Ⅶ-175 イレギュラーと潜入作戦


「どうぞ、ゆっくりしてください」

「はい、ありがとうございます」


 差し出されたお茶を一口飲んで、体に付けられた傷の痛みを癒す。


 ふう…と深呼吸をすると、穏やかに揺れる船の乗り心地がとてもいい。

 ふかふかの椅子も、わたしの体を呑み込んで離すまいと心を縛り付けてくる。


 改めて…ここは船の中。


 わたしは彼女たちが乗ってきた船の中に招かれ、優しい手当てを受けました。


 そういう訳でひとまず、は達成と言ったところでしょう。


 「アイネ」と名乗るリーダーらしき女性。

 お茶入れ道具を片づけてきた彼女は、わたしの目の前に座ってあることを訊いてきた。


「…ホッキョクギツネさん。嫌でなければ、どうしてこんな酷い怪我をしたのか、教えてくれませんか?」


 まあ、当たり前の質問。

 丁度用意した”答え”もありますし、普通の返答をすることも吝かではありません。


 …ですが、わたしたちにも目的がありますからね。違和感の生まれない程度に引き延ばすとしましょう。


「それは…どうしてですか?」

「もしもあなたのその怪我がセルリアンの仕業なら…また他の子に、被害が出る可能性もあるんです」


 一呼吸吐き、歯噛みをするアイネさん。

 申し訳なさそうな顔です、これってそんなに辛い頼みなのでしょうか?


「私たちは、多くのフレンズさんを守らなきゃいけない。だから、きっととても辛いでしょうけど……出来るなら、教えてください」

「…分かりました」


 まあ、全然辛いことなんて無いのですけど。

 一応、渋々と言った様子でわたしは彼女の頼みを受け入れました。


 恩は売るべし。些細な事でも。


 …うふふ。


「実は…セルリアンにやられちゃって」


 はい、嘘です。

 もちろん、セルリアンなんて何処にもいません。


「…やっぱり。どんな、セルリアンでしたか?」

「大きくて…それと確か、黒かったと思います」


 適当な特徴ですけど、アイネさんたちにとっては捨て置けないそうな。


 まあ、それもお話にすぎませんが。


「黒い個体、ですか……」


 手の平で口元を抑えて、目を見開いて心なしか荒くなる呼吸。

 

 瞳にはトラウマの色。

 

 いつかのわたしも、こんな目をしていたのでしょうか…?


「わたしはそのセルリアンから逃げて…怪我をしながら、それでも何とか隠れられて…あの人たちに、出会いました」


「…なるほど」


 わたしの言葉に彼女は何度も頷く。

 まるで、喉に引っ掛かった何かを流し込もうとするように。


 空気を飲んで喉を鳴らして……漸く、落ち着いた様子を見せました。


 そんな彼女にわたしは親近の念を覚えるのです。

 

 冷静ながらどこか焦燥を浮かべている目。心の寒さを癒すために震える体。きっと胸の奥底に抱えている、消えない記憶。


 ああ、わたしは鏡でも見ているのでしょうか。

 頭から伸びる長く美しい銀色は、鏡に塗られた金属の反射なのでしょうか。


 だから、わたしの白は映らないのでしょうか。


「……ホッキョクギツネさん?」

「…あ、いえ、気にしないでください」


 うふふ、変なことを考えたものですね。

 大丈夫、わたしは確かにここにいます。


 誰が何と言おうと――ノリアキ様が仰るのなら話は別ですが――わたしはわたし。そうでしょう?


 ですから……落ち着かないとですね。これでは、目的を果たせる気がしませんもの。


「あの、アイネさん。わたしからも、少しお尋ねして良いですか?」

「良いですよ、自分がお答え出来ることなら何でも」

「…ここに来た理由を、教えて欲しいんです」

「ああ…それですか。少し長くなりますけど…大丈夫ですか?」


 わたしは肯定の意を込めて微笑みながら頷きます。


 笑ったのは無意識の反応。

 最高の情報を得るチャンスをモノにした成功への安心感でした。


「始まりはそう…今から十年前のことです。…あ、月日の数え方って分かりますか?」

「はい、大丈夫です」

「よかった……そう、十年前。とても大きな黒いセルリアンが出た、あの日のことです――」


 

 そうして彼女の口からまず語られたのは、キョウシュウエリアの放棄が決められる原因となった事件のこと。



 確かに興味深い話でしたが、わたしは事前に聞いています。


 ですから、この場面でしたことは自分の記憶との符合。結果として、歴史に違いはないようでした。


「そして最近…わたくしが提案したからですけど、キョウシュウに調査隊が派遣されることになったんです」

「…調査、とは?」

「このキョウシュウが、十年のうちにどんな風に変わったのか。のに十分、安全になったかどうか」

「……!」


 とりわけわたしの注意を惹いたのはその言葉。


 …『ヒトが戻って来る』。


 このキョウシュウに新たな存在が現れる……否、元々ここに居た彼らが再び姿を見せる、と言ったところでしょうか。


「…アイネさん達が、ここで暮らすようになる。そういうことですか?」

我々パークが再びキョウシュウに盤石な体制を築けると、そう判断されれば…そうなるかな」


 悪いことではないのでしょう。


 ヒトがいれば、フレンズだけでは不可能だった色々なことが出来ます。

 きっと今までより安全に、他のエリアのみんなと同じように暮らせます。


 だけど、この胸騒ぎは何でしょう。


 

 ”わたしがホートク出身だから? ”


 ”わたし達の生活にそれほど影響がないから?”


 ”わたしは今のままでも十分に幸せだから?”


 

 ううん。そんな理由じゃ説明できません。


 このモヤモヤした感情は、わたしが嫌がっている証拠。

 

 …ああ、何を?


「わたくしは戻って来たい。またここでみんなと暮らしたい。それで…みんなの暮らしをもっと良く、

「…っ!」


 電撃が走ったような心地でした。

 取り返しの付かない閃きが、わたしの脳みそを掻き混ぜた瞬間なのでした。


 わたしは、今の暮らしが変わってしまうのが嫌なのでした。

 そんな可能性を、例え一片でも目の前に突き出されるのが堪らなく不愉快なのでした。


 『止めなければならない』と、無力な心で、想いました。


「そうですか…ありがとうございます」


 そう、感謝しなくてば。

 教えてくれたおかげで、まだ止める余地がある。


 方法は、全く思いつかないけれど。


「…あ、すみません。一度本部の方に行ってきますね。ホッキョクギツネさんは休んでいただいて構いませんから」

「……はい」


 返事は届かなかったでしょう。

 アイネさんはさっさと行ってしまいました。


 残された私はもう一つのミッションを思い出して、船の中を探し回ります。


 ありますように、風邪薬――




―――――――――




『……足止め?』

『うん。多分このままじゃ、あの船の人たちが研究所に着いちゃうと思うから』

『それは、問題ですか?』


 頭の悪い私には分かりません。

 尋ねるとイヅナさんは、おどけるように肩を竦めて答えるのです。


『さあ? でも…止めた方が良いよ。ホッキョクちゃんが今の生活を守りたいなら』


 イヅナさんの言葉の意味を知るのは少し後になります。

 ですが、従ってよかったと、今では切に思っています。


『…わかりました。何をすればいいですか』

『簡単簡単……私にボコボコにされて?』

『…え?』


 でも、こうも思います。

 やっぱりイヅナさんはわたしを嫌っているのでは、と。


『いたたた……これで、の前に出ていけばいいんですね?』

『そうそう。こんなにひどい姿のフレンズ、誰も放っておかないって!』


 嬉々として言い放つイヅナさんには、雷でも降ればいい。


『…一人、明らかに放置しようとしていますが』

『…んー?』

『いえ、何でもありません』


 我慢、我慢。

 この程度の傷でノリアキ様との生活を守れるのなら安いものです。


『ところで、イヅナさんは何をしますか?』

『私は研究所をシャットダウンして、私達の痕跡を隠すことにするよ。万一のことも考えて他にもいろいろ策はあるけどね』


 そうしてイヅナさんは様々な計画を列挙していきますが…わたしが理解できたものは果たして半分もありません。


『とにかくわたしは、ヒトの足止め…』

『そうそう。でも、少しくらい言い訳は覚えておくべきかな。少なくとも、怪我をした理由くらいは』

『大丈夫です、覚えるのは…得意ですから』

『あはは、頼もしいね』


 ペチペチと適当に手を鳴らして、イヅナさんはわたしを嗤うのです。


 でも、気にすることはありません。


 ノリアキ様の為ですもの。

 あの人の為なら、わたしはどんなことでも出来るんです。


 それでも少し、辛いですけど。




―――――――――




「この部屋…お薬の匂いがしますね」


 休憩室を抜け出して、わたしはお船の探検中。

 歩いて探して数分したら、それっぽい部屋まで辿り着きました。


 覗いてみるとそこは、一段と清潔感のある部屋。

 目を引く家具は、真っ白なシーツの敷かれたベッドと奥にある棚。


 学校モノの漫画で見ました、これが噂の保健室ですね。

 早くに見つかって助かりました。


「さてさて、風邪薬はと…」


 とりあえず一直線に奥を目指したわたしは、適当に『かぜ』の文字を探してガサゴソと棚を漁ってみます。


 ええ、漢字は読めませんからね。

 その二文字が唯一の生命線となるのです。


「おっ、ありました」


 この『かぜ』と大きく書かれた小箱、よもや風邪をひかせる薬ではないでしょう。

 お目当ての物に違いありません。


「うふふ、良かったです」


 …我ながら薄い感想。ノリアキ様が言っていましたね。

 

 たまにはキャラを忘れて喜びを表現する時があっても良い…と。


 今がその時では?

 うん、やってみましょう。



 お、おくすり、ゲットだぜ…?



 …はい、恥ずかしいですね。声に出さなくてよかったです。


「でもこれで、キタキツネさんも安心でしょう」


 そう。


 本来わたしは、あの休憩室でのうのうと過ごしながら彼女たちに時折探りを入れるだけで良い立場なのです。


 でもやっぱり、あの子のことは心配でした。

 何より、ノリアキ様はキタキツネさんのお薬を御所望です。


 幾らイヅナさんの言葉に従って、ノリアキ様の為に動いているからと言って、を忘れてはなりません。


 あとはこのお薬を早くに届けられれば良いのですけど…やっぱり、難しいでしょうか。


 キタキツネさんのわがままに困っていらっしゃいましたし、ノリアキ様が直々に取りに来てくださるとも考え辛いですね。


「はぁ…しばらく、大人しくしていましょう」


 十分成果も出せたことです、勝手な行動はもう終わり。


 わたしは、怪しまれない内に元の部屋まで戻ることにしました。


 そして、その道の途中。


「……?」


 外の道、そっと頬を撫でる風。

 少し見下ろすと、それに靡いて煌めきを見せる青い海。

 もっと遠くを見れば、こちらに沢山の手を振る木々の海。


 一瞬その中に見えた、白いたなびき。


「イヅナさん、上手くやれてますでしょうか…?」


 彼女のことです、滅多なヘマはしないでしょう。

 

 でもやっぱり…不安です。

 これがどうか、要らぬ心配でありますように。


 目立つ毛皮を見たせいでしょうか。

 わたしの不安はどこまでも、募る一方なのでした。

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