Ⅵ-171 決意の朋は、もういない。
「ではまず、前提から確認するといたしましょう」
「と、言うと…”再現”する能力からか?」
オイナリサマは肯く。
彼女は水やりをする手を止め、優雅な所作で俺の手を引っ張って書斎の中へと連れていく。
自分の企みを勘付かれた後と言うのに、彼女が焦る様子はなかった。
歩きながら、俺が聞いたことの無い説明を始める。
「…まず、”再現”とは何か」
「へぇ、そんなに根本的な部分から入るんだな」
歩きながら聞くにはお堅い授業だな。
無論、聞き流す気などさらさらない。
「これはセルリアンのみならずフレンズも、ひいてはサンドスターそのものが持つ特性と言えます」
時と場合によっては衝撃的な事実をサラっと言い放つオイナリサマだが、俺はその語り口には聞き覚えがある。
研究所かどこか――他に選択肢はないが――の資料に、似たようなことが書かれていた筈だ。
「それと、”再現”と深い関わりを持つ性質が”記憶”です」
記憶か。
確かに大事だ、大問題だな。
「サンドスターには多くの記憶が内包されています。その全ては引き出せず、未だ底も知れていませんがね」
「で、それがどうしたんだ?」
「まだ続きますよ、焦らず聞いてください」
俺の唇に人差し指を当て、彼女は俺を椅子に座らせた。
ふう、ようやく落ち着いて話が聞けるな。
胸の奥に煮えたぎる感情は…もうしばらく冷めそうにないが。
「ええと、何処まで話しましたっけ」
「”記憶”の説明が終わったとこだ」
「ああ、そうでしたね。…おほん、この二つの性質は、フレンズの誕生、そしてセルリアンの行動原理の両方に影響しています」
サンドスターが動物に当たってフレンズ化する時は、元となる動物に対応した記憶が引き出されてその特徴を発現する。
セルリアンが”再現”をする際も、奪った輝きを使い内包する記憶を引き出して形状や機能を真似て自らの体を作る。
「ここで一つ注意しておきたいのが…サンドスターと輝き、そしてけものプラズムには些かの相違がある点です」
「うん…なるほど?」
「うふふ、しっかり分かるように説明しますね」
サンドスターと輝きとけものプラズム。
似ているようで何処かが違って、区別するにはとてもややこしい。
彼女の口から説明を聞いている間、生物か科学の授業でも受けているような気分で、少し懐かしかった。
だけど、それぞれがどう違うのかはしっかり理解できたから、一旦下にまとめてみるとしよう――
――まずは箇条書きで、三つの概要を記しておく。
・サンドスターは物質。
・けものプラズムはサンドスターが反応し生まれた現象。
・『輝き』はその反応を引き起こすための触媒。
『反応』とは、サンドスターから特定の記憶を引き出す作業のことだ。
その際、『輝き』が触媒となって引き出される記憶の方向性を決定づける。
そうして変化し生まれたけものプラズムはフレンズの尻尾や服を形作り、時には戦うためのエネルギーとなる。
そして触媒と形容した通り…『輝き』は反応によって変化することが無く、本人の心持ちや体の状態でしか変わり得ない。
だが、もっと重要なことがある。
それは、反応に『輝き』が必要不可欠であること。
サンドスターから何も無しに記憶は引き出せない。
仮に試せば、内包する記憶の量が膨大過ぎて暴走を起こすそうな。
セルリアンはそれ単体では『輝き』を持たない。
だから、モノやフレンズから『輝き』を奪う。
そうしなければ、自らの体を形作る物質さえ生成できないからだ。
まあ、セルリアンはサンドスター・ロウを反応させて体を維持するようだが…それは関係ないから省いておく。
もう一度だけ繰り返す。
けものプラズムを作り出したところで、『輝き』は消えない。
だから普通は、それの所為で記憶が消えたりもしない。
最後にそれを強調して、オイナリサマの授業は小休止に入る。
「…というわけで事前講座は終わりです♪ さて、次から本題ですよ」
オイナリサマが懇切丁寧に説明してくれた…『輝き』。
一体、どんな真実が待っているのか…
「神依さんにお渡しした能力。それは、記憶から物体を”再現”する力。だけど、セルリアンの使う”再現”とはちょっとだけ違うんです」
棚から取り出した、箱入りのクッキーを皿に乗せる。
「まぁ…だろうな」
熱い紅茶を添えて、落ち着かないティータイムが過ぎる。
「細かい説明は後に置いておいて、まずは結論を申しましょう」
こんこんと咳き込んで、大げさな身振りで俺を見据える。
決して逸らせない双眸をこちらに向けて、彼女は真実を告げる。
「『再現したものが消えた時、それに関わる記憶が消える』…それが、この力の代償です」
想定内。
殆ど予想通り。
けど、出来るなら外れていてほしかった。
「うふふ…薄々、気付いていたんでしょう?」
オイナリサマの手に、俺が机に置いた『武器図鑑』が収まる。
パラパラとめくり、『槍』が描かれた見開きを見せつけるようにこちらに向け、本の後ろ側から見えた目は愉悦に嗤っていた。
「良いから、続けろよ」
苦虫を噛み潰して俺は次を促す。
「…もちろん。教えたりないことが、まだまだ沢山ですもの♪」
ここからは唯の説明。
俺がどれだけバカだったのかを知り、自らと向き合う時だ。
俺は熱い紅茶を喉に流し込む。
その液体で、もっと熱く、マグマのように煮えたぎる感情を冷やそうとした。
愚かにも舌を焼いた俺は…これが怪我の功名か、少し頭が冷えた気がした。
―――――――――
「おそらく自覚はないでしょうけど……神依さんの身体は、かなり歪な状態で維持されています」
「…あぁ。そんなこと、これっぽっちも考えなかったな」
”歪”と言ってしまえば、周りには俺よりも歪んだ奴らが一杯だったからな。
もとより自分の状態に目など回るはずもない。
しかし、オイナリサマの言うところの”歪”とは精神的な問題のことではないようだ。
「セルリアンの身体に、ヒトの精神。しかも、心はヒトだった時と同じまま。うふふ…珍しいどころの話ではありませんよ」
俺とは自我を獲得した経緯が異なるものの、オイナリサマの過去の経験には彼らが人格を得て活動した事例があるらしい。
それを踏まえても、やはり”俺”と言うケースは珍しいそうだ。
「なるほどな。けど、話が見えないぞ」
どれほどその希少性を――例えば、考古学者が掘り出した珍しい化石を見せつけるように――熱弁されても、残念ながら俺にはその脈絡が察せない。
むしろ聞けば聞く程、話の焦点が本題から外れているようにさえ思える。
だがオイナリサマは首を振った。
必要な話ということか。
まあどちらであろうと、俺に聞く以外の道は無い。
「神依さん、説明したでしょう? セルリアンとフレンズでは、サンドスターの使い方が異なると」
「ついさっき聞いたよ、それが?」
「ただのフレンズとセルリアンでも違うんです、神依さんに変わりがないとは思えないでしょう?」
「…確かに、な」
そう言われれば納得はできる。
「ならどう違う? それで、なんで記憶が消える…?」
「単刀直入に言いましょう、『輝き』が使えないんです」
「…は?」
絶対に必要な触媒と言っていたのに、使えない?
「正しく言えば…そもそも『輝き』を必要としていないから、無理やり”再現”しようとしたときに支障が生じる、と言ったところですね」
「…すまん、訳が分からない」
重なる訂正で更に混乱が増した。
『コンファンド』の魔法でも掛けられたような気分だ。
「コレは難しい話になるんですが…恐らく、イヅナさんが貴方を蘇らせる時に何か細工をしたんでしょうね」
「な、そんな話は聞いてないぞ…?」
「では、無意識だったのでは? 聞いた話だと、あの成り行きで先を見据えて細工したとは考えにくいですし」
理由はこの際問わないとして、俺の身体が別段『輝き』を必要としていないことは理解した。
全ての点を線でつなぐために、必要なステップは残り僅か。
パズルのピースは、もうほとんどハマっている。
だから次が、おそらく最後のピース。
”支障”って…何だ?
「『輝き』を使えない体なら、代用品を使うか、無理やりにでも『輝き』を使うか。私が与えた力の本質は、後者を可能にすること」
それが、”支障”の正体。
「『輝き』とは即ち、記憶。反応の方向性を定めるため、貴方の記憶を強引に照らし合わせて利用させたのです」
「でも…『輝き』は、使っても消えないんだろ…?」
「それは普通に使った場合の話です。無理に利用した『輝き』は、そのために”再現”された物体と『同化』し…運命を、共にするのです」
「…なるほど、腑に落ちた」
だからこそ俺は、”槍”が消えたタイミングで記憶を失ったのだ。
槍に内包された『
更に言えば、”再現”した物体は俺の一部でもあるから、輝きが俺の身体に残っていなくても記憶が共有される。
そのタイムラグが更にこの記憶喪失の発見を遅らせ、深刻な事態を招いた。
「けど…それで、終わりじゃないだろ」
幾ら論理的に理由を語られて、それを俺がどれだけ納得できたとしても、感情的な解決はやって来ない。
そもそもだ。
オイナリサマは俺に断りなくこんなリスクを背負わせた。
ふつふつ怒りを募らせ、しかし静かに詰問する。
そんな波打つ想いを籠らせた俺の渾身の言葉さえも、オイナリサマには響かなかった。
だから彼女は惚けて、肩を竦める。
「うーん…でも、もう殆ど話してしまいましたよ?」
「”理由”があるだろ…どうして隠してた!? もし話してくれていれば、俺だって注意して使ったのに…!」
「…あは、それですか?」
こっちまで絆されそうな、軽やかな笑い。
すぐにその表情は暗く影を落とし、神様は嗤う。
「困るからですよ、気を付けられては」
「………ぇ?」
間抜けが息が喉から漏れる。
と同時に、オイナリサマからは冷たい雰囲気が漏れ出す。
その冷気に当てられた俺は、眉間に銃口を突きつけられたように硬直して動けなくなってしまった。
「うふふふ… 私をこんなに嫉妬させるなんて、神依さんはひどい人ですね?貴方が誰かのことを考える度に、誰かと話をする度に…私、本当に胸が張り裂けそうな想いだったんですよ?」
もういい。聞きたくない。そう叫ぶ声は出ない、耳は塞げない。
「しかも誰かが危ない目に遭えば、自らの危険さえ顧みずに助けようと走り出してしまう。ねぇ神依さん…どうして私が、それを黙って見つめていなければいけないんですか…!?」
息継ぎをして、決意表明。
”だから私、決めたんです。”
貫かれそうなほど真っ直ぐに、俺の目を見つめて誓われた彼女の決心。
これほどまでに残酷な献身を、俺がこの先目にすることは無いだろう。
「忘れてしまえば心配なんてしませんよね。危険に飛び込んだりしませんよね。私だけを、見てくれるようになりますよね…?」
見ようによっては無邪気で、何処までも純粋な悪意。
俺には毒だ、御しきれない。
「つまり…全て計画の内ってことか?神社を建てる話も、あのセルリアンも全部…俺にこの力を与えて、そして使わせるためだったって言うのかよ…!?」
「うふふっ…はい♡」
アハハ、清々しい程元気のいい返事だ。
俺からいっぱい元気を吸ったおかげか?
もういいか。
そんな諦めが俺の口をこじ開ける。
「そうか、どれもこれも俺を、陥れるための…」
「――違います。これは全部、ぜんぶ、ぜーんぶっ! ………神依さんの為なんですよ?」
……は?
「っ…ふざけんなッ!」
感情の奔流、即ち『輝き』。
どす黒い力の波が形を持ち、やがて蔓のようにオイナリサマに巻き付き、彼女を空中に拘束した。
「何が『俺の為』だ…何もかも、自分の為なんだろ…っ!?」
我が身さえ焼き焦がし、剰えオイナリサマを傷つけようとするこの怒りは、果たして何処から湧いてきたのだろう。
諦めきったと思っていた心の中に、まだ俺の知らない火種が燻っていたのだろうか。
オイナリサマの言葉が油となったのか。
とにかく、止まらない。
感情の侭に、黒い熱はオイナリサマを蝕んでいく。
表層は蔓。
感情は炎。
性質は毒。
アイビーのように逃がさずに。
とめどない熱で焼き尽くし。
刻んだ呪いが身を
代償など最早知るものか。
失った記憶は戻ってなど来ないのだ。
ならば、燃やし尽くしてしまっても問題などあるまい。
「かっ…神依、さん…」
「はぁ…あぁ…?」
吊るし上げられたオイナリサマは苦し紛れの声を発する。
俺の名を呼ぶのでそちらを見上げると、当然彼女と目が合った。
「……うふ」
――嗤った。
締め上げられているのに、こちらを見下ろして微笑んでいる。
「そうかそうか…元気そうで何よりだッ!」
容赦はしない。
オイナリサマを絡め取ったまま空中に打ち上げた。
身体を投げ出された彼女に、尚も抵抗する様子はない。
俺は蔓の先に力を込め、肥大化させ、質量の暴力を振るわんと狙いを定める。
オイナリサマは、微笑んだまま動こうとしない。
”…どうぞ、神依さんのお好きなように”
そんな言葉が、聞こえた気がした。
なら、やってやるさ。
「……潰れろ」
短い掛け声で振り下ろす。
つい直前までは力の限り叫んでやるつもりだったが、出てきた言葉は存外に静かなものだった。
俺はそれを訝しみ攻撃を止めるか或いは、早くその意味に気づくべきだった。
だが、もう遅い。
「……っ」
鋼の塊とも形容すべき蔓の先は、オイナリサマの身体を巻き込んで書斎の床へと容赦なく叩き付ける。
轟音と共に床の埃が舞い、不愉快な塵に俺は眉をひそめた。
やがて晴れた視界の中で、オイナリサマはこじんまりと座っていた。
服はダメージでボロボロだが、俺を見つめる表情に陰りは一切見えない。
「力強いですね…ごほっ…私、惚れ直してしまいそうです」
「へぇ…なら、もう一回やってやろうか?」
「ええ、お好きなだけ、神依さんが満足するまで、私を嬲ってくださいませ」
俺はオイナリサマに言われた通り、もう一度彼女を空に放り出してやろうと手の平を向け……突然やって来た退屈に、腕をそろりと下ろした。
「…やめた。こんなことしたって何になるんだ」
虚しいだけだ。
怒りに任せて行動したって何になる。
自分でも記憶が戻る訳ではないと分かっていたろうに。
…別に、何もしなくてもいいじゃないか。
「……?」
あれ、今の一瞬…変な感覚がしたような。
でも何も…ないよな。
「うふふ…神依さん、『輝き』って、どんなものがあるか知っていますか?」
「…藪から棒にどうした? そりゃあ…大事な記憶とかじゃないのか?」
だからこそ、オイナリサマはそれを消し去るための罠を貼ったのだ。
「勿論その通りです。でも、それだけじゃないでしょう? 知っている筈です、もっと輝かしいものが有る筈ですよ」
「もっと、別の…?」
それを、俺が忘れているのか…?
「分からない、それは――」
「『感情』です。喜び、怒り、悲しみ…それは一過性の輝きですが、だからこそ…他の何より輝く瞬間があるんです」
俺が尋ねるよりも前に、答えは示された。
続く問いが俺に何を示すのか…分からない程、愚鈍じゃない。
「ねぇ、神依さん。さっきは…どんな『輝き』で”再現”したんですか?」
「……お、おい」
それは…止めだ。
「あぁ…忘れちゃったんですね。私への怒りも…”誰かを守りたい”という決意も」
「ふざ…けるな…」
俺はオイナリサマに掴みかかる。
その力は弱く、彼女を支えきれないままに手放してしまう。
怒りなんて、今更湧いて来ない。
辛うじて…膝をつくことは免れた。
文字通りの失意。
絶望に侵されるまま立ち尽くす俺の頬に口づけをして、オイナリサマは書斎を後にする。
「では、私は夕ご飯を作ってきます。落ち着いたらでいいので、来てくださいね」
―――――――――
オイナリサマのいなくなった書斎で一人、目的を失った俺は自分の攻撃で散らかった本や椅子を片づけることにした。
その間に、忘れてしまった存在を口に出して数える。
「……」
当然…無言だ。
忘れたものの名前を、一体どうして呼ぶことが出来ようか。
やがてようやく声にしたのは、唯の乾いた笑いだった。
「ハ、ハハハ…」
唯一の希望か、もしくは更なる絶望か。
この笑いの原因は、いつまで経っても覚えている存在を挙げられないからではない。
見つけたのだ。
こんな今の状態でも覚えている彼女たちを。
「冗談だろ。真夜、雪那…」
かつて外にいた頃の俺が、すぐ目の前で喪ってしまった二人。
ずっとずっと忘れたいと思っていたこいつらを、俺は今でもハッキリ覚えている。
もういいだろう。
誰も見ていないんだ。
俺は膝をついた。
「助けてくれよ…遥都…」
次に出たのは古き親友の名。
二度と会うこと叶わない、誰よりも大切だった朋。
ぐらり、視界が歪む。
でも、これだけじゃない。
「お前ならどうするんだ、祝明…?」
俺とそっくりな、ある意味では半身とも呼べるアイツ。
まだ忘れていないこの四人が、ボロボロになった俺の心を辛うじて保ってくれていると言っても過言ではない。
けど俺はもう、怒る力さえも奪われてしまった。
座ったままで書斎の天井を見上げる。
「…オイナリサマ」
無意識のうちに呟いていた神様の名前。
そうだ。
オイナリサマは死なない、いなくならない、消えたりしない。
他の誰よりも確かな存在。
そう思うと俺は、一抹の安心感に包まれたような気がして――
…外から雨の音がする。
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