


 なんだ、オイナリサマが先に摘んでくれてたんだな。

 

 …でも、一個か。


 もっと数があった気がするが…思い違いかもな。


 まあ、今はコレを食べて忘れよう。

 そのうち、また沢山生るに違いない。


 忘れよう。

 食べて、忘れよう。


 あんな未練も、忘れたいけど。


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