Ⅵ-169 終わった戦に意味は無い

 

 目まぐるしい輝きの奔流が俺を中心に巻き起こる。

 否、正しくはセルリアンが中心なのだろう。


 しかし実際に渦の中心にいる俺にとって、そんな事実は些細なことであった。


「…倒したってことで、良いのか?」


 渦巻く光はとても眩しく、手元の黒しか俺には見えない。


 俺が中にのではなく、或いは呑み込まれてしまっているような。


 極彩色の明るさは、そんな不安の影を俺の心に落とした。


 だが、痛みはない。

 輝きが奪われる感覚もない。


「ま、勝ったって考えてもいいよな」


 さしずめこれは、セルリアンの最期の足掻きと言ったところか。

 

 ダメージこそ無いものの、自由に動けないのは中々に鬱陶しい。


 身を捩ってみても脱出できそうにないので、俺は思索に耽ることで暇を潰すことにした。



(…今度こそ、真っ正面から向き合えた)



 俺の頭の中は達成感でいっぱいだった。


 『巨大な敵に打ち勝った』という事実に冷静な思考力を奪われ、自分の手元にある力が飽くまでオイナリサマに分け与えられたものであるという認識が抜け落ちていた。


 しかしだからといって、俺が力に溺れる訳ではない。


 この忘却が俺を突き落とす先はそんな甘い落とし穴ではない。


 単に今なら取るに足らない小さなセルリアンでさえ、かつての俺には一切太刀打ちが出来なかったという事実を塗りつぶすだけだ。


 『オイナリサマが居なければ俺は戦えなかった』という事実を覆い隠すだけだ。


 勿論、現実を直視したくないという思いもあったのだろうが。


「まあ…いいか」


 無意識ではきっと察していて、これ以上の思考は意識をそこへ辿り着かせる。


 だから俺は自然と思考を打ち切り、早々にこの渦からの脱出を再び試みた。


 輝きの渦を見据え、握った槍を力いっぱいに突き刺す。


「ん…?」


 ずれた腕、得られぬ手応え、それは即ち違和感。


 目線を戸惑う心のままに、手元へゆっくり下ろした俺は。


「………あ」


 今になってようやく、槍が折れていることに気付いた。



 ――嵐のなかで、忘れるままに。




―――――――――




 少しだけ時は遡って―――




「お、お話って…何よそれ?」

「何と言われましても…普通の、とお答えするしかありませんね」


 ひどく根本的な質問に私も戸惑いながら、なるべく温和な笑みを浮かべるよう心掛けて彼女に話しかける。


 しかし目の前の彼女から浴びせられたのは怒りの声だった。


「わ、私の話は聞いてたの!? このままじゃカムイが危ないって…っ!」


 そのことは

 誰よりもよく知っている。


 だから心配はあるけれど、まだ放っておける。


 神依さんの素質は目を見張るものがあるし、彼に与えた力も生半可じゃない。


 あの程度のセルリアンに遅れを取る可能性は極めて低いでしょう。


 万一のことがあれば、私には


 それなら迎えに行けばいいだけだから…うふふ、実は完璧なんですよね。


 だから一言。


「…ええ、大丈夫ですよ」


 これだけで十分なんです。


「は…? な、何を言って…っ」

「大丈夫ですから焦らないでください…ね?」


 口を手で塞ぎ、黙らせてから同意を求めた。

 

 彼女…ええと、そう、チャップマンシマウマはコクコクと頷いて、大人しく私が指した切り株に座った。


 座った彼女の様子を見て、私の口から微笑みが零れる。

 

 そう…このです。


「うふふ…そのまま、大人しくしててくださいね」

「…っ」


 私は彼女の額に手を伸ばす。


 冷や汗を流し緊張した表情を浮かべているものの、抵抗する素振りはない。


「そう、良い子ですよ」


 些か従順すぎる気はする、でも悪いことじゃない。神依さんにも見習ってほしいくらいの素直さですね。


「何を、するんですか…?」

「頭の中を覗くだけです、痛くはしません」


 まだ使ったことが無いから本当に痛くないかは知らないけど…どうでもいいですね。


 自分にも…ましてや神依さんにも、コレを使う気はありませんから。


「始めますよ」

「は、はい…!」


 彼女から得られた同意の言葉に思わず微笑む。


 私は指先に思念を込めて、めり込ませるように指を脳みその中に突き刺した。


「うっ…!」


 あらら、やっぱり痛いのでしょうか?

 でしたら早くにやって終わって、無駄な苦痛は取り除いてあげないとですね。


 確かにこの子は神依さんと距離が近かったフレンズですが、とは全く違いますもの。


「すぐに終わりますよ…この辺かな…?」


 ぐちゅぐちゅと音を立てるように中で指を動かす。

 といっても、私が弄り回しているのは彼女の脳みそではありません。


 なんと形容すればいいのでしょうか。


 脳みそからアクセスできる記憶領域? …まあ、魂の一部みたいなものです。


 私はそこに干渉し、を彼女の記憶から奪い去る腹積もりなのです。


「ぜぇ、ぜぇ…まだ、続くの…!?」

「あー、ごめんなさい。まだ掛かりそうです」


 どれ程の時間が掛かるかはさておき、無駄に話しかけてくれなければ少しは早く終わるでしょう。


 彼女もそれを察したのか、さっきの一言を最後にずっと口を噤んでた。偉いですね。



 ただ、それでも記憶探しは難航している。

 私は悟った。このままではいけない。


「ふむ…やっぱり抵抗があるのでしょうか?」


 脅しの意味も込めて一言、そう呟いて反応を確かめてみる。


「っ…!」


 するとどうだろう。


 先程まで靄がかっていた記憶の中のイメージが、みるみるうちに鮮明で澄んだビジョンへと変わっていくではないか。


 面従腹背とは正にこのことかと、私は一人で腑に落ちていた。


 そして、記憶を探しやすくなってからわずか数分。


「見つけた…ふっ!」


 私はお目当ての記憶を探し出し、彼女の脳から抜き取ることに成功した。


「あぁっ…!?」


 脳みそからを抜いた途端に彼女は叫び、頭を抱えて蹲ってしまった。


 わぁ…痛そう。


「どうしましょう、”痛くしない”と約束してしまいましたが…」


 どうせそこら辺のフレンズです。

 約束なんて無碍にしてしまっても構いません。


 ただし、神依さんの印象が悪くなるのはいけませんね。


「そうです、約束を破ってはいけません」


 まあ、そういうわけで。



 約束は…無かったことにしましょう!



 なに、簡単です。


 チャップリン…じゃなかった、チャップマンシマウマが約束を忘れてしまえばいいだけの話。


 記憶領域に干渉できる私なら簡単です。ついでに暗示も掛けちゃいます。



「……」



 会話の記憶をすっぱ抜き、深層意識に語り掛けて偽の記憶を捏造する。


 これも相手が有象無象のフレンズだから出来ること。


 神依さんとの思い出を偽物の記憶で塗りつぶすなんて、私は嫌ですから。


 声を掛けたらそれで終わり、陰から様子を見て去るのみ。



 私が木陰に身を隠して数分後、ようやく彼女は気が付いた。


「あ、あれ…?」


 キョロキョロと辺りを見回しながら起き上がり、案の定戸惑う様子を見せながらも、彼女は段々と掛けられた暗示通りに確信を得てゆく。


「えっと、そうだ、オイナリサマを探さないと…図書館…早く行かなきゃ…!」


 私はその背中を見送って、彼女から抜き取った『神依さんの記憶』を覗いてみた。


「うふふ…素敵。本当、あの子に持たせておくには勿体ない思い出ですよ…♪」


 丁度欲しいものも手に入ったし、辻褄もしっかりと合っている。


 あぁ、やっぱり私は完璧ですね。


「ではそろそろ、本命神依さんのお迎えに行きましょう」

 

 神依さんの実力なら倒してしまっていても可笑しくない頃合い。


 貴方の心が手に入るまであとどれくらいでしょう。


 今日貴方の元に向かえば、それが分かるのでしょうか…?



 ときめく想いは、虹の根元へ飛んで行く。




―――――――――




「…の。……カムイ殿!」

「ん…だ、誰だ…?」


 耳に刺さる声の主を確かめるべく、俺の瞼は開かれる。


「…カムイ殿。ご無事でありますか!?」


 眩しく、揺さぶられる視界の真ん中に、心配そうなフレンズの顔があった。


「…あぁ、えっと、俺は大丈夫だ」


 訳の分からない状況に一瞬面食らった俺は、とりあえず体を起こしてから今の状況を確認することにした。


 周りには沢山のフレンズたち。

 彼女たちはみんな、揃って心配そうな表情を俺に向けている。


 えっと…何があったんだっけ?


「揃い踏みだな…もしかして俺、セルリアンに襲われてたのか?」

「お、覚えてないんスか…!?」


 一番に浮かんだ可能性を尋ねると、隣にいたもう一人が驚愕の声を発する。


「…らしいな。残念ながら」


 ざっと記憶をなぞってみても、今の状況を説明できる過去を俺は覚えていない。


 …記憶喪失の可能性がある。


 そう思った俺は、覚えている限り最後の出来事を想起してみることにした。


「最後に覚えてるのは…そうだ。今日の朝、カレーを食べたこと…」


 …案外しょうも無い記憶が出てきたな。


 まあいい。

 今朝のことを覚えているなら、別に騒ぐ程の事でもない。


 なんか体が泥まみれだし、大方頭を打って記憶が飛んじまったとかそんな感じだろう。


「…カムイ殿」

「心配するな、しっかり思い出したさ」

「よ、良かったっス…!」


 騙すようで悪いけど、段階を踏んで認識を擦り合わせるのも面倒だ。


 大事になっていない内は、こう言って安心させておくのが無難だろう。


「もしかして、本当にセルリアンに何かされてしまったのかと…」

「心配するなって。俺の目が黒い内はそんなヘマしないさ」

「…ふふ」


 …カッコつけてみたら、笑われた。


「あ、違うんスよ!」

「違うって、何がだ…?」

「カムイさん、目が黄色なのに『俺の目が黒い内は…』って言ったっスから…」

「…は?」


 黄色い? 俺の目が?

 一体何の冗談だ、少し笑えないな。


「おい、ホントに黄色いのか…!?」

「ええ、黄色いであります」

「い、いつから?」

「”いつから”と聞かれましても…最初から、でありますかね?」


 身も蓋も無い事実に俺は閉口する。


 と言うとこの場合、”建築準備を始めた時”という解釈になるだろうか。


 毎日顔を合わせていたのだから、途中で変化があれば何かと尋ねられるに違いない。

 ならその前、博士たちに頼みに行った時点では既に変わっていたと考えるのが妥当か。


 それで誰がやったかと言えば…はぁ、一人しかいないよな。


「ああもう、オイナリサマ…!」

「呼びましたか?」

「うおっ…!?」


 き…気付かなかった、いつの間に来てたんだ?


 慄く俺に首を傾げて、オイナリサマは質問を繰り返す。


「神依さん、私の名前が聞こえた気がするのですが…」

「ああいや、何でもないさ。ほら、意味もなく名前を呼びたくなる時くらい、オイナリサマにもあるだろ…?」

「…ええ、そうですね」


 首を傾げながらも、一応納得はしている。

 俺はこの話題に一段落付ける意味も込めて話を逸らした。


「それで、来てくれたんだな」

「勿論です、神依さんの危機なんですから」


 危機…か。

 

 残念ながら俺はその”危機”について詳しく覚えていないが、黙っていれば終わった話として処理されるだろうな。


 俺としても、事態はその方向に終息させたい。


「みんな、そろそろ戻らないか? もうここにいる理由も無くなったしさ」

「そうでありますね、神社の仕上げが待っているであります!」


 俺の一言に同意が飛んで、そこから一気にお帰りムード。

 みんな歓談を交わしながら神社へと歩いていく。


 この様子なら、特に探られることもなく帰れそうだ。



「…神依さん」

「ん、どうした?」

「私が何故ここに来たか、分かりますか?」

「何でって…ええと、オイナリサマだから。…ってのは、変か?」


 何の気なしに頭に浮かんだ理由を言ってみた。ある意味信じてるのかな。


 オイナリサマはその答えに一瞬満足そうな表情をしたものの、またすぐ俺に続きを尋ねる。


「…いえ。ですが、他に理由は?」

「他にって言われても、特に思いつかないな…」

「…そうですか。なら、良いんです」


 結局それ以上の追及はなく、俺たちも神社への帰路に就いた。


「帰ったら服を着替えましょう。泥まみれはあまり気持ち良くないでしょう?」

「確かにそうだな。でも、服あるのか?」

「はい、備えあれば憂いなしです♪」


 さっきまでの気難しさは何処へやら、晴れやかな顔のオイナリサマ。


 爛漫な彼女の表情を見て、俺も笑った。

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