Ⅳ-140 或いは、茶番劇

「次は三体、左後ろからだ」

「分かった!」


 祝明は俺の示した方向に狐火を起こし、追いかけてきていたオイナリサマの眷属を焼き尽くす。


「残りはどう?」

「かなり遠くに見える、射程圏内に入るまでは時間が掛かりそうだな」

「…了解」


 あの檻みたいな結界から逃げ出して数十分。


 木の上スレスレを飛んでいる俺たちは、ようやく険しい山を抜けて雪原まで出てくることが出来た。


「しかし、出てきてからはアッサリだな…」


 つい口からそんな言葉が漏れる。


 それもそのはず。実際に追いかけてくるのは往なし易い眷属たちだけで、オイナリサマ本人は一切姿を見せていないのだ。


 そのお陰で遠くまで来ることこそ出来たが…


「なぁ祝明、オイナリサマは何を考えてると思う?」

「分からない…けど、都合の良い方へ転がったりはしないと思う」

「まあ、そうだよな…」


 オイナリサマの持つ力の大きさは、今まで散々見せつけられてきた。


 その上恐らく、まだ彼女はその力の底を見せていない。いやむしろ、彼女が全力を必要とする出来事なんて起こり得るのだろうか。


 そう思わされてしまうほど、彼女の力は強大だ。


 しかし今の状況はどうだろう。


 彼女はあれほどの執着心を抱いていたはずの俺に対し、高々数十体の眷属をけしかける程度にとどまっている。


 本気で逃げる俺を捕まえたいのなら、非常に不自然と言わざるを得ない。

 


「あれが全部嘘だったなら、俺も随分と気が楽になるんだけどな」

『ううん、オイナリサマは本気だった。私が保証するよ!』

「…ハハ、そりゃ本当だ」


 オイナリサマとイヅナはまあ…ある種の同類だし、それなりの共感覚はあるだろう。


 しかも勘の鋭いイヅナがこう言うのだとしたら、俺の抱いた希望的観測はいささかも役には立つまい。


「キョウシュウに逃げて…それで全部解決するのか?」

「今取れる手はこれしかない。きっとこれじゃ終わらせられないけど…少しの時間くらいは、稼げると良いかな」


 まあ…それが精一杯か。


「俺の無事は、任せて良いか?」

「勿論任せて…ええと、キョウシュウまでは」

「十分だ」


 祝明達は機会を作ってくれた。俺に考える時間をくれた。ここから逃げられたら、オイナリサマを鎮める方法を考えなくちゃならない。それは俺の仕事だ。


 どうだろう、一つ神社でも作ってみるか?


 …それだけじゃ、どうにもならなさそうだな。


 俺が逃げ出したせいで、間違いなく事態は複雑になるだろう。


 けどそれも仕方ない。対等な立場で話をするためには、こんな回り道しか辿るべき道が無かった。


 …最悪の場合、俺は祝明達の頑張りを無駄にしてしまうだろう。


 だからこそ、ほんの少しの誤算で水の泡になるであろう救出劇を敢行してくれた二人には、感謝の念しかない。


 せめて何か、恩を返してやりたいな。



『ノリくん、そろそろ到着するよ』

「だってさ、神依君」

「ああ、聞いていた」

「これからの予定は…一度ホッカイを経由して、そこからキョウシュウに飛ぶつもり。まあ、一応把握しておいて」


 その会話から間もなく祝明は地面へと降り立ち、俺も久しぶりにホッカ…ホートクの雪を踏んだ。


 緊急時だし他に方法もなかった訳だが、ずっと背負われたままなのは恥ずかしかったからな。


 ようやく自分の足で立てて心底安心した。


「早く行こう…今度こそ、壊されないうちに」

「そうだよ、これを壊されたら作り直しの暇も取れないからね!」


 祝明の体から出てきたイヅナが俺に催促する。


「分かった、さっさと行っちまおうか」


 魔法陣の上に立ち、もはや見慣れた光に包まれる。



 そして、今こそホッカイへ飛び立とうとしたその瞬間。


「……?」


 …視界に真っ白な何かが横切った気がした。


「おい、イヅ――――っ!?」


 その正体を確かめる暇もなく、俺たちはホッカイへと飛んで行く……




―――――――――


―――――――――




「…っ!? ぶ、無事なのか…?」


 俺は雪の冷たさで目を覚ました。雪に手を突き体を起こして、自分の体の状態を確かめる。


 とそこで、俺はついさっきまで自分が気絶していたことに気づいた。


「一体何が…くっ…!?」


 思い出そうとすると頭痛がして、めまいがして周りの様子もよく見えない。


 祝明達は、どうしてるんだ…?


 そんな音を思ったその時、機能を取り戻した鼓膜に周囲の音が舞い込んでくる。


 耳を澄ますと…


「っ…はあっ!」


 祝明の声と。


 高く鳴り響く金属の音と。


「ふふ、それが全力ですか…?」



 …オイナリサマの、声が聞こえた。



「ハハ…失敗か?」

「ううん、テレポート成功したよ」


 呆然と呟いた俺の隣から、イヅナの声がする。


「なら、何故オイナリサマが…」

「分かるでしょ。テレポートする瞬間に飛び込んできて、一緒に付いてきちゃったの」

「なるほど、な」


 けど、どちらにせよ同じことだ。


 オイナリサマの手の届く範囲から逃げることは叶わなかった。


 これ以上逃げるための手も…打てるようには思えない。


「う、あぁ…!」


 オイナリサマの蹴りを受けた祝明が呻き声を上げる。俺のせいだ、俺を助けに来たせいで、祝明はあんな目に遭っているんだ…!


「大丈夫、方法はあるよ」

「…本当か?」


 再び心を覆いそうな絶望に、今度はイヅナが光を差した。


 全てを忘れてしまおうと縋ったあの日も、コイツはこんな風に手を差し伸べたんだっけ。

 

 ま、その結果は碌でもなかったけどな。


「カムイくん…オイナリサマはあなただけが目当て。あなたのいない場所に、彼女は現れない。だから…は通用する」

「頼む、教えてくれ…!」


 俺はこの作戦に乗った、再びイヅナに縋った。


「いいよ。その代わり、ちゃんとやってね?」



 これが俺ではなく…救う作戦であることに、薄々気が付いていながら。




―――――――――




「ノリくん、お待たせっ!」

「っ、イヅナ…!」


 祝明がイヅナに手を伸ばし、イヅナは頷きその手を掴む。


 二人の手が触れた瞬間、イヅナの体が光に包まれ祝明の中へと入ってゆく。


 化け狐が取り憑くのと同時に、その尻尾は二本に増えた。


「往生際の悪い方々ですね」

「悪いね、神依君の元へは行かせないよ」

「ですがどうして…そこまで神依さんに肩入れするのですか?」

「聞いたでしょ? 頼まれちゃったからだよ」

「うふふふ、やっぱり不思議な方ですね…コカムイさんは」


 オイナリサマの手から、白い光の弾が瞬いた。


「こんな状況でなければ、仲良く出来たかもしれませんのに」

「ごめんね、僕にはイヅナがいるからさ」

「あぁ、そうでしたね」


 思い出したかのように呟きながら、手から放たれる光は祝明を狙い続けている。


 光弾を撃って、刀が切り裂く。


 何度かそのやり取りを繰り返した後、オイナリサマは世間話でも持ちかけるような調子で相手に尋ねた。


「ところで、イヅナさんは姿を見せないのですか?」

「イヅナの姿だったら、なんか容赦し無さそうじゃん」


 オイナリサマと違う緊張感のある声でそう答えた祝明は一瞬姿をくらませ、後ろから彼女に斬り掛かった。


「まあ、確かにそうですね」


 が、その攻撃も鋭いカウンターに身体ごと吹き飛ばされる。


「ううっ!?」

「…コカムイさん相手でさえ、こんなに力を出してしまいますから。これでも、抑えている方ですよ?」

「あはは、冗談がキツイね…!」


 雪まみれの体を起こし、諦めの混じった笑みを浮かべながら祝明はまた刀を構える。


「まあ、まだ続けるおつもりですか?」

「見ての通りね」


 刀が銀色に光る。


 祝明もオイナリサマも、見てくれは戦いに意識を向けているようである。


 …いや、まだだ。


 のタイミングはもっと後。オイナリサマの余裕を、あの二人が最大限に奪い取った瞬間だ。



「でも私、一度イヅナさんとお話してみたいです。そちらが何かしない限り危害は加えませんから…どうですか?」

「でも……え、いいの? …分かった」

 

 もくもく…祝明の体が煙に包まれる。


 吹きすさぶ風が煙の衣を剥ぎ取ると、姿を見せたのは案の定イヅナだ。


「…初めまして、オイナリサマ」

「はじめましてですね、イヅナさん。一度ゆっくりお話ししたいと思っていました」

「そう、私はそうでもないけど」


 つれないこと言わないでくださいよ、と言いながらオイナリサマは馴れ馴れしくイヅナへと近寄る。


 表情を見る限り、イヅナは快く思っていないだろう。


 しかし、さっきの”何かしない限り危害は加えない”という言葉が効いたのか、イヅナは渋々と言った様子でオイナリサマの接近を許した。



 だが…妙だな。


 さっきから、オイナリサマは俺の方を見ない。居場所を確かめるような素振りもない。


 まさか、わざわざ見るまでもなく俺の行動は筒抜けなのか?


 大きな不安を胸に抱えたまま、隙を見逃さぬように二人の観察を続ける。



「お会いできて嬉しいです! 早速質問ですが、イヅナさんはどうしてこのパークへ。」

「え…? まあ、色々あるけど…過ごしやすそうだなー、と思って」


 …なんだ、雑談か?


 のどかな雰囲気になる分には一向に構わないが、静かな状態だと物音には気づきやすい。


 しばらく、実行の隙は生まれ無さそうだ。


「なるほど、確かに素敵な場所ですからね~…コカムイさんをのも、それが理由で?」

「…なんで私が連れて来たって分かるの?」

「それは…ほら、なんとなくです。間違ってました?」

「はぁ、まあ合ってるよ。ノリくんを連れて来たのは…ほら、気に入っちゃったから」


 ま、の祝明はまだ俺だったけどな。


 勝手に新しい名前なんて付けやがって。おかげで色々ややこしくなったじゃねぇか。


「気に入ったから…ですか。ふふ、私たち気が合いそうですね」

「…そうとは思えないけど」

「いいえ、必ず合います。だって相手は違えど、同じ気持ちを抱いているんですから」

「……」


 話の雲行きが怪しくなる。


 いや、元々雷雨みたいな状況の中で逃げてきた訳だが、俺には分かる。共感を求めてきたのは、あの言葉の布石に違いない。


「ねぇイヅナさん。あなたなら分かってくれますよね。神依さんを独り占めにしたい私の気持ちが」

「……そうだね、きっとよく分かるよ」



 …かくして、話の俺の予想通りに流れていく。



「なら、私の邪魔をしないで貰えませんか? あなただって、コカムイさんに余計な傷は負わせたくないでしょう? 私も、気の合うあなたを無闇に傷つけたいとは思いませんもの」


 まあ、こうなるよな。


 文字通り超越的な力を持つオイナリサマとて、イヅナとの戦いで余計な消耗を強いられたくはない。イヅナと休戦協定を結び、後は悠々と俺を捕まえるつもりなのだ。


「…どうですか?」


 でも、残念だな。


「ううん、ごめんね」


 イヅナは、その誘いには乗らない。


「あら…何故でしょう?」

「そうしちゃえれば楽なんだけどね…でも、ノリくんの頼みを裏切るわけにはいかないから」

「…なるほど。では、仕方ありませんね」


 二人は微笑み合って、一気に距離を取る。休戦協定は破綻した。もう戦いで決着を付けるしかない。


「オイナリサマ。私はこの一撃に、全力を込める」

「言ってしまって良いのですか? …まあ、結界を貫けない程度の全力、恐れる必要もありませんが」


 そして来た、イヅナからの合図。


 『全力を込める』ということは、そこがオイナリサマの隙を突く最大のチャンス。


 始めよう。大丈夫。一度乗ったからには、最後まで乗り切ってやるさ。


「はあぁぁぁ……!」

「うふふ、楽しみですね…あなたの全力が」



 イヅナの周囲にサンドスターが、そして妖力が集まる。やがて輝きを吸い込む渦は消え、イヅナは足を踏み出した。


 虹色を吸い込んだ尻尾が九尾の様相を呈し、限りなくゼロに近づいた距離から緊張の波動が打ち広がる。


 俺は、イヅナから託された短距離転移用の結晶を強く握りしめた。



「…ていっ! やあっ!」



 ついに、イヅナの攻撃が…


「ん……えっ!?」


 オイナリサマのへと届いた。


「これで決まりッ!」


 その声と共に、俺は転移の結晶を発動させる。


 最高の妖力を込めたイヅナの攻撃は…舞い上がった雪に視界を奪われたオイナリサマに向かって行き…


「これしきの妨害…!」


 防御の為に張られたオイナリサマの結界の横をすり抜けて…


「よし…行けるッ!」


 …その後ろにあった、起動していない魔法陣へと当たった。


「…なッ!?」

「悪いな、俺は行かせてもらう…!」


 転移の直前、妖力爆弾を上に放り投げる。これで俺が転移した直後、この魔法陣は跡形もなく消え去る。


 そのまま光に身を任せ、俺は魔法陣の向こうへと…!




―――――――――




「…うふふふふ、イヅナさん…やってくれましたね」

「まあまあ待ってよ、私にも考えがあるからさ」

「…お聞きしましょう」


 今にも殺しに掛かってきそうなオイナリサマを抑えて、私は作戦の概要を伝える。


 私が…助けるために立てた作戦の一部始終を。


「…ってこと、分かった?」

「ええ、理解いたしました。じゃあ…こうするのが一番ですね」


 オイナリサマの手の平がこちらを向き、悍ましいほどの妖力の奔流が私を襲う。


 …そう、それでいいの。


「ありがとうございました、イヅナさん。やはりあなたとは、良く気が合いそうです」


 一体どんな術を使ったのか、オイナリサマの姿が消える。


 きっと…カムイくんを迎えに行ったんだ。


「私の仕事は…ここまでだね」


 そう、私はオイナリサマと向き合った。全身全霊の策略を以て、ノリくんを守り、カムイくんを向こうへと逃がした。


 だから…安心して?


「ノリくんは…私たちはもう十分、頑張ったんだからさ」


 出来ることは、全部やったよ。


 オイナリサマは敵に回さない。


 神依君も逃がす。


 ノリくんの想いも、叶えてあげる。



 これが私の、最高の作戦。

 

 或いは、茶番劇。



 後は精々頑張ってね…カムイくん? 君の命は、君自身に掛かってるんだから。

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