Ⅳ-144 神様のネガイゴト
そこは神社の書斎。向かい合うように椅子に腰かける神依さんと私。
「はぁ…」
手の中にある絵本を眺めて、神依さんは大きくため息をつきました。最上級の困惑を込めてページに向けられる視線は美しく、少なからぬ嫉妬が私の心に湧き出してしまいます。
「神依さん」
だから名前を呼んであげます。
そうしたら私の目論見通りにほら、神依さんの困った瞳は私へと向けられるのです。ああ、私はなんて幸せ者なのでしょう、ついつい幸福の声が零れてしまいます。…もったいない。
「…あはっ」
「あのな…名前を呼ぶのはいい。けどせめて用事が有るのか無いのかはハッキリ言ってくれ」
「ごめんなさい、呼んだだけです!」
「まあ、知ってたさ」
呆れるようにそう言いながらも、神依さんの表情には安心の色が見えます。
うふふ。何だかんだ言ってやっぱり、神依さんも私と居るのが楽しいんですね…そうに違いありません!
でもそんな困った顔をするなら、どうして絵本なんて読んでいるのでしょうか?
「神依さん、辛いなら読まなくても良いんですよ」
「…良く言えるよな、自分が差し出した本に向かってさ」
「冗談半分…というか、九割九分ですから」
「はいはい、一分は本気ってことだな」
手に付けた以上はちゃんと読み切るさ、と言って神依さんは次のページをめくります。なんて融通の利かない方でしょう、愛しくて堪りません。
私たちの幸せの空間の一角にある、知識の倉庫。
難しい顔で簡単な絵本を読み進める神依さんと、その姿を緩み切った顔で眺めている私。
この光景の発端は、私のとある一言にありました。
―――――――――
「神依さん! 何か願い事はありませんか?」
「願い事って…急にまたどうしたんだ?」
私が神依さんにそう持ち掛けた時、彼はお昼ご飯を作ってくれていました。
お昼の献立は少し特別な二人前のお好み焼き。二人で一緒に食べられるものが良いなという私の願いを神依さんが汲んでくれたのです。
この空よりもずっと広い神依さんの心と優しさについて置いておくのは非常に心苦しく辛いことですが…まあ、ここは一旦、後回しにしましょう。
とにかく、私の願いを叶えて頂いた以上、神依さんの願いも私が叶えて上げなくてはいけません。神様とはそういうものなのです。
――という説明を神依さんにしたのですが、反応は思ったよりも芳しくありませんでした。
「願い事って言っても、特に思い当たることもないしなぁ…」
はたまたコレも脇道に逸れる話なのですが…神依さんのこの言葉を聞いて、私の胸は躍りました。
願い事が無いということは、即ち今の生活にこれといった不満が無いということに他なりません。
「あら、そうですか…?」
私は首を傾げて微笑みながら、この喜びを噛み締めていました。
しかし。それでも。何かお願いをしてもらわないことには気が済みません。
「それでしたら…この本を読んでみてはいかがでしょう」
「なんだこれ…絵本?」
「これを読めば、何かヒントが見つかるかもしれませんよ」
私がそんな言葉と一緒に渡した絵本の題名は『アラジンと魔法のランプ』。
願い事を何でも叶えてくれるランプのお話…まさに、神依さんに啓蒙するにはピッタリの絵本ですよね!
神依さんはもっと欲深くなるべきです! 例えばそう…私の体を求めたりとか…
「ふふ、うふふふ…」
「…まあ、暇だしいいか」
私は名案だと思っているのですが、神依さんから目立ったワクワク感は感じ取れません。やはり欲望が欠けていますね。
ああ、神依さんが私にもっと、その溢れ出る欲望をぶつけてくれたら…!
「…はぁ」
「ハァ、ハァ…!」
まあ、なんという偶然でしょう。何も示し合わせることなく、私たちのため息はピッタリ合ったのでした。
…少し違うなんて野暮なこと、言いっこなしですよ?
―――――――――
「…何で付いてくるんだ?」
「…ずっと一緒って約束しましたよね?」
「確かにしたけど……このくっつき方は変だろ」
あな悲しや。
私はただ身動きが取れないように引っ付いているだけなのに、こんなことを言われなければならないなんて。
「それでも、私は離れません!」
「あー、じゃあ好きにしなって」
愛しの彼の許可も貰って、晴れて私は引っ付きまくります。
…おっとストップ。私のことを変な神様だとは思わないで下さいね。
私の行動がごく一般的なつまらない価値観の中において『変』と形容されることがあるという事実は十分把握の上なのですが……私にだって、明確な目的があるのです!
それは追々説明しましょう。
「それで、お願い事は決まりましたか?」
「そう言われてもな…どこまでなら叶えられるんだ?」
「私に可能なことなら、どんなことでも」
「不可能なことって、例えばどんな?」
「文字通り出来ないことですよ、やりたくないことも含めて」
ここまで明確に婉曲した表現を重ねれば、神依さんもバッチリ理解してくれることでしょう。…うふふ、頷いてくれましたね。
「なるほどな…それを聞いたうえで、やっぱりまだ思いつかない」
「むむ、嘘ついてませんよね?」
「つく訳ないだろ」
言い分は分かります、ですが信じきれませんね。…えいえい、ジャパリまん攻撃。
「わっ…」
むふふ、とっても柔らかいでしょう。サービスカットも付けちゃいます。さあ、これでも本当に願い事が無いなんて言えるのですか?
「神依さん…私、何でもしますよ。だから、何でもお願いしてください」
「い、いや…無いぞ?」
「そ、そんなあっ!?」
嘘ですよ、弱りに弱った神依さんを慰めてあげようと誘惑した時にはあんなに情熱的に求めてくれたというのに。
「神依さん。私では…魅力が足りませんか?」
「はあっ!? え、いや、魅力が無いとかそういう話じゃなくってな…」
ビビッ。神依さんの口調から言い逃れの気配を感じました。
身体的にはもう逃がしはしませんが、論理の上ではまだまだ逃げ道は残されていますね。この機会に潰してしまいましょう、私以外は見させません!
「じゃあ、どういう話ですか? ちゃあんと答えてくださいね?」
「ええとだな…うん、そうだ。気分じゃないんだ、だから…な?」
「へぇ…気分じゃない…」
「あぁ、そうなんだ。悪いな」
なるほどそうですか。
まあ、私の望んでいた最高の答えではないですが…及第点はあげちゃいましょう。この理由ならば、私にも手出しのしようがありますからね。
「うふふ、分かりました。ならば、その『気分』とやらになるまでお供いたしましょう」
「な…え?」
私が諦めるとでも思ったのでしょうか、神依さんは驚いています。うふふ、かわいい。
「必ずその気にさせてあげますから、我慢が辛くなったら言ってくださいね。じっくりねっとりお相手いたします」
「…ハハ、敵わないな」
諦念を滲ませた呟きを口に、目を空に向けた神依さん。私も倣って空を見上げれば、タイミング良く昼の流れ星がきらりと流れていきました。
すぐにそれは流星群に姿を変え、何か言う時間はありそうです。
「お願い事、してみますか?」
「いいよ、オイナリサマが叶えてくれるんだろ?」
サラっとそんなことを言ってのけてしまう神依さんに…私はまた、頬を赤く染めるのです。
…勿論、ちゃんと誘惑はしますけどね!
その後、神依さんを欲情させようと奮闘する私の
私の勝ちという揺るぎない結果があるのですから、その過程を冗長に記しても仕方ありませんよね。
そんな感じで物語の時間を夜に移し、お布団の上での談笑に場面を変えてお話いたします。
―――――――――
「はぁ…素敵です…!」
つんつん。私は目の前の柔らかい筋肉をつっついて愉悦に浸っています。
どうしてでしょう、神依さんの身体というだけで美しい彫刻のように思えてしまうなんて。
「くすぐったいな…うぅ」
「我慢してくださいね、あむ…はふはふ」
一頻り指先で感覚を楽しんだ後は、神依さんの二の腕をパクリ! 溶けてしまいそうな柔らかさのお肉をしゃぶって、私は顔を蕩けさせています。
ついでにぎゅうっと抱き締めてみれば、生肌が擦れて暖まります。
「ひああへぇ…!」
神依さんも時々くすぐったさに身を捩じらせますが、嫌がってはいません。完全に篭絡してしまいました、私は罪な神様ですね。
ついでに首元にもガブリ。
彼の命を握ってしまっているという実感が、私の体の奥を沸き上がるほどに熱くします。
気が付いたら…また襲っちゃってました♪
「はぁ…はぁ…そろそろ、限界だな」
「えー、私はもっと行けますよ!」
「頼む、勘弁してくれ」
明らかに息を荒げて疲れた様子。最中も呼吸は激しかったのですが、今の調子とは別ですね。
でも私の体力が有り余っているのは事実です。このまま終わるのも癪なので少しからかってあげましょう。
「もしかして…お願い事ですか?」
「ああ、それでいい。今夜はもう…ダメだ」
…冗談だったのですがね? でも神依さんがそう言い張るのなら、否定することは出来ません。
「…分かりました。ですがサービスです! なんと特別にもう一つお願い事を聞いてあげましょう!」
「えぇ…?」
「あら、お気に召しませんでした?」
「疲れたんだ、寝かせてくれないか…?」
「あ、そんなことなら大丈夫ですよ」
「…?」
私の言葉を聞いた神依さんは眉を顰めちゃいました。あらら、言葉足らずって怖いですね。
この誤解を解くには行動が一番手っ取り早いでしょう。そう考えた私は、神様だけが自在に使える
「あれ…なんか楽になったな」
不思議そうに呟いてこちらを見る神依さん。目を合わせて頷いたら、ため息と生暖かい目が返されました。
「やれやれ、オイナリサマは凄いな」
「はい、神様ですからね」
神依さんはぐいっと体を伸ばして考え事のポーズ。やっぱり律儀ですね、私へのお願い事を真剣に考えてくれるみたいです。
そしたら私は神依さんの考えがまとまるまで…いつものように神依さんを眺めていましょう!
むふふ、やはり真っ先に見るべきは表情ですよね。
真剣に考える顔をまじまじと見られるチャンスは中々来ません。神依さんったら、請け負った仕事への責任感の割に思考の回数は少ない感じですから。
それにしても素晴らしいです。
額に寄った皴に、刺すような眼差し。キュッと結んだ口に当てた手がカッコよさを引き立てています。組まれた脚と頬杖も…ああ、美しい線です!
「…オイナリサマ」
「はいっ!」
神依さんの口から発された迷いのない声、とうとう決まったんですね! わくわく。
「オイナリサマの願い事を…教えてくれないか?」
「…ふふ、分かりました♪」
考えようによってはこの答えは、逃げと呼べるかもしれません。
でも私は率直に、私について尋ねてくれたことがとても嬉しいのでした。しっかり答えましょう、最初から決まっていることですから。
私はそっと手を組んで、希う言の葉をここに散らす。
「今日と同じ明日が、この『世界』で永遠に続きますように…」
神依さんと私だけの『世界』で、永遠に。
「これが、私の願い事です」
だから、そのために――
―――――――――
「――
結界の片隅。彼にも隠した、秘密の牢屋。
そこには、私にとって知られては都合の悪いものが沢山ある。
それは例えばこのゴミのような邪魔者だったり、ついつい飼い馴らしてしまったセルリアンだったり、意図せず手に入れたパークの極秘資料だったり。
「ですが今回は…やりすぎちゃいましたね」
白い粗大ゴミは眠っている。静かに眠っているが、その寝顔は安らかではない。
ひとたび起き上がれば、恐怖に歪んだ叫びと共に暴れ回るか…もしくは縮こまって眠っている時以上に動かなくなることだろう。
「あーあ、本当に最後まで処分に困る邪魔者ですよね」
本音を言えばあのまま息の根を止めてホートクにポイしてしまいたかったが、なまじ面識があるし最近彼女には深い交友関係も出来た。
彼女の口から私の悪評が広められるのも困るし、かといって殺したのがバレて神依さんからの印象が悪くなるのも頂けない。
「でもどうしましょう。出来るなら誰かに押し付けてしまって……あ」
そこで私は思い至った。
ホッキョクギツネが丁度良く依存してくれそうな体質で、彼女を見捨てられないようなお人好しで、彼女を受け入れる土壌の出来上がっている彼に。
「そうですね、上手く擦り付けちゃいましょう」
そうと決まれば話は早い。計画もすぐさま思いついた。
博士と助手を名乗るあの二人にお願いをして…そう、飽くまで島の為のイベントを装って…ふふふ、完璧だ。
「そして、神依さんも…」
私はまだ、この『世界』は不完全だと思っている。
私が想うのと同じくらい神依さんが私を想ってくれているかと聞かれれば、まだ答えはノーだ。
このネガイゴトを叶えるために、不完全な『世界』を変えるために。
「もう少しだけ、神様のお仕事が必要みたいですね。うふふ…!」
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