Ⅵ-170 代償の色は黒
「よいしょっと…はい、出来ました」
「うん、ありがとな」
衣替えをしてすっかり綺麗になった装いをはたく。
うむ、スッキリとした気分だ。
やっぱり汚れたままは気になるからな、よかったよかった。
「けど、わざわざ和装にする必要なんてあったか?」
「私の趣味です、良いでしょう?」
「…まぁ、悪くはないな」
着せ替え人形になった覚えはないが、ここは受け入れよう。
やはり俺は、オイナリサマの微笑みに絆されてしまったようだ。
自分が多少我慢しても、彼女が満足しているならいいか、と思うようになってしまっている。
「どうしましたか、何か思うところでも…?」
「…いいや」
まるで祝明にそっくりだと、そう思っただけだ。言葉にする必要はない。
それよりも、もっと訊きたいことが俺にはある。
「オイナリサマ、俺の目のこと…知ってるんだよな?」
「目、ですか? はて、何のことやら~…」
嘘だ。
話し方も怪しいし、明らかに目が泳いでいる。
こんなに分かりやすい誤魔化しがあるか?
それとも彼女なりのユーモアなのだろうか。大した悪戯じゃないことが更に追求の手を阻む。
有耶無耶にして水に流したいという思考を抑えつけ、俺はとにかく訊いてみることにした。
「さっき聞いたが、俺の目は黄色いんだって? 有り得ない、元々黒かったんだ。オイナリサマが何かしたんだろ?」
「ど、どうして私なんですか…?」
「…アンタしかいないだろ、俺に何か出来るのは」
「な、なるほど…ふふ、その通りですね…♪」
何やら悦に入っている様子だが…多分、言葉遣いの所為だよな。
俺が彼女に見初められたのも、多分こういうところだ。
今になって思い返せば、相当に気が有りそうな発言をしていた覚えがある。
まあ、今更気を付けたって無意味なんだけどな。
「それで…あの時だろ? 将棋に負けた後の」
俺はオイナリサマとの賭け将棋に負け、一日の間狐耳と尻尾を生やした姿で過ごしていた。
そいつらは彼女の術で生やしてもらったんだが、その時ついでに目も黄色にされたと考えれば筋は通る。
何と言うか、自分で確認できない部位を弄るとはオイナリサマも狡いものだ。
「うふふ、神依さんは聡いですね」
「認めるんだな」
「バレちゃいましたから」
悪びれもせずに肩を竦め、オイナリサマは微笑んだ。
「まあいい。それにしても、この神社はよく出来てるな」
内装はよく見ていなかったから、今更ながらに結構驚いている。
この印象を上手く伝えられるほどの建物の知識は無いが、率直な感想を言えばとても綺麗だ。
「私が設計したんですよ。まあ…昔住んでいた神社と同じなんですけど」
「へぇ…じゃあ、その神社を作った人は相当なやり手だったんだな」
さりげなく渡されたジャパリまんを食べながら感心する。
丁度お腹が空いてきた頃だった。
オイナリサマはこういう所で妙に気が利くから憎み切れない。
ゴクリと最後のひとかけら。
喉に残った後味を堪能しながら、俺の口は物寂しさを呟いた。
「…暇だな」
「…ええ、暇ですね」
オウム返しのような、しかしどこか気持ちの良い返事。
長閑だ。
――祝明の頭の中で、イヅナたちの行動に頭を悩ませていた時とは違う。
――ホートクの雪原で、オイナリサマから逃げ回っていた時とは違う。
――何より、セルリアンの脅威に怯えていたあの時とも、違う。
一点の曇りも綻びも無い、平和なひと時。
「暇なのも…悪くないかもな」
口を突いて出た言葉は真か。
今迄が波乱の連続で、そんなことを考える心の安らぎさえ得られなかっただけではないのか。
そんなつまらない考えは、今すぐ向こうへ捨ててしまえ。
ならば今ある安寧を、全身全霊で謳歌せねばならぬのだから。
「神依さん、また将棋でもしませんか?」
「え、将棋か…?」
思わぬ誘いに俺はしばしの間考える。
例の大敗を抜きにして、将棋をしたい気分かどうか。
安息を楽しむと言っても、別に惰眠を貪ったり暇を持て余したりするのとは違うよな。
ま、将棋くらいは良いか。
俺は同意の意を込めて、オイナリサマに釘を刺す。
「…賭けは無しだぞ」
「はい、分かってますよ」
彼女はクスクスと笑う。
俺を見つめる生暖かい目が気に食わなかったが、俺が弱かったのは確かだ。
胃の中から戻ってきた不満を、そっと飲み下した。
「では、すぐに準備をして来ますね」
斯くして、十数日ぶりの再戦と相成った。
―――――――――
「……」
「えっと…神依さん?」
「…何だよ」
「あの、その…元気、出してください…?」
「分かってるよ、もう少ししたらな…?」
最初の対局から二時間。
そう、二時間である。
最初からぶっ続けの対戦、大体三回くらいはやっただろうか。
かつての結果を鑑みれば、俺の全戦全敗は想像に難くない。
「大丈夫ですよ、練習すれば上手くなりますって…」
「なるだろうな、オイナリサマに勝てるかどうかは置いといて」
「う、うぅ…」
オイナリサマは強すぎる。
気が付けば不可避の王手を取られている。
そこまでの流れを説明できないのも、ひとえに俺の弱さ故のことだろう。
「でも、前よりは善戦できてますよ! 私も、前と違って心は読んでませんし…!」
「…そんなことしてたのか」
ただでさえ圧倒してるのにその上読心とは、彼女も賭けに本気だったという訳か。
…読心が無くなっても縮まる気配の無い力の差は、考えない方が気分の為だ。
「ほ、ほら、私が教えますから、ね…?」
「別に嫌とは言ってないさ」
何を教わっても勝てる気がしないだけで、な。
「まあ、また今度でもご教授に与ることにするよ」
「…っ! はい、バッチリ上達させて差し上げます!」
そんなこんなで約束をして、将棋の時間は終わるのだった。
「ところで神依さん、お菓子はお好きですか?」
場所を移して結界の中。
ホカホカの炊き立てご飯を俺に差し出しながら、オイナリサマは唐突にそんなことを尋ねた。
「え、まあ嫌いじゃないが…それがどうかしたか?」
「うふふ、今度作ってみようと思いまして」
そう言いながら、お惣菜の皿をテーブルに置く。
一緒の小皿に取り分けて、俺の隣に彼女は座った。
これまた静かな昼食時。
静かじゃないのは、後ろの森を駆け抜ける風だけだった。
「お菓子と言っても、どんなのを作るかにもよるよな」
「考えはありますよ、まだハッキリ決めてはいませんけど」
続く彼女の談曰く、焼いてサクサクにした生地のお菓子を作ってみたいそうな。
そういったとりあえずの方向性はあるし、折角だから俺の好みに合わせたいということらしい。
「という訳で、コレをどうぞ」
渡されたのは一冊の本。
ご想像通り、様々なお菓子の製法が記されたレシピ本だ。
出版年月日はなんと…ええと、今何年だ?
…ま、まあ、結構最近なはずだ。流石の収集術である。
「食べ終わったら読んでください、じっくり決めていただいて構いませんから」
「分かった、そうするよ」
結構大きめなこの本を、四苦八苦しながらなんとか仕舞い、俺たちはお昼ご飯の続きを楽しむ。
何とか仕舞いこんだ後、どうせなら向こうにでも置いておけば良かったのではないかと…ああ、遅すぎる閃きは、なんとも物悲しかった。
「ふむ…探すとすれば、焼き菓子のページか」
昼食後、わざわざ書斎にやって来た俺はパラパラとページをめくり、本の中から気に入りそうなお菓子を探していた。
お菓子と言えば、小さい頃によく作ってもらった大学いもが印象深い。
母さんは、揚げた芋に掛ける蜜をよく煮詰めて食感をカリカリにしてくれていた。
出来ることなら俺も作ってみたいが、今回は小麦粉や卵を使うレシピになることだろう。
大学いもはまた今度だな。
どうせ…頼んだら材料やら何やら用意してくれるだろ。オイナリサマだし。
「今回はそうだな…タルトとかにしてみるか?」
そして見つけた『タルトタタン』。
タが三つ、声に出したくなる名前。
さぞかしサクサクしているのだろうとワクワクしながら見てみれば…リンゴを煮詰めたしっとり風味のお菓子だった。
…微妙だな、これは。
「”チーズタルト”…これにするか」
生地を焼いて、チーズクリームを入れてまた焼いて、それで完成。
火加減は注意が必要だが工程自体は単純。
まあ初めてだし、こんなもんで良いだろう。
「よし…なら、材料の確認だな」
本を携え立ち上がる。
その時俺は、テーブルの向こうに無造作に置いてある一冊の本を見つけた。
手に取ってみたらそれは、いつか読んだ記憶のある武器図鑑。
「ハハ、色々探したんだよな~…例えばええと…」
本を開き、記憶の中の武器を探そうとして、思考が止まる。
思考が止まれば手も止まり、開いた場所は長い刃物の頁。
「あ、れ…?」
おかしい。
確かに俺はこの武器を知っているはずだ。
アイツも持っていた筈で、そうだ、名前も付けていて…そうだ。
この武器の名前って、何だったっけ…?
「書いてるはずだ…この辺り…そう、刀…!」
刀だ。
日本刀だ。
有名な武器じゃないか。
どうして俺は忘れていたんだ?
「…妙だな」
単なるど忘れとは思えない。
よりにもよって刀を、その存在丸ごと忘れるなんて普通では考えられない。
「…良いよな、時間はたっぷりあるんだ」
俺は更にページをめくり、覚えている武器と覚えていない武器をリストアップすることにした。
すぐに、忘れたものだけ取り上げればよいと思い直した。
「…よし」
メイス、覚えてる。
棍棒、覚えている。
拳銃、忘れていた。
腕甲、知っている。
鎌、武器だとさえ思わなかった。
弓、全然知らない武器だな。
大剣、これは分かる。
なるほど…結構忘れているんだな。
なんだ、何か共通点があるのか…?
「有るとすればセルリアンか…武器は戦うためのものだからな」
その前提で共通点を考えるのなら…再現した武器か?
しかしどうして、忘れる必要なんて…
「…あ」
何気なくページをめくりながら、もう一つ覚えていない武器を見つけた。
それは、『槍』―――
「あ…あぁ!?」
痛い。
頭を思いっきり殴られたみたいだ。
「ぐぅ…うぅ…っ!」
割れそうなくらいの痛みの中で、暴風雨のように力強く降り注ぐ記憶の雫。
俺は辛うじてその中の一粒を手で掬い、雫の中に見える知らない思い出を垣間見た。
「な、るほどな…?」
脳裏に浮かんだ映像。
碌に分析できるような冷静さも残っていないが、一つ確かなことはある。
この妙な記憶喪失の原因は、オイナリサマに貰った能力に違いない。
今日の記憶が曖昧にしかない理由もきっとそれだ。
裏付けは正直言って少ないが、俺はさっき見た記憶の一部で十分にこの説を確信できる。
「槍が折れたのに気づいて、気を失ったんだったな…」
真っ二つに折れた黒い槍。
あの姿を見ると、折ってしまったことへの深い悲しみと、なんとも言い難き暖かな気持ちを感じる。
感謝の想いに近いだろうか、沢山お世話になったのだろう。
「…ふぅ」
そろそろ痛みも収まって、気持ちも落ち着いてきた。
俺が取るべき行動はただ一つ。
このことについて、オイナリサマに問い質すのみ。
「やれやれ、最高に質の悪いことしやがって…」
脇に抱えた本は置いた。
胸に抱いた想いは怒りだ。
この事件、今の俺には真相が何一つ分からない。だからこそ腹立たしく、実にもどかしい。
しかし案ずることは無い。
俺がこの先何をすべきか、どんな決意を抱き続けるべきか、それはまだ見失ってなどいない。
懸念があるとすれば、彼女が用意した代償がこの程度で終わるとは思えないことだろうか。
正直に言って武器を忘れたくらいで何かあるとも思えないし、オイナリサマの目的も――有ると仮定した上でだが――果たせるとは考えにくい。
そして、”再現”した武器を忘れるという説明では不十分な点が数多い。
「ま、そういうのも全部まとめて…本人に聞くのが一番早い」
俺は、おぼろげに覚えているあの虹の竜巻のように…胸に渦巻く様々な想いを一度鎮めて、そそくさと逃げるように書斎を後にする。
扉の軋む音が、やけに耳についた。
―――――――――
白い狐の神様は、庭の花壇に水を撒いていた。
入りの言葉に困った俺は、とりあえず声を掛ける。
「よ、オイナリサマ」
「あら、神依さん……その顔は」
苦々しい顔でもしていたのだろうか。俺の顔を見たオイナリサマは何処か納得したような笑みを浮かべて。
「…もしかして、勘付いちゃいました?」
これ以上なく自白のような質問を、俺に投げかける。
「ああ。だから、全部話せよ」
「……うふ、かしこまりました」
この数十日間、俺とオイナリサマは一つの目的の為に働いていた。
ハリボテの神社を建てるために、曲がりなりにも協力していた。
…だけど、もしもオイナリサマに、別の目的があったとするならば。
さあ。
ハリボテはどっちだ?
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