Ⅶ-174 会議、遥か彼方の。
「それでは、今の議題に質問のある方はいらっしゃいますか」
ジャパリパークの今後の運営や研究の方針を決める、セントラルで開かれた大きな会議の真っ最中。
会議室の奥、中央の少し高い議席。そこに座った進行が、全体に向けて問いかけた。
その問いに手を挙げる者はいない。
進行を執る彼女は全員の様子を見回し、小さく頷いて会議を進める。
「……では、次の議題に移りたいと思います。
「はい」
「アイネ」と呼ばれた白衣の女性は呼びかけに応じ、長い銀髪を整えておもむろに立ち上がる。
彼女の提案が最後の議題。
若き研究者である彼女がこのような大きな会議で話すことも、提案の内容がギリギリまで隠匿されることも、どちらも非常に珍しいことであった。
だから、彼らはアイネに多大な期待を寄せている。
スクリーンの前に立った彼女が深くお辞儀をすると、大きくハッキリとした拍手が長くの間鳴り響いた。
彼女は身をかがめ、カチカチとマウスを動かしてスライドを表示する。
「……!?」
スクリーンに映し出された文字に、会議室の一同は言葉を失った。
それと同時に、あれほど大層に響いていた拍手も一瞬のうちに鳴りを潜めた。
だが、まだざわめきは起きていない。
紛れなく目に飛び込んできた光の模様の意味を、彼らはまだ受け入れられていない。
「わたくしが提案する議題は、ご覧の通りです」
「それは、まさか…」
進行の絞り出す声に一瞥し、彼女は改めて宣言する。
「わたくし…アイネ・スティグミは、キョウシュウエリアを再び”我々”の保護下に置く計画を、皆様に提案いたします」
そのあまりにも唐突な提案に…会議室は今度こそ、混沌のざわめきに包まれた。
「ま、待ちたまえ! キョウシュウには強大なセルリアンが…」
「そちらこそお待ちください。今から、”キョウシュウへの再進出を行うべきである”…という主張の根拠を、一つ一つ提出する所存です」
「あ、あぁ…」
有無を言わせぬアイネの口調に、真っ先に異議を唱えた初老の研究者は口を閉ざさざるを得なかった。
周囲の者は、そんなアイネの様子を驚きの視線で見つめる。
今この場にいる者たちは皆…アイネ自身を除いて、全員が話の脈絡を掴み損ねていた。
ともすれば、彼女に異議を唱えて説き伏せられるのは自分だったかもしれない。
しかし彼女への反感は起こらず、むしろ感嘆とした空気が充満しつつあった。
彼らは、ジャパリパークを管理する研究者、もしくは飼育員として名を連ねる者たちの一員である。
長きにわたってパークの為に知恵を絞り、時には骨身を砕いて環境の改善に努めてきたのだ。
今の二、三言のやり取りで、アイネが論理的な根拠を以てこの計画を立案したことを彼らは確かに理解した。
だから、静かに彼女の言葉に耳を傾けんとする。
その光景は先程までとは違う。
彼らの目には確かな希望があった。
かつて自分たちの力不足によって手放さざるを得なかったキョウシュウを――見捨てざるを得なかったかの地のフレンズたちを――今一度守護する機会が、目の前にあるから。
その可能性を、ハッキリと目の前に差し出したから。
アイネは、この場の空気を支配した。
「まずは、現状に至る経緯を改めて確認させていただきます」
クリックでページが捲られる。
スクリーンに、キョウシュウエリアの空撮写真がその姿を見せた。
このエリアの象徴ともいえる巨大な活火山。
サンドスターによって生み出された、多様性に富んだ気候と鮮やかな景色。
そして、島を取り囲む宝石のような群青の海。
ここにいる彼らの多くは何の偶然か、過去にキョウシュウエリアに配属されていたパークの職員だった。
そんな彼らは懐かしき日の思い出に浸り、そうでない者もキョウシュウの壮大な自然に目を奪われる。
想いは一緒だった。
『なぜ、この美しい島を手放さなければならなかったのだろう』
アイネは彼らの無言の反応に手ごたえを感じながら、プレゼンを続ける。
「皆様の記憶にも未だ新しいでしょう。かつてキョウシュウエリアに、我々の力では対処不可能なセルリアンが出現しました」
アイネは心苦しいような表情を浮かべ、次のスライドを映す。
すると瞬く間に、彼女と同じ表情が部屋中の人間に伝染していった。
巨大なセルリアンの写真。
彼らにとってこの姿は、やはり嫌な思い出の他に意味を持たないのだろう。
「我々は…キョウシュウからの撤退を余儀なくされました。それが、今から十年ほど前の出来事です」
スライドを流していく。
そこには、彼女が語ったより数倍は詳しい成り行きが記されている。
時間を掛けて、丁寧にまとめたのだろう。
そんな大量の情報を抱えたスライドの数々を、彼女は一瞬のうちに過去のものとする。
その姿の中に何か強い想いを見つけてしまうことも、決して過ぎた妄想ではない。
彼女はやがてスライド送りを止め、大きく『展望』とだけ書かれたスライドを皆に見せながら言葉を紡ぐ。
「…ですが、やはり飽くまでそれは十年前の話です」
「今は…違うと?」
輝かしい確信を目に湛え、彼女は肯く。
「だが、今でもセルリアンが闊歩している可能性だってある…そうだろう?」
「それも、可能性としては考えられます。ですが、そろそろ…良いんじゃないでしょうか」
「”良い”とは…何が?」
「”逃げること”です。我々は逃げました、連れていけない決まりとは言え、フレンズの皆さんを置いていきました。そのまま…十年も経ってしまいました」
会議室が、水を打ったように静まり返る。
紙をめくる音一つ聞こえない。
アイネは空気を噛み締める。これほど雄弁な沈黙を未だかつて彼女は聴いたことがない。
もっと雄弁に、そして朗らかに、キョウシュウについて話せるように。
続ける、未来の為に。
「例えセルリアンがいたとしても、備える時間はあります。結果がどうなろうとキョウシュウの現状を見届ける。例えそれだけでも、すべきではないのですか?」
ぽつぽつと彼女の言葉に反応し、同意の仕草を見せる者たち。
概ね肯定的な態度を見せつつも、計画の是非には目を光らせている者たち。
しかし、掲げられた目的に反対する者は見当たらない。
「それでは次のスライドから、具体的な段取りについてお話します」
アイネはこの一日でもう何度目だろうか、自らの提案が受け入れられているという実感を得ていた。
この提案は会議が終わる瞬間まで参加者の心を掴み、その噂は瞬く間にパークのあらゆる場所に広がり、アイネはセントラル中の職員たちから”センセーション”とも呼ぶべき大きな後押しを受ける。
そして、わずか数週間で編成された第一調査隊がキョウシュウへと船を発たせるその時になっても、とうとうその熱が冷めてしまうことは無かった。
―――――――――
「アイネさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ご同行頂きありがとうございます。ミライさん」
キョウシュウへと航行する大きな船の中。
例の会議で熱狂的な支持を受けたアイネと、そして動物に熱狂的な愛を注ぐミライが出会い、目を合わせて手を握り合った。
「噂はかねがねお聞きしています。…なんでも、会議室の全員を説き伏せてこの計画を通してしまったとか」
「あはは、それは大袈裟ですよ。これはみんながキョウシュウという島をとっても大切に思っていたからこその結果だと、わたくしは思います」
「うふふ。ええ、そうでしょうね…!」
「それにまだ挑戦の段階です。結果は、これから確かめに行くんですから」
その後も、アイネとミライはこの先に待ち受ける出会いや苦難を想像し、朗らかに語り合って意気投合した。
二人とも、今回の調査の重要なポストに就いている。
目的地に足を踏み入れる前から、チームの上に立つ彼女たちの関係は良い感じだった。
「ところでアイネさんは、キョウシュウにどんな思い出が?」
「え、わたくしの思い出ですか…?」
「私は、撤退の寸前までキョウシュウでパークガイドをやっていました。最後の時にも、ラッキーさんに色々なものを託して……だから、あの島への思い入れも深いんです」
窓から碧を見つめるミライ。
彼女の目には、古い友人に会いに行くような懐かしさがあった。
瞼を閉じ、網膜に焼き付けた景色を咀嚼するように堪能した後、ミライはアイネの目を見て尋ねた。
「アイネさんも、あなたが言うように…『キョウシュウと言う島をとっても大切に思って』いるから、その力を持った言葉で、ここまで漕ぎ付けられたんでしょう?」
「わ、わたくしは……」
アイネは口籠る。
あの会議での溌剌さとはかけ離れた様子だ。
ぱくぱくと声なき声を発する彼女の口は、やはり彼女が腹に抱える何かの存在をハッキリと示していた。
「…ごめんなさい」
「あら、どうして謝るんですか?」
「必ず話します。いつか、その時が来たら…」
口を抑える姿は、吐き出しそうになる衝動を抑えるかのよう。
想像以上に思い詰めたアイネの仕草に、ミライはチクリと罪悪感が心に刺さるのを感じた。
「…分かりました。その時は、しっかりとお聞きしましょう」
「ありがとう…ございます」
アイネは外を見る。
ミライが見た時と同じ、碧が一杯に広がっている。
海の反射の中に、微かな虹色が見えた。
それは果たして希望となるか。
清濁全て併せ吞む、果ての見えない虹だった。
「…ミライさん。到着してからの予定を、もう一度確認しておきませんか?」
塩辛い想いを飲み込んで、アイネはゆったり微笑む。
黒い船は進む。
すっかり姿を変えたキョウシュウへと。
きっと彼らの中では、キョウシュウは思い出のままだ。
あの島の時間は、立ち去ったあの瞬間で止まったままなのだろう。
けれど…時間は進む。
諸行無常の響きの侭に、ヒトに、キツネに、変えられる。
もう、思い出のキョウシュウの姿を見ることなど出来ない。
彼らが湛えた郷愁は、叶うことなきノスタルジアだ。
黒い船は進む。
過去に向けて、時代錯誤を腹に抱えて。
時代遅れの黒船が、キョウシュウへ舵を取っている。
―――――――――
草葉が風に舞い鳴らす、淡き歓迎のファンファーレ。
アイネは調査隊の先導を執り、十年ぶりの港に両の足を付けた。
「懐かしい…ついに、戻ってきたのですね…」
彼女の目は、見上げた火山の輝きに釘付けになっている。
ただ見惚れているだけでないことは、先程のやり取りを見れば明らか。
見ようによっては昏い色が、瞳の奥を染めている。
「それでは皆さん、計画通りに。まずは、研究所にアクセスして現状を確かめましょう」
「了解しました。グループA、出発してきます」
数人のまとまりがその場を離れ、港には一時的な本部が設営された。
休憩スペースも用意され、研究所の起動が確認されるまで、残った調査隊のメンバーはここで船旅の疲れを癒すことになる。
――研究所は、キョウシュウが手放される直前にリフォームされた施設。
そこには、未起動時でもパークのフレンズを支援するための様々な機能が実装されていた。
ヒトが居なくなった後もフレンズが生きていくための施設。
研究所のことを、多くの人々はそう捉えている。
だがアイネは違う。
研究所を、再び人が戻ってくるための施設だと考えている。
なぜなら研究所には、キョウシュウの様々なデータを蓄積しておくプログラムが構築されていたからだ。
完全に手放すつもりなら、そんな機能は要らない。
フレンズの支援に、そのデータは必要ではなかった。
だからそのデータは、戻ってきたヒトの為のモノ。
再びここに来た誰かが、再びこの島を管理する基盤を得やすくするために残された。
きっと、十年前の彼らも諦めていなかった。
「だから、その想いは受け継がないといけません」
そうこうしているうちに、グループAのメンバーたちが本部へと戻ってきた。
「お疲れ様です、研究所は……え?」
「すみません。途中でこの子を見つけて、放っておけなくて…」
リーダーらしき男性が頭を下げる。
「いえ、構いません。そして…その子は?」
戻ってきた彼らと一緒に姿を見せた一人のフレンズ。
彼女の様子をまじまじと見て、アイネは「確かに放っておけない」と納得した。
彼女の体には無数の傷痕。
こんなにも痛々しい姿のフレンズを、一体誰が放置して立ち去れよう?
それにしてもこれは…あまりにも可哀想だ。
アイネが掛けるべき言葉を思索しているうちに、フレンズの方から話しかけてきた。
「は、はじめまして。ええと、ホッキョクギツネ…です」
「ホッキョクギツネさんですね…はじめまして」
同行者を失ったキツネは、島に戻ってきたヒトと出会う。
奇しくもお互いに、島の外からやって来た者同士だった。
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