Ⅵ-162 輝け、決意のある限り

 オイナリサマに戦うための力を授かった俺だが…寝床でぼんやりと考えを巡らせていると、この力が”戦い”以外の目的にも応用できることに気づいた。

 身に有り余る力を手に入れた喜びも夜には十分に収まり、冷静な思考が行えるようになったお陰であろう。

 

 自らのイメージだけで物体を再現できる能力…これ以上なく汎用性が高いではないか、ただのセルリアンを倒す凶器に終わらせてしまうのは勿体ない。


 俺は考えた。一番身近な環境で、如何様にすれば天から授かったこの力を存分に生かすことが出来るのかを。


「…アレ、だな」



 そう、俺が思いついた活用法とは――



「よし、この丸太は向こうの車に乗せて、まとめてラッキービーストに持って行ってもらってくれ」



 ――建材を運ぶトラックを再現し、作業を効率化することだった。



「了解っス! …それにしてもアレ、とっても便利な『キカイ』っスね?」


 車に輝かしい視線を向けるビーバー。彼女は普段からダムとかの建築物を作っているらしいから、それに役立つ道具にはやはり興味があるのだろう。


 どこから持ってきたのかと尋ねられ、俺は予め用意していた答えを返す。


「ああ、オイナリサマに貰ったんだ」


 容易に突っつかれる嘘でもなく、変に話が広がる真実でもない。

 我ながら、完璧な答えであった。


「へぇ、オイナリサマは凄いっスね~…あ、運んでくるっス!」


 ビーバーの背中を見送り、俺は予め書斎から持って来ておいた小説に目を落とす。


 昨日は本当にやることがなく、セルリアンが現れるまで手持ち無沙汰だった。

 今日も今日とて現場監督。何か問題が起きない限り、ただ時間を食いつぶすだけの退屈な立場。


 不謹慎だが、精神衛生上俺には娯楽というものが必要だった。


「……はぁ、疲れたな」


 目がチカチカする、こういう細かい活字は明るい屋外で眺める物じゃないな。

 

 結局一文字も読み進めることなく、俺は本を閉じた。


「やっば、何して時間潰そう…」


 指は空気を掴み、足先は虚空を蹴った。

 逡巡を重ねて頭の中で面白そうな何かをグルグルと探し続けて数分。


「そういや…コレがあったな」

 

 俺の手には、”再現”したばかりのルービックキューブが載せられていた。



―――――――――



「…よし、解けた」


 綺麗に二つに分かれた”知恵の輪”を投げ捨てると、用済みになったパズルは塵となって消えた。


 さっきので…ええと、何個目だっけ?


 近くの草むらは、パズルの成れの果てに覆われ濃い虹色に染まっている。

 具体的な数は数え忘れたが、時間はかなり使っているはずだ。


「さて、一度くらいは進捗の確認でもするか」


 報告にも来ていないし期待することもないが、パズルを解くのも頭の栄養を使う。


 ちょっと疲れたし、やる気も段々薄れてきたしと、俺が手を止めるのも当然の理由が揃っていた。


 それと…フレンズの近くに居れば、必然的にセルリアンも寄って来る。


 ”新しく手に入れた力を試したい”という気持ちも心の奥に昂っていた。


 自分の欲望に忠実で、気に入らない存在を片っ端から力で排除していくオイナリサマのことをと、そう感じたこともあったっけ。

 オイナリサマに見初められてしまった俺も、十分に子供っぽいのかもしれない。


 歩きながら、そんなことを思った。



「カムイ殿、お疲れ様であります!」


 プレーリーは俺を確かめると、作業の手を止めてビシッと敬礼までして挨拶をしてくれた。

 あ…普通の声掛けの方だからな。


「お、おう…別に、俺は疲れてないさ。仕事が無いんだから」

「”みんなを取りまとめる立場は大変だ”…と前に博士殿に聞いたであります…ですから、カムイ殿もきっとお疲れでありますよ!」


 その後もプレーリーの口からは、博士が体験したという『上に立つ者の苦労』が壁を築くレンガの様に大量に並べられていく。

 果たしてその内の幾つがフィクションだろう、本物を数えた方が早く終わる気もするが。

 

 博士は以前からそうだった。もちろん十分に賢いのだが、博士はその賢さを利用してありもしない話を捏造するのだ。

 そしてそれを得意げに語ることで、自らの権威を高めていく。


 最後に、話が佳境に入ったところで助手が上手く茶々を入れて全てを台無しにする…それが、いつもの流れだった。


 懐かしいな。もう、あの漫才も見ることが出来ないのか。


「…カムイ殿?」

「ん? …ああ、悪い。やっぱり疲れてるのかもな」

「休養は大事っスからね。今日の分が一段落ついたら、一緒にどうっスか?」

「…なら、そうさせてもらうか」


 否定することは諦め、”俺は疲れている”という二人の言論に合わせることにした。


 ま…パズルは疲れるし、問題ないな。


「…って、そうだった。車は問題なく動いてるか?」

「バッチリであります! ラッキー殿がしっかり運転してくれてるでありますよ!」


 指差す先の車には、青いロボットが乗っている。

 運転席で車を制御し、空っぽになった荷台をこちらへ向け停めて、中からラッキービーストが姿を現した。


「悪いな、運転させちまって」

「大丈夫だよ。ボクの仕事は、ヒトのお手伝いをすることだから」


 『たち』…? と疑問に思ったら、急に出てきたボス軍団。


 彼らは力を合わせて積んであった丸太を持ち上げ、淀みない作業の流れで荷台に積みなおしていく。


 ラッキービーストが隊列を成して歩みを進める姿は壮観だ。

 もう少し彼らの体が青ければセルリアンの大群とも間違えられても不思議ではない、危なかったな。


 …ん?


「アワ、アワワワワ…」


 ラッキービーストの一体が大勢を崩し、そこからドミノ倒しのようにバタバタと隊列が崩れていく。

 支えを失った丸太は向こうへ転がってやがて湖に落ちたが、下手をすれば彼らは潰されていたかもしれなかった。


 あぁ…危なかったな。


「だ、大丈夫でありますか!?」

「えっと…オレっちは丸太を助けるっス!」


 ビーバーとプレーリーが慌てて飛び出していき、それぞれ丸太とラッキービーストの救助に当たり始める。


 俺はなんとなく手を翳し、彼女たちの助けになりそうな何かを再現しようと数秒ほど記憶の海を掬っていたが、特に何も思いつかず腕は力なく重力に行方を任せた。


「ま、大した事態でもないからな…」


 言い訳でもするように呟いて、空っぽになったトラックの助手席に乗り込む。


 フロントガラス越しに湖畔の喧騒を目にして、俺はふと懐かしい想いに襲われた。

 そっくりなんだ、外で見た景色と。


「何時だったかな…真冬でめっちゃ寒かったんだっけ…」


 正月、爺さんに連れて行ってもらった湖。

 俺は車に乗ったまま、こんな風に景色を眺めていた。


 懐かしさに涙が浮かぶ。同時に、二度とあの景色を見られないという事実に寂しさが募る。

 馬鹿野郎、取り返しの付かないものが多すぎる。


 これも全部、俺がアイツに望んじまったから――


「酷い人ですよね、イヅナさんは」

「っ! お、オイナリサマ…」

「尤も…彼女もヒトではなくキツネ、ですけれど」


 いつの間にか運転席に座っていたオイナリサマが隣で微笑んだ。彼女の神々しい外見と、俗っぽい運転席の組み合わせが絶妙に似合わない。


 気が付けば自分も笑っていた。オイナリサマは戯けることも茶化すこともせず、俺から悲しみさえも奪い去ってしまった。

 

 許されないのか、悲しむことさえも。


 視線を前に戻し、また湖畔を眺めた俺は、一分もしないうちに自分が思い出への感情を失ったことに気が付いた。


 それが悲しいかと言えば、悲しくなどない。


 この現状を悲しめるほどの感情もまた無くなっていることに気が付いて、涙はついに出なかった。




―――――――――




「…何で来たんだ?」

「うふふ、神依さんに会いたくなったので。私も、そんなに仕事はありませんからね~」

「もっと減りそうな気配だけどな、仕事」


 湖のほとりを歩きながら、俺とオイナリサマは言葉を交わす。


「神依さんの発想のお陰ですね。私もビックリしました、まさかこんな使い方を思いつくなんて」


 ”私なら精々巨大なボールを出して敵を潰すだけですねー”、と言ってクスリと笑う。


 …やれやれ。そんな発想が出るのもアンタだけだし、もっと言えば大量のサンドスターを工面できるのもアンタだけだ。

 そもそもの話で、神様に下界を心配する発想は無いらしい。少し前まではあったはずなんだが、一体全体どうしてこうなった。


 …っと、どうせいつものことだし、呆れるのもここまで。


 ラッキービーストの仕事ぶりを見ているうちに気になることが出来たから、ここらで一つ尋ねてみよう。

 

「再現したものは用済みになったら消える…だったよな。それって、誰が判断するんだ?」

「ああ、それは勿論神依さんですよ。神依さんが再現したものなら、何処にあっても神依さんの影響下にあります。ですから貴方が『不要だ』と判断した時点で、物体は形を失うのです」


 なるほど、予想はしていたが俺に権限があるのか。折角だし、もう少し踏み入った質問もしてみよう。


「それって…無意識に思ったとしても、消えるのか?」

「ふむ…戦いが終わった時の話でしょうか? それでしたら確かに…よほど強い想いで留めない限り、武器は消えてしまうかもしれませんね」


 無理に止めるくらいなら、作り直した方が楽ですよ。オイナリサマはそう言った。


 なるほど、論理的にも納得できる答えだ。あのトラックも俺が存在を望んでいる限り無くならないのだろう。


 そう、望んでいる限り。


「…改まって訊いてもいいか?」

「はい、何でも訊いてください」

「ああ…オイナリサマはどうして、俺にこの力をくれたんだ?」

「うふふ、不思議なことを訊きますね。貴方に必要なものを渡すのに、大した理由が必要ですか? ましてや、貴方がそれを望んでさえいるのに」


 俺に必要なもの…か。


 他にもあるさ、必要なもの。そして、俺が渇望していると言って差し支えないものが。


 言え、今がその時だ。

 力を持った、今こそが。


「オイナリサマ、俺は――」

「だから、ずっと一緒にいましょうね?」

「っ…!?」


 …力を以て、尚乱雑に、決意の言葉は潰された。


「私が神依さんにを全部あげます、だから…離れちゃダメですよ」


 俺の望むものを与えるなんて、嘘っぱちだ。

 そうか、全部建て前か。神様も俗なものだ。これだったら、案外トラックの運転席も似合うかもしれないな?

 

「…分かってるさ」

「なら、いいんです」


 ああ、神様、違うんだ。


 神様は、望む方じゃない。いつだってヒトが、神様に望みを託すんだ。


 だからオイナリサマ。もしも本当にアンタが神様だっていうのなら、俺の本当の望みを汲み取ってくれ。

 約束した通り、俺がアンタが神様であることを望み続けるから。それが出来るように。


 …どうか、神様のままでいてくれ。


「それなら、一つ頼んでも良いか?」

「うふふ、何でしょう…?」

「聞かせて欲しいんだ…オイナリサマの、昔の話を」


 彼女は驚きに目を見開いた。そして心底興味深そうに口元へ手をやり、嬉しいのかどうかよく分からない笑みを浮かべる。


「ええ、ええっ! 良いですよ…うふふ。でも、どうして…?」

「気になるんだ、俺と出会う前に何してたのか…ってさ」


 それに、聞けば分かるかもしれないんだ。

 

 最初に会った時は清廉潔白でどこまでも美しいイメージだったオイナリサマが…果たしてどうして胸中に激情を秘め、ここまでの狂気を持ちうる人格になってしまったのか。

 

 ハハ、最高に興味深いだろ?


「うふふ…じゃあ、今日の夜にでもお話ししますね」

「そうだな、それがいい…」

 


「きゃあぁぁーッ!?」



「…?」


 遠くから聞こえた大きな叫び声。

 明らかに平常な出来事ではない…恐らくはセルリアンだ。


「行くんですよね、神依さん」

「当然だ。そのために、この力を貰ったんだからな」


 話はそこまで、時間など掛けていられない。すぐに俺は足を踏み出した。

 後ろは絶対振り返らずに、声の方へと駆けてゆく。


「絶対に、倒してやるからな…!」


 今迄ならば感じることのなかった筈の奇妙な高揚感が、俺の足を軽くしていた。

 かつて感じた悪寒など、ひと欠片すらもありはしない。

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