Ⅵ-166 運べや運べ、ハコベの上に
ガタンガタンと石を踏み、葉っぱを散らして枝をへし折り、車はタイヤを回して進む。
風が掻き分け散らした青葉がフロントガラスに乗っかって、遮る視界は青空の向こう、大きな機械が飛んでいる。
彼の物の名はヘリコプター。
大きな建造物を空から撮影したり、急病人を空路で運んだりするときに使われるあの乗り物だ。
間近で目にした時はその大きさに驚いたものだが、空高くに行ってしまえばその影は小さなおもちゃも同然。
全力で目を凝らせば横の窓から中が見えるが、コックピットには誰もいない。
いや、実際にはラッキービーストが搭乗しているが、体が小さくて見えないので殆ど同じことである。
俺は地上からヘリコプターの様子を観察する。
「…今のところは異常ナシか」
機械工学とか航空力学について俺は非常に浅学な身だが、一目見て問題が無いことは確か。
外から見えないエラーは中のラッキービーストが報告してくれる。体制はバッチリだ。
あのラッキービーストには感謝しなければいけない。不慣れな俺の操縦でヘリコプターごと墜落してしまう危険を承知で、彼は操縦の手伝いに名乗り出てくれた。
”ただのロボットだから気にしないで”…彼はそう言っていたが、俺は冷酷になどなれない。
機械と言えど、他人に危険を押し付けてしまったという罪悪感と責任感がある。自然と、車の運転も慎重なものになっていた。
「落としちまったら、下にいる誰かも危ないもんな…」
一切のトラブルも起きず、非常に安全な空路。
だからこそ気が緩みそうになる度に、俺は自分に言い聞かせる。
便利なものほど反動は大きく、効果が予期せぬ方向に発揮された時の弊害もまた大きいのだと。
”それ”を俺は十分に知っていて、しかし知り切れていなかった。
…まあ、これは後の話だ。
「オイナリサマは流石だな、空から運ぶなんて…思いつかなかった」
「アイデアを実現できたのは神依さんの力あってこそですから。だから、すごいのは神依さんですよ…?」
冗談じゃないと首を振る。その力を俺に与えたのはどこの誰なのか忘れた訳でもあるまい。
しかも、俺一人では車とヘリコプター、その両方を再現するだけのサンドスターを工面できなかった。そう、それもオイナリサマに融通してもらったもの。
だから、オイナリサマの俺を褒める言葉を聞くごとに、むず痒い違和感が背中を走るのだ。
果たして何時か、この感覚が心地よさに変わる日が来るのだろうかと夢想する。斯くもそれは、げに恐ろしき未来図であった。
『到着まで、残り30分の予定だよ』
空中のラッキービーストから通信が届く。
俺は同じように通信で返事をし、手を握って気を引き締めなおした。
空路での輸送は十数往復までに及び、全ての建材を運び終わったのは運び始めてから九時間後のこと。
赤い残光が横から照り付ける、心地よい黄昏時であった。
―――――――――
材料の準備が済んでしまえば、あとは建設の本工程に入るだけ。
お手伝いのフレンズたちには今日の朝から建設予定地に入り、基礎工事に取り掛かってもらっている。
基礎の完成には少なくとも一日掛かるようで…同じく一日をかけて行う材料の輸送と並行して行うには丁度良かった。
輸送は全てヘリコプター頼みで、フレンズの手を借りることは無い。
オイナリサマがこの方法を提案したのも、この点を含めて効率的な点が多かったからなのだ。
「ふぅ…これで四分の一か。まだまだ長いな」
それは四回目の輸送だったか。
日光が真上から差す正午時、俺は暑さと緊張の汗で濡らした額を拭った。
既に、作業が始まってから三時間が経っている。暗くなると運べないから、時限はおよそ六時まで。
現在の作業ペースでは25%ほどが明日の日程にずれ込むことになる。俺は少し焦りを感じていた。
そんな俺の様子を見かねたのか、オイナリサマが励ましの言葉を掛けてくれた。
「大丈夫ですよ、時間はたっぷりありますから」
「ああ、心配なんてしないさ…少し、基礎の様子を見てきていいか?」
ついさっきまでの焦燥を振り払うように、俺はわざと時間を無駄に使ってみようとする。
本当ならさっさと湖畔に戻って五往復目に入るのが良いのだろうが、俺は少し道理から外れてでも余裕を持っておきたかった。
「良いですよ。でも、あまり長居していると…」
「分かってる、適当なタイミングで戻って来るさ」
オイナリサマは目を細め、気乗りした表情ではなかったが一応は送り出してくれた。
俺はひらひらと手を振って、丘の頂上を目指して歩く。
風に吹かれた草が綺麗で、ひらひら緑が舞っていた。
「あ…カムイ殿、お疲れ様であります! もうお仕事は終わったでありますか…?」
「小休止ってところだ、すぐに戻るさ」
こちらに気づき、やって来るプレーリー。
俺は軽く言葉を返し、近くの木陰で脚を休めた。
「そうでありましたか…確かに、休憩は大事でありますからね」
プレーリーはうんうんと頷きながらそう言って、俺の近くに腰を下ろした。
「お前も休憩か?」
「はい、お休みは大事であります!」
「ハハ、そうだな」
背中を木の幹に預けて目を閉じれば、草の匂いが鼻をくすぐる。
耳には風が枝葉を揺らす音が届き、伸ばした手は暖かな陽の光を受けて安らぐ。
しばらく適当に腕を遊ばせていた俺は、指先に少し変わった感触があることに気づいた。
「…ん?」
そっと掴んだ植物を見てみると、それは小さな白い花だった。
「へぇ、かわいい花だな」
太陽の下に輝くその花は、こじんまりとした可憐さで俺の視線を引き付ける。
俺はそれを摘み取って、深呼吸をして匂いを嗅いでみた。何とも言えない草の香りで、それでも長閑で癒された。
「それはもしかして、ハコベでありますか?」
「ハコベって…この花の名前か?」
プレーリーは頷く。
「昔、図書館の本に写真があったであります。何だか…難しい文字で書かれていたでありましたね…」
難しい文字か。
ハコベ…
”分からない”という感覚が喉に引っ掛かるようだったが、癒しの香りを鼻に感じればそんなことはどうでもいいというもの。
「…やっぱ良い場所だな、この丘は」
俺は摘んだハコベをポケットに入れる。
その内萎れてしまうとは理解していた。
だから、ほんの少しでも長く眺めていたかった。
「じゃ、そろそろ戻るな」
「はい、カムイ殿もお仕事頑張ってくださいであります!」
短い休憩はこれにて終わり、ジャパリまんと紅茶を胃に入れてから作業は再開される。
その後、俺が再びこの場所へやって来たのは、材料運びが全て終わった午後六時過ぎのことだった。
俺はすっかり元気を失ったハコベを休んだ木の陰に置き、そっと祈りを捧げて、その場を後にしたのだった。
―――――――――
「さて…基礎作りも終わって、ついに本殿の建設だな」
「とうとうっスね…今まで、とても長かったっス」
「ついに、私たちの本領が発揮されるであります…!」
早朝にも関わらず、集まったフレンズたちの士気は抜群だった。
それもその筈。
今日は更に太陽が昇ってから建設を始める予定だったのだが、彼女たちが自ら集合時間を早めてここに集まったのだから。
「けど、本当に良いのか? こんなに早くから…」
「大丈夫っス。オレっちたちも、早く作り上げたくてみんなうずうずしてたっスよ!」
俺としては、外で流行っていた――というのも不謹慎だが――”やりがい搾取”の気配を感じて引け目を感じてしまう。
しかしまあ、本人たちが望んでいるなら大丈夫か。
よもや働き過ぎなんて無いだろうし、その気を感じたら俺が止めればいい。
辛いのは…眠気がヤバい俺だけだ…
「あぁ…じゃあ、始めてていいぞ」
宣言を待たずして作業を始めたフレンズたち。
元気なものだ、羨ましいな。
「眠いなら寝ていて構いませんよ、何かあったら起こしますから」
「そうか。じゃあ、頼む…」
普段ならいくらか恥じらいも覚えたであろうが、生憎この時はそんな余裕などなかった。
俺は静かな木陰で、オイナリサマの膝枕に頭を預けて、ぐっすりと熟睡するのだった――
「……ハッ!?」
何かに駆り立てられるように、俺は一気に体を起こして目覚めた。
それは危険か、惰眠を貪る自分への警告か。
ああ、警告だっただろう。
「あら、起こしてしまいましたね」
「オイナリサマ…なんで、服の中に手を?」
「…えへっ♡」
俺を目覚めさせたのは、オイナリサマの手によるそういう感触だった。
念入りに身体を弄られて、気持ちが良いのか悪いのか…ともあれ、微妙な目覚めだったことに間違いはない。
「はぁ…まあいい。神社はどんな感じだ?」
「そうですね、中々順調です。私が見た限りでは…一週間もあれば完成すると思いますよ」
「そうか…速い、な」
材料の準備期間を差し引いたとしても、一週間で完成する建物の話なんて外の世界でも滅多に聞いたことが無かった。
唯一聞いた話もどっかの国のお手抜き工事。
フレンズたちは手を抜かないし、過失を起こす程技量に欠けている訳でもないから…日本の普通の工事と十分に比較できる。
その前提に立てば、目の前の状況の異常さがよく分かる。
今の科学技術を駆使しても難しいことを、そういった機械に一切頼らない女の子たちが成し遂げてしまうかもしれないとは。
つくづく、サンドスターとは恐ろしい現象を起こす物質である。
「はは、勿体ないな…」
皮肉なものだ。
奇跡の如き現象で生まれたフレンズたちの力を借りて造る建物が、何の奇跡も起こさないハリボテの神社だとは。
「彼女たちは力を存分に発揮していますよ…勿体ないことなんてありません」
「そういう意味じゃないんだけどな…だってあの神社、使わないんだろ?」
何度も聞いた話をもう一度掘り返した俺の口調には、若干の苛立ちが籠っていたかもしれない。
散々彼女たちの熱意を見た後だからこそ余計に、それに釣り合わない神社の扱いに憤りを感じた。
そして考えを告げた後、自身の咎めるような言い方に罪悪感を覚えてしまった。
バツの悪い気持ちでオイナリサマを見ると…彼女はけろっとした顔で、不思議そうに俺に尋ね返すのだ。
「え、使いますよ? ちゃんと偽装するじゃないですか」
「あー……そう、だな」
訊く顔には、一片の疑問も無い。
フレンズたちが協力して作った努力の結晶がこんな用途に浪費されることも、オイナリサマにとっては当たり前なのだろう。
神の奇跡が、彼女たちを救うことはないのだろうか。
「良いんですよ、私の奇跡は神依さんだけのモノですから」
澄まし顔で言ってのけるオイナリサマには一周回って敬服の念すら覚える。
他でもない神様自身が、自らの奇跡をたった一人のモノだと、独占してしまって良いのだと宣言したのだから。
…そんなこと、俺にはとてもできない。
立ち上がり、槍を構えて歩き出した。
「あら、何処へ…?」
「セルリアン退治だ、向こうに見えたからな。ああ、それと…」
不用心な神様の足元を見て、俺は眉をひそめた。
静かにそこを指差して、ほんの一言くれてやる。
「…そこのハコベは踏まないでくれ。俺の…気に入った花なんだ」
それだけを言い残して、俺はセルリアンに向かって飛び出した。
――ハコベの花言葉は、『集合する』。
まるで、フレンズたちの群れを表しているかのような花言葉。
素敵だろ?
そうだ、だから邪魔なんてさせない。
彼女たちは集まって力を合わせて、一緒に輝きを作り上げようとしているんだ。
俺は…自分に出来る手助けを、してやらないとな。
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