Ⅴ-146 白黒付けたいボードゲーム
「では、前哨戦と参りましょう」
博士は羽織ったマントを派手にはためかせる。そして後ろから姿を現した助手が、仰々しい前口上を述べ始めた。
「宝を求める探索者たるもの、戦略と知力を持っていなければなりません。我々とて、その力を持たざる者に謎を与えることは出来ないのです」
助手はそこで一旦言葉を切ると、博士が向こうの方から何か平たく大きい、布に包まれた板らしき物を運んできた。
あまり関係ないけど、こういうのって助手の仕事じゃなかったっけ…
「今回我々は、特別に用意したこのボードゲームでお前たちの力を測ることにしたのです」
「我々に勝利するまで、お前たちが謎に辿り着くことは無いと思えなのです」
博士はテーブルに板を置き、僕達からそれの姿を隠す布を勢いよく取り払う。
「これって…」
「新しいゲームだ…っ!」
一目見るならチェック模様。刮目すればゲーム盤。
前哨戦の舞台は…『チェス』だ。
「さて、ルールは全てこの本に記されています」
「制限時間はありません、全力を以て挑んでくるがよいのです」
博士から本を受け取って、僕はみんなの様子を確かめる。
「へぇ…楽しそうだね」
「こういうのは私の得意分野だから、遠慮なく頼ってね?」
「ゲーム、ゲームっ! ノリアキ、早くやろっ!」
どうやらみんなも、やる気は十分みたい。
「待っててね、すぐ勝ちに来るから」
「良い言葉なのです。その言葉、決して後悔しないように」
「…えっと、なんでちょっぴり良い雰囲気なの?」
…イヅナがちょっぴり、妬いていた。
―――――――――
じゃあ、最初にルールを確認しよう。
チェスで使う駒はなんと…ええと…そう、六種類って書いてあるね。内訳はポーン、ナイト、ルーク、ビショップ、クイーン、そして最後はキング。
意外にも少ない、将棋は結構多いからチェスももう少しあると思ってた。考えてみれば、将棋は裏返ったりもするもんね。
まあ、それは良いや。駒の動きも…見て覚えよう。そしたら定石を…覚える時間なんてある? 不可能ではないんだろうけど、これの過程を話したって仕方ない。
…何と困った、チェスについて書けることなんて殆どないじゃないか。
じゃあ実践で? まかり間違って駒の打ち方を解説するとしても、肝心の僕に碌な知識が無いんだから世話が無い。
全く、誰だよこんなので勝負するように決めやが…おほん、とにかく弱ったね。これも博士たちの戦略って奴なのかな。違うか。
「試しにやってみよっか、誰からする?」
「はいはい! ボクやりたいっ!」
「分かった、じゃあ最初は僕とキタキツネでやってみよっか」
そう言った瞬間、僕は周囲の空気の温度が一変したように感じた。
キタキツネは驚き混じりの喜びの声を上げ、イヅナとギンギツネは押し黙って各々顔を背ける。そんな二人の顔に、様々な負の感情が複雑に混じり合った表情が浮かんでいたことは、今更取り立てて言うに値しないことだろう。
「…えっと、始めるよ?」
自分の失策を感じ、苦し紛れに言い放った始まりの言葉に頷けたのは、キタキツネただ一人だった。
対局を始めてから数十分。
沢山あった駒も気が付けば半分ほどに数を減らし、勝負はいつ決まってもおかしくない状況にあった。
僕達はお互い、時折ルールブックに目を向けながら慎重に駒を進めていく。
序盤に移動範囲を間違えまくったせいで、二人ともそういうミスに敏感になってしまっているのだ。
パチン。僕が置いた駒が軽く、そして心に重くのしかかる音を出す。
「…う、まずいかも」
卵焼きの塩味がきつすぎた時のような声を出してキタキツネは唸る。あの時は本当にごめんね。
それは良いとして…みんなには見えないこの盤面、次の僕の手でチェックを宣言できる駒は二つある。
プロじゃないからよく分かんないけど、多分このまま行けばチェックメイト出来る気がする、恐らくは。
「…ふふ」
微かにギンギツネが笑う。チェックメイトの判定はギンギツネに任せているから、これは…そういうことかな?
「むぅ…これで、どう…?」
苦し紛れにキングを逃がしたキタキツネ。だけどその場所は、三つ目の駒の射程圏内だ。
「…チェック」
「あっ…!?」
驚きに身を固めながらも、まだ負けるまいとキタキツネはキングを逃がし続ける。僕もそれを追いかけるように駒の包囲網を段々と小さくしていって、ついに…!
「あ、それ…チェックメイトね」
ギンギツネが力の抜けた手先で盤を指差しそう告げる。終わりを感じ緊張が解けて、僕の指先からも力が抜ける。
だけどキタキツネは逆に体を強張らせ、ギンギツネに疑いの目を向けながら尋ねた。
「う…ほ、ホントに?」
「嘘なんてつかないわ。あなたの負けよ、キタキツネ」
素っ気なく答えた声に僕は疑いようのない真実を感じて、キタキツネも同様に負けを悟ったのだろう。テーブルに突っ伏し、足をバタバタさせて悔しがった。
「負けちゃった…最近は勝ち続きだったのにぃ…!」
「でも最初だからさ、慣れればきっと強くなれるよ」
「そしたら、ノリアキも強くなっちゃうじゃん…!」
自分でも中々に空虚だと思う慰めをキタキツネに投げかけると、彼女は徐に顔を上げて恨めしそうにそう言った。
「あ、あはは…」
目のやり場に困った僕はギンギツネに無言の助けを求める。
ギンギツネは優しく僕の肩を叩いてキタキツネのもとへ。助かった、色々とこじれてはいるけれど、ギンギツネの言葉なら何だかんだ上手くいくはずだ。
「うふふ、キタキツネは本当にダメダメね?」
「っ!?」
…と、思っていたんだけどな。
「…どういう意味」
「簡単よ、打ち方がなっていないの」
その一言を皮切りに、ギンギツネはキタキツネの打ち方に多くのダメ出しを重ねていく。
序盤の無駄な移動、次の手で取られると分かるはずの場所へ動かしたこと、自陣に踏み込まれる大穴を放置したこと、キングを進んで逃げ場のないところへ追いやったこと…他にも諸々。
岡目八目とは言うが、それにしてもな彼女の慧眼に僕は驚かされる。
「こんな乱暴な打ち方じゃ、あの二人になんて勝てっこないわよ」
「うぅ…!」
「うふふふふ! 自分の実力が分かったら、もっと精進することね?」
しかし僕の頭にもっと印象深く残ったのは、キタキツネを苛めるギンギツネの姿がいつになく楽しそうなことだった。
「じゃあ、次はノリアキさんね」
「えっ!?」
すっかり意気消沈したキタキツネを傍目に、ギンギツネはこちらへ目を向けやって来る。
たった今見せつけられた恐ろしい言葉の蹂躙劇の光景に身体が凍り付き、さながら僕は狐に睨みつけられた…えっと、狐?
「その…僕も、聞かなきゃダメ?」
「だーめ♪ ちゃんと反省しないと、強くなれないわよ?」
「…はーい」
嗜虐的な笑顔が僕を見つめ、腕が絡みついて身じろぐことも出来ない。
わざとらしい吐息で僕の耳を一頻りくすぐった後、ようやくギンギツネは僕の反省点を語り始めた。
それでも…首筋を撫でる手は止まらないけど。
「そうね…ノリアキさんはまあ、問題ないんじゃないかしら?」
「…問題、ないの?」
いつの間にか向かい合うように抱き付いていたギンギツネの体を受け止める。
聞くも不安な彼女の「問題ない」発言について訊き返すと、口づけと共に肯定の意が戻って来た。
「確かに改善できる部分はあるけど…それも経験次第よ。それよりも私は、初めてなのにいい手を打てていることを褒めてあげたいわ」
「あ、はは…ありがとう」
完全に予想外だったお褒めの言葉に僕はすっかり緊張を解きほぐされ、頬も自然とだらしなく緩んでしまう。
とても和やかな空間だったけど…それを良しとしない人物が二人いた。
「ギンちゃん…早くノリくんから離れなよ」
「ねぇ、どうして抜け駆けしてるの…!?」
それはイヅナとキタキツネ。まあ他にいないんだけど…
二人は素早く僕に飛びつくと、体の至る所を引っ張ってギンギツネから無理矢理に引き離してしまった。
「あらら、もう少しこうしていたかったのに」
ギンギツネは残念そうに、さっきまでキタキツネが座っていた場所に座る。そして、向かいに座るようイヅナに呼びかけた。
次はギンギツネとイヅナの対局。
もう少しだけ、練習は続く。
―――――――――
「うーん…やっぱりダメね」
「ダメじゃないもん、ギンちゃんの要求が高すぎるんだよ!」
僕とイヅナの対局の後、ギンギツネはイヅナに向けてそんな一言を零した。
どうしてイヅナに向けたのか分かるのかというと…だって、明らかにそっち向いてたし。
もはやギンギツネの辛辣なアドバイスも恒例行事。
「ノリアキさんは流石ね、成長の兆しがしっかり見えているわ!」
そして僕に向けられる手放しの称賛も、相変わらずだ。
「ギンギツネは本当によく褒めてくれるね」
「ええ、私は褒めて伸ばすタイプだから」
「…じゃあ、二人は?」
チェス盤を挟んで座る二人を指差すと、ギンギツネは二人を一瞥だけして、またこちらを向く。
その表情には、明らかに小馬鹿にした笑みが張り付いていた。
「別に伸びなくてもいいじゃない?」
「…そっか」
この分だと、二人の指導をお願いすることは難しそうだ。かと言って僕がやってもギンギツネの気分は良くないと思うし…ダメかな。
僕とイヅナの対局が終わって、四人全員が一度ずつ他の三人と対戦をしたことになった。
戦績は上から、ギンギツネが三勝、僕が二勝、イヅナが一勝で、キタキツネは一度も勝てていない。
キタキツネはこういうゲームが得意じゃないみたい。確かに思い出してみれば、キタキツネが好きなジャンルは格闘ゲームにRPGにアクションにと、チェスのような戦略系のゲームではなかった。
『現実での戦いが苦手なら戦略は…と思ってたんだけど、キタキツネはどっちもダメみたいね?』
いつかのリアルファイト以来に聞いたギンギツネのストレートな罵倒が、キタキツネの心にまた深い傷を残している。
何かする度にこうなるんだもの、また慰めてあげなきゃな。
ギンギツネは自主的に練習を始めた二人の駒の置き方を観察しながら呟く。
「この感じだと…博士たちと戦うのはノリアキさんと私になりそうね」
「そう…なっちゃうのかな」
二人で戦うと言ってもそれぞれ対局するのではなく、ダブルスのように二対二での戦い。そうするように博士に言われた。
果たしてそういう方式をチェスで取り入れるメリットが何処にあるのかは知らないが、まあ押し切られてしまったので仕方ない。
こちらから押し切ることも出来たけど…怪我人が出そうだったから止めた。流石に三度に渡って博士に負傷させるのは忍びないのだ。
「私は一緒に戦えて嬉しいわ。もしノリアキさんが手を滑らせちゃっても、私がそのミスを拾えるもの」
「あはは、その時はよろしくね」
「もちろんよ…うふふ、ノリアキさんには私がいないとダメなんだからね…」
ギンギツネの腕がまた僕を抱き寄せる。掛けられる力は段々と強くなって、そう、その…物理的にお腹が痛い。
「ギンギツネ…少し、力を緩めてくれるとありがたいんだけど…」
「ノリアキさん? 大丈夫よノリアキさん、どんなことがあっても私が付いてるから…!」
わーい。話が通じない。最近少ないなーと思っていたらとうとう来ちゃった。もしかしなくても我慢させちゃってたのかな。
…じゃあ、しばらくこのままで良いや。
「安心して、あの偉そうなフクロウ共だって私がコテンパンにしてあげるし、あの二人の野蛮な行動に困ったときは私が助けてあげる。うふふ、今日の晩御飯は何がいい? 私がとびっきりに美味しいのを作ってあげるわ。そうだ、疲れたのなら私がマッサージしてあげる。だって、私がいないとダメなんだもの…うふふ、お願い、いいでしょ? 私だけを――」
ガシャンッ!
駒が飛び散り、空中でぶつかり合うような音が聞こえる。
「…キタちゃん?」
イヅナの呆然とした声が、キタキツネの名前を呼ぶ。
一瞬、僕がギンギツネにされるがままであることに彼女が怒ったのではと考えた。
しかしキタキツネの目はこちらではなく、イヅナに向けられている。そして彼女は振り向き、重く荒々しい足踏みで図書館へと向かう。
「イヅナ…キタキツネ、どうしちゃったの?」
「チェスをしてて…私が趣味でいじめてたら怒っちゃって…」
ああ…まあ、この際だ。何の悪びれもない犯行報告も目を瞑ろう。それよか奇妙なのはキタキツネがイヅナの方に来ないことだ。
「…でも、どうしてあっちに?」
「えっとね、キタちゃんが博士を倒すんだって。そうして、自分が強いって証明するんだって」
「止めなくていいんじゃない? 挑戦回数は無限だそうだし、あの子も博士にやられてくれば、自分の無力さが分かるはずだわ♪」
ギンギツネはキタキツネが負ける姿を想像し、楽しそうに尻尾を振る。
イヅナも呆れながら駒を集めているだけだし…やっぱり、キタキツネを心配しているのは僕だけみたい。
…キタキツネに限った話でもないのが、また僕の心労を増やすのだけど。
「辛いなら、私の毛皮の中で眠ると良いわよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
「あ、ギンちゃんズルい、私も!」
そして僕は、白とも銀とも見分けがつかない毛皮の中で、少し早いお昼寝の海に沈むのだった。
「…キタちゃんだ」
「…んぇ?」
イヅナの声で起きると確かに、キタキツネが戻って来ていた。
「あ、起こしちゃった。ごめんねノリくん、まだそんなに経ってないのに」
「ううん、大丈夫だよ」
申し訳なさそうにするイヅナを撫でて、ついでに強請られたギンギツネの頭ももふもふ。
しっかり起き上がって迎えると、キタキツネは複雑な表情を浮かべて、なんか流れで僕に抱き付いてきた。
この顔を見るに、恐らく…
「さあ、キタキツネもこれで自分の実力が分かったでしょ?」
「キタキツネ…どうだったの?」
「ノリアキさん、気持ちは分かるけど結果なんて最初から…」
「えっと…勝っちゃった」
「…え?」
キタキツネは後ろを指差す。
そこには、明らかに落ち込んだ博士と助手が立ち尽くしている。
「え…本当に、勝ったの? 」
予想外の結果を聞き、目に見えて狼狽するギンギツネ。
キタキツネはそんな彼女に向けて、とびきりの笑顔と明るい声で再び宣言する。
「…勝っちゃった♪」
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