Ⅶ-173 ヤンデレにつける薬は無いの?


 雪崩。


 雪の深い山の中に長く住んでいれば、自ずと何度も目にする白色の崩落。


 迂闊なセルリアンが巻き込まれて見るも無残なバラバラになることも日常茶飯事。


 目と鼻の先の坂道でそれが起きることも、私にとっては大して珍しいことではなかったのです。


 …だけど、今日は違う。


 とっても珍しい、私でさえ初めて目にする白の流れ。


 その中に巻き込まれたイヅナさんを、私は呆然と眺めていました。


「ちょっと、見てないで早く助けてよー!」

「ああ、失礼しました」


 だけど…このまま放置し続けるのも悪いですね。


 そう思った私はイヅナさんの手を引っ張り、白と黒のコントラストが特徴的な資料の山の中から、数分掛けて彼女を引き上げた。


 靴に引っ掛かった紙切れをゴミ箱に放り、彼女はため息をつく。


「もう、ホントに災難だよ…」

「うふふ、こんなこともあるんですね」

「…笑い事じゃないってば」


 そう口にしつつ、呆れたような微笑みを浮かべるイヅナさん。


 何とも私には印象深い、研究所での初めての出来事。




―――――――――




 キョウシュウの南側。

 港を出て東、海沿いに進んだ森の中に隠すように建てられた研究所。


 見回して私が気になったのは、整然と片づけられた全体の内装。


「綺麗な建物ですね…誰かが掃除しているんですか?」

「ボス達がね。ここに住んでる子は誰もいないから」

「なるほど…」


 ボス、改めラッキービーストさん。


 この前ノリアキ様から”赤ボス”なるもののお話を聞いて、彼らについての知識を得ることが出来ました。


 詳しくは省きますが、私が思っていたよりもずっと器用みたいなのです。

 

 ここのボスも同じなのでしょうか?


 気になった私は、近くを歩くボスを試しに持ち上げてみます。


「いつもお仕事お疲れ様です。本当に助かっていますよ」

「…エヘヘ」


 私の言葉を聞いて、照れている様子のボス。


「ま、書類の整理は出来ないみたいだけどね」

「……」


 的確に刺さる嫌味を投げられ、耳をペタリと伏せるボス。


 …どちらがお好みですか?


 私は、悲しんでいる姿なんて見たくはありません。


「もう、イヅナさん?」

「はいはい。というかボス、フレンズに反応しちゃっても良いの?」

「…ボクたちラッキービーストがフレンズと接触しないのハ、「生態系の維持」の為だかラ」


 ”生態系の維持”。


 私にはとっても難しい言葉。

 でもイヅナさんは理解した様子で、首をうんうんと上下に動かしています。


「…。元々ヒトが使う研究所だもん、私たちと話したって…今更生態系がどうこうなることもないよね」

「…ああ」


 イヅナさんの解説で、私の頭も理解しました。

 つまり彼らは自分で考え、ルールに無意味には縛られないということ。


 やっぱり、ボスって賢かったんですね。


「これで、紙を片づける力があったらねー…」

「…い、イヅナさん」


 どうやら、彼女にとってアレは相当なストレスだったみたいで…窘めようにも、少し怖くて言い出せない。


 結局私は口を噤んで、しょんぼりと縮こまったボスを撫でてあげることしか出来ませんでした。


 

 

―――――――――




「さあて、そろそろちゃんと探そっか。ボス、薬品室」

「分かったヨ、ついて来テ」


 ちょこんと体を傾げたボス。

 くるりと回って尻尾をファサリ、踵を返して歩き出した。


「…ここだヨ」


 三歩。

 

 ちょこちょこと踏み出した足で、ボスは薬品室の前に着いてしまったみたい。


 ちなみに私たちは一歩も動いていません。

 

「へえ、ここなんですね…!」

「いや、なんで感動してるの…?」


 と言いますか、イヅナさんは素っ気なさすぎるんです。


 冷たいのは――私にとってはそうじゃないけど――雪山の風だけで十分。


 私はこの初めてを楽しみたい。


 扉の横には…薬を表すのでしょうか。

 見たことのない絵が四角い額の中に貼ってあります。


 初めて見る模様…どうにもワクワクしちゃいますね。


「はぁ、何やってるんだか…」

「もう、別に良いでしょう?」

「そりゃいいけど…私には分かんないな、その感じ」


 憎まれ口を叩きながら、止める気は無いのでしょう。

 イヅナさんは椅子に腰かけ、”お好きにどうぞ”と言いながら肩を竦めています。



 …では、好きにさせてもらいましょう!



「…ふふふ」


 止めどない笑い声が漏れてしまう。


 実は私、こういうハイテクなラボに入ったことが無かったんです!


 ホートクの方にもヒトがいる研究所はあったんですが…まあ、ジャパリまんを頂く時にしか入りませんでしたね。


 『健康診断』とか『体力測定』…とヒトの皆さんが呼んでいたことはもっぱら別の、よく分かんない場所でやっていましたから。


「おお…読めないけど、すごいです…!」


 一先ず私はボスに頼んで、ノリアキ様のデータベースを印刷して貰いました。


 なんでも、十数体のラッキービーストの力を集結し、数か月と言う時間を掛けて構成された非常に精緻な情報であるとか。


 実際に手に取ってみたソレは、私の想像以上の代物。


「あぁ…感激です…!」


 様々な意味で出遅れてしまっている私には、このような基礎を固めるための素材が必要不可欠。


 素晴らしい。


 これこそがこの研究所の最高傑作であると言っても強ち間違いではないでしょう。


「ちぇっ、まさかこんな風に悪用されるなんて…」

「いいえ、これは…ふふ、有効利用と呼んでください…!」

「…ま、私も言えた道理じゃないか」


 そもそも、ノリアキ様を知るために作ったデータです。活かすためなら幾らでも共有して然るべきでしょう。


 でも、この感情は何なのでしょうか。


 手の中に有るこの紙を仕舞いこんで、永遠に私だけのモノにしてしまいたいと願うこの衝動は、如何様に私を突き動かすのでしょう。


「…ノリアキ様」


 ぱあっと視界が明るくなって、拭い難い歓びが心を染めたその時。


 後ろから肩を叩かれて、私は我に返ってしまいました。


「はい、もう終わり。早く見つけて、お薬持ってこ?」

「…ああ、分かりました」


 この時私は、どれほどイヅナさんのことを恨めしく思ったでしょう。


 握った紙切れを思わずクシャリとひしゃげさせてしまい、慌てて仕舞って隠しました。


 でも、気付かれてしまったのでしょうか…?


「…うふふ。さ、ボス、早くここの鍵を開けて」

「了解……はい、これで開いたヨ」

 

 音もなく開錠された扉。

 ノブに手を掛け、私が先に部屋に立ち入る。


「……あ」


 そこに広がっていたのは、可能性まみれの空間でした。




―――――――――




「風邪薬の棚ハ、四番だヨ」

「ありがと、忘れてたから」

「番号が振ってあるんですか?」

「そう、最近整理して付けられたんだってさ」


 イヅナさんの言葉通り、並んだ棚の横の壁には大きく数字の書かれた紙が貼り付けられている。


 左の方から一、二、三…右端まで辿ると、九番まで分類されているようです。


 けれど詳しい分類の内容について、イヅナさんが教えてくれることはありませんでした。

 

 …今日は、キタキツネさんの為に風邪薬を取りに来ただけですもんね。


 他のお薬については、またの機会にするとしましょう。


「さあて、何だっけ…『総合感冒薬』? そうそう、それだったね」


 私には分からない難しい言葉を呟きながら、イヅナさんは棚を探っていく。

 

 とりあえず、私は黙って見ているだけで良いでしょう。


 じっと彼女の所作に注視しながら、私はノリアキ様が自分をここに同行させた理由を考えることにしました。


「研究所観察…は、勿論違いますよね」

「ん、何か言った?」

「いえ、独り言です」

「あぁ、そう」


 ロジックによってはこの思考、イヅナさんにとって悪い結論を導くことになるかもしれません。


 お口はしっかりチャックして、機嫌を損ねることは避けましょう。


 私は、平和に過ごしていたいだけですから。



 ――さて、本題に戻して。



 ノリアキ様は、私にイヅナさんと共にここに来るよう頼みました。


 そしてそれ以前――キタキツネさんが我儘を通す前――は、ノリアキ様自身がイヅナさんと同行する予定でした。



 …となると、どんな事実が導き出せるのでしょうか。



 きっと、ここに来るのが『私』である必要は無かった。


 そして、代わりを立ててでもイヅナさんを誰かと一緒に行かせた。


 つまり…イヅナさんを一人にしたくなかった?


「だとすると、私がするべきことは…」



 イヅナさんの監視。



 …そういうことになるのでしょうか。


 私の乏しい頭ではそれ以上は考えられません。


 とりあえず、妙な事が起きないか気を付けておきましょう。


「イヅナさん、もう見つかりました?」

「うーんと、もう少し掛かりそうかなぁ…」

「…手伝いますか?」

「いいよ。ホッキョクちゃん、こういうの不慣れでしょ?」

「…はい」


 ごく自然な協力の拒絶。

 率直に捉えるなら、私が戸惑わないよう配慮してくれたのでしょう。


 しかしを出してしまった後だと、どうにも邪推してしまいます。


「イヅナさん、少し訊いてもいいでしょうか?」

「…まあいいよ、探しながらで良ければ」


 彼女は一つ箱を手に取り、確かめる。


 けれどすぐに首を振って、若干苛立ちの混ざった表情で元に戻しました。


「ありがとうございます。その…最近眠れなくて、『眠る薬』とか…どの辺りにあるかだけでも、分かりませんか?」

「…っ」


 私の問いに、彼女の白い耳が固まる。


 けれどそれも一瞬の隙。


 すぐに調子を取り戻して、彼女は宙を見ながら思い出すようにボスの名前を呼ぶのです。


「あー、それね…ボス、どうにかできない?」

「じゃア、分類についテ印刷した紙でいいかナ?」

「そんなもんで十分じゃない?」


 イヅナさんの指示を受け、ボスは薬品室の外に出ていく。そして数分の後、頭に一枚の紙を携えて戻ってきた。


「どうゾ」

「ありがとうございます、どれどれ……ふむ、探すのでご一緒してもらえますか?」

「了解、解らないことがあったら任せてネ」


 眠る薬は五番の棚。


 場所で言えば、イヅナさんが現在進行形で探っている四番の隣。


 ありがたい場所です。

 そこなら、探し物をしつつコッソリ彼女の様子を見ることも出来ますね。



 ボスに棚の鍵を開けてもらって、ガサゴソと適当に探していきます。


「これは…」

「精神安定剤だネ」


「では、こちらは…」

「鎮痛剤だヨ」


「今度こそ…!」

「……違うヨ」

「…そうですか」


 探し物って難しいんですね。手間取るのも納得です。


 目立つピンクの箱だからつい取ってしまいましたが、そう都合良く行きはしませんね。


 違うなら用はありません、戻しましょう。


 そんな落胆と共に薬を置いた私の横から、イヅナさんの手が箱を掠め取るのです。


「ダメだよホッキョクちゃん…戻しちゃうなんて勿体ない!」


 興奮したように息を荒げた彼女ですが、私の感情は雪山の風のように冷え切っていました。


「イヅナさん、風邪薬は見つかりましたか?」

「あ、いや、まだそれは…」

「…私も探しますね」

「え、でも私一人で…」

「どうにかなるなら、こんなに時間は経っていないでしょう?」

「…うぅ」


 …おっと、いけません。思わず口調が強くなってしまいました。


「でも、隅々まで探したんだよ? だけど何処にも無くって…」

「つまり…研究所にも無いと?」


 湧き出た疑問を、私は足元のボスにぶつけます。


「…補充ニに遅れが出ることハ…たまにあるネ」

「えー、じゃあどうするの!?」

「落ち着きましょう、イヅナさん。…何か、代わりになりそうな薬はありませんか?」

「探してみるヨ。待ってて」


 ボスが言葉を切るとほぼ同時に、扉から別のボス達がたくさん入って来ました。

 

「…ここにいては邪魔になってしまいますね」

「…そうだね」


 私たちは風邪薬の件をボス達に任せ、ただ座っているのも暇なので少し散歩をすることにしました。


 海岸まで足を運び、眼前から吹き抜ける爽やかな潮の匂いを頭に満たすのです。


「いい景色ですね」

「まあ、そう……」

「…?」


 不自然に途切れた言葉。

 見ると、海を向いたまま硬直しているイヅナさん。


 私は未だに呑気で、軽口を叩く余裕も有りました。 


「イヅナさん、どうかしました? もしかして風邪がうつったり…」

「…違う」


 ゆったりと腕を上げて、焦るように前を指差す。


 私は指先から伸びる線を追って目を動かし……理解した。


 それと同時に、横に立つ彼女と同じように、未知への恐怖に身を凍らせてしまう。



「……船?」



 それはキョウシュウに帰ってきた、一隻の黒船だった。

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