Ⅴ-153 忘れてたアレが出てきたら

「ノリアキ、これどうなったの!?」

「…あ」


 キタキツネが見せつけるように広げた雪山の地図。藪から棒に何かと思えば、とんでもないものが出てきてしまった。


「ねぇ、どうして放っておいてるの?」

「あはは、割と本当に忘れてたんだ…ごめん」

「むー…」


 キタキツネはご機嫌斜め、一体何が不満だろう。


「ボクを無理に連れてって取ってきたんだから、ちゃんと最後までやんないとダメっ!」


 実際は自分から付いてきたんだけど…まあ、おちおち留守番できる状況でもなかった訳だし、それを言うのは野暮になるかな。


「分かった、じゃあ今日のうちに解いちゃおっか」

「うんっ! 早くしよ!」


 でも、何だかんだキタキツネも結構楽しんでいるのかもしれない。


 そうじゃなかったらきっと、こんな笑顔は浮かべない。



「お宝お宝ー…ノリアキは何だと思う?」

「そうだなぁ…実は、見当付いちゃってるんだよね」

「え、そうなの? …すごいっ!」


 爛々と目を輝かせて僕を見つめるキタキツネ。こうも期待されるとなんだか申し訳ない。


 言わなきゃ…ダメだよね。夢を壊してしまうのは悪いけど、現実は現実だから。


「えっとね、まず…この地図を作ったのはオイナリサマだよね」

「うん、そうだね」

「つまり、お宝を置いたのもきっとオイナリサマだと思う」

「…?」


 ここまでヒントを重ねてもキタキツネは気づく様子がない。


 中々どうして、心労を重ねさせてくれる。ゲームをしている時は鋭い勘を発揮するというのに、磁場は何処へと消えた?


 無い磁場なんかに頼れないから、僕は答えへの一歩を踏み出した。


「あるよね、キタキツネ。最近オイナリサマから受け取ったが」

「…ま、まさか?」


 頷く。もう引き延ばすのも無駄だ。


「ホッキョクギツネだよ…オイナリサマの言う『お宝』は」

「嘘だよッ!? だってあんな…あんな奴!」


 立ち上がって怒声を発するキタキツネの肩を掴み、冷静に宥めた。最初は抵抗した彼女も、時間と共に落ち着いた様子。


 それでもまだ納得の色が見えないキタキツネには、丁寧に説明して解ってもらおう。


「大事なのは僕たちにとってじゃなくて、飽くまでそう言い張ってること」


 そもそも、『お宝』なんて何処にもなかった。


 処分に困ったのか他の目的があるのかはいざ知らず、あの神様が拵えた宝探しの目的は『ホッキョクギツネを僕達に押し付ける』ことで間違いない。


 それは、現時点で浮かび上がっている幾つかの証拠が根拠となってくれることだろう。


「全部…嘘だったってこと…?」

「だろうね。この地図も、僕らをホッキョクギツネの元へ誘導するための道具だったんだ」


 僕は、今の時点で導き出せる最も確からしい真実を告げた。


 だけどキタキツネは首を振る。


 論理的にはそれを理解していても、彼女の感情は受け入れることを拒んでいるみたい。


「でも、こんな…成功するかも分かんないこと…」

「…どっちでも良かったんじゃないかな。僕らが失敗すれば、ホッキョクギツネはあの穴で凍え死ぬか飢え死にするだけだし」


 成功すれば、今の状況のようになる。


 どちらに転んでもホッキョクギツネを神依君から引き離せる以上、オイナリサマがこの成否に執着する必要はない。


「…わかんない、おかしいよ。だったら連れてこなくても良かったじゃん」

「それは”オイナリサマが”…ってこと?」


 キタキツネは頷いた。


 まあその通りだよね。この問いに対する答えは用意できない。…説明できない。


「…趣味、だったり?」


 控えめに言って横を見る。見開かれた目は、盛大な気付きを孕んだ納得の色の光を跳ね返していた。


「単に、そうすればスッキリするから…とか。理由は多分、考えるだけ無駄だと思う」

「…そっか」


 地図を破いてポイしてぐったり。僕の膝に頭を乗せてキタキツネはふて寝を始めた。


「お宝…欲しかった…」

「あ、はは…今回は残念だったね」

「…うん」


 気分は斜めに四十五度。暗く湿った空気の中で僕らは互いの熱を食む。


 そんな時、この淀んだ空気を叩き壊すかのように、甲高い襖の音がピシャリと響いた。


 音の方を見れば、そこには不自然なほどに頬を紅潮させてハイテンションな笑顔を見せるイヅナの姿。訝しむ僕らなど気にもせず、イヅナは歓喜の言葉を叫ぶ。


「ノリくん! やっと…やっと見つけたよ…お酒っ!」


 …ギンギツネが、上手く隠してくれてたんだけどな。




―――――――――




 周知の事実だと思うけど、イヅナは酒癖が非常に悪い。


「そんな暗い顔してないでさ、お酒でも飲んで楽しもうよっ!」

「いいの? こんな真昼から…」

「へーきへーき、私も全然酔ってないでしょ~?」


 どれくらい悪いかと言えば見ての通りで、さながらその姿は暴走ジャパリバス。


 しかもお酒に弱いのに大量に飲みまくるせいで、質の悪さは時間と共に加速度的にスケールアップする。


 かつて酔い潰されたギンギツネが、更なる被害の拡大を案じて手の届かない場所に隠しておいたんだけど…とうとう見つかってしまった。


「忘れた頃だと思ったんだけどなぁ…」

「忘れる訳ないよぉ…こんな美味しいお水~」

「水じゃなくてお酒だから。ほら、あんまり沢山飲んじゃダメだよ?」

「や、やー!」


 瓶を力づくで取り上げようとすれば、赤子のようにわめいて抵抗する。


「もう…大変だなぁ」


 こっそりお酒へと手を伸ばしていたキタキツネも抑えて、僕はイヅナの酔いを醒ますため頑張ることに決めた。



 相当な量を飲んでいるのか、イヅナは完全にお酒に呑まれて惚けている。


 そんな前後不覚に近い状態でも瓶だけは離そうとしないのが恨めしい。


「我慢は良くないよ、ノリくんも一緒に飲も~?」

「イヅナ、今はそんな場合じゃ…」

「じゃあどんな場合なのっ!?」

「えっと、それは…」


 突然浴びせられた大声と答えの出せない問題を受けて、僕は返事に困窮する。イヅナは僕のそんな姿を見て、勝ち誇ったように言い放った。


「ほら、飲んでも問題ないじゃん…!」

「でも、飲みたい気分じゃないし…」


 ありのままの気持ちを伝えてみるけど、イヅナの顔に張り付いた笑みは崩れない。


 彼女は”なるほど”とでも言いたげな表情で頷きながら、お酒をコップに注いで飲み続けているのだ。


 到底、僕の想いが伝わったとは思えない。


 そんな僕の悪い予感を肯定するように、お酒が入って色気の増した悪戯っぽい笑みを浮かべてイヅナは耳元で囁く。


「ノリくん…イイこと教えてあげる。気分っていうモノはねぇ、無いなら無理やり作っちゃえばいいんだよぉ…?」


 酒混じりの吐息が耳を撫で、背中も優しく撫でられた。


 心地よい撫で方だったけど、キタキツネがイヅナを引き剥がしたせいで直ぐに終わってしまった。


 少し残念に思う僕の耳を引っ張ってキタキツネがたしなめる。


「もう、されるままなんてイヅナちゃんの思う壺だよ」

「キタキツネも、最初は飲もうとしてたよね…?」

「……」


 宙を泳いだキタキツネの目、先の見えないお酒の宴。


 対応の悪い僕達の様子にイヅナは辟易とし、深いため息を漏らした。僕も同じ気分だよ、どうしてこうなったの…?


「全く、ノリくんはしょうがないなぁ…」


 ぺちっ。イヅナが指を鳴らそうとした。


 ぺちぺち。上手く鳴らせない様子だ。


 …パチン。イヅナは手を叩いた。


「はい、お呼びでしょうか?」


 すると、外で待機していたホッキョクギツネが部屋の中に姿を見せた。


 彼女が持ってきたお盆には、新たな酒瓶に酒のおつまみ。どうやらイヅナは本格的に昼の宴を催すようだ。


「それにしても、イヅナもホッキョクギツネを働かせるんだね…?」

「ま、ギンちゃんがそうして良いって言ってたし」

「良いんです…わたしに出来るのは、この程度のことだけですから」


 お酒を求めるイヅナの器に淀みない調子で注ぐホッキョクギツネ。


 彼女が納得してるなら働くのは一向に構わないけれど…今はイヅナにお酒を飲まれると都合が悪い。


 そしてイヅナからお酒を取り上げる口実が何も思いつかないのは…もっと悪い。


「…どうしよう」

 

 心の声が漏れてくる。


「…ねぇ、ギンギツネ呼んでくる?」

「多分、解決しないと思う。ギンギツネ、お酒が結構トラウマになってるみたいだし」

「そっかぁ…じゃあ呼んでくるね」


 素知らぬ顔で立つキタキツネ。いきなり歩き出した彼女を数秒の間呆然と眺めていたけど、危ないところで我に返って引き止めることが出来た。


「待って、僕の話聞いてなかったの…?」

「聞いたよ、トラウマなんでしょ? だから連れてくるの」

「やめてあげてよっ!?」


 恨みが深いよキタキツネ。ニコニコ笑顔が恐ろしい。


 僕は今の様子を確かめる。あぁ…酷い状況だ。


 イヅナはホッキョクギツネを巻き込んで一人で宴会を開いている。おっと、たった今三本目の瓶が空っぽになった。凄い飲みっぷりだ、弱いのに。


「ホッキョクちゃん~、次の持って来てぇ~」

「はい、かしこまりました」

「イヅナ、もうやめて。 ホッキョクギツネもかしこまらないで」

「は、はぁ…」


 お酒を取りに行こうとしたホッキョクギツネを座らせて、僕はイヅナと向かい合って座る。


 そうだね、まどろっこしい策は止めにしよう。僕はイヅナからお酒を全て取り上げた。


「あ、私のお酒…」

「もう飲んじゃダメ、自分で酔ってるの分かんない?」

「酔ってないよぉ~…こんなに元気でしょ~?」

 

 確かに元気だけど酔っているものは酔っている。むしろお酒が入った方が威勢が良くなる人も少なくないだろう。


 兎に角容赦はしない、宴会はここで終わりだ。


「そんなぁ…まだ足りないのにぃ…」


 僕に頭を抑えられながら、バタバタと手を動かしてイヅナは無力な抵抗をする。


 これがまあしつこい。この体勢を維持するために苦労したりは無いけれど、今すぐ解決に持ち込むためにはイヅナの『飲む気』を消してしまう他に方法は無い。


 あんまり言いたくは無かったけど、あのの使い時が来たのかもしれない。


「そんなに…このお酒が大事?」

「大事だよー…!」


 これで言質は取ったから。あとは言うだけ、覚悟を決めた。


「そう…僕よりも?イヅナは、これを飲んで欲しくないっていう僕の言葉より、お酒の方が大事なの…?」

「えっ…いや…そういう訳じゃ…」


 ここに来て、ようやくイヅナが動揺した。


 今こそ攻め時だ、完全に飲む気を削ぎきるまで畳みかけてしまう。僕はイヅナを抱き寄せて、あやすように語り掛けた。


「絶対に飲んじゃダメって話じゃなくて、イヅナが飲みすぎだから言ってるんだよ?イヅナって時々周りが見えなくなっちゃうから、とっても心配で…」


 ここで、心配さをアピールするために抱き締める力を強くする。とどめの言葉は耳元で、甘く懇願するように。


「僕のお願い…聞いてくれないかな…?」


 イヅナの体が熱を帯び、ぐったり僕に寄りかかる。彼女の蕩けた表情から、酒乱の大災害が無事に終息したことを僕は感じ取った。


 そして僕も安堵のため息を吐いたその時、恐怖に染まった声が廊下から響いてくる。


「や、やめなさいよ!? 私、アレだけはまだ恐ろしくて…っ!」


 ギンギツネだ。いつの間にか姿を消していたキタキツネが呼びに行っていたらしい。


 そして襖が開けられる。


「ノリアキ、ギンギツネ連れて…きたけど…」


 キタキツネは部屋に入るなり、意気揚々としていた表情を硬くして押し黙ってしまう。


 どうしたんだろうと疑問に思ってコンマ数秒。僕はイヅナを抱き締めたままなことに気づいた。


「ノリアキ…? ノリアキは、ボクよりイヅナちゃんの方が大事なの…?」

「ま、待ってよ、これはそういうのじゃなくて…っ!」

 

 否定しようとして途中で口を噤む。僕を抱くイヅナの力が強くなったのだ。


「ノリくん…の…?」

「あ…えっと…」


 イヅナの追撃に僕が言い淀んでいると、また横やりが入れられる。


「ひどいわノリアキさん、私信じてたのに…!」

「ギンギツネまで乗ってこないでっ!?」


 唯一この流れを止められる筈だったギンギツネまで参戦してしまったせいで、もう状況はめちゃくちゃだ。

 

 三人に一度に詰め寄られ、僕はもはや笑うしかない。


「…ノリくん?」

「ノリアキ…!」

「うふふ、ノリアキさん♪」

「あ、あはは…」



 ――その後、僕は全員を満足させるために、一日の全てを使うことになってしまう。


 キタキツネとはゲームをし、ギンギツネとはゆったり添い寝。


 そしてイヅナは美味しいお酒をたらふくお腹に流し込んで、とても満足そうにしていた。




―――――――――




「や、やっと終わった…」

「大変そうでしたね…わたしは、見ているだけでしたけど」


 今日の紅茶はホッキョクギツネが淹れてくれた。


 柔らかい椅子に座ってそれを口に含めば、一日の疲れがどっと溶けだして癒されてゆく。


「美味しいよ、ありがとう」

「ええ、お気に召したようで何よりです」


 一日の締めくくりをしようと例のノートを取り出してペンを握ったその時、横に立つホッキョクギツネが小さく呟くのを聞いた。


「でも…楽しそうだったなぁ…」

「…え?」

「あ、いや、何でもありません…!」


 慌てて手を振り誤魔化す姿が面白くて、僕はついつい笑ってしまう。


「ふふ…君が初めてかもね。傍から僕らの様子を見て”楽しそう”…って言ったのは」

「そ、そうなんですか。ふふ、わたしが初めて…あっ! か、片付けてきますね…!」


 部屋を出ていく彼女を見送り、ペンを持ち直して今度こそ書こう。


 だけどもしかしたら、ホッキョクギツネの言う通りなのかもしれない。


 うん…間違いない。今日は楽しい一日だった。


「…ん?」


 とそこで、妙な物音が聞こえた。辺りを探ってみると、どうやら押し入れの中から聞こえるみたい。


「だ、誰かいるの…?」


 恐る恐る、押し入れを開ける。


「アワワワワ…」

「…あ」


 中からゴロンと懐かしの赤ボス。何時か見たきりすっかり存在を忘れていた。今度は恐怖ではなく申し訳ない気持ちで、恐る恐るその体を持ち上げる。


「ご、ごめんね赤ボス…?」

「…別ニ、イイヨ」


 機械的なはずの赤ボスの声が、僕にはどうしてか怒りに震えているように聞こえた。

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