Ⅳ-141 掴んだ藁は、貧乏籤だ

「っと…やっぱり、ここか」


 もはや数えるのも億劫になるほど回数を重ねたテレポート。


 今回の着地点は、俺があれほど逃げ出そうとしていたホートクだった。


「ちょっとは期待してたんだがな…ハハ」


 イヅナが妖力で起動した魔法陣。


 実はそこには、違う二つの魔法陣が隣接していた。


 一つはキョウシュウとホッカイを結ぶ俺の目指していた魔法陣。もう一つは、ホッカイとホートクの結ぶもの。


 だが、イヅナが実際に起動したのは後者。


 どうやらイヅナは俺をこちらに飛ばして、オイナリサマとの戦いを避ける算段だったらしい。


「でもおかげで…祝明は無事だ。少なくとも俺のせいでってことは無い。それで一安心…だろ?」


 元より、それを承知でアイツの策に乗ったんだ。だから…ここからは俺の力で何とかしないと。


 そう言い聞かせて涙を拭って、俺は自らが置かれている状況を再確認する。


 …うむ、極めて良くない状況だ。


 ここに来る最短ルートである魔法陣そのものは壊したが、ここはオイナリサマの庭のようなもの。


 見つかるのも時間の問題だろう。当然ながら、俺を匿ってくれる奴なんていない。


 彼女の説得しか道は無いが、果たして手立てはあるのか…


「やれやれ、どうしたものかな…」


 その時唐突に、後ろから聞いたことのあるような声が聞こえた。


「あれ、もしかして…カムイさん?」


 振り向くと、その声の主は予想通りの人物だった。


「あ、やっぱりカムイさんだ! 覚えてますか? わたしです、ホッキョクギツネです!」

「あぁ…ちゃんと覚えてるよ」


 やっぱり…いたかもしれない。


 俺を匿ってくれそうなフレンズ。




―――――――――




「とりあえず、ジャパリまんをどうぞ」

「ありがとう、丁度何か食べたかったんだ」


 懐かしき紙袋入りのジャパリまんを頬張れば、温かく甘い味が口いっぱいに広がる。


「これ、温かいな?」

「あ、えっと、わたしの服の中で温めてましたから」

「っ…そうなのか」


 じゃあこの温もりは、ほとんどホッキョクギツネの熱だったんだな…まあ、悪くない。


「それにしても助かったよ、少し面倒事に巻き込まれててな」 

「面倒事ですか…わたしに何か出来ることがあれば、力になりますよ?」

「ありがたいけど、いいよ。これは俺にしか解決できない話だからさ」


 俺はハッキリと言い切る。


 すると案の定、ホッキョクギツネは浮かない表情を顔に浮かべた。心苦しいが仕方ない、彼女を巻き込むよりずっとマシだ。


「そうですか…じゃあ、頑張ってくださいね!」

「おう、頑張るぜ」


 彼女は柔らかな表情で激励を飛ばしてくれる。


 柔らかくて、突っつけば壊れてしまいそうな笑顔だ。



 …さて、話題を変えたいところだな。あのウサギ達のことでも聞いてみるとするか。


「そういえば…あの二人とは良くやってるのか?」

「はい、おかげさまで! カムイさんを見たのも、会いに行った帰りですから」


 恥ずかしがるように頬を指で掻き、ホッキョクギツネの声色は一転明るくなった。


 この話題選択で間違いは無かったようだ。


「別に、”おかげさま”なんて言われる程のことはしてねぇよ」

「でも、悩みを聞いてくれただけで嬉しかったんです! あんな話が出来たの、初めてでしたから…あっ」


 感謝の気持ちを熱弁するホッキョクギツネは、本人も気付かぬ間に口がくっついてしまいそうな程グッと近づいていた。


 それに気付き慌てて顔を引っ込めると、今度は両手の指を突き合わせてもじもじと視線を壁にやり始める。


「…なら、お礼は謹んで受け取っておくよ」


 お互いに居たたまれなくなった空間の中、先に音を上げたのは俺だった。


「はい、ありがとうございました!」


 彼女はもう一度お礼を言って、ペコリと大きく頭を下げた。


 混じり気の無い白色の尻尾が、ワサワサと楽しそうに揺れていた。




―――――――――




「…じゃあ、世話になったな」

「え、ちょっと、どこに行っちゃうんですか?」

「どこってそりゃあ……どこだろうな?」

「もう、行く宛がないならここに居てください!」


 肩を掴んで無理やり座らされ、続いてジャパリまんを口に詰め込まれる。


 もう腹は減ってないんだけどな…でも、美味い。


「わたしはカムイさんが居ても全く迷惑じゃないですし、むしろもっと寛いで欲しいくらいです」

「けどな…」

「面倒事があるから…ですか?」


 俺は頷く。


 するとホッキョクギツネは呆れたように溜め息を漏らし、やれやれと肩を竦めた。

 

「行く宛がないならどこに行ったって一緒ですよ、違いますか?」

「…まあ、そうだけどな」


 それでもやはり、彼女の身が心配だ。オイナリサマがこの場に居合わせたらどんな反応を見せるだろうか。自分勝手な天罰が百回降りかかっても収まらないのではないか。


「カムイさん、わたしの心配をしているならそれは筋違いですよ。私はカムイさんよりも強いですから」

「……そう、だったな」


 思い出した、彼女はフレンズだ。


 フレンズなら、知能と生半可な核を与えられたセルリアンの体なんかよりもずっと強靭に違いない。


 つまり…俺はまだまだ守られる側らしい、情けないことにな。

 

「落ち込まないでください、何かあったらわたしがちゃんと守りますから!」


 ホッキョクギツネのその言葉が、更に俺を落ち込ませる。


 そんなこと、彼女は露ほども知らないだろう。そして、知らなくていい。


 この悲しみは…俺の胸だけに留めておくのだ…




―――――――――




「…なるほど、ここがあの子のお家ですね」


 神依さんの感覚を辿って数分。私は神依さんの姿と、隣にいる忌まわしき白い泥棒ギツネの姿を見つけました。


 やはり、神依さんを見つけ出すことにかけて私の右に出る存在はこの世に居ませんね。


 どちらかと言えば、ここまで歩いてくることの方が疲れました。神様は普段あんまり歩かないので。


「でも、本当にホートクに送ってくださっているなんて…うふふ、イヅナさんも中々に親切な方ですね」


 私は結界さえあれば、どんな場所からでも結界の中へと瞬時に転移することが可能です。

 

 ですから…彼がホートクに来てさえいれば、追いかけることは容易なのですね。


「まあ、念には念を入れておきましょう」


 空中に描くは簡単な結界の設計図。そこに少しの輝きを込めれば、洞穴の入り口を中心とした小さな結界が辺り一帯を覆いつくす。


 夕焼け空を見上げれば、赤色と一緒に虹がうっすらと見えるようになった。


 この結界さえあれば神依さんは逃げられません。そして小さな結界に力を集中させたので、外からも容易には介入できません。


 破りたいなら四神の誰かでも連れてくるべきでしょうけど…それは現状不可能です。


「キュウビさんが変な気まぐれでも起こさない限り、これで安心ですね」


 まあ彼女の姿もめっきり見かけませんし、何処にいるかなんて誰にも分からないでしょう。協力を仰ぐのはさらに難しい。


 うふふ、完璧です。


「さぁて…もう少しだけ、様子を見守ってみましょうか」


 あの薄汚いキツネが何をやらかすのか楽しみですし…神依さんには、何か面白いドッキリでも仕掛けてみたいですね。


 …さあ、心地の良い闇が訪れます。




―――――――――




「…いやいや、一人で寝れるって!」

「本当ですか、寒くありませんか?」

「さ、寒い訳ないさ…」


 やばい、焦って奇妙な口調になっちまった。そして心の声だからぶっちゃけると結構寒い。寝袋が懐かしい、やはりアレは必要だったのだ。


「じー…」


 ホッキョクギツネの無垢な目が俺をじっと見つめる。しばらく見つめあったら、彼女は意味もなく首を傾げた。なんでだ、あざといぞお前。


「神依さんは、一人の方が良いと?」

「どちらかと言えばそうだな…! ああ、この際寒いことは認めるさ。だが一緒に寝たら…事態は更にややこしくなること請け合いなんだ」

「いいじゃないですか、寒さには勝てませんよ?」

「やめ、やめろぉ…!」


 得意げなドヤ顔で彼女はもっふもふの…もう一度言う、もっふもふの! 素晴ら…とんでもない尻尾を俺の腕に絡ませてきやがった。なんて暖かいんだコレ、ヤバい。


「ほらほら、本当に必要ありませんか?」

「ぐぅ…あぁ…要る!」

「ふっふっふ、そうですよね!」


 俺が折れるのを待っていたのか、お許しを得ましたと言わんばかりの笑顔でホッキョクギツネは俺に抱き付いてきた。


「お、おい、それは聞いてないぞ!?」

「わたしが必要なんでしょう? 特別にサービスしてあげます!」

「い、至れり尽くせりだなぁ…!?」


 彼女に抱きつかれたまま、俺は戦々恐々として周囲を見回す。誰もいないはずなのに悪寒が止まらない。この世の何より暖かい”もふもふ”がここにあるのに、吹き込んでくる風が妙に冷たい。


 ついには入口から覗く星空が虹色に輝いて見える…いや、最後のは違うか。


「は、離れてくれないか…?」

「…あ、そうですね。あんまりくっついちゃ暑いですもんね」


 どっからやって来たそのポジティブシンキング。少し前の彼女の雰囲気を思い出すと違和感が湧いて止まらない。


 頼むからそんなに明るくならないでくれ。何にも変われていない俺が…何だか惨めに感じてしまう。


「じゃあ、尻尾だけ抱き締めちゃってください。それで私も…あったかくなりますから」

「…分かった」


 ホッキョクギツネの勢いに押され、言われるがままに尻尾を抱いて、釈然としない気持ちも一緒に胸に抱えたまま…俺たちは眠りに就いた。




―――――――――




「あはは、あはははははは…!」


 思わず高笑いをしてしまった。


 許せません、絶対に許しません。ホッキョクギツネ…でしたっけ、決して無事には終わらせませんよ。


「よりにもよって手を出してしまうなんて…万死に値します」


 とはいえ、私もそこまで無慈悲ではないのです。だから殺さずに、じわじわと痛めつけてあげましょう。


 眠る神依さんの…すぐ横で。



「…うっ!?」

「ほら、起きてください。何幸せそうに眠っているんですか? 自分にそんな資格があると思っているんですか?」

「ぇ…オイナリ…サマ…?」


 あら、私のことは知っているんですね。恥知らずなキツネだと思いましたが、意外とそうでもないのでしょうか。


 …確か、会ったことがあったんでしたっけ?


 まあ、どうでもいいですね。えい。無防備なお腹を踏んずけてあげました。


「ガハッ…ぅ…!?」


 片手はお腹を押さえ、もう片方の手は起こすときに叩いた頭を押さえて…うふふ、忙しいですね。


 でももうすぐ、手が足りなくなっちゃいますよ。


「それっ、泣き所!」

「あぁ…なん、で…!?」


 膝下を蹴り付けてあげたら、茹でられたエビのようにうずくまってしまいました。これで血まみれにしたら本当にエビみたいな見た目になってしまいますね。残酷なのは嫌いなのでしませんけど。


「さあさあ、起きてください。気絶したら『めっ!』ですよ」


 声を掛けても起き上がる様子がないので、親切な私は髪の毛を引っ張って無理やり…ごほん、立つための力を貸してあげました。


 ああ、私はなんて優しいのでしょう。


「オイナリサマ…どうして…?」

「どうしてもこうしても、私の神依さんに手を出したホッキョクギツネさんが悪いんですよ? 人の持ち物に手を出してはいけないと習わなかったんですか? …ああ、だからジャパリまんを盗んだりしたんですよね」


 私には基本的に善の心しかないので忘れていました。世界には彼女のように神様でも救いきれない存在がいるのです。


 …うふふ、ホッキョクギツネさんったら、仕方のない子です。


「さあ、私が直々に身の振り方というものを教えて差し上げましょう」

「い…いや……うっ!?」


 反抗的な口には、セルリアンもどき…俗に言うスライムをぶち込んで…おほん、流し込んであげましょう。


 どうしようもない子にまで教えを施すなんて、私はとんだ善神ですね。


「分かりました…でしょう?」


 コクコク…うふふ、やっと自分の立場を理解したみたいですね。


 このまま心が死…じゃなくて、良い子になるまで教育してあげても良いんですが、念のために一つ聞いておきましょう。


「あなた…神依さんのことはどう思ってるんですか?」

「ご、もごご…」

「あぁ…スライム入れっぱなしでした」

「ぷはぁ…ふぅ…」


 少々乱雑にスライムを引き抜くと、彼女の口から安堵の溜め息。このスライム汚いですね、あとでお口に戻してあげましょう…でもまあ、今は地面へ。


「ほら、答えてください」

「か、カムイさんは…大切なお友達です…! それより、なんでこんな…」

「質問は許していませんよ?」

「が、あぁ…ごほっ…」


 なるほど、まだそこまでの想いには達していない訳ですか。


 …まあ、どっちでも良いですけど。


 いつか成長する可能性のある芽は、私たちの平穏な生活の為に全て摘み取っておかなければなりません。


 そしてその気持ちがなくとも、彼女は神依さんに度を越えたスキンシップをしました。


 許せる訳…ありませんよね?


「とりあえず、このスライム咥えててください」

「ふごっ!? んー、んー!」


 さあ、お仕置きしちゃいましょう。




―――――――――


―――――――――




「…ふぅ」


 しばらくして、洞穴には私と神依さんの二人きり。


 烏滸がましくも神依さんに近づこうとしたあの薄汚くこれ以上ない程に忌まわしい常識外れな辺鄙で生まれた悍ましくて醜悪なキツネは…もうここにはいません。


 そして二度と、美しい空の下を歩くことは叶わないでしょう。もちろん、全て私の匙加減なのですが。


「はぁ~、久しぶりに爽快でしたね」


 そんな私がなぜまだここに留まっているかと言えばそれはもちろん…神依さんに寝起きドッキリを仕掛けるためです。


 一度本で読んで、やってみたかったんですよね。


 そしてもう、アイデアは私の頭の中にあります!


「さあ神依さん、あんな奴のより私の尻尾の方が快適ですよ」


 神依さんったら、あのゴミの尻尾を取り上げてからずっと抱くものが無くて寂しそうに寝ていたんです。


 だから、神依さんの為の私の尻尾を抱かせてあげました。


 朝起きて私の尻尾を抱いていたら…神依さん、驚くでしょうか?


 うふふ、とっても楽しみです…!


「そう考えれば…神依さんに背を向けて寝なければならないこの状況も、楽しいものですね」


 幸せな気持ちに包まれた私は、洞穴という酷くみすぼらしい睡眠環境でもぐっすりと、安らかな眠りに就くことが出来たのでした。






―――――――――


―――――――――






「……え?」


 朝、目を覚ました俺は手元の様子を見て驚いた。


 いいや、むしろこれは、絶望だ。


 結界の中で嫌と言うほど味わいそして、祝明達のお陰で逃れることが出来た…と思えていたはずの感情だ。


「これって、まさか…」


 俺に真っ先に現状を教えてくれたのは、辺りを包む激しい戦火ではない。安らかに眠るオイナリサマの姿でも、苦しみの表情を浮かべるホッキョクギツネの姿でもない。


「うふふ、おはようございます、神依さん」


 ただ一つ。


「…驚いて、くれましたか?」


 それは、ホッキョクギツネのものであるはずの尻尾に見えた…だったのだ。

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