Ⅴ-150 在り得なかった筈の邂逅

「よい、しょっと…! これで復旧は出来たかな」


 電源装置の操作を一通りこなし、通電を示すランプが点灯したことを確認して、一仕事を終えた僕は深くため息をついた。


 そして早く戻ろうと足を踏み出したものの、続く二の足が動かない。


 存外に早く動き始めた電源装置を眺めて、ジャパリフォンを見て発ってからそれほど経っていないことを確かめて、横の長椅子に腰掛ける。


「久しぶりかもね、一人になれる時間は」


 いつだも何かにつけてあの三人のうちの誰かが隣にいたし、まだ記憶に新しいテレポート旅行も愉快な同行者がいたおかげで休める時間は長くなかった。


 常に孤独になることが出来ない時間を、むしろ息苦しく感じたことも少なくない。


 そうだ、もう少しだけここにいよう。


 時刻を確かめた限りではまだここにいても問題はない。ギンギツネのことは心配だけど、わざわざ様子を見に帰るほどでもない。


 もしイヅナとかが迎えに来るのなら、それだって落ち着いて待っていればいいだけの話だ。


「あはは。ちょっと寒いけど、素敵な時間じゃないか」


 毛皮に包まれて感じられなかった寒さを全身に受けて、僕は少し辺りを見て回ることにした。


 丘の上の方から見た雪原はどうしてだろう、ずっと住んでいた場所の景色のはずなのに何処までも新鮮な眺めだ。



「まあ新鮮って言っても、慣れればただの真っ白なんだけど」


 今日の雪原はとても穏やかな天気、空は青く澄み渡り向こうの地平線もハッキリと目にすることが出来る。


 それでも環境が急変しやすいのが雪山であるのだけど、まあ何とかなるだろうと僕は楽観していた。


 何かあってもイヅナたちが助けに来てくれる。


 彼女たちに尋常でない心労を掛け、あわや突発的な惨事すら引き起こしかねない危険な考えを、この時の僕はごく普通に抱いていた。


 …いつかのセルリアン事件は忘れてしまったのだろうか?


「真っ白だね…埋まっちゃったら、分かんなくなるのかな?」


 手の平で雪を掬えば、その白色に触発されて頭の中に様々な連想が浮かんで来る。


 イヅナの毛の色、そして哀れにも塗り替えられてしまった僕の色。


 記憶に新しいものを思い出せばオイナリサマにそして……


 彼女を襲った出来事については、僕も神依君も詳細は分からない。知っているのはホッキョクギツネと、彼女を甚振ったオイナリサマ本人だけだ。


「どう、なっちゃったんだろう…?」


 思い起こす度に、淡い後悔が記憶の中を駆け巡る。


 どんな形か知る由も無い結末を避けるための方法を考えてしまう。



「どうしようも無いよ、無かったよ…分かってるよ」



 仮に僕がホッキョクギツネと近づいて仲良くなったとしよう。そして彼女を神依君と引き離せば、今回のような事件にはならなかったかもしれない。


 その代わりに…イヅナたちが黙っていない。


 努力も虚しく、ホッキョクギツネに危害を加えた白いシルエットがオイナリサマからイヅナに変わっていただけかもしれない。


 何よりあの時の僕らには、オイナリサマが神依君に執着すると予想することなど出来なかった。


 だから、無用な危険を冒してまで僕が彼女に近づく理由なんて無かったのだ。



「だから…もうやめようよ…!?」



 普段ならここで折れて、考えることをやめている。


 けど今は不思議な気分だ。違う空間にいるせいかもしれない、無意味な続きを考え始めた。


 

 …じゃあ、僕がホッキョクギツネを匿って宿に迎え入れたなら?


 あはは、真っ先に思いついたのがそれか。最悪のパターンじゃないか。


 僕が強弁して押し切れば、ホッキョクギツネをここに住まわせるよう取り計らうことは不可能ではない…いや、必ず可能に出来る。


 その行動が何を意味するか、何をもたらすか考えることもまた僕には出来る。


 全てが終わる。


 一瞬にではなくじわじわと訪れる、決して切ることの出来ない破滅へのスイッチが押されてしまう。


 僕が彼女を引き入れれば、その立ち位置は三人と全く異なるものとなる。僕が受け入れたホッキョクギツネと、向こうから迫って来た三人では。


 ああ、恐ろしい。みんな死んでしまう。


 死ぬのはいけない。何があろうと、命を落としてはいけない。


「だから、僕には何も出来なかった…」


 昔から分かっていた結論に今日も辿り着いて、僕は未だ明確に判明していない彼女の生死に心を痛める。


 違う、ホッキョクギツネだからじゃない。誰であろうと死んでしまうのは怖いんだ。


 頭に焼き付いた自分のものではない記憶が…悪夢が…


「でも、忘れちゃいけない…!」


 僕は分かっている。この記憶の必要性を。


 『死』という概念を過度に忌避し続ける僕の妄執の重要性を。


 だって、この想いが――!


「…ん?」


 ふと視界の端に映った気のした、”何か”の方を振り返る。


 何もない、ただの雪原。


「でも、確かにいたような…」


 僕の意識は完全にそっちへと向いた。


 見逃してしまった”それ”を確実に見ないといけないような、そんな気がして、僕は十分すぎるほど潰した時間のことも忘れてその影を追いかけた。




「あ…セルリアンだったんだ」


 影にはすぐに追いついて、落胆と一緒に安心した。


 セルリアンなら倒してしまえばいい。刀もあるから難しくない。


 よく見たら若干珍しい形をしているけど、僕はセルリアンマニアの類ではないから気にせず倒してしまうことにした。


「さあ、こっち向いて!」


 セルリアンの気を引くために僕は狐火を灯した。


 これは最近分かったことだけど、セルリアンは明るい昼でも狐火に反応してくれる。


 多分、この炎が強い輝きを持っているからだと思う。


「……あれ?」


 その筈なのに、本日のセルリアンは狐火に目をくれることもなくズンズンと向こうの方に行ってしまう。


 その異常を訝しみながら、僕は簡単な一つの結論を得た。


「もしかして、何か追いかけてる? この狐火より輝きの強い何かが、この先にあるってこと…?」


 ともすれば尚更放ってはおけない。セルリアンの追う存在はフレンズかもしれない。


 死に繋がる可能性を僕は放置できない。そういう性だ。恨むよ神依君。


「飛んで行けば、先回りできるかも…」


 後ろからの追撃ではなく、セルリアンと彼らが追う何かの間に入って戦うことを選んだ僕。


 やはり連絡はせずに飛んで行く。


 一人でどうにか出来るという自信が、妙なことにも染み付いていた。



 そして暫くの偵察を続け、セルリアンが向かっていると思われる洞穴を発見した。


 悍ましい光景だ。


 あわや百体にも上るであろう数のセルリアンが大挙して洞穴に入り込み、所狭しと犇めき合っている。


「あ、あんな中じゃ助からないよ…」


 一目見てそう直感した。論理的にも正しいに違いない。


 一縷の望みが残っているとすれば、それはセルリアンが未だに洞穴へと入ろうとしていること。


 まだ輝きは残っている? なら、それは守らなければ。


「輝きを吸ってセルリアンが増えてるとか、そういうのは無いよね…?」


 足を竦ませる悪魔のような思い付きは雪に埋め、刀を持った愚か者は空から洞窟に飛び込んでいく。


 流石にさ、連絡しよ? …と、後々になって僕は思った。



「はあっ…てやぁッ!」


 しかし幸運にも、セルリアンは皆洞穴の中の何かに夢中で隙だらけだった。


 振り下ろされた刀に気づかないまま欠片と散り、隣がやられたセルリアンも反撃や逃亡の動きを見せようとしない。


 まさにセルリアンの入れ食い状態で、これがRPGだったら経験値が一杯だっただろうなぁ…なんて気の抜けた「もしも」を考えながら僕は彼らの数を減らしていく。


「っ…流石に少し疲れた…」


 刀の振りすぎで張ってきた腕を擦り、一瞬休もうかと思案する。


「やっぱりダメだ、フレンズがいるかもしれないし…!」


 全部倒せば休める。


 終わりの見えない殲滅作業にめまいがしたけど、それ以上に強い『死』への恐怖が体を突き動かした。


 間もなく、セルリアンは一匹残らず始末された。



「はぁ…はぁ…無理しすぎたかも…」


 

 伽藍となった穴の中を見回し、僕は荒い息を吐いて膝をつく。


「誰か、いるのかな」


 洞窟は奥の方に続いていて、何やら光が漏れている。その光は異常なほど強く、日光の届かないこの空洞を真昼の雪原のように明るくしている。


 不用意に近づけば、目をやられてしまうかもしれないと感じるほどの光だ。


 だとすると、この先に誰かがいるとは考えにくい。


「もしかして、セルリアンはコレに引き寄せられてた…?」


 流石に外にまで光が漏れていたわけではないけど、これ程の光を発する道具ならセルリアンを引き付ける輝きの一つや二つは持っているかもしれない。


 放っておいてまたここに殺到されても面倒だ。


 回収して、光を隠しきれないのなら壊してしまおう。


「サングラス…なんて、ある訳ないか」


 腕で目元を覆うおざなりな抵抗を示し、光源の元へと足を進める。


 予想通り段々と光は強くなっていって、すぐに目を閉じないとそこにいられなくなった。


 僕は洞窟の壁を伝い手探りで目的の物を探し、やがてその手に固い球体を収める。


「こ、これ…?」


 瞼越しに見える光は一番強く、握った球からはかなりの熱を感じる。あまり長く握っていては不味いと直感し、高速で頭を働かせ始めた。


「ど、どうにか消えてくれないかな…」


 そんなことを言ったところで状況が変わるわけではないのは知っている。


 けれど、コレは何もかもが奇妙だ。


 電気が通っている訳でもないのに光り、その光量は尋常ではなく、終いには手の平サイズである。


 決してまともな出所ではない。オイナリサマの仕業かもしれない。


 あれ…オイナリサマ?


「まさか、宝物って…!?」


 確証はない、ないけど今はそんなことなど関係ない。


 あの地図に書かれていた文章を思い出せ、何か突破口が見つかるかもしれない。


 最後まで意味が通らなかった言葉…痺れる…ショート?


 いや、こじ付けか…?


「でも、試してみなきゃ」


 どの道他にすることもないし、第一このままでは手を火傷してしまう。


 僕はその光球を手に、洞穴をまた手探りで歩き脱出する。


 そして外に出たと確信した瞬間、大きく振りかぶって光球を空高くに放り投げた。


 光と熱が遠ざかるのを感じ、僕はゆっくりと瞼を開ける。


「や、やっと目が使えるよ…!」


 飛んで行く光を目で追えば太陽のように鮮やかに光り輝いていて、素早く落ちていく様子は時が加速したかのようだった。


 多分あれは雪に落ちた。もしショートする仕組みなら溶けた雪でどうにかなる…と良いな。


 あれ、推理通りならアレって宝物になるのかな…? まあいいや、あんなの要らない。例え宝だとしても、あんなの投げ捨てられて当然だ。



 ちなみにこの行動が後に災いし、光に集まったセルリアンをまた退治する羽目になるのだけれど…まあ、それはまた別のお話。



「まあ少しだけ、この中で様子を見てようかな…」


 早く帰れば良いものを、光から逃げるように洞穴へと戻っていく僕。


 そして踵を返し振り向いた瞬間、在り得ない光景を目にした。


「……嘘、どうして」


 暗くなった洞穴の中で、その毛皮が光を跳ね返し自らの居場所を示している。


「あなたはやっぱり…ふ、ふふ…そう、ですか」


 力なく乾いた笑いを零す彼女は弱々しくも確かにそこにいて。


 ずっとその無事を確かめたかった筈なのに、驚きで名前を呼んでしまった。


「ホッキョク、ギツネ…?」

「コカムイさん…助けて、くれませんか? とっても…寒いんです」

 


 僕の知っている――と言うのもおこがましいが、記憶の中にいる――彼女なら絶対に言わないであろう言葉。


 だけど彼女は見紛いようがない程に白くて。


 間違いようがないほど確実に、ホッキョクギツネだった。

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