Ⅶ-188 神隠し

―――――――――


 ……うるさいな。


 ホームに足を降ろして、真っ先に思ったことがそれだった。



 ここはいつも人で溢れているが、今日はとりわけ足音の量が多い。

 はて、近所で何かの催しでもあったのだろうか。


 後ろの人に押されるように、オレは改札を通らされる。


 …何と言うか、それにしても歩き辛いな。


「はぁ…アイツに引き止められなきゃ、もうちょっと空いたのに乗って帰れたはずなんだがな…」


 だが、もはや全部過ぎたこと。

 電車だってもう降りてしまった。


 ここからは歩いて帰るだけ。

 未だ慣れない、一人暮らしのアパートに向かうだけ。


「……空が赤いな」


 綺麗な夕焼けだ、明日はきっと晴れるだろう。

 助かるな。


 今日の朝はかなり降られて、大学に辿り着くのも一苦労だった。


 まあ、今日の話はもういいだろう。


「ふぅ…」


 肺の空気と一緒に、頭の中も入れ替える。

 そうだった、今日は来週に提出する宿題が出されたんだったな。


 それなりに長いレポートだったし、今日から手を付けた方が良いだろう。


 入学して早々にこんな宿題とは、やはり獣医への道は険しいのだと思わされる。


「……ん?」


 …何だ?


「号外です、号外でーす!」

「おっ……とと、しまったな」


 ボーっとしてたら、いつの間にか新聞を押しつけられていた。

 嵩張るから普段は受け取らないんだが……


 まあ、コレも何かの縁か。読んでみるとしよう。


 オレは近くの柱に背を預け、一先ず大見出しだけ確かめてみることにした。


「………っ!?」


 そして、息を呑んだ。

 見出しに書かれたに、オレの目は釘付けになった。



『現代の!? 突如にして消えた”ジャパリパーク”の島』

 


 ジャパリパーク?

 消えた島?


 そんなのはどうでも良い。


 ただオレは…神隠しという言葉だけは、どうしても見過ごせなかった。


「……神依」


 神隠し。

 ああ、そうだろう。


 天都神依。


 まるで神隠しのように姿を消してしまった親友の名だ。


 まさか、こんな新聞で思い出すことになるなんて。


「一体、何処に行っちまったんだよ……」


 今更オレが何を言おうと、神依はきっと戻らない。

 神依が消えた次の日の台詞を、ただ思い出したように焼き直しているだけだ。


「……ジャパリパーク、か」


 神隠しと言うが、何があったのかは知らない。

 新聞の活字も、今はまともに読めそうにない。


 けど、正体も分からない親しみが湧いてきてしまったことも事実で。


「獣医なら、頑張りゃ行けるか……?」


 どうしてか、オレはそこに行こうとしていた。

 

 神依が消えたあの日から何となくで歩き続けていた。


 そんな俺の道に、妙な光が差してきた気がした。


「……ん?」


 着信だ。こんな時に。

 喋れる気はしないが、一応出なきゃな。


「…もしもし」

『あ、遥都くん! ねぇ、ニュース見た? なんか、ジャパリパークって動物園でね――』


 耳にスマホを当てると、甲高いアイツの声が聞こえてきた。

 全く、まだ話したりないって言うのかよ。


「ああ、それなら丁度号外で見たとこだ」

『そうなんだ! あのね、噂なんだけど、実は――』

「あぁ」


 オレ…これからどうしよう。


 夕日に向かって歩きながら、妙な縁で受け取った新聞のあの見出しがいつまでも気になって、向こうの声も耳に入らなかった。


『聞いてるの、木葉遥都くん?』

「なんでフルネームで呼ぶ? 安心しろ、ちゃんと聞いてるさ」

『……もう、あのね、友達の子が言うにはね――』


 …やっぱり、耳に入らないってのは嘘だ。



 ……うるさいな。





―――――――――





「一体、どういうことですか…!?」


 アイネの叫びが部屋に木霊する。

 その切実な問いに答えを用意できる者はいなかった。


 暫しの冷え切った沈黙ののち、ミライがようやく口を開く。


「……ごめんなさい。何が起きたのか、全く把握できていないんです」

「それでも一つくらい、なにか分からないんですか…!?」


 肩を揺さぶって尋ねる。

 ミライは目を逸らし、横に立つ研究員に判断を仰いだ。


「…せめて、これくらいは」


 彼の答えを聞いて、ミライも決意した。


「どうか、取り乱さないでください」


 そう前置きし、彼女は現状を告げる。



「キョウシュウが……しました」

「なっ……」



 おお、なんと馬鹿げた物言いだろうか。


 だが、他に形容する術はない。


 ミライの言こそが最も簡潔かつ正確に、彼女たちの直面する現状を言い表していた。


「消失なんて、そんな…魔法みたいな…」

「『魔法』……ええ、丁度そんな感じですね」

「……っ」


 アイネは唇を噛み、腕輪をはめた手首をもう片方の手で強く握りしめる。


 鋭く刺すような視線を受け、ミライはまた顔を逸らした。


 何も分かっていないから、誠実になることさえ出来なかった。


「…なんでそんなに冷静なんですか」

「まさか、冷静だなんて…」


 アイネは苛立っていた。

 何より、部屋に居る彼らに目立った焦燥の色の無いことに。


 彼らは、自分のように焦っていないのか。


 まさか、この現状に諦めているのか。


 父親の面影を見つけたとはいえ、彼女は全く満足していない。キョウシュウを再びパークの手に取り戻さねば、彼女の目的は完遂しえない。


「どうして、ここに来て…!」


 セルリアン。

 上層部の反対。

 フレンズたちとのすれ違い。


 幾つもの困難を彼女は想定し、それでも成し遂げると決意した。


 だがこれはあまりにも予想外……いや、そう形容することさえ酷だ。


 考えてもみるべきだ。

 この中の果たして誰が、『目標そのものが消える』事態などというものを想定しうるだろう。



 否。

 なぜなら彼女たちは化かされた。


 だからもう、島の姿さえ掴むこと叶わない。



「詳しく教えてください、何か出来るかもしれません」

「……わかりました」


 頷いたミライの顔は苦い。


 その正体は罪悪感、アイネに現実を突きつけるという残酷な行いへの後ろめたさ。


「……覚悟は、していますよ」

「はい……こちらを、見てください」


 もう、ミライにだって退路はない。

 彼女は今日、決意が伝染することを再確認させられた。


 だから、伝えた。


 この悪い夢の全てを――




―――――




 ミライから全てを聞いた後。

 アイネは自分の考えを整理するため、寮の自室までゆったり歩いて戻ってきた。


 寝室のドアを閉め、重力と柔らかなベッドに身体を預ける。


「…ハハ」


 空気が口より押し出され、笑い声として形を持つ。

 続く溜め息、現状はとても難しいものだった。


 

 


 

 そう形容された現象は、やはりその一言で全て。


 一つ、島の姿が消えた。

 二つ、島の座標に向かっても何も無い。 

 三つ、あらゆる観測機にも反応しない。

 四つ、消えた瞬間すら定かではない。


 何も無い。

 あるのはただ一つ。


 『キョウシュウが消えた』という揺ぎ無い事実。


 この怪奇現象を、マスコミは『神隠し』と称し大々的に報道した。

 

 だがアイネは実に妥当な表現だと思っている。


 こんな冷酷な仕打ち。

 ただの不運とは、自然に起きた現象とは思いたくない。


 どこかに神が居て、悪意を以て自分達からキョウシュウを奪っていったとしか思えない。



 ――そして、その考えは事実である。



「…万事、休す?」


 諦めたくない。

 そんな願望だけが先行して頭の中にある。


 手立てなんて無い。

 いっそ、憎き神様にでも祈るべきかもしれない。


 ……アイネに思いつくところで言えば、四神が比較的頼りやすいだろう。


 彼女には、何処にいるかも分からないが。


「パ……お父さん」


 神様なんてアテにならない。


 アイネは父に祈る。

 今迄と同じように。

 そして今は、腕輪がある。


 これで願いが届くようにと、一層強く握りしめる。



 これからも彼女は努力し続けるだろう。


 これまで通り、キョウシュウに戻って来られる日を夢に見続けるのだろう。


 絶えぬ努力と涙ぐましい物語が、その先に紡がれていくのであろう。



 ……しかしこの物語に、それを描く隙間はない。

 

 だから、この場で断言してしまうことにする。

 


 彼女たちの道は、希望は、閉ざされた。永遠に。




 そして、完全に閉ざされてしまったのは……『神隠し』をした側、キョウシュウのとて、全く同じことであった―――――





―――――――――





 ――『神隠し』の正体とは、簡単に言えば結界だ。



 此度張られた結界は、オイナリサマが神社の周囲に張り巡らせているものと同質。


 唯一違うものを挙げるとするなら、それは結界の規模くらいなもの。


 即ち、神社の様子を思い出しさえすれば……今のキョウシュウがどんな状態にあるかも、容易に予想することが可能。


「…ま、一応メモしておこっか」


 いつか必要にならないとも限らない。

 やむを得ず敵対する可能性だって無いわけじゃない。


 だから、忘れないうちに書き記しておこう。

 

 キョウシュウを覆い隠した『神隠し結界』のことを。


 私は筆を執った。



 ……まずは、一番大事な特徴。


 結界は、中にあるもの全ての姿を包み隠してしまう。


 この島に移転してきた神社も、結界のせいで全然見えなかったよね。


 それと原理は全くおんなじ。

 結界を張った瞬間、この島は周りから観ることが出来なくなった。

 

 今頃外は大混乱かな。

 あはは。

 

 …あと、こっちも重要だね。


 結界のおかげで、誰も中には入れない。


 見えないようにするだけじゃダメ。

 闇雲に入ってこようとする調査隊とかがいるかもだから。



 見えない。入れない。

 これが全て。



「あ、終わっちゃった」


 結界だけど、多分本当にこれだけ。

 他に書くことが残ってない。


 シンプルイズベスト…って、言うんだろうね。


 これ以上なくその言葉を体現した結界は、やっぱり単純だからこそ強力だ。

 

 その性質の単純さゆえに、無駄な解説を弄する隙さえ残っていない。


「…でも、についてなら書けるかな」


 多分だけど、この先何かに使えるとしたらだよね。


 大量のエネルギーを内包した果実。

 もう、この説明だけで色々と使い道を想像できてしまう。


 イマジネーションが高鳴っちゃう。

 

 よーし、すらすらすら~って書いて……終わり!


「ふぅ、こんなもんで良いかな~…」


 毎日毎日外出続き。

 対策の案で頭はいっぱい。


 まあるく解決したんだから、もう余計なブドウ糖は使いたくない!


 パタンとノートを閉じちゃって、ノリくんの部屋まで一目散!


「ノリくん、撫でて~!」

「わわ…イヅナ?」


 ノリくんは座って本を読んでて……ううん、今はどうでもいいよっ!


「ほら、早くしてっ!」

「あはは、仕方ないなあ…」

「えへへぇ……」


 困った顔をしながら、それでもノリくんは優しくしてくれる。

 髪をとかす暖かい手の触り心地が、抱き締めるような眠気を運んで来た。


 うとうとしながらノリくんの顔を見上げると、ノリくんは神妙な顔をして空を見つめていた。


 目元をさすって、私は体を起こした。


「…ノリくん、どうしたの? お空に何かある?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」


 もやもやと、歯切れが悪い。

 訝しむような、自分自身さえ怪しむような口調で、恐る恐るノリくんは言う。


「…ねぇ、イヅナ。お空って、あんなにキラキラしてたっけ?」


 ピクリ。

 核心を突く疑問に体が震えた。


 ……バレてないよね。


 気を抜けば震える声を抑えながら、私はとぼけて見せた。


「……ずっと前から、そうじゃなかった?」

「…そっか。そうかもね」


 納得して頷いて、ノリくんはまた私を撫で始める。


 空がキラキラしてるのは、結界のせいだ。

 結界に使ったサンドスターが、光を跳ね返して輝いてる。


 まさか…気付かれるなんて思ってなかったけど。



「……あれ?」



 気が付くと、ノリくんの手が止まっていた。


「……ぅ…」


 いつの間にか寝ちゃったみたい。

 そっか、今日はいい天気だもんね。


「ずっと一緒だよ、ノリくん」

「…ん」


 耳元でそっと囁いてみると、ノリくんはふっと微笑んだ。


 夢の中で聞こえてるのかな。

 夢にも私が出てたらいいな。


 私も眠ろう、疲れちゃったもん。



 ゆうら、ゆうら。空のキラキラが雲にたなびく。


 ずっとずうっとこんな感じに、ノリくんだけと一緒にいたいな。


 ただ、そう思った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る