Ⅳ-139 逃避行の始まり

「あら、お久しぶり…と言うほどでもありませんね。…コカムイさん?」

「…オイナリサマ」


 僕達のやり取りを聞きつけたのか、もしくは陰からずっと見ていたのか。


 神依君のあの言葉を待っていたかのように、丁度良くオイナリサマはその姿を見せた。


 彼女の顔には、目の笑っていない笑顔が張り付いている。


「またお会いできて嬉しいです。でも…折角帰れたのに何故またここへ?」

「分かってるよね。は神依君の様子を確かめに来たんだよ」


 澄まし顔で心にもないことを言うオイナリサマに、僕は淡々と目的だけを告げることにした。


「うふふふふ! …僕は、の間違いではありませんか?」

「…っ」


 オイナリサマはそこに、あわよくば隠そうとした事実をぶつけてきた。


 どういう原理かは分からないけど、彼女はイヅナの存在を察知している。


 そしてわざわざ親切にもそれを教えられるほど…彼女には余裕があるらしい。


「…教えてくれるんだ? 隠してれば、不意を突けたかもしれないのに」

「勿論それも可能ですけど…必要ありませんから」

「……そっか」


 こうも開けっ広げに見下されると、一々腹を立てる気にもならないね。


 それを差し置いたとしても…僕のすることは変わらないけど。


「逃げるよ、神依君!」

「でも、結界が…」

「抜けられるよ、入って来れたんだからッ!」


 躊躇う神依君の手を引いて、一目散に飛んで行く。


「逃がしませんよ…?」


 当然、オイナリサマも追って来る。


 でも、攻撃は出来ないはず。


「おいおい、これじゃ俺が…!?」

「神依君だけは狙わないよ…イヅナの予想通りなら」

「なんだよ、そのイヅナの予想って?」


 僕は神依君を背負って、狙いにくいように低空飛行で結界を目指している。


 丁度オイナリサマとの間に神依君を挟めば、草木などの遮蔽物も相まって流石の彼女も易々と攻撃には踏み切れない…とイヅナは踏んだ。


『オイナリサマはカムイくんに惚れてる、だから撃たないよ!』

「…ってこと」

「いや、だけど……ああもう、この際信じてやるさ!」

「ありがと、任せてね」


 間もなく、結界との距離は数mにまで縮む。


 外側と違って、結界は色付きガラスのようなハッキリとした形を持っている。でもイヅナ曰く構造は同じ、貫くのに困ることはない。


 穴を空けようと手を伸ばす。すると…結界は接近を拒むかのように遠ざかって行ってしまった。


「…あれ?」

「内側から近づこうとすると逃げて行っちまうんだ。悪い、伝えるのが遅れた」

「それは大丈夫…広がるより早く近づければ良いからさ」


 幸い、速度を出す方法はある。


 もし懸念があるとすれば…彼女だ。


 オイナリサマは細い腕をこちらに伸ばし、神依君を引き留めようと声を掛ける。


「うふふ…追い詰めました。潔く諦めましょうよ、神依さん?」

「お断りだ、俺はここには居たくない」

「…そう、ですか」


 神依君の拒絶を聞くと、オイナリサマは悲しそうな顔で俯いた。


 僕はその立ち姿を一瞥して、すぐに距離を取りながら結界に突っ込む準備を始めた。


 悪いけど、彼女の話を聞く余裕なんて一切合切ある訳ないから。


「でも、折角の決意も様にならないね…おぶられたままだと」

「仕方ないだろ、追いつかれる方が様にならねぇよ」

「あはは、そうだね」


 ジャンプして、木の幹の壁を蹴り飛ばし、広がる結界へ向けて全速力。


 それでもまだ、結界の広がる速さには追い付けない。


『イヅナ、もっと加速できる?』

『いけるよ、行こ!』


 サンドスターを足に集めて、空中を蹴って更に伸びる。伸ばした手から爪を出し、結界に突き刺して引っ掛ける。


 今にも引っ掛けた爪が取れてしまいそうだけど、何とか追いすがることが出来たみたいだ。


「神依君、落ちてないよね?」

「なんとかな…それで、この硬い壁を破る算段もあるんだろ?」


 それはもちろん…


「…力づくだよ!」

「おいおい…本当に大丈夫か?」


 神依君は苦い顔をする。


 けれど、そもそもコレを通り抜けるには力で破るしか方法が無い。外と中では結界の見せる形が違うし、内側からこの壁を理詰めで解くには流石のイヅナも時間が足りなかった。


 …褒めるべきは、ここまで強固なものを作ったオイナリサマの力。


 やっぱり、真正面からの戦いは全力で避けたいところだ。


『一瞬だけして、全力を叩き込む…!』


 尚も広がり続ける結界を蹴って、掴んだ手を支点にして大きく足を振りかぶる。


「一気に…蹴り抜けるッ!」


 遠心力と共に戻した足の先が結界に触れたその瞬間、野生開放をして九本の尻尾を露わにする。


 ぶつかったところから轟音と共に衝撃波が周囲を舞い、その強さは両腕で堪えなければ吹き飛ばされてしまう程だった。


 放った自分達でさえも驚いてしまう威力。


 しかし、更に驚くべきは――


「あっ…」

『こんなことって…!?』



 ――結界が、全くの無傷であったことだった。



「…当然でしょう? 私が丹精込めて組み上げた結界が、これしきの攻撃で壊されるはずはありません」

「嘘だ、外からは入って来れたのに…」

「それは綻びを小賢しく利用したにすぎません、残念でしたね?」


 掴んでいた手をとうとう離し、逃げていく結界から目を逸らせば、余裕の表情を湛えたオイナリサマが悠々とこちらに歩いて来る。


 さっきまで呑気に突っ立っていたのも、結界の強度を信用していたからだろう。


 神依君を背中から降ろすと、オイナリサマはまた彼に手を伸ばした。


「さあ、神依さん。そんなか弱いお二人よりも、私と一緒に居ましょう? 私なら、どんな脅威からもあなたを守って差し上げられます」

「へぇ…じゃあ、アンタ自身からも守ってくれるのか?」

「それは…どういう意味でしょう?」

「分からないのか、オイナリサマ? アンタが一番の脅威だって言ってるんだよ」


 神依君があまりに命知らずな発言をするもので、僕は思わず飛び上がってしまった。


 大丈夫なのかな、神様にこんなこと言っちゃって…


「ちょっと、挑発してどうするのさ…?」

「良いだろこれくらい、俺だってやられっぱなしは癪なんだ」

「まあ…仕方ないか」


 会った時とは打って変わって元気になっているようだし、悪いことは特段なさそう。


 だから…大丈夫! そう僕は割り切った。


 でも、オイナリサマにきっとそんなことは出来ない。ほら見て、今に激怒して…



「ふふ、うふふふふ…」


 …笑ってる。小さな涙を流しながら。


「…神依さんは、私が嫌いなんですね」

「あ、いや、そう言うんじゃなくてだな…」

「ぐすん…じゃあ、どうしてこんなこと言うんですか…?」

「……えっと」


 突然態度をコロッと変えたオイナリサマに、神依君は非常に困惑させられている。


『流石は狐、ずる賢いね…』

『あはは、イヅナが言うのもアレだけどね』


 こんな体になっちゃった以上、僕が言うのも適わない。


 ともあれ僕達の目的を考えれば、これはあまりよろしくない兆候だ。


 神依君が彼女に絆されてしまったというのなら深入りはしないし出来ないけど…どうだろう?


「…もしかして神依君、気が変わったの?」

「な、そんな訳あるか。俺はキョウシュウに帰るぞ」

「誰も待っていなくてもですか…?」

「少なくとも祝明は迎えに来てくれた、それに博士たちだって…本当のことは、確かめてみなくちゃ分からないだろ」

「そう、ですね…」


 オイナリサマは目元の雫を拭う。


 そして、天を仰いだ。


 それが僕には、オイナリサマが決心した姿に見えた。神依君がたった今、思いを固めたのと同じように。


「では仕方ありません。やはり、力づくで引き止めさせていただきます」

「っ、やっぱそうなるよな…!」


 おもむろに腕を上げ、手の平をこちらに向ける。


 するとオイナリサマの背後から何匹もの白い狐が姿を現し、集団でこちらへと襲い掛かって来た。


「…逃げよう」


 また神依君を背負って、空を飛んでその場から脱出した。


「だけど、今更何処に行くってんだ? 結界は破れなかったぞ」

「残ってるよね、の魔法陣が」

「…ちょっと欠けてるけどな」

『大体の形が残ってるなら大丈夫! 修理までは無理だけど、インスタントなテレポートならそれで出来る』

「だってさ。それよりも今は…狐たちこいつらの対処だねっ!」


 オイナリサマの使い魔は、一匹一匹が飛行能力を持って僕達を追い続けている。


 しかも一丁前に変な弾を飛ばして攻撃してくるものだから、ただ逃げていれば良いという訳でもない。


 平たく言えば、とても面倒な相手だ。


『安心して、魔法陣まで辿り着ければ、必ず道は開ける。だから、心置きなく焼き払っちゃって!』

「因果関係がよく分かんないけど…まあ、いいか」


 右後ろから飛んできた弾を避けて、狐の動く軌道上に狐火を起こした。


 全速力で飛んでいたのだろう、狐は避けること叶わず丸焦げになってしまった。


 その様子を見ていた他の狐は怖気づく…ようなこともなく、さっきまでと同じように弾を撃ちながら突進してくる。


「なるほど、ただの使い魔らしいね」


 面倒な相手は本当にの相手で、彼らの殲滅には数分と掛からなかった。


「あはは…こんなに楽だと後が怖いね。何が待っているのやら」


 オイナリサマの思惑とは何か。


 それについて考察を立てる前に、僕らは欠けた魔法陣のある場所に到着した。


『なるほど…綺麗に壊されてるね』

「…使えそう?」

『乱暴にされた跡も無いし、短距離の転移には使えそうかな』

「ラッキーだったね…行こう、結界の外まで」

「…あぁ」


 神依君は泣いている。気恥ずかしそうに目を逸らして、しっかりと涙ぐんでいる。


「…悪い、まさか本当に出られるなんて思ってなくてさ」

「気が早いよ、これから本当にするんだから」

「ハハ…そうだな」


 一瞬だけ周囲の気配を探ってみるも、オイナリサマがいる感じはしない。


 …まあ、いないならそれで良い。余計なことをされる前に出て行ってしまおう。


『お願い、イヅナ』

『分かった』


 イヅナに動かされた僕の手の先に、不思議な色の粒子が集まる。


 すぐに不完全な魔法陣は起動して、急速に広がった光が僕達を包んだ。



 そして、空中に放り出されたような感覚の後…



「…無事に、出てこれたようだな」

「まだ安心するには早いよ。向こうにキョウシュウへ帰るための魔法陣を用意してあるから、行こう!」

「おう…準備が良いな?」

「全部イヅナのおかげだよ」


 他愛のない会話もそこまでにとどめ、あらかじめ用意していた魔法陣の元へと向かう。


 途中でオイナリサマの妨害が入ることもない、とても順調な道のりだった。


 あまりにも順調過ぎてそら恐ろしかったけれど、その不安を口には出来なかった。


 …言霊が、叶えてしまう気がした。



「目印発見、もう少しだよ」


 木の幹に付けた印は、残り数十mの証。


 本当に、もう少しだ。


「ああ、これで……ッ!?」


 本当に、もう少しだった。


「そんなに急いで…どちらへ向かうおつもりですか?」

「オイナリサマ…ッ!」


 神依君の発した悲痛な叫び声。


 何故かそれを無視したオイナリサマは、僕に鋭い視線を向ける。


 その瞬間に電撃のような恐ろしさが体を走ったが…何とか耐え、現実から目を逸らすことなく立っていられた。


 そんなこちらの心境など露ほども考えることなく、オイナリサマは僕に話しかける。


「壊れた魔法陣をあんな使い方で活用するなんて…うふふ、コカムイさんはとても賢いのですね」

「……イヅナのおかげだよ」

「そうですか。ではも、彼女の仕業ですね? ……許せません」


 そう言って、彼女は地面を踏み躙る。


 足元には、魔法陣がある。


「神依さんは行かせません、あなた達二人だけならおかえりになっても構いませんよ?」

「悪いけど、神依君に頼まれちゃったからね」

「『助けてくれ』…というお願いのことですか。神依さん、ダメですよ? あなたを助けられるのは…助けて良いのは、私だけなんですよ?」

「勝手なことを…!」

「うふふ、これからちゃあんと分からせてあげます。ですから…」


 オイナリサマはそう言って、魔法陣から降り数歩下がる。そして手の平をさっきのように魔法陣へ向けると…


「どーんっ!」


 …場違いな掛け声と共に、魔法陣を破壊した。


「…こんなもの、必要ありません♪」



 僕達は、その光景を目にした数秒後…


「行くよ」

「えっ、おい!?」


 神依君の腕を引き、さっきのように背中におぶって飛び立った。


「大丈夫、僕達がホッカイからホートクここに来た時の魔法陣はまだ生きてるから」


 吹き付ける風がとても冷たい。

 

 それでも、助けると決めた以上…僕は進む。



 今度こそ…逃避行の始まりだ。

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